第410話 夢から醒めて



 ――リナが目覚めない。



 不安に思い再度寮に戻ると言い出したリタと一緒に、カサンドラも部屋へと向かった。


 寮生でもないカサンドラが女子寮とは言え内部に入る事は、当然管理人も困らせる事になる。

 だがリナが本当に眠ったまま未だに目覚める気配がないこと。

 身元がハッキリしている王立学園の生徒であることで、『お見舞い』という形ならと融通を利かせてもらえたのは助かった。


 以前女子寮の管理人を訪れたことがあったのも、即座に許可を得られる理由になったのだろう。


 無関係な生徒を部屋に案内することは規則で禁止されているそうだが、それは当然のことだ。

 遠方からとはいえ、曲がりなりにも貴族の令嬢が間借りしている寮内に大手を振って寮生以外が闊歩できる状況など、全く安全が担保されない。


 レンドール侯爵家の娘、そして生徒会役員――王子の婚約者、という立場を並べても簡単には立ち入ることが出来ない。

 確かに厳重な警備体制だと感心するが、今回は至急の案件で『内密に』とこちらがお願いされる側になってしまった。


 長い廊下を歩き、階段を登り、突き当りまでリタに追従して歩くカサンドラ。

 不安そうな気持ちを隠せないリタの緊張した横顔に、ただ事ではないのかも知れないと喉を鳴らすことになる。



「カサンドラ様。

 リナの部屋は、ここです」


 コンコン、と何度部屋をノックしても中から返事はない。

 いつもはちゃんと鍵を閉めて就寝するはずだとリタが首を捻るが、施錠されていないのは確かなようで簡単に部屋の扉が開いた。


 時間になってもリナが起床して来ないことを、リタは当然不思議に思った。


 もしかしたらリゼのように何か事件に巻き込まれて不在なのでは? そう思い至った彼女が部屋を訪ねると鍵もかかっていなかったのだとか。




 ――奥のベッドの上で、仰向けの姿勢ですやすや寝ているリナの姿が真っ先にカサンドラの目に入る。



 そして、カサンドラは部屋の内装に心臓が凍り付く。

 見慣れた部屋の内装。


 初めて訪れるはずのリナの部屋なのに、『懐かしい』とさえ感じてしまう光景に今更戸惑いを覚える。

 リナを選んでゲームを始めた際、セーブやロード、スケジュールの決定など頻繁に映し出される室内の様子と全く同じだ。

 可愛らしい小物で飾られ、桃色のカーテンが結ばれ、見覚えのあるクッション、テーブル、椅子――ラグの模様。


 あくまでもここは、ゲームを基にして造られた世界なのだと否応なしに視覚に訴えて来る。 


 扉から一歩入って立ち尽くすカサンドラを後目に、リタは躊躇うことなくベッドに駆け寄る。



「やっぱり、朝と一緒……

 ねぇ起きてよ、リナ!」


 どうやら、仰向けになってベッドの上で寝入るリナの姿勢は一切変わっていないそうだ。

 ベッドの上で天井を見上げて目を閉じているのだから、それ自体に不自然なことはない。


 揺すっても耳元で大声で叫んでも一切反応が無いのはおかしい。そんなリタの疑問は尤もだ。

 とは言え、リタも相手がリナなので他の人に出来るように力いっぱい声を張り上げたわけでも、力を込めて揺さぶったわけでもない。


 多少の遠慮があった――でも、普通の人は目覚めるだろう。

 余程夜更かしをして、寝入ったのが午前様だったというなら分からないでもないが。

 真面目なリナに限って、という気もするし。


 顔色は普通。

 規則正しく上下する胸は、正常に呼吸が続いていることを表している。


 リナは胸元で何かをしっかりと握りしめたまま、ただ昏々と眠りについていた。


 まるでイバラの森の眠り姫のようだ。

 あどけない無垢な顔で、安らかにひたすら深い眠りに捕らわれているリナを見下ろし、カサンドラは場違いにもそんな事を思っていた。

 元の世界のあの御伽噺が適用されるなら、王子様――この場合はシリウスか?

 彼の口づけで目が醒めるかもしれないが、残念ながら彼は今日欠席のようだし。


 どんな根拠を持って彼にそう提案すればいいのかさっぱり分からない……

 いや、何を現実逃避しているのだ自分は。  


「リナさん……」


 身体に不調があるようには見えない。

 ただ寝ているだけなのは間違いないが、この状況は非常に心配だし出来る事も限られている。


 高熱を出して魘されていれば医師を呼ぶことができるが、ただ”寝ている”と言っても一晩くらいなら「寝かせてあげなさい」と肩を竦められそうだ。


 ただ、急に様子が変化しないとも限らない。

 リタとカサンドラは、部屋の主の承諾を得ることが出来ないまま、部屋で彼女の様子を伺うことにした。


 いつもは明るく元気なリタもこの時ばかりは不安そうにベッドの端から端をうろうろと歩き回る。

 いてもたってもいられない、そわそわとした感覚はカサンドラも良く分かるものだ。



  ……こんなこと、ゲーム内ではなかった……



 そう思い至ったものの、頭をすぐに左右に振った。

 自分が知らない世界へとこの世界は舵を切ったのだ、自分の知っていることが起こる方が駄目に決まっている。


 何故リナは目を醒まさないのだろう。

 もしかして自分が起こしてきた積み重ねの行動が、今更”エラー”を吐いて彼女をこんな目に遭わせている?


 そんな馬鹿な。

 自分が閉ざされた未来をこじ開けようと動けば、彼女達にこんな形で影響が出るなんて思いもよらない事だ。

 全ては仮定に過ぎない、検証も出来ない。


 ……何でもかんでも『ゲーム』に結びつけるのは良くないと思っていても、不安で胸がはちきれそうだ。


 怖い。

 この世界がゲームを基に作られた世界だと知っているのは自分だけ。

 本来起こるはずの出来事を知っているのも自分だけ。


 今更ながら、それはとても孤独で。

 誰にも打ち明けられなくて、自家撞着の毎日だったのだと思い返す。




 しばらく時間が経過したが、スースーと規則正しい寝息がベッドから聴こえるだけなのは変わらない。

 リタと一緒にいるとは思えない、重苦しい空気が室内を覆う。



 すると廊下から誰かの足音が聴こえた。

 授業中に女子寮の廊下を移動するなら、管理人か清掃員だろうか?

 そう思って耳が足音を追うのを辞めかけたが、足音は丁度この部屋の前で止まる。


 耳に障る金属音を立て、慌ただしく扉が開かれた。




「…リナ! 大丈夫!?」




 血相を変えて飛び込んできた彼女は、かなり急いで階段を登って来たのか。

 肩で大きく息をし、掌を胸部に添えて何度も深呼吸を繰り返した。


「リゼ!」


「リゼさん」

 

「さっき管理人さんから聞いたけど……

 リナ、目を醒まさないってホントなの?」


 彼女は完全に普段着だ。動きやすいシャツとズボンの出で立ちでひょっこり姿を現わす。

 剣術鍛錬をしていたのだろうなと予測できる、休日の『女子』の姿とは縁遠い格好であるが……


「リゼこそ!

 急に事件に巻き込まれたとか、一体何なの!?

 吃驚させないでよ、もう――無事でよかった!」


「あーーー……

 ちょっとね。

 通り魔に頭をガツンと殴られたのよ」


「ええ……リゼに一撃を入れられるとか、どんな屈強な大男が犯人なの?」


「流石に路地から急に襲い掛かられたら堪らないわ」


 どこかで聞いたことがある話だ。

 通り魔……

 リゼ達のような背格好の女子を狙って襲う暴漢が王都に出没していたとは話に聞いたことがある。


 カサンドラの顔から音を立てて血の気が引く。

 蒼褪めた顔で彼女を凝視した。


「大丈夫ですか、リゼさん!

 よくご無事で……!」


 見た限り、今までと変わらず背筋を伸ばしキリッとしたリゼの姿。

 どんな怖い想いをしたのだろうかと、もはやカサンドラの貧困なイメージでは想像さえ出来なかった。


「全く面目ない話です、カサンドラ様。

 怪我自体は大したことはないんですが、殴られたのが頭だったので……

 夜間に容態が悪化するかもと、念のため騎士団の治療班に御厄介になってました」


 コブができちゃいましたよ、と彼女は栗色の髪の上から後頭部を手で擦る。

 口を曲げて軽い口調で言われたので、そこまで深刻な事件にはならなかったのかなとホッとした。


「私の事より、リナですよ。

 この時間まで目を醒まさないって、ちょっと信じられません」


 しかもリタやリゼ、カサンドラが狭い室内にひしめき集っても一切反応を示さない。

 外から負荷がかかっていて起きる事が出来ないのではないか、と疑いたくもなる。


 不安そうにリナの様子を伺うリゼ。

 ひとところに会したところで、何か特別な事が出来るわけではない。


 しかし急な出来事を前に、自分一人で焦るのではなく他にも同じ気持ちでいてくれる人が傍にいてくれるのは心の持ちようが全く違った。






 このままお昼を過ぎても目覚めなければ、医師を呼んでくる他ないのだろうか。

 他の学園の生徒達は授業を受けている時間帯に、こうして三つ子達と一緒に女子寮にお邪魔しているのは不思議な感覚だ。


 呼びかけても目覚めないリナに、がっくりと項垂れる。

 何度彼女の名を呼んだだろう。


 もはや自分達に出来る事は何も無いのかと、お昼を目前に控えたその時。 




「………ん……」


 彼女の表情が僅かに動いた。

 指先も小さく震え、それまで魂の抜け殻状態だった彼女の体。

 ようやくリナが”戻った”のだと、カサンドラだけではなくリタ達も直感したことだろう。


 ぎゅっと瞼を深く瞑った後、ゆるゆると薄く目を開く。

 茫洋とし、虚ろな彼女の青い瞳は焦点が合っていなかった。



「リナさん、しっかりしてください」



 彼女は深く眠っていただけだ。


 午前中全く起きなかったからと言って大袈裟だなと他の人に言えば笑われるかもしれない。

 だが明らかに様子はおかしかった。


 ただの体の不調とは思えない異変を感じたのだが……


「――――。」


 リナの目の奥に緩やかに光が射す。

 彼女は呆然とした表情で目瞬きを数度。


 良かった、意識を取り戻してくれて本当に良かった。


 ただの寝不足だったというオチでも、全く構わない。

 むしろそうであって欲しいと心から願った。


 覗き込むと、やっとリナと目が合う。

 心の底から安堵し、嬉しさのあまりしがみつきたい衝動をぐっと抑えた。



 まだ意識が判然としていないのか、意味不明に口元を動かすリナ。


 だが声という声、言葉という言葉にならないリナはカサンドラをじーーーっと見つめていた。

 横たわり、力のない疲弊しきった状態の体で。

 





  「貴女は………誰……?」





 彼女の言葉に、カサンドラは全身が硬直した。


 曇りなき青き空色のまなこ、桜色の口唇くちびる






「はぁ? 起き抜けに寝ぼけすぎよ、リナ!

 カサンドラ様、わざわざお見舞いに来てくれたの!」


 リナの心底不思議そうな、誰何の言葉を聞いたのはカサンドラだけではなかったようだ。

 安心したおかげか、努めて明るくリタは事情を説明する。


 しかしリタのフォローが、決して空耳ではなかったのだとカサンドラを一層動揺させる。


 知らない人を見るような目で見られた。

 思った以上に衝撃的で、咄嗟に『カサンドラだ』と答えられなかった。


「もう、心配かけないでよー。

 二度と起きないんじゃないかって、皆心配だったんだから!」


 リタの力の漲る強い声に、徐々にリナも状況を把握しつつあった。



「カサンドラ様……お見舞い………

 え? 私、今まで何を」



 と言いつつ、視界も意識もクリアになったようだ。



「すみません、頭が混乱してて、良く分からなくて!」


 リナは慌てて上体を起こし、クラッと目を回す。




「どうか落ち付いてくださいね。

 リナさんが御無事なら何よりです」









「長い……長い、夢を見て……いました。

 同じようで違う、不思議な夢を、いくつも……

 いくつも……」





「ね、リナ。こんなこと初めてでしょ?

 昨日夜更かししたから、今の時間まで寝過ごしたの?

 あ! もしかして私が帰ってこなかったから、心配して起きて待っててくれたとか?」


 騎士団から正式な連絡が寮側にあった正確な時間は分からないが、この二人ならリゼが夜になっても帰宅していないことに気づくことが出来ただろう。


 通り魔事件に巻き込まれているなんて思いもよらないリナが不眠不休でリゼの帰りを待っていたのでは?


 リゼはそう推測したが、



「……? え!? リゼ、昨日帰ってこなかったの!?」



 逆に驚かれてしまったので、完全に当たりが外れてしまったらしい。




「リゼが朝いなかったから、無許可で朝帰り!? って、私はビビったわ。

 騎士団に保護されてたなんて思わなかったし。

 ……リゼ、ホントに保護されてたのよね?


 まさかジェイク様と夜を過ごした口裏合わせとか――」




 完全に元の調子に戻ったリタが、軽妙に姉をからかう。


 だがその発言を受け、全く躊躇うことも怯むこともなく、リゼはノータイムでリタの顔面を鷲掴みにして圧迫する絞め技を披露した。


 女性の握力とは思えない力に圧され、ミシミシとリタの顔が軋む。



 悲鳴を上げて痛がるリタに、「あんたの! せい! でしょうが!」と激怒モードで苛烈な仕打ちを続けるリゼは止まらない。



「ええと……

 私、寝ていたから事情が全然分からないの」



 困惑気味のリナが寝台を軋ませ、足を動かし降りようとする。



 その拍子に彼女が握りしめていたペンダントが床の上に滑り落ち、カサンドラは拾いあげてリナに渡した。



「可愛らしいペンダントですね」


 小さなサファイアをあしらったペンダントは、リナが身に着けたらよく似合うだろうと思う。

 シリウスからの贈り物かな? とも。





「あ、ありがとう……ございます……」







   何故か 目を逸らされた。




 

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