第409話 <リナ>



 自分が思い起こさないように『記憶』にフタをしているのではないか、と気づいてから何度かリナはその記憶を呼び起こすことに挑戦していた。

 まさに逆転の発想だと、思いついた時には若干興奮したものだ。


 普段の生活の中で感じる既視感、それが自分の過去の経験に基づくものならば。

 自身の記憶を穿てば、実際に過去体験した記憶を思い出すことが出来るのではないか?


 そうすれば未来予知と言う形で、自分が幾度も学園生活を繰り返している”らしい”という説を補強することが出来る。

 自分でもハッキリと言葉に出来ない違和感を、これから起こる本来なら知りえない出来事を予知して見せる事で証明しようというのだ。


 画期的なアイデアかのように思われた。

 が、事はそう簡単に上手く運ばなかったのだ。


 記憶を思い出そうとして都合よく自分に必要な思い出が蘇ってくるなど、あまりにも都合の良い話だ。


「そんなに上手くいくわけ……ないわよね」


 リナは寮の自室で一人、大きく肩を落として俯いた。

 明日からまた学園で新しい一週間が始まる――物言わぬ時間が刻々と、リナを追い詰めていく。


 机の前に座って、自分の今まで目を背けていた『過去』を視ようと集中していたのだが、やはりそんな事程度では固い記憶の壁はびくともしないようだった。


 自分の感じる既視感が本当に既視感なのか? という根本的な疑問に立ち返る始末だ。

 前世を信じるあどけない少女のように、勝手に自分の過去を捏造して唯一無二の自分の学園生活を無駄に過ごしているだけなのでは……?


 いや、そんなはずはない。

 頼れるのは、言葉にし辛い感覚的なものだ。

 自分は過去こんな出来事に遭遇したことがあると、確かに気づくのだ。

 己の辿って来た足跡を目の当たりにし、呆然と立ち尽くし、閉ざされた世界に置いていきぼりになる感覚。


「……。」


 焦燥感と徒労感に打ちひしがられるリナ。

 気分を変えようと飲み物でも持ってこようと立ち上がった視界の隅に、きらりと蒼く光る石に目が留まった。


 今日のアルバイト先の餐館でも身に着けていた、サファイアのペンダントだ。

 シンシアに贈ってもらった小さな宝石のついたペンダントは可愛らしく、リナのお気に入りのペンダントである。


 趣味が自分と同じで、話が合う女の子の事を脳裏に思い浮かべ、リナは小さく微笑んだ。

 引っ込み思案であまり他人と話さない大人しい少女だったが、まさかこの一年で結婚しようと思える男性と出会うことになるなんて……

 本当に人生は何が起こるか分からない、と体現している女子生徒でもあった。

 

 ただ一緒にティーセットを選ぶというだけなのに、プレゼントまで用意してくれていた。

 彼女の優しい笑顔を思い浮かべると、ベルナールというカサンドラの同郷の男性は女性を見る目があると思ってしまう。

 多少強引で直情径行なところもあるが、その強引さのお陰で上手くいっているのかも知れない。



 ベッドがくっついている壁のコルクボードに、ペンダントを掛けている。


 普段アクセサリー類で身を飾ることの少ないリナは所謂ジュエリーボックスなど所有していない。

 だから壁に掛けているのだが、その輝きにふと目が奪われた。


 ゆっくりと寝台に乗り上げ手を伸ばす。



 そういえば去年、シリウスが何の変哲もないただのイヤリングを魔法の触媒にしたことがあったな、と思い出す。

 本来不安定な魔力に指向性を持たせ、増幅させ、精霊へ”求める”ためには触媒――精霊石が必要なはずである。

 だが有能な魔道士ともなると、精霊石に加工されていない素のままの宝石を使用することもできるのだ。


 自分は彼ほどの才能も技量もない。

 何の加工も施されていないただの宝石に魔力を込めようなんて、一歩間違えたら精神力をごっそり取られ心神耗弱状態になってしまいかねない。

 自分の力を過信するべきではないとかぶりを振ったのだが……


 ――この時は魔がさしたとした言いようがなかった。


 一日中メイドのバイトに明け暮れ、帰宅してからずっと記憶を思い出そうと神経を集中させていた。

 何一つ進展のない現状への焦り、疲れもあったのだろう。

 このまま手をこまねいていても何も始まらないと、プレッシャーに押しつぶされそうだった。


 藁をもすがり、一縷の望みを託し。

 リナはペンダントを手に取った。

 蒼い小さな宝石部分を、そっと両の掌の中に抱え込む。



 寝台の上に座り込み、祈りを捧げるように。胸元にそっと、『石』をあてがう。




 自身の中にある記憶。

 今まで触れたくないと遠ざけていてばかりだった、忌まわしいとさえ思える自分の足跡。


 今――それを、取り戻したい……!

 






  願いが、 祈りが、 蒼い石を微かに振動させる。


  鳴動し反響し 透明な青き光が掌から溢れて零れ、部屋中を埋め尽くす。







 ※








  ――……え?  何? これ。









 ※




 意識が目覚めたと思ったが、どうもおかしい。





 リナは自分が何もない白い空間にぽつんと存在していることを自覚する。

 上下左右も分からない。

 ふと自分の体から生えているはずの腕に視線を向けたが、うっすらと半透明に透け――

 もう片方の手で触ろうとしても、スカスカと手ごたえが全くなく愕然とした。



 実体がない……?



 まるで夢の中で空を飛んでいる時のよう。

 全く現実感がないのに、ここでは当然こうあるべきなのだ、という歪んだ認知バイアスが働いて不自然に思わない。



 ただ、夢の世界にしては”がらんどう”だと感じた。

 四角四面、真っ白い空間の中で漂っているだけ。


 ふわふわと漂っていると、自分が一体何を求めてここにいるのかという目的さえ見失いそうになる。



 そんなリナの目の前に、急に色鮮やかな光景が映り目に飛び込んできた。

 横に長い長方形の窓枠のようなものが浮かび上がり、その枠の中に美しく色づく現実のような景色が映し出されているのである。


 大きな面積、自分の体よりも何倍も大きな圧迫感のある窓枠。


 しかしリナは、その枠の中に流れていく景色に見覚えがあり過ぎて息を呑んだ。

 と言っても、実際に自分の体はここにはないようなので無意識にそう反応しようとしたに過ぎないのだが。



 驚き戸惑い、その枠の中に映る通いなれた”学園”の様子を食い入るように眺める。

 そこにはリナがいた。


 ラルフがいて、ジェイクがいて、シリウスがいて。

 それはごく馴染んだ風景のように見えるが、今とは全く雰囲気が違うような気がする。


 学園に通っている同じクラスの特待生はいない。

 リナだけだ。

 リゼもリタもいない。


 そこにないはずの胸がきゅっと縮み上がる。




『分を弁えなさい!

 ――なんと無礼な娘なのでしょう』



 枠の向こうで、リナを叱責する聞き馴染んだ声にリナは心底驚いた。

 険しい表情の令嬢、カサンドラが腕組みをして自分の姿をした”彼女”に延々と嫌味を言っている場面だったものだから。


 もしもここに実体が伴っていたら、リナの顎は完全に外れていたことだろう。

 余りにも型に填まったような悪役然たるカサンドラの姿は堂に入っていっそ清々しい佇まいなのだが……


 とても自分が知っているカサンドラと同じとは思えない。余りに似ていない偽物だと眉を顰めたくなった。


 ホホホホ、と甲高い高笑いが何もない世界に木霊する。

 カサンドラが高笑いする姿なんて初めて見た。



 目の前に映る景色は速度を上げ、流転する。

 枠の中の世界の一日は数秒で終わり、あっという間に時が過ぎていく。


 時折止まり、ゆっくりと映し出される光景をリナは否が応でも見せつけられる。

 目を閉じようと思っても、勝手に意識の中に潜り込んでくるのだ。

 今まで忘れたいと拒絶していた自分の中の記憶が、いざフタを解き放った後一斉に濁流と化してリナへ押し寄せて来る。


 逃げる事も出来ず、リナはただその過ぎ行く”向こうの自分”を追う事しか出来ない。




 四角い景色の中に映る少女リナは、ラルフに恋をしていた。 

 綺麗なドレスに身を包み、社交界のパーティに彼と一緒に参加する自分の姿。

 毎週のように二人で一緒に時を過ごし、デートを重ねている。


 試験勉強の結果など一切気にする様子がなく、ただ彼と一緒にいる時を楽しんでいる自分の姿に呆然とした。




 光陰のようにめまぐるしく過ぎ行く時。


 突然王国内で不穏な影が押し寄せ、どこか緊迫した雰囲気になって。





 ……………。





 その後生じる多くの出来事がリナにはとても現実のものとは思えず、何度も何度も目を覆おうとした。

 でも容赦なく叩きこまれるイメージに、リナは”違う””違う”と頭を振る。






 自身の姉が殺され、深く嘆き哀しんでいるラルフ。




 ――リナへ行ってきた数々の嫌がらせに端を発し、王子の婚約者として相応しくない存在として卒業パーティで追放されるカサンドラ。





 ………卒業パーティの後ラルフが襲われ、それを助けるために、自分は…………







 あまりの衝撃に、意識が一瞬飛んだ。







 気付けば聖女の力に覚醒した自分リナが、純白の輝きを放つ聖剣の切っ先を『黒幕』へと突きつけている。




 自分が伝説の聖女の力を持っているとか、そんな馬鹿な。

 いや、そんなことはこの際どうでもいい。


 

 



 全ての事件の『元凶』に対峙するシーン、そこに映るのは




 城を、街を飲み込む 黒い影




 大きな暗黒の塊


 すべてを圧し潰し、人を呑み、幾千幾万もの魔物を従える巨大な影


 二本の角が天を衝く

 





 禍々しい常識外れの化け物が、悪魔?








 なんで王子が?




 あの人が悪魔を喚びだし、それに乗っ取られ――王国を滅ぼす存在になるなんて、それってどんな冗談なのかしら?






 ※






 悪魔と化した王子を打ち倒し、それで王国の危機は去った。

 失ったものは大きいが、これからラルフ達と一緒に未来を切り開くはずの、自分の姿が ぐにゃり と音を立てて歪んだ。



 正確には、風景そのものが歪みマーブル状に溶けていく。

 色が消え。


 数秒後、再び景色が窓枠の中にパッと映った。







 入学式に臨む自分リナの姿が枠いっぱいに広がって、全く理解が追い付かない。


 再び自分は、学園生活に戻っていく。

 今度はジェイクと親しくなっていく自分の姿に、頭を抱えたくなる。


 先ほどと同じように、瞬く間に過ぎ行く季節。

 時折静止し、動かなくなる景色――枠いっぱいに映り込む、ジェイクの笑顔。




 





私は何度 …… やり直しているの……?







これは本当に自分の中に閉じ込めていた記憶なの……?








  回る回る



  世界が 会話が 



  リナを置いて 楽しそうに微笑む



  リナは 誰 ?

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