第408話 シナリオ
もう未来に不安はない。
……少なくとも、王子が悪魔と化して主人公達に斃されるという未来は回避できた――はずだ。
カサンドラは自分にそう言い聞かせ、窓の外、広がる夜空を見上げている。
とても大きな胸騒ぎがしてしょうがなく、落ち着かない。
全てが良い方向に向かっていたいと信じているのに、何故こんな気持ちになるのだろう。
ここしばらく、とても穏やかで平和で、こんな日常がずっと続くものだと信じていた。
こんな幸せの色の未来を得たいと、一年前のカサンドラはずっと望んでいたはず。
でも何故だろう。
自分は大切な事を見落としているのではないか、いや、気づいていたのに敢えて目を逸らしていたことがあるのではないか。
そんな焦燥感に身を焼かれ、カサンドラは寝付くことが出来なかった。
カーテンの端をぎゅっと握りしめ、藍色の夜空を見上げる。
こんなにも寝苦しい夜は初めてで、身体は休息を求めているのに目だけが冴えて全く眠りにつくことが出来ないのである。
ドキドキする。
何かが『始まって』しまったような。
回避することの出来たはずの定められた道筋――それが何故か思考の中をぐるぐると回る。
胸を締め付けられる、でも自分は何一つ”分からない”。
月光に照らされた銀のヴェールで包まれたこの平穏な王都、静かな町に異変など起こるはずがないのに。
平和な世界で、皆で幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。
今自分が歩んでいるのは、そんな結末を迎えた後のアフターストーリーだったはずだ。メインシナリオ――定められたエンディングに向けてのイベントはもう起こらないはず。
「大丈夫。
……悪い事なんて、起こりようがない……」
自分に言い聞かせるように、縋るように淡い輝きを放つお月様に向かってそう呟いた。
元のシナリオでは、悪魔に操られた王子が王国に”
表面上は全く分からず、前情報なしで彼がラスボスだなんて確信を持てたプレイヤーはいないのではないだろうか。
そもそも攻略対象の友人ポジション、圧倒的に出番も少ない。
少ないからこそ、たまに出てくるときのインパクトは大きかったものだが。
全員の攻略対象のエンディングを見たら解放される王子ルートがあると信じて疑っていなかった。
そんなものがなく、ただただ真エンディングで立ち塞がる最後の敵であるという事実に「どうにかならなかったのか」とシナリオにしこりを残す結果になっていたと言っていいだろう。
少なくとも前世の自分が遊んでいたデータの中には実装されていなかった。
彼はあくまでも惨劇をもたらし、主人公に斃される役回り。
……最初の
王子が起こしたと言われる最初の事件は、どのルートでも起こる時期が決まっていた。
二年目の二学期だ。
大きな隊商が何者かに襲われてしまうという文字だけの情報だったが、その噂話以降、不穏な事件が街を騒がせていくことになる。
はっきりと分かっている王子の起こす事件がそれなので、カサンドラは記憶を思い出した後――一年間がタイムリミットだと身構えていた。
その間に王子の事情を知り、彼の闇堕ちを避けることが出来なければ事の端緒に間に合わない。
彼はゲームの進行通りに、王国全土に多くの混乱を齎していく。
とりわけジェイクやラルフ、シリウスらはその過程で大切な人を喪ってしまうことになるので絶対に阻止しなければいけないと肝に銘じていたはずだ。
……大丈夫、もうそんな事件は”起こらない”。
審判の時が訪れるにしても、ゲーム内史実でまだ数か月先の話だ。
今からどうなるか気を揉んだところで、正解不正解を知りようがないのだ。
――大丈夫……よね?
※
あまり寝れず、睡眠時間はうとうとした時間を足しても二時間くらいだったと思われる。
カサンドラは欠伸を噛み殺しながら登校することになったが、教室の様子がなんだか少しいつもと違うと感じた。
分かりやすいのは、王子がいないこと。
リゼとリナ、ジェイクとシリウスもいない。
辛うじてラルフとリタは教室内にいるようだが、皆もこんな事態は初めてで驚いているのだろう。
唯一登校しているラルフに向かって、彼らがどうして休んでいるのか事情の説明を求めているようだ。
カサンドラだってその中に紛れ込み、ラルフに事情を聞きたいと強く思っているのだが……
いつも爽やかな笑顔で声を掛けてくる王子の姿が見えないということに微かな不安を抱く。
彼は学園の生活以外でも多忙の身だ。
それに体調を崩して休んでいるだけかもしれない、それならもっと心配だし。
誰かに欠席した人たちの情報を聞いた方が良いのだろうかと教室を見渡すと、こちらの登校に気づいたリタが一直線にこちらに駆け寄って来た。
リゼとリナがいない、今日はリタ一人だけしか登校していないようだが……?
「……カサンドラ様!
大変なんです」
「リタさん? おはようございます。
大変とはどういうことですか?」
既に現状、ラルフが最も大変な様子に見えるのだが。
ヴァイル派のお嬢さんに限らず、他派の生徒達にも何故王子達が欠席しているのかなどの質問攻めを受けているようだし。
「リゼが昨日、何かの事件に巻き込まれてしまったみたいで……
今日一日騎士団に保護されるとかで、学園を休むという連絡がありました」
「まぁ……!」
リゼが一体何の事件に巻き込まれたと言うのだろうか。
予想だにしない出来事にカサンドラは二の句を継げなかった。
だが騎士団に保護されているなら、逆に身は安全ということだ。
ジェイクもそこに留まっているから休んでいるのだと思う。リゼを騎士団に放って置いて、通常通り学園に通えるような人ではない。
自分の知らないところで何かが起きているのだという、得体のしれない不安感がヒタヒタと背後から忍び寄って来る。
「リゼのことも心配なんですけど、問題はリナなんです!」
リタは普段の様子を一変させ、血相を変えてカサンドラに縋りつく。
「リナが……目を、醒まさなかったんです。
耳元で起こしても、眠ったままで……
寝てるだけから大丈夫かな? って、管理人さんに様子を見てもらうようにお願いしたんですけど……
でも、あの子が呼びかけても目を醒まさないなんて。
………。
やっぱり、変です!
私、今から寮に戻ります。リナの様子、見て来ます!」
リナが目を醒まさない……?
再びよく分からない情報を提示され、頭の中が真っ白になる。
カサンドラに不安を吐露した後、自分でも納得がいかなくなってしまったのか。
リタは決然とした様子でそう言い切り、鞄を教室の席に置いたまま再度寮の自室へ戻ろうと踵を返す。
自分一人、のんびりと平常通り授業を受ける気持ちに等なれない。
全ては単なる偶然かもしれないが、こんなにも慌ただしい朝を迎えた事にいてもたってもいられない。
「お待ちください、リタさん。
わたくしも同行させていただけないでしょうか」
「え? でも、もうすぐ授業――」
「授業など、後でどうとでもなります。
リゼさんの事もですが、目を醒まさないなんて……リナさんが心配です」
「ありがとうございます!
カサンドラ様に一緒にいてもらえたら、とっても心強いです!」
ラルフが同じ教室にいるとはいえ、場所は女子寮の一室だ。彼に助けを求めるのは難しいだろう。
女子寮の中までついて来てくれなんて言いようがないし。
流石に管理人も困るはずだ。
第一、生徒達に取り囲まれて受け答えを強いられているラルフを連れ出すのはあまりにも難しい話と思われる。
ただ眠たくて起きられなかっただけなら、それはそれでいい。
夜更かしをして作業をしていたから、リタに起こされても目覚めることが出来なかった。
どうか、そんなリナらしからぬ理由であって欲しい。
カサンドラはわけのわからない現状を振り払うよう、リタと一緒に学園女子寮へと向かった。
大丈夫。
きっと、何かの偶然が重なっただけ。
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その日、隊商の荷車を牽いていた御者はいつもより慎重に手綱を握りしめ王都へ向かう街道を走っていた。
お偉いさんの大切な荷だから、大きく馬車を揺らし欠けさせることのないようにという厳命を受けているのだ。
殊更慎重にもなろうものである。
大きな木箱はそれなりに重くずっしりしていたが、中身は繊細で壊れやすい品らしい。
もしも何か事故が起こって中身が破損しようものなら、自分の首一つでは収まらないかもしれない。
だから他の何台も連なる荷馬車もこの馬車の速さにあわせ、ゆっくりと出来る限り平坦な場所を選んで進んでいく。
積み荷を乗せた街を出て、まだ数時間も経っていない。
王都までの道のりを思うと、いつもの数倍の距離に感じて御者は既にうんざりしていた。
一体何を運んでるのか知らないが、大切な荷であることを口酸っぱく注意された。
相当珍しく、値が張るものと思われる。
貴族の好事家というものは、全く何を蒐集しているのか――
暇人であり、変人に違いないと勝手に決めつける。
荒事に巻き込まれても商品を守れるだけの大勢の護衛を引きつれ、大所帯になっている。
まぁ数十人の傭兵に守られていては、野盗のたぐいも手を出してはこないだろう。
己の身の安全は守られているが、やはりもしも到着した後の品物検分で破損個所でも見つかろうものなら……
ぶるっと背筋を震わせた。
出来れば中身の無事をこの目で確認したかったが、触るな、開けるな! と叱責されてはどうしようもない。
万が一納品後、こちらに不都合が生じるようなことがあれば、確認させてもらえなかったことを強く訴える必要があるだろう。
常に相手に下手に出ないといけない立場であることに大きな溜息を落とした。
その時――
眼前の地面に大きな影が射した。
不気味な羽の音が遥か頭上から聴こえてくる。
「な、なんだ……?」
鳥の影にしては、大きすぎる。
周囲の人間も俄かに騒がしくなり、空から落ちる奇妙な影に右往左往し不安の色を隠せない。
本能的な危機を感じ、御者は馬をもっと早く走らせようと手綱を握りしめ馬の背を何度も打ち付けた。
商品なんかより、己の命の方が大事に決まっている。
「――あいつら! 襲って来るぞ!」
「魔物!?」
「なんだよ、あのバカでかい鳥……!」
襲い来るなにものかが突如叫び、ビリビリと空気を震わせる。
なりふりなど構ってはいられない!
我先に、混乱する隊商から抜け出そうと必死の形相で手綱を振るう。
だが、そんな行動は無意味だった。
男が最期に見たものは、かつて目にしたことがないほど大きく、鋭利な爪だった。
怯懦に震える時間さえ残されていない。
視界いっぱいに、黒い影が迫りくる。
突如降って湧いた鋭い爪の切っ先は、彼の身体をズタズタに裂いた。
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