第407話 <リゼ 2/2>


 口を塞がれていては交渉も説得も出来ない。

 かと言って暴れたところで、椅子ごと床に倒れてしまうのが関の山だ。


 この状況で自分に出来る事など限られている。




  ……無駄なことなんか、無い。

  不必要な知識など無い。


  彼の言葉を 思い出せ。



 リゼは後ろ手に縛られたまま、掌の先に自身の全神経を集中させる。

 轡を噛まされ鼻で吸う息が大きくならないよう堪えながら。


 ――自分の魔力を集中させる。


 こんなことをしても無意味に等しいかもしれない。

 だが魔道士がこの近くにいたら、こんな街中で誰かの魔力の放出があったことに気づいて訝しんでくれるかもしれない、その可能性に賭ける。


 遠く離れた人間に狼煙をあげるように的確に助けを求めることは出来ないが、何もしないよりはマシだ。


 両目を固く閉じて、指の先に力を込める。

 何か余計な事を試みていると気づかれないよう、眉間に深く皺を寄せて俯き轡を食いちぎらんばかりの勢いで歯を噛み締めた。



 誰か。誰か気づいて様子を見に来て…!



 魔法の才能があると講師に言われたことはあるものの、精霊石も宝石も、魔力制御の補助道具が一切ない状態では無謀な試みだったか。

 ただ精神力を摩耗して疲労困憊状態になるだけかも知れないという躊躇いを無視して、リゼは意識を集中させる。


 暴れる事もなく押し黙り、俯くリゼは彼らにとって注視に値するものではなかったのだろう。


 二人で楽しそうに声を弾ませ喋り出す。

 手に入れた金でどうするか、残り二人をどう生け捕るかという話を聞くことは堪えがたい。 


 悪趣味な貴族って、なんだ。

 御三家が関わってる? しかし思い浮かべる同級生、そしてジェイク達の姿はとてもそんな後ろ暗い闇の世界とは結びつかない。


 商品というからには当然取引先がいるはずだが、人身売買を行うような組織がこの国にあるというのか?

 ……今まで自分は、学園内で高潔な貴族、優しく立場に見合うだけの人格者ばかりを見て来たからどこか気が緩んでいたのかもしれない。


 権力と金を持て余した人間の醜悪さは、己の視界外に確かに存在していても全くおかしくないのに。




 ※



 このまま黙って売り払われるわけにはいかないと焦るリゼ。


 だが彼らが大きな布袋をリゼの傍に運んできて、ぞっと背中が凍り付き魔力の放出が途絶える。


 彼らが放り投げたのは小麦などを入れる頑丈な袋だった。


 縛り口はぽっかりと空いていて、中は真っ暗空洞。


 その中に押し込められて、荷車の中に入れて運ばれたら本当に自分はどうなってしまうのか。

 心臓が尋常ではない速さで打ち付ける、硬直し動けないのに、口を開けた袋に視線が釘付けになって動けない。



 逃げ出せないと分かっていても、無駄に足を動かそうとする。

 腕の戒めを説こうともがく。

 だがそんなリゼを彼らは嘲り笑っている――





  けたたましい音が彼らの後方で発した。

  暗がりの中光が射す。


  幻聴か幻覚か。





「な、何だ!?」


 自分達の居場所をかぎつけられるはずがないとタカをくくっていた二人の男は、ぎょっと目を丸くして後ろを振り返る。



 無理矢理外側から吹き飛ばされた扉は完全に歪み、原形をとどめず木屑と砂埃を舞い上げて向かいの壁にぶつかった。



「………!」


 急に部屋に押し入って来た人影。


 心の底から、ホッと安堵する。


 だが今一番自分が見たいと思っていた相手が何故かこの場にやってきたのだ、もしかしたら自分に都合の良い夢でも見ているんじゃないかと思った。


 ジェイクと視線が合う。

 橙色の双眸が自分を捉えた途端、即座に彼は動き出した。



 すると同時に何人もの騎士、そして彼らに従い衛兵が一斉に踏み込んでくる。


 このような強襲は全く想定していなかったのか、二人組の男はわたわたと慌てて机の上に置いたナイフを手に取った。

 そしてリゼにそれを突きつけようと勢いよく振り返ったのだが。


「……こいつのいの……」


 脅しの口上は言い終わらない内に、切られる。


 ジェイクは目瞬きの間に迷いなく距離を詰め、自身の足で男の足を払った。

 完全にすってんと尻もちをついたのは、偶然にもリタのせいで腰痛持ちになったと恨みを吐いていた方の男だ。

 彼は強かに腰を床に打ち付け、「ぎゃあああ!」とこの世のものとは思えない痛ましい悲鳴を上げてナイフを放り投げる。


 四つん這いになり、ひぃひぃと自身の腰を摩る彼の目の端には涙が浮かぶ。


 ジェイクは片方の男が行動不能になったのを確認する隙も見せず、そのまま一歩踏み出して動揺に顔を引き攣らせる男の胸倉を掴み――


 ヒッ、と恐懼に顔を歪める男を睨み据える。


「……。

 縛っておけ、詰め所に連行するぞ」


 殴りかかるかに思われたが、それを堪えるように息を呑んだ。

 騎士達に身体ごと放り投げ忌々しそうに舌打ちをする。


 ひんやりとした夜の外気が、リゼの頬を撫でる。


 壊されて遮蔽物がなくなった、出入口。先ほどまで固く施錠されていたはずの扉があった空間をぼんやりと見ていた。


 射し込む月明かりでも鮮明に、男たちが顔を青ざめさせているのが遠目にも分かった。


 縛り上げた女子生徒一人に凄みを利かせる事は出来ても、大勢に囲まれ両腕を拘束されてはどうしようもない。

 観念し、項垂れて男は大人しく捕縛される事に決めたようだ。


 がさがさと床を這いずる男は、ちくしょう、ちくしょう、と呻く。

 大の大人が腰を床に打ち付けただけで涙を浮かべて痛がる様は情けなく哀れであったが、心が少し痛かった。


 今までの人生、幸い大きな怪我をしたことがない。筋肉痛如きに痛がっていたリゼには想像できない苦しみに見える。


 恨みに思われてもしょうがない側面があるのかもしれない、と。

 単に打ち所が悪かっただけなのかもしれないが、憂さ晴らしに似た背格好の女性に殴りかかるくらいには深い恨みを抱いていた。



 肩をがくりと落とし騎士に連行される相方の男とは違い、どうやら自分の足で歩くことも難しいようだ。

 腰を痛め這いずる男を見て衛士たちはうんざりしたように肩を竦め、数人がかりで怪我人を担ぎ上げて荷物のように運ばれてしまった。


 リゼの足元には、大きな布袋がまだまだだらしなく大きな口を開けたまま無造作に放り出されている。

 それを見て再度緊張に喉を鳴らす。


 ジェイク達がこの場を見つけ、踏み込んでくれなければ――あの袋に入れられ、荷物のように運び出されたのはリゼの方だったのだろう。




 精悍な男性ばかりの騎士の中にあって、青年達は上背も低く体格も頼りない。

 あっさり捕まり、お縄につく姿は呆気ないものである。


 そう言えば以前は胸倉ではなく、襟首を掴まれて猫のようにジェイクに持ち上げられていたのだっけ、と。


 茫洋とする記憶の中の過去を脳裏に甦らせる。

 あの時とは全く状況が異なり、何人もの騎士が狭い室内に押し入り、古い家屋を取り囲んでいたわけだが。






「………は……」


 ジェイクに口に噛まされていた轡を外してもらうと、ようやく深呼吸が出来るようになる。

 古びた家屋内は黴臭かったが、それでも全然マシだった。


 他の騎士達は下手人が逃げないよう慎重に取り囲み、近くの警邏詰め所まで運んで行ったようだ。

 まだ数人部屋に衛士が残り、彼らは現場を確認して回り何事か話し合いながらメモを取り合っている。

 どうやら大事おおごとに発展しそうな勢いだ。

 ……まぁ、誘拐未遂だから当然か。

 他にも罪を重ねていたわけだし。



「怪我、してないか?」


 後ろにキツく縛られた縄。

 その麻縄を犯人が残して行ったナイフで慎重に切り捨てた後、ジェイクが尋ねてくる。

 何時間かぶりに自由になった手を掲げ、指先を一本一本動かし、そして赤い痕がついた手首を擦るリゼ。


 彼がじーっとこちらを見下ろしているのに気づき、大きく動揺した。


 何か言葉を出さないと。

 お礼を言わないと――心配をかけてしまった、驚かせてしまったのだとしたら謝らないと。


 思考が空転し、視界がぐるぐる回る。




「大丈夫、です! 

 全然、何ともないですから!

 こんなことになってすみませ――」


 戒めを解いてもらった両方の掌をひらひらと振って、リゼはわざとらしいまでに大きな声でそう応えた。


 全身は未だ、先ほどまで陥っていた恐ろしい状況を覚えていて小刻みに震えている。


 だが助かったのだ、助けに来てもらえたのだ。

 肩が震えているのはホッと安心したからで、決して恐怖に打ち震えているわけでは……




 だがそう言った途端。


 心臓が止まるくらいに驚き、リゼは最後まで声を張り上げる事が出来なかった。




「……大丈夫?

 ――…… 一体何が、大丈夫なんだ?」


 彼が眉根をぎゅっと寄せ、怒りを押し殺し。

 そう問いかけてきたからだ。




   ……口を塞がれ 後頭部を気を失うまで殴られて

   拘束され 恨み言を聞かされ 

   まるでモノのように売り飛ばされるかもしれないと 




 ジェイクの姿を見るまで、そうなるんじゃないかと怖かった。




「こんな時まで……無理に強がるな」




 彼はそうぽつりと呟き、しゃがみこむ。

 リゼの両足首の紐を切っている間中、彼の赤い髪が視界の下で揺れ動く。



 その声が、今まで聞いたことがないくらい優しく、絞り出したかのような響きだったから。


 嫌でもこちらの感情に訴えかけてくる。

 彼の静かな声が心に孔を穿ち、あっという間に決壊させていく。




 


「……………った……」


 絶対に助からない事態に絶望していた。

 泣いても喚いてもどうしようもないから気を張っていただけだ。


 他人に向けられた憎悪を前に怖くて足が震えて、どうしようもなかった。




「こ、怖かった……です。


 ホントは、どうなっちゃうのか分からなくて、怖かったよぉ……」 



 あんな卑怯で人でなしな奴らの前で泣きわめくなんて、自分が許せなかった。

 必死で自分を奮い立たせ、騒ぎ立てることなく歯を食いしばっていたけれど。


 実際は怖くて怖くて、助かるのならいくらでも泣いて赦しを乞いたかった。



 改めてその感情を受け入れたら、ポロポロと涙が止まらなかった。

 今までこんなに泣いたことがないというくらい、ぶわっと込み上げてくる嗚咽。

 しゃくりあげ、肩を大きく上下させてヒックヒックと泣いていた。


 純粋に思い出し怖かったというのもある、助かってホッとしたという安堵もある。

 感情が堰を切って溢れ出し、あらゆるものを押し流して止まらなかった。




 そんな自分を他ならぬジェイクの前で出してしまうのは、物凄く抵抗があった。

 恥ずかしくてのたうち回りたい。


 強くなれたと思っていたのに、こんなにも簡単に捕まって拘束されて自分一人で逃げ出すこともできなくて。

 戦うどころか得物さえ取り上げられ、一方的に恨みをぶつけられる対象になるのは情けない限りだ。


 今まで大きな顔をしてだろう事が恥ずかしく思える。



 あんなにも大勢の人に迷惑をかけて、しかもただの女の子のように泣きじゃくっている――ちっぽけな自分。



 恥ずかしくて顔を上げられず、背中を丸めてその場でり上げて来る感情を押し留める事が出来ずに泣いていた。

 

 そんな自分を見る彼はどんな顔をしているのだろう。


 

 ジェイクはじっとリゼの傍に立ち落ち着くのを待ってくれていた。

 声も出さずに、微動だにせず。


 困っているのか、怒っているのか、呆れているのか。

 顔を覆ったままの掌の向こうの彼の様子を窺い知るのが怖くて、ずっと顔を伏せていた。




 ※




 感情は一度外に出すことで、一旦はスッキリするものだ。


 恐ろしかった思いの丈を吐き出した後、ようやく精神こころも落ち着きを取り戻し始める。

 未だに彼の顔を見るのが恥ずかしく、一頻り感情を発露させた後は




  ――どうしよう……




 と、別の意味で震えが止まらないリゼである。





 物凄く、気まずい……。

 


 いっそ彼が先に部屋を出てくれたら、自分も仕切り直して気分を切り替えることもできたかもしれないが。

 彼はしばらくの間泣きじゃくっていたリゼのすぐ傍で、物も言わずにずっと待機しているのだ。

 見守っていてくれていただけかも知れないが、我に還ると恥ずかしすぎる。



「………。

 ええと……。

 なんでジェイク様が、ここに……?」


 嗚咽が止まり、先ほどまで室内で検分していた衛兵の姿もいつの間にか姿を消している。

 埃っぽい部屋の中で、大柄な男性に泣くのを見守られているという光景は、客観的に想像すると奇妙なものだったい違いない。


 いつまでも彼をここに留まらせておくわけにもいかない、時間も遅いだろうし。

 これ以上手を煩わせることがないよう、リゼの方から声をかけた。


 本当は恥ずかし過ぎて扉を失った入り口からダッシュで逃げ出したい誘惑に駆られているのだが。


 このまま自分の部屋に帰って就寝、なんて都合の良いことにはならないことだけは分かる。

 改めて事情を詳しく聞かれるに違いない。

 リゼが落ち着かないと話を聞けないから、ジェイクは黙って待っていてくれたのだろう。


 どうやらここは休業中の宿屋の二階端の部屋――らしい。

 普段使用していない場所だから、こんなにも室内が埃っぽいのかと納得だ。

 どうやって鍵を手に入れたのかは知らないが、自由に使える空き部屋の感覚でリゼを閉じ込めていたようだ。


 

「グリムがお前の後を追ってたんだよ。

 リゼが攫われたって言うもんだから――動ける奴全員で、この辺探し回ってた」


 まさかグリムが……!


 あの時追い払うように彼の提案を足蹴にしてしまったが、それにも関わらずリゼに気づかれないように見守ってくれていたとは。


 リゼの同意なく、言わばこっそり尾行されていたわけだからムズムズした違和感を抱くのだけれど。

 今回ばかりは感謝しなければいけないだろう。


「それにあの状態で良く魔力を出そうとか思えたな、それはマジで凄いわ。

 お陰で場所を迷うことも無かったし」 


「あれしか方法が思いつかなくて。

 声も出せなかったので、必死でした」


 良かった、あの時の自分の行動は無駄ではなかったのだ。

 ようやくリゼも緊張が和らぎ、笑顔を浮かべられるようになった。


「ジェイク様達が近くを探してくれていて、本当にラッキーでした!

 こういうの、悪運強いって言うんですよね」


 自分の魔力はジェイク程突出した存在感を出せるものではないだろう。

 そもそも何もない虚空に向けて魔力を集めたところで、リゼには魔法を使用できない。声も出せないのだ。


 良く気づいてもらえたなと思う。

 ただの魔力自体が、そんなに遠くまで伝播するものでもないだろうし……


 近くを捜索中だったのなら、遅かれ早かれこの場所は人海戦術によって暴かれていた可能性が高い。

 そこまで絶体絶命と言うわけではなかったかもしれないけれど。

 リゼの咄嗟の行動が彼らの目印程度にでもなったなら、意味のある事だったと思える。






「そりゃ……分かるさ。

 どんだけ離れてても、な」





 扉の向こうから、月光が淡く射し込む。

 彼の表情を目の当たりにし、リゼは再度言葉を失い黙り込む。




 なんでそんなに、切なそうな顔……





「ジェイク様ー、そろそろ落ち着きました?

 移動できそうです?」



 ひょこっと顔を覗かせる衛兵の声に、ハッと我に還った。

 ジェイクの表情もすぐにいつも通りになる。自分が空目していたのではないかと、何度も目を擦る。





 ……今日は、自分の感情の振れ幅が大きすぎて幻覚まで見えているのか?





「了解。

 ……立てるか?

 悪いけど、少し話を聞かせてくれ」


「りょ、了解です」 


 足元はまだフラフラしていて覚束ない。








   ジェイクに肩を支えられ、足元以上に頭がクラクラした。


 




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