第406話 <リゼ 1/2>
意識が暗転していた事に気づく。
時間はそんなに経っていない――と思いたい。
リゼはゆるゆると瞼を開け、全く見知らぬ家屋の中に自分が拘束されていることを自覚した。
「お、気づいたか」
古ぼけた椅子に座らされ、後ろで手を縛られている。
薄ぼんやりとした視界の中央に、何処かで見たことがあるような、ないような。
あまり特徴のない男性二人がこちらに注視する。
『光石』を使用していない部屋の中は薄暗く、光源が数本の燭台に灯った火だけではハッキリとした様子は分からなかった。
一応手足を動かそうと試みたが、後ろに手が縛られているだけではなく足首もロープでぐるぐる巻き。
ご丁寧にも椅子から転げ落ちないように腰と椅子の背もたれにも何重か紐が巻き付けられていた。
当然装備していたはずの剣は見当たらず、丸腰状態。
麻縄を引きちぎって逃げ出す人間離れした腕力は持っていない、無駄にジタバタ暴れても体力を消耗するだけか。
どうして自分がこんなところで縛り付けられているのか原因が分からず、下手人であろう二人の男を強く睨み据えた。
「あんた達、一体誰?」
すると彼らは顔を見合わせ同時にひょいっと肩を竦めた。
確かにいつかどこかで見たことがあるような気がしたが……
決して親しいお友達なんかではなかった、それは確かだ。
「覚えてないってか。
ま、そりゃそうだよなぁ。
……こっちは忘れようと努力しても、全然忘れられなかったってのによ」
「――?」
「もう一年も前になるのか?
あん時は強烈な飛び蹴りをありがとうよ」
「はぁ? ……んー……」
はて、飛び蹴り?
ついぞリゼには記憶が抜け落ちているが、今までの人生で自分が赤の他人に飛び蹴りをかましたことがあっただろうか。
全く身に覚えがないぞ、と眉を顰める。
だが元来記憶力は良い方だ。
全体的に薄暗い部屋の中で彼らの相貌がはっきり見えてくると、信じられない衝撃を受けて口を半開きにしてしまう。
「まさか……あの時のナンパ男二人組!?」
ハッキリ言って、既に記憶は忘却の縁に立っているくらい遠い昔の事に感じる。
入学したばかりの時、ジェイクと会いたい一心でカサンドラに手を回してもらい、三つ子揃って広場で一緒に過ごしていたあの日の!
同行していたリナにしつこく言い寄ろうとし、現場を目撃したリタに手痛い攻撃を食らって大木に背中事打ち付けられたあいつら!?
はぁ!?
今更!? 今になって、何なの!?
というかこの男を蹴り飛ばしたのは自分ではなく、リタだ。
同じ容姿だからと言っても、リタと間違われる確率が多すぎではなかろうか。
あの破天荒な妹の行いがダイレクトに自分に跳ね返ってくる……!
思わず地団太を踏みたくなったが、拘束されている状況では何もできない。
身の危険は十分感じているが、彼らはポケットに手を突っ込んだままこちらを睥睨してくる。
今すぐに危害を加えようというつもりはないようだが。
「そうそう、思い出してくれたか?」
「こっちは全く忘れてたわよ!
これ解いてよ、役人に捕まりたいの?」
「……ハハ」
男の内の一人が、乾ききった笑みを浮かべる。
瞳に映るのは憎らしいという感情の炎。
その他人から直截に向けられる敵意に、リゼはぞっと背筋を凍らせる。
「確かに俺はよ、女の子に声を掛けたよ。
無視されたと思ってムカついて、大きな声も出したかもしんねぇな」
彼はうっすらと口を開き、一年前の事を述懐する。
記憶を手繰り寄せようとしても――
あの時リゼは両手が塞がっていたのもあって何も出来なかったことしか思い浮かべることができない。
……いや、あの日――ジェイクと一緒に寮に帰ることが出来て、凄く嬉しくて。
彼らと言う余計な茶々が入ってしまったこと、それを記憶から消したいくらいそれ以外はとても思い出深い一日だとしか。
「だがよ。
あんなクソ強ぇ蹴りを食らわせられるほどじゃないよな?
……俺さ、あれで腰をやらかして結構苦労してんだわ」
そう言って彼は忌々しそうにこちらを睨み据える。
確かに凄い勢いで木に背中をぶつけていた、肋骨が折れたんじゃないかと心配が過ぎった程だ。
まさか後遺症が残る大怪我だった、なんて話は自分達の許には届いていない。
「あれから身体が痛いんだ、起き上がるのが辛いんだって訴えたんだけどな。
はした金を掴まされて、門前払い受けちまったよ。
こちとら、完全に犯罪者扱いでな」
「……。」
「お前ら、あの学園の生徒だもんなぁ。
問題を起こしても即座に揉み消してもらえるってわけだ、いいなぁ」
「あんたがしつこいから、そんな目に遭ったんじゃない」
声を掛けられて困っているリナ。
振り切って逃げることも出来ず、腕を掴まれそうになった事を思い出す。
彼らが乱暴な行動に出ようとしなければ、リタだってなりふり構わず蹴りを食らわせるような事なんてしなかった。
だが自業自得だと正面きって言い切れないのは、確かに酷い怪我を負わされて”当然”と言い張れるような状況ではなかった。
妹を助けるためとは言え、急に相手に暴力を振るってしまったリタは早計だったと今になれば思う。
都会っ子は、自分達田舎者に比べたら頑丈さが足りないものなのかもしれない、村の中ならお転婆娘の呼び名で苦笑されて終わった話だっただろうか。
しかし実際に後に残る怪我をさせてしまったなら、傷害と言われてもしょうがない。
ただ、あくまでも原因を作ったのは彼らだ。
……過剰な報復だった……かも、しれないけど。
「……お前んとこの生徒に暴力を振るわれたって学園に訴えたら、そりゃあもう凄い圧をかけられてな。
副会長だかが出てきて、あれよあれよと重罪人扱いよ。
なぁなぁ。
学園に睨まれた普通の人間が、この街で今まで通り生活できると思う?」
彼の言葉に籠る憎しみに、リゼは急に頭が痛くなる。ズキズキ、ズキズキ。
先ほど昏倒する程殴られた痛みがぶり返してきたのか。
それとも、彼の恨みは自分がかつて抱いた感情だったからか。
「女一人に声を掛けたせいで、腰はヤるわ、仕事は失うわ……
学園に目をつけられた人間を雇ってくれる堅気の職場、この街にはどこにも無かったとか笑えるわ」
自分達に非があると言ったところで、過失に対する仕打ちが酷くはないか?
彼らはそう言っているのだ。
生憎リゼは彼らの存在など日々の暮らしの中で忘れ去ってしまっていた。
二度と会うこともない、乱暴な人間だったなぁ、という印象で終わっていた。
いや、そもそもそんなやりとりが学園と彼ら側であったことも、まるで知らされていなかった。
酷い怪我を負わせてしまったと知ったら、妹を救うために無我夢中だったとは言え。リタが大きな罪悪感を抱くかもしれない。
だから学園側は問題を大きくしないように、その事実を隠蔽しようとしたのだ。
納得できずに騒いだ彼らをどういう形かで黙らせた。
……そのいざこざの結果、学園を敵に回した人間というレッテルを貼られて不都合なことが多々生じたのだろう。
元は自分達が蒔いた種とは言え、治療費を渡されただけで納得できず騒ぎを起こそうとした――
「めっちゃムカついたぜ。
でも学園の生徒に手出しなんかしたら、それこそ今度は地下牢行きだし。
これって泣き寝入りって言うんだっけ?」
どういう感情を示せばいいのかわからず、口を引き結ぶリゼ。
だがそんなリゼが耳を疑うような事を、彼らは言ってのけたのだ。
「一回、お前らによく似た女を見かけて殴り倒したことがあってな。
結構スッとしたって言うか、楽しかったなぁ」
「はぁ!?」
普通の青年達だと思っていたら、根っからの悪人なんじゃないのかこいつら!?
いや、そんなことよりも……
自分達があの日、彼らに仕方なく危害を加えて追い払った事を根に持って。
あろうことか街に住む他の女性に手を掛けただと?
……どう考えても間違ってるだろう。
こんな暴挙が許されるはずがない。
むしゃくしゃしてやったというには、あまりにも周囲への影響が大きすぎる。
「捕まるのは私じゃない、あんたらの方でしょうが!
……自首! 自首しなさいよ!」
当然そんな言葉を聞き入れてくれるはずはないのだが。
「いいよなぁ、お前ら。
学園の生徒だろ?
前途洋々、権力から守られて未来は薔薇色!
こっちはお偉いさんの機嫌を損ねて、真っ当な職につけないときたもんだ」
あの日、お前らに会ったせいでな!
酷い責任転嫁だと腹が立つ反面、彼らの言葉がリゼの記憶をほじくり返す。
――権力を持つ人間は、貴族は、そうでない一般庶民の人生なんか簡単に踏みつぶせる。
ずっと特別待遇や「地位」「権力」というものを嫌悪していた。
隣町のお姉さんを死に至らしめても全く問いただされず断罪されることもなかった領主、それを赦す体制を恨みに思った事がある。
だが自分のせいで、自分達の行いのせいで。
誰かの人生が良くない方向に向かってしまう、狂ってしまったと嗤いながら言われて頭の中が文字通りぐちゃぐちゃになりそうだったのだ。
そういう大きな力に負けないよう、国に仕える官吏になるというのは過去の自分が出した一つの結論だった。
だが事実は違い、自分達は踏みにじられる側ではなく”逆”だったのか?
自分が意識していないところで、自分達を守るために学園という大きな力が動いた事で……
彼は健康な体を失い、そして職まで失ってしまったと言われて、リゼは大いに混乱する。
そんなこと程度で
あの日気を失うように大樹に打ち付けられて動けなかった彼を、隣の青年が肩に担ぎあげて逃げ出した光景を覚えている。
「真っ当な職につけないのは当然じゃない?
無関係な女の人を殴りつけてスカッとするような人間、どこかおかしいわ」
「……それも、そうかもな」
正々堂々とちゃんと訴えれば、きっとシリウスだってジェイクだって学園側だって「それはやり過ぎだった」と丁重に扱ったのだと思う。
ただ痛いと喚いて騒ぎ出した彼らは人相も良いものではないので、
しかし、今の話を聞いているとどうも腑に落ちないことがある。
――一体彼らの目的は何だろう。
警戒心を更に強め、彼らのニヤニヤとした心底楽しそうな顔を睨みつける。
彼らの言うことが本当のことなら、リゼをこうやって殴りつけて拘束していることは「復讐」ということになるのだろうか。
自分達に声を掛けた事で心身に被害を受け、それをリゼに訴えることで溜飲を下げる?
だが真正面から「話を聞いてくれ」と真摯に話を持ってきたわけではなく、犯罪という形でリゼを攫ってきたわけだ。
この一年間に溜まった鬱積を、ただ恨みつらみを聞かせる事で手打ちにするなんてありえない事だと思う。
それに……
現状、遺憾ながらリゼは学園という権力に守られているらしい。
学園の生徒が不祥事を起こすことは良くない事だ、暴力事件など起こす生徒がいてはいけない。
だから彼らの訴えはあっさり跳ねのけられたし、怪我に対する謝罪など当然受けることは出来なかった。
逆に学園側に仇なす危険な人物としてマークされ、そのせいで運悪く職を失ってしまった……と。
王国の権力側といざこざを起こすような者は厄介者扱いされるのは理解できる。
この王都で学園や御三家から疎まれることは大変なことだ。
では何故、自分は彼らに捕まっているのだ?
平和的な話し合いとは程遠い、殴りつけられて拘束状態で。
真っ向から敵対する形で向かい合っていることの説明がつかない……?
「で、どういうつもり?
私が妹の過失を謝罪すれば、貴方たちが自首するの?」
あれを過失と言っていいかは分からないが。
「いや、別に。もうそれはどうでもいいんだ。
特に俺はさ、怪我をさせられたわけじゃないし」
前屈みになって腰を摩る青年に並んで立つ、もう一人の男。
友人か兄弟かは分からないが、親しい間柄なのだろうと雰囲気が伝わってくる。
ただ、怪我をさせられたことを「どうでもいい」と言われた片割れの男は、ムッと相方を不機嫌そうに睨んだ。
日常生活に不便なレベルなら、成程恨みは比ではあるまい。
人間健康が一番大事だ。
健康でさえあれば何でもできるが、そうでなければ制限が多すぎる。
「言ったろ? 俺達、この街で真っ当な職に就けなくなったって。
まぁ元からサボりがちだったし、仕事なんかかったるかったから、今はどうでもいいんだ。
……金が尽きて、しょうがなくな。普通じゃない仕事もしなきゃいけなくなったわけだ」
「普通じゃない仕事……」
男はうっすらと口角をつり上げ、こちらの間近に顔を寄せる。
おもむろに彼はリゼの前髪を掴み上げ、無理矢理視線を合わされた。
首が痛い。
「悪趣味な貴族様がさ、活きの良い商品を探してるらしくってさ。
三つ子って珍しいだろ?
――揃えたら、すげー金を出してくれるらしいんだわ」
目が点になるとはこのことか。
ええ?
何処の世界の話? 本当に現実?
普通の人間の姿をして、今この男は何を言った?
商品って、人を物みたいに。
この国に奴隷制なんて存在しないはずだ。
そんな人身売買めいた犯罪が横行しているなんて俄かには信じがたい話で、出来の悪い作り話を聞いているような気持ちになる。
だが自分は今、こうして拘束されている。
全くのでたらめってわけではないのか?
そもそも自分がどうなるかとかそういう話ではない。
今の話しぶりだと、自分だけではなく他の二人もここに連れて来られるということか?
冗談じゃない、人間一人を誘拐と言うだけでも物凄く重たい罪なのに、更に罪を重ねてどうする!
「駄目! あの子達に手を出すな――!」
だが椅子に括りつけられて身動きが取れない状態で、喚き立てただけで何かを変えられるわけがない。
舌打ちをした男に、口に布を噛ませられる。
適当に拾い上げた布から黴臭い匂いがし、鼻を衝く。
床に落ちていたせいか、口の中が砂でじゃりじゃりして気持ちが悪い。
咳き込もうと息を吸うたびに土砂埃が気管を擦り、余計に息が詰まって苦しい。
息が十分にできないって、こんなに苦しいものなのかと半分涙目になりながら。
それでもリゼは二人組の男たちを睨み据えた。
「大声を出されても面倒だな。
やっぱり口、縛っとこ」
彼らにとって単なる軽いナンパ。それが原因で、よもや怪我をさせられた挙句職を失うなんて思っていなかったことに違いない。
だがその恨みが昂じて、他の無関係の人たちを巻き込んだことは許されることではない。
第一、手を出したのはリゼではない。
勿論リタがやったことだからとこんな目に遭わせたいわけではないけれど。
少なくとも片割れの男は、理不尽に対する恨みというよりは金に目が眩んでいるようにしか感じない。
「先にこいつだけ連れて行った方がいいんじゃないか?
流石に三人一緒に運ぶのは人目につく、世話も面倒だ」
「そうだな――騒ぎになる前に、一旦外に出すか。
一人分でも、そこそこ貰えるかも」
自分が帰宅しない事に寮の管理人はいつ気づくだろうか?
そもそも今、何時なんだ。
リゼが帰ってこないと言ったって、誰かに
一日二日同じ場所で待機するのなら、いずれ誰かが探し当ててくれる可能性に縋れる。
しかし今夜にでも街から連れ出されてしまっては、足取りが掴めなくなるのではないか。
リゼは彼らのことを、殴り飛ばされ詰め寄られるまで思い出すこともできなかったのだ。
ましてや他の人間が、この二人の存在にすぐに当たりをつけて手配できるか……?
ここが何処かも分からない。
その上で、自分を見つけてもらえる方法――?
考えろ、考えろ!
こんな自分本位でふざけた連中に売り飛ばされるなんて、そんな人生は絶対ごめんだ。
足の先が震え、自分が恐怖に怯えているのだということは分かる。
普通に考えれば彼らの言っている事は、今まで自分が生きてきた世界と同じ地続きの世界の話とは思えない。
だが彼が自分達を恨みに感じ、そしてもう一人が金に目が眩んでいる事は分かる。
そもそもムカつくという理由だけで、見知らぬ他人を衝動的に殴っていたと嗤いながら言う相手に常識を説いたところで届くはずもないか。
頭が痛い。
本当に力いっぱい殴ってくれた、自分への敵意は本物だ。
――リゼは後ろ手に縛られた両の掌に、ぎゅっと力を込めた。
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