第405話 『グリム』


 この感情が『何』なのか自分でも分からない。


 ジェイクの事が憎いのか。

 それとも幸せになって欲しいと願っているのか。

 恨んでいるのか。憐れんでいるのか。


 好きなのか

 嫌いなのか


 兄が嫌な人間で、どうしようもない性格なら悩むことも無かっただろう。

 生憎というか、幸いと言うか、彼はとても良い奴である。それが余計に心を苦しくさせる。


 憎みたいのに、同情してしまう。

 自分の境遇を憎悪しているのに、それをジェイクのせいに出来ない。


 腹が立つことに彼は自分にとって唯一無二の理解者だ。

 数年越しの再会で、その時の空隙を感じさせず笑顔で話が出来る程には彼の存在にホッとする。


 それでも羨ましいし。

 どうしてこうなったんだ、という恨みは今もなお燻り続けている。


 お門違いな逆恨みでも、妬ましいと感じることを無理矢理見ないふりも出来なくて。





   あの日自分は彼がどんな風に答えを返したら。

   納得し満足して、言葉を飲み込んだのだろう。

   傷つけるような言葉を傷つくと分かっていて

   何故突き刺してしまったのだろう。





 ごめんね、と思う気持ち。

 ざまをみろ、と溜飲を下げる想い。

 可哀そうだな、と憐憫の情。

 それでも羨ましくて狡いと妬む。





 いっそ他人であったなら、互いの存在に苦しむことは無かったのだろうか。




 気にしてないよ!

 君が悪いわけじゃない。

 何も悪くない。


 分かってる、悪いのは全部あいつだ。

 あいつのせいだ。

 この不幸は、全部あいつがいるから。


 でもあいつがいなかったら、僕はこの世に生まれなかった。

 これが運命だったんだ。



 ……間が悪い。巡り合わせが悪かった。全部事故だよ、事故。





    ――そう思おうとしても、視界の中の君は眩し過ぎる。

      悟りを啓いた聖人君子にはなれないよ。





 何故僕が失ったものを、君は全部持っているんだ。

 どうして僕だけがこんなに苦しいんだ。






 失ったもの全部を持ってる君を妬ましいと思うのは、僕が弱いからなの?






 ※





 その日、ジェイクとたまたま帰宅時間が被った。

 声を掛けられ寮へ戻っている道中のことだ。


 一緒に帰ろうぜ、という誘いを断る理由はどこにもなかったし。

 昔から、ジェイクと話をするのは楽しい。


 今は楽しいばかりではなく、互いに踏み込んで触れられない部分が生じてしまっているのが残念でならない。

 時折ギクシャクした不穏な空気が漂うが、気にしなければ普段通りでいられる。


 自分達はもう子供じゃない。

 触れられたくないことを敢えて暴き立て、刃を突き立てるような非生産的な言動なんかするべきじゃない。


 百害あって一利なしだ。


 そう思っていたのに、なんで言ってしまったんだろう。





 テクテクと、自然と早足になって道を歩く。


 寮に向かって歩く他の男子生徒、そして馬車に乗って帰宅する女子生徒。

 友人グループでたむろし楽しそうに話を続ける生徒も視界の端にチラチラ映る。


 学園に入学して一月が経ったけれど、拍子抜けするくらい平和だった。

 何せ中央の三派閥が入り乱れ、地方貴族達も妾腹の子もごちゃ混ぜに同じ空間で過ごしているのだ。

 これで問題が起こらない方が嘘だろう、どんな緊迫感溢れた恐ろしい雰囲気の学園なのか? きっと魔境に等しい場所に違いないと覚悟して乗り込んできたのだが――


 意外や意外、思いもかけず和気藹々と親しい様子で目を疑った。

 男子も女子もだ。


 いがみ合って派閥同士対立して――そんな勢力争いが勃発しない摩訶不思議な領域と化している。

 いかなる奇跡が起こっているのか? 唖然としたものだ。


 まぁ、争いごとなんて少ないに越したことはない。

 平和でぬるま湯なのは決して悪い事ではなかった。


 グリムは自分の立場上、大勢の生徒から見下されたり軽んじられたり、腫れもの扱いされるとばかり思い込んでいたものだ。

 現実は真逆で、嫌がらせの欠片もない。


 普通に友達として接してくれる生徒ばかりで逆に戸惑うくらいだった。




「それにしても、フランツが学園の講師とか超ウケるよね」


「本人は嫌がってたけどな、バルガスやライナスに命令されたら断れんだろ」


 そりゃそうだ、とグリムは声を上げて笑う。

 ローレル家の三兄弟の力関係は見たままだが、折角その環境から逃げ出せたフランツなのにいざ学園に来てみれば講師として一講座を受け持っているのだから腹を抱えて笑った。

 しかも彼が指導している相手は、一人の女子生徒だけ。


 なんなんだ、その特別待遇は。


「フランツもリゼの事気に入ってるみたいだったし、結果的には良かったんじゃない?」


「そうだなー。

 ……あ、グリム。お前もうフランツのところに行くなよ?」


 さらっとした口調でジェイクが釘を刺してきた。


 胸中に暗い影が射し込む。


「なんで?」


「また倒れるようなことがあったら大変だろ」


 彼は少し、橙色の目を逸らす。

 自分と同じ――大嫌いな、その目の色。


 嘘が苦手な人間だなぁ、と変わらない彼の仕草に安堵する。それと同時に、いくつもの棘が心の最奥に突き刺さる。


「リゼに迷惑かけたら困るから?」


「それもあるけど」



「……好きな子に近づいて欲しくないって、ハッキリ言えば?」



 彼がどんな反応を返せば、自分は満足だったんだろうか。

 納得して、突っ込みの言葉を飲み込めたんだろう。


 ――彼が口に出せる答えを持っていない事くらい、分かっているのに。



「別に。

 ……あいつは、ただの同級生だし」



 自分から振った話題だが、彼のその露骨な『嘘』がカンに障った。

 視線を合わせず逃げるように、堪えるように必死で気持ちを宥める姿に、衝動的に追い詰めたくなってしまったのだ。


「ははは、何言ってるのさ。

 ただの同級生なわけないじゃん?

 僕が何も知らないと思ってる? シリウスから聞いたよ」


「………。」


「あのに粉をかけられるのが嫌で、ドゥーエの坊ちゃんを退学させたんだって?

 すっごい事するね、お家取り潰しとか正気?」


 去年、爵位を返上させられ一家離散になったエルディム派の家があると耳にした。

 よくよく話を聞いてみれば手を回したのはシリウスで、それを依頼したのがジェイクだったと言うではないか。


 シリウスとしては『良い口実が出来た』に過ぎない話だったようだが。


 ――ただの同級生相手にそこまでする奴がどこにいる。

 自分の行動を客観的に見て、それでもまだ世迷い事を言うのか。


「違う!

 そんなつもりじゃなかった。対処したのはシリウスだ、流石にそこまで話が大きくなるとは思わなかった。

 どんな奴なのかよく知らなかったから調べさせただけだ。

 あいつ……リゼはそういう情報に触れる機会もないだろうし」


 実際に腹黒い噂が立っていたのは確からしい、だからシリウスも手を貸してくれたのだろう。

 でもリゼ本人に忠告するでもなく、問答無用で外堀を爆破するようなことをする理由がどこにあるって言うんだ。


「俺は、ただ……」



 ――好きだから、幸せになって欲しいと思っている。 



 先に続く言葉を口に出せず、彼は口を「へ」の字に噛んで押し黙った。

 何も言えない心情を、状況を、全て理解した上でグリムは彼を追い立てしまう。


 どうやらリゼもジェイクの事が好きらしい。

 もしかしたらその内二人が罷り間違って”くっついて”しまうんじゃないか、という――懸念、不快感、嘲り。


 結局なんだかんだ言いながら、己の立場を利用して青春擬きごっこで楽しい恋愛をしているのが気にくわなかったのかもしれない。

 一緒に楽しく過ごしている二人の姿は、例え想いが通じ合っていなかったとしても幸せなものであることに違いは無かった。



 グリムは自分自身のことなのに、その時の気持ちが判然としないのだ。


 自分を過去のものとして置き去りにされ、置いて行かれるのではないかという焦燥感だったのか。

 単なる侮蔑の念だったのか、分からない。

 モヤモヤしていた。



「そりゃあねぇ、ジェイクがあの子のことを好きなのは分かるよ。

 うん。



    血は争えない・・・・・・って奴だもんね?」




 絶対に言ってはならない言葉、的確にジェイクを貫く言葉を突きつけてしまった。

 この身体に流れる血を何より疎んでいるのは、自分もジェイクも全く同じだというのに。


 もしも自分が同じことを同じ状況で言われたら、きっと耐えられない。


 実際に彼はその場に立ち尽くし、右半分の顔を掌で覆った。



「………やめろ。……やめてくれ」 



 獣の呻き声に似ていた。

 苦しそうな声を聞き、グリムは盛大に後悔した。




 なんでこんなバカな事を聞いてしまったんだろうか。

  



 純粋な好意を向けられて羨ましい。

 心から好きな人が出来て羨ましい。

 例え時限付きの関係であっても、幸せそうで羨ましい。



 自分には、何もないのに。



 人生の半分以上、母親以外誰もいない僻地の療養地に閉じ込められていた。

 楽しい思い出なんか全く無い。


 少し走れば苦しい、息が続かない。

 好きだったことが出来なくなった。

 教えを受けたはずの剣術の全てが両のかいなから失われていく。


 もう自分は以前の生活には戻れないのに。

 


 彼を憎んでいるわけではないはずなのに、どうして意地の悪い事を言ってしまったのか。

 普通の兄弟でいられる機会を何故自分から手放す真似をしてしまったのか。





 ごめん、言い過ぎた。

 僕もそんなつもりじゃなかったんだ。


 ちょっとからかいたかっただけなんだ――……




 ――その一言が言えなかった。

 彼が顔を背けたまま、先に帰ってしまったから。







 ※






 あれから数日、ジェイクに避けられているような気がして鬱々とした気持ちに苛まれ続けていた。


 ごく当然の反応だというのに、グリムは自業自得のショックを受けていた。


 謝ったら許してくれるかな?


 元のように気軽に話しかけてくれるだろうか。

 兄弟喧嘩をするのは初めてではないが、流石にこの歳になって関係が拗れたら修復も不可能な気がする。


 謝っても許してもらえなかったら嫌だなぁ、と思う自分はなんと身勝手なものだろうか。


 相手を煽って傷つけたのは自分だ。

 一度口から発した言葉は取り消せないが、悪かった、と謝罪することは出来るはず。


 ちょっと怖いなぁ、と心の中はびくびくしていた。


 結局は自分の八つ当たりでジェイクに罵声を浴びせたようなものだ。

 誰にだって他人に抉られたくない傷の一つや二つ抱えて生きているのに、平気な顔で暴き立てて言葉のナイフを突き立てグリグリ弄るなんて鬼畜の所業である。


 身から出た錆とは言え、ジェイクに嫌われたら――かなりしんどい。

 内心ドキドキ状態でロンバルドの本家に足を向けていた。


 本当はここには二度と帰って来たくなかったが、しょうがない。

 今のままの生活では時間や場所をズラされて、兄と会う機会を消失してしまう。


 彼らの住む特別寮にはグリムのようなその他大勢の男子生徒は踏み入ることができない。アーサーがいるし、警備は厳重過ぎて突破など不可能だ。


 顔を合わせないようにすれば、いつまでも会わないままでも全く不都合がない状況になってしまった。


 剣術や体を動かす講義に参加できない自分は、ジェイクと選択講義で一緒になることもないし。

 気まずいまま卒業されて、二度と会えないという可能性も瞼の裏にチラついた。



 勇気を奮い立たせ、グリムは道を歩いていたのだが――

 正面から見知った女性が近づいてくるのが見えた。


 彼女の件でこんなことになってしまったのでかなり複雑な思いになるが、それは逆恨み以外の何物でもない。

 自分の浅慮が悪いのだ、リゼには何一つ非はない。




 ああ、でも運は悪いかな。

 こんな面倒な”家”の人間に執着され、付きまとわれて可哀想かも。


 彼女をこちら側の事情に巻き込まないようにしなければ、と思う。




「えー、最近何かと物騒だよね。

 良かったら僕が送ろうか?」




 提案は案の定断られたが、やはり心配なことに変わりはない。

 夕暮れ時、女性の一人歩きは絶対に良くないと思う。


 いくら彼女が腕が立つ剣士とは言え――彼女は普通の女の子だ、人間の悪意に晒されたことはないだろう。

 騎士道精神に溢れている貴族の男子生徒達ばかりを相手にしているのだ、粗野で傍若無人な賊徒相手はまだ早い。


 卑怯という概念がない、目的のためなら何だってするような人間相手に剣を構えて戦うのは酷な話だろう。


 そっとリゼの後を着いていく。

 見つからないように程々の距離を保って後を追う。


 どうせ屋敷に戻ってもジェイクは不在なのだから、待ち惚けを食らわされるより見守り隊に志願した方が有意義というものである。


 心配そうに忠告をしたものの、実は本当に彼女の身に危険が迫る可能性を真剣に考えていたわけではなかった。

 ジェイクと顔を合わせなくてもしょうがない、という言い訳が欲しかっただけなのかもしれない。




 彼女に何かあったら、ジェイクは絶対に悲しむだろう。

 ちゃんと帰宅まで見届けないと。



 これもジェイクの代行だからという言い訳が、今のグリムの行動を後押ししていた。






「――――――!」



 だがそんなグリムの視界の中で、音もなくリゼが路地から伸びた手に引きずり込まれた瞬間を目撃してしまった。一瞬の事でわけがわからない。

 えっ、と口を半開きにする。


 驚いている場合ではない。

 一人――いや、二人?


 少なくとも複数の人間が動いているのは見えた。





   ヤバイ、助けに行かないと!




 気が動転しかけたが、ここで彼女を追わないという選択肢はない。



 十数メートルの距離、大きく息を吸い込んで――走ろう、と力を全身に籠めた。

 だが一歩足を踏み出した次の瞬間、ズキンと胸元に激痛が走る。


 息が細くなり、喘ぎ、身体を支える力が消失する。

 その場に膝から崩れ落ちた。




「………ぁぁ………」



 痛い。

 痛い、痛い。苦しい、痛い




 こんな時なのに!

 




 蹲って手を伸ばしても、声が出ない。

 全身に走る痺れが、痛みが、グリムの行動を縛り上げるのだ。



 いつもこうだ! もう、普通に生活なんてできない。

 ちょっとしたことで体は自分を裏切っていく。


 口元に滲む血の味に顔を顰めた。



 両膝、両手を地面につけて四つん這いの姿勢で、激痛に堪える。

 呼吸を整え、動け、動けと自らの手足に必死に命令を下す。




 情けない。


 こんな身体じゃ何も出来ない。

 大切な人の、大事な子を守ることさえ出来やしない。





 苦しくて悔しくて、人通りの疎らな通りの端でグリムは背を丸め指先を震わせる。




 道行く人が遠巻きに眺め、指をさし、不安げな顔をする。





 声は出ないが、必死に「助けて」と口だけを動かし腕を伸ばす――その緩慢な動きが他人の目には恐ろしく映るのだろうか。


 皆悲鳴を押し殺すようにして距離をとる。



 こんな事をしている場合じゃないのに……!












 ――お気の毒ですが、一度壊れてしまった機能は……

   生きているだけであなたは幸運なんです。

  

   運動? 武術? 駄目です、駄目です。


   拾ってもらえた命でしょう、どうか大切にして下さい。  




 

 





 ※











 馬の蹄の音が、雑踏の中に混じった。







「おい、グリム!

 お前こんなところでどうした!? 大丈夫か?」









    頭上から兄の声が聴こえる。

  



    十年前と同じだ、と何故か笑えて来た。



 血相を変えて駆け寄ってくる彼の姿が過去と重なって、でもその輪郭の差に愕然とする。

 



  僕の時間は止まったままなのにね。 


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