第403話 明/暗
花を撒くというお祝い行為を実行するためにわざわざ庭園に足を向けてくれたらしい。
思いもよらないシャルロッテのアイデアに、カサンドラはただただ感動に打ち震えるばかりであった。
だがいつまでも日中の陽射しの下に色白のお嬢さん達を留めておくわけにもいかない。
シャルロッテが持ち込んだ全ての花が宙を舞った後、カサンドラは彼女達を再度先導しながら屋敷の中に戻ることにした。
爽やかな初夏の風が地面に撒き散らされた小さな花々を揺れ動かし、彼女達の長い髪を攫っていった。
※
「まぁ! 可愛らしいカップですね」
サロンに案内された時、皆はまず内装に戸惑いを抱いているようだった。
それはカサンドラにも理解できる、以前自分が彼女達を招待したお茶会ではもっと大人しく、シンプルですっきりした内装であったことをよく覚えている。
元々外見が派手に見えるカサンドラは華美な装いが大のニガテだ。
鏡を見る度に思うけれども、元々が迫力ある強い印象の顔なのでそれに何を足しても一層その顔かたちを強調することにしかならない。
足し算のおしゃれは最初から諦め、シンプルが一番なのだと普段からそのようなスタンスで身を飾るカサンドラである。
ゆえに白で統一され、観葉植物や花瓶に生けた百合がところどころ配置される物静かだった前回のサロン内。
今回はうってかわって、可愛らしいファンシーな雰囲気に彩られているのだ。
デフォルメされた動物の形のぬいぐるみ、赤いリボンで絞ったレースのカーテン、絨毯は薄桃色。
照明も花の形のものに取り換え、家具も全部角が丸っこくて可愛らしい形のものに変わっている。
もしも社交界で知り合ったマダムに声を掛けられ、誘われた先のサロンがこんな内装だったらカサンドラは間違いなくドン引きだ。
落ち着いたモノトーン調とは真逆の立ち昇る乙女チック空間は、今日この日のために使用人達と整えたもの。
アレクに見せたら無言になったが、さもありなん。
だがある意味で新鮮な気持ちで、皆でテーブルを囲むことが出来た。
乙女趣味も行き過ぎれば悪趣味に映るが、ここに招待した三人にはこの空間がとてもよく似合っていた。
招待主であるカサンドラが最もこの場で浮いている存在と言っても過言ではない。
まるでモンシロチョウの集う花畑に、派手なアゲハ蝶が一匹だけ舞い込んできたような光景と言えばいいのか。
しかし彼女達はそんな感想はおくびにも出さず、サロン内の小物や内装を楽しんでくれた。
特にミランダは手元のカップをじっと見つめ、興味深そうに左右から視線を差し向ける。
独特な形の取っ手だが決して持ちにくさを感じない、軽い陶器は桃色と白色のグラデーションがとても綺麗だ。
キラキラ光る素材を使用しているのか、描かれた花が浮き上がって見える。
流石シンシアの審美眼だと思ったが、彼女達もユニークかつ可愛い花模様のカップを褒めてくれた。
「同級生の親御さんが営まれている商会で用意してもらったものなのです」
カサンドラがさりげなくそう言うと、ミランダは商会の名や場所を聞いてくる。
澄ました態度の彼女だが、可愛らしい雰囲気の小物が好きなようだ。
いそいそとゴードン商会を訪れる彼女の姿が容易に想像でき、心の中でガッツポーズである。
ウェレス伯爵家が取引相手になれば物凄く”太い”ぞ、と。
どうしてもお茶会を開く、大切なお客様を招く、ということになると洗練され大人びた雰囲気を演出したくなるものだ。
それが無難だし。
だが互いに打ち解けた仲なら、一度くらいこんなテーマで内装を彩るのも楽しいものだとカサンドラは一つ勉強になった。
他の人を招待するのに、乙女チックで統一した空間は絶対案から外れてしまうだろう。
美味しい紅茶に、ケーキ。
和気藹々と楽しくお喋りの時間が続く。
「ミランダさんは、卒業後すぐに挙式されるのですか?」
シャルロッテの質問に、フォークに乗せたケーキを一口食んでいたミランダは――思いっきりフォークを喉奥に挿し込みそうになって盛大に
ケホケホ、と何度か乾いた咳を喉から絞り出す。
ミランダはフォークをお皿の上におき、ティーカップに軽く口をつけた。
「……一応、その予定です」
「確か今、お相手のアンディさんは地方任官で遠くにいらっしゃるのですよね?」
「婚姻は任期が終わって帰ってからでもと言われることもありますが、そんなに待てません」
「卒業したら一緒に暮らす準備も必要ですし、お互い忙しくなりそうですね」
浮き浮きと弾むキャロルの言葉に、ドキッとする。
彼女達は来年この学園を卒業して、それぞれ新しい生活を始めるのだ。
貴族の子女で卒業まで婚約者がいないというケースはとても珍しい。
多くは約束通り結婚し、一緒に暮らすことになるのだろう。
相手がまだ学生なら、卒業まで待たなければいけないが。
一緒に暮らす、か。
「出来れば卒業後すぐに挙式を行いたいものです」
キャロルは嘆息交じりにそう呟き、チラチラとカサンドラに視線で訴えかけて来た。
結婚式など、各自のタイミングで好きなときに執り行えばいいのでは? と首を傾げる。
よく分かっていないカサンドラに、シャルロッテは手を頬の横で重ねてにこっと微笑んだ。
「そうですよね!
二年後には王子とカサンドラ様の結婚式が……!
さぞ盛大な規模になるでしょう、お二人の式典に重なっては一大事ですものね」
今度はカサンドラが思いっきりケーキを切り分けようとして手を滑らせ、ガラスを引っ掻く不快な音を立ててしまう。
国を挙げての大掛かりな宴も催されることは確定なので、同じ時期に自分の結婚式を重ねるわけにはいかない! と、意気込んでいる。
「お式の日取りが決まったらこっそり教えてくださいね、カサンドラ様!」
キャロルの遠慮ない小気味良い台詞に、他の二人もうんうん、と同時に頷いた。
シャルロッテはまず婚約者探しから始めないといけないはずだが、全く焦る様子もない。
彼女の実家のことを思えば間違いなくそれなりの婚約者がいくらでも湧いてくるだろうから、相手に困る心配もないのか。
来年の事を話せば鬼が笑う、というのは前世の世界での
二年後の話なんて、鬼が爆笑して床に転がっていそうだ。
――当たり前に二年後が”来る”ことを、どうして自分は疑っていなかったのだろう。
こんな幸せな時が永遠に続くと、本当に思っていたのか。
心の底に眠る不安から、ずっと目を逸らし続けていたのではないか。
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鬱蒼と茂る深い森の中。
彼らはようやく、砦近くまで逃げおおせる事が出来た。
はぁ、はぁ、と肩で大きな息をしながら。
信じられない現実を目の当たりにし、彼は身を顰める大木に背中をもたせる。
そのまま支えきれずずり落ちてしまいそうになるのを、両の踵に力を込めて懸命に堪えた。
ここで自分が情けない顔をするわけにはいかない。
「アンディ……。
あれは一体、何だったんだ」
傍に立つ副官が、呆然と呟く。
彼もまた命からがら逃げおおせた騎士の一人である。
「こんな話は、聞いていない……
俺達は、東の内乱を鎮圧するために来た、そのはずだろう?」
彼に言われなくても重々承知している。
アンディは歯を食いしばり、ようやく現状を受け入れることにした。
現実逃避をしていても始まらない。
「ああ、そうだ。
ティルサで大規模な内乱が起こった、それは間違いない」
広大なクローレス王国の領地内では、常にどこかで独立を謳い剣を掲げる争いが生じている。
大なり小なり、反旗を翻す原因も様々だが。
全ての領主が王家に永遠の忠誠を誓っているわけではなく、中央へ不満を募らせる町や村も決して少なくない。
王都に住んでいればその世界は閉じていて、平和そのものだが一歩外へ踏み出せばその限りではないと知ることになる。
武器を取り王政に対し反乱を起こされれば、それを鎮めるのは王国軍の仕事だ。
同じ国の人間同士だが、その一つの地方の独立を認めれば事はそこだけではすまない。
再びこの大陸は大小さまざまな国が乱立し、領地をめぐって争い合う混沌時代に逆戻りだ。
だから反乱の目は絶対に抑え潰さなければならない――アンディは東地方の鎮圧を一手に任されているのだ。
内乱の鎮圧自体は、騎士団にとって難しい話ではなかった。
地方の領主が蓄える雑兵とは練度が全く違い、騎士団に配備された武器や防具の質は桁違いに良いものだ。
出来るだけ相手を傷つけないようにさじ加減する方が難しい、相手も武器を取って歯向かってくる。
しかし結局互いに無傷で終わることはなく、同じ国の人間同士で血を流し合う。幾度味わっても虚しい勝利だ。
「だが、ティルサの町は既に魔物によって壊滅状態。
生き残りの数さえ不明――こんな事態、予想もしていなかった」
「何故魔物が? ……今まで、奴らはひっそり暮らしていたじゃないか。
あいつらが徒党を組んで街を襲うなんて、俺は聞いたことがない」
副官の言う通りだ。
彼らは人間を恐れ、山奥や僻地で人間の前に姿を見せずに生きていた。
個々の魔物の力は普通の人間の何倍も強いけれど、人間には彼らに対抗できる”魔法という武器”がある。
仮に街一つを襲撃したところで、結局人間側の反撃を受けて劣勢になり、自分達が駆逐されることは彼らも分かっている。
半端に抵抗して滅ぶよりは、散り散りになって人目につかないところで生き延びる方がマシだと理解し、交渉するだけの賢さがある。
彼らはかつて「敗れた」側の種族だ。
百年以上前に歴史の表舞台から姿を消した存在、魔物。
禍々しい黒い靄を纏う彼らは獣の姿をしていたが、二本の足で歩き言葉を使って意思疎通も行える。
人間――聖女アンナの”慈悲”によって絶滅を免れ、生存を赦された種族。
もはや人の住む社会では見かけることも難しい、幽鬼のような存在だ。
獣が人間の火を恐れるように
魔物は人間の魔法を恐れ遠ざかった
それが何故? 今になって街を襲う?
ティルサを滅ぼしたところで何の意味があるというのか、皆目見当がつかない。
「今の我々に多数の魔物を相手に出来るだけの用意はないな。
気が進まないなんて言っている場合じゃないな、宮廷魔道士に応援を要請しなければ」
それでもあの数、何人の魔道士を依頼しなければいけないのか皆目見当もつかない。
――現状の人員、装備で正面から斬り合ってもこちらの被害が大きくなるだけだ、時間稼ぎも出来ない。
目の前で見たが、未だに信じられない。
街の一つは滅んでしまったが……何としてでも、被害はここで食い止めなければいけない。
聖女の慈悲を忘れ、人間に牙を突き立てる魔物は討伐しなければ。
「……アンディ。君は本当にそれでいいのか」
「しょうがない。
これ以上皆を危険に晒し続けるわけにはいかないだろう!」
小隊を組み、街へと様子見がてら潜入したアンディ達が見たものは、無残にも瓦礫の山と化した町の姿。
今までの鬱憤を晴らすかのように、魔物達は人里で暴れ、その腕力で人間を砕いていく。
まるで地獄の様相。
魔物に見つかったアンディ達は何とか彼らから逃げおおせたものの――
一緒に同行していたはずのメンバーが一人いない。
安否を確認に行くことは、今は不可能だ。
数十体の魔物に囲まれれば命の保証はない、別の方角で退路を見つけ包囲されずに逃げ出せた事を願うのみだ。
一個師団を率いて討伐に乗り出す必要があるが、地方の内乱鎮圧を想定していた自分達にはあまりにも現状荷が重い相手である。
「魔物がティルサ周辺に生息していた事を騎士団が見落としていたことになる。監視は何をしていたのだと。
……魔道士を呼んであの魔物達を掃除してもらうのはいいさ。
だが緊急で尻拭いを依頼なんて、魔道士どもに借りが出来るってもんじゃない。
うちのお
――その責任をとるのはお前だぞ、アンディ」
この形では魔道士と”共闘”にはならない。どうにもならないから助けてくれ、と頭を下げる立場になることを嫌がる幹部もいるだろう。
「……。」
「ジェイク様に来てもらった方がいいんじゃないか」
「いや、それは」
一瞬脳裏に浮かんだのは、確かに彼の姿だ。
魔法――正確には精霊の力に弱い魔物達。
恐らくジェイクであれば魔道士数人分の役はこなせる、奴らを焼き尽くすことは可能かもしれない。
しかし彼はまだ学生の身だ。
急ぎ僻地にまで来てくれというのも酷な話としか言いようがない。
それに彼が魔法の使用を禁じられているのは、周囲の被害の懸念だけではない。無茶をすれば彼の身体が壊れてしまうかも知れないから使うな、と言われているのだ。
第一……彼を自分の保身のために巻き込むわけには……
ああ、でも魔道士達に来てくれと依頼をしたところですぐに動いてくれるのか。
正規の手続きを踏んで要請しろと、緊急事態に嫌そうな顔をされるのではないか?
あの腰の重い連中がこんな僻地まで急いで馬を飛ばし駆けつけてくれるのだろうかという不安が募る。
魔物の襲撃を凌ぎきれるのか分からないこの状況、応援が来るまで持ちこたえられるか?
砦を捨てて逃げることも無理だ、ここを空にすれば他の町を襲われる可能性も……
何を及び腰になっているのか、自分は騎士だというのに。
脅威から国を守らず逃げ帰るなど許されない。
「このまま生きて帰れたとして、だ。
俺らの見落としで魔物被害を大きくしたと追及されたら、結局未来は”無い”んだよ」
中央の魔道士を動かさず、魔物さえ駆逐できればどうにかなるか?
町一つ壊されはしたが、魔道士の助力なく魔物の群れを撃退したとして逆に功績になる……?
心臓の鼓動がかつてない程早く胸板を打ち付ける。
未来が無くなる――そう言われて浮かぶミランダの姿に、拳を握りしめる。
騎士団内でこの事態を収められなければ、ティルサに派遣された隊長として降格は免れないだろう。
魔物の動きを事前に察知できなかった責を問われ、下手をしたら除名処分か。
何故だ。
何故、こんなことになったんだ。
「一度砦に帰り、体勢を立て直す。
――伝令の用意を」
こんな報告――魔物の存在など、どこにも無かったじゃないか。
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