第402話 お茶会サプライズ
今日は週末、カサンドラの屋敷でお茶会が開かれる日だ。
既に準備を終え来客を迎えるばかり。
元々はシャルロッテの提案で、キャロルとミランダの婚約祝いの席を設けようという話を端に発した会だ。
ロンバルド派、ヴァイル派、エルディム派の女子生徒の中では公然としたリーダー的立場である三人。
その立場を当人たちは決して快く思っていないけれども、奇跡的に人の
カサンドラの声掛けに応じて一堂に会してくれ、更に年を跨いでもこうして再び集まろうと声を掛けてくれるのだから有難い話だ。
ミランダの婚約が決まったのは紆余曲折があっての一年前だから、お祝いの言葉を述べたところで何を今更と呆れられる可能性はあった。
しかし今でも婚約者のアンディとは仲良しで、まさにラブラブカップル状態と言っても過言ではないミランダ。
祝福を受ける事は、きっと満更でもないだろう――と、カサンドラは勝手に思っているけれど。
そのミランダとアンディが婚約したのはロンバルド家側の一存だった。
特にジェイクにとっては、彼らの婚姻は大変都合の良いものだったようだ。
ミランダとアンディのことを考えているとついでに浮かんでくる赤髪のあのクラスメイトの影に、カサンドラは心を乱されてしまう。
心に引っ掛かり、気がかりなのは昨日のジェイクの一件だ。
あれはどう取り繕ったところで、彼の盛大な嫉妬にしか見えなかったわけで。
隠そうとする努力以前に、我慢が利かないというのは非常に厄介な事だとカサンドラも思う。
――畢竟、彼らは今、両想いだ。
何かの一押しがあれば間違いなく結ばれるはずの、乙女ゲームにおける主人公と攻略対象という関係。
外野から見ていれば、そこまで思い煩うことはないだろうと勝手に思ってしまう。
互いに互いの気持ちが分かれば、それで上手くいく話……のはずだ。
そもそもジェイクはカサンドラが「リゼは貴方を好きだ」と言ったところでそれを信じる事はないだろう。
……彼は根本的に、自分が誰かに好かれることはないと思っているから。
まぁ、彼の立場には同情する。
彼ほど数多の人間に強烈な掌返しをされた者は、カサンドラの周囲に凡そ見当たらない。
その過程で植え付けられたトラウマも根深いものだ。
一連の過程を経て、ニコニコ笑って告白を受け入れられる程単純な人間でもない。
彼のアイデンティティの問題だから。
ではリゼに想いを伝えろと促せばいいのか? と考えると、それもまた躊躇してしまう。
しかるべき
そう考えると、自分が何か口や手を出すことがこの上なく恐ろしいことのように感じられた。
本来のカサンドラが知りようのない裏舞台を知ってしまっているせいで、自分が動けば上手くいくのか、それとも拗れるのか――上手くいかなかったときは全部自分の責任になってしまうような気がするのだ。
ただ純粋に友人の背中を押すのとはわけが違う。
自分の不用意な一言が、無思慮な言動が上手くいくはずの二人の仲を取り返しがつかない関係に後退させてしまったら?
ただでさえ自分の行動でこの世界の未来が変化し、起こるはずのイベントが消えてしまった状態で。
この上更に邪魔をするのか、余計な事をするのか。
考えれば考える程袋小路だ。
いくら純粋に疑問に思っただけとは言え、あの時人の恋愛事情に深く突っ込んできたラルフの肝の据わりっぷりに今になって凄いと思い知るカサンドラである。
自分と王子との関係とは全く別物とは言え、他人同士のやりとりに頼まれもしないのに嘴を挟む行為は、さぞ勇気がいったことだろう。
リゼとジェイクの正確な気持ちを知った上で動けない自分は、ラルフが知れば単なる意気地なしなのだろうな。
はぁ、とカサンドラは溜息をついた。
「姉上?」
これからゲストをお迎えするというのにやや浮かない顔の姉を見かけたアレクは、不思議そうに首を傾げた。
今日のお茶会は完全に女子会なのでアレクの出番は今回もない。
たまたま玄関ホール近くの階段手すりに凭れかかって吐息をついていたカサンドラの前を彼が横切っただけなのだが。
相変わらず今日もピカピカ輝き麗しい銀髪の美少年。
しかしこちらを不審そうにジロジロ見つめる怪訝顔は、カサンドラの神経を逆なでするものである。
「何ですか、姉上。その不景気な顔は」
「わたくしにも悩み事くらいあります」
「……王子とあんなに絶好調な状態で、今度は一体?」
次から次へと何なんだ、と彼の青い瞳がカサンドラを
「わたくし自身の事ではありません。
友人の恋路のことで胸を痛めているだけです!」
戸惑い傷つく友を思い、心を痛める繊細さだって当然持ち合わせているというのに、失礼な。
いつもいつも自分の事だけで悩んでいるかのような言い方はどうかと思う。
アレクの目から見て、己はそんなに自分本位な人間に映っているのだろうかと聊か不安になってきた。
「ああ、もしかしてあの三つ子の事です?
大変ですよねぇ。
姉上が心配しなくても、何とかなるんじゃないですか?」
特に興味がある素振りもなく、彼は「ふーん」と鼻を鳴らしただけだ。
「他人の恋模様の事まで気に掛けるようになるとは、余裕が出て来たようで何よりです」
特にカサンドラ自身に何か問題が発生したわけではないと知ると、彼は何度も大きく首肯して感慨深げにそんな感想を述べたのだ。
「ああ、そろそろお客さんがいらしたんじゃないですか?
――楽しい時間を過ごしてください、姉上」
彼は元々用事があったのか、忙しない様子でその場を足早に去って行った。
幼い幼いと思っていたが、彼ももうすぐ十二歳。
あと三年もすれば王立学園に入学する身だ、見る度に背が伸びている気がするなぁ、とその後ろ姿を見送った。
アレクの言う通り、玄関外が俄かに騒がしくなってきたようだ。
「あら?」
不意に、今のアレクとのやりとりに違和感を抱いた。
それは本当に些細な、僅かな疑問だ。
三つ子の恋愛事情なんて、アレクに話したことがあったっけ?
※
自分の記憶など大概あてにならないものだ。
もしかしたら雑談の流れで、三つ子の話をアレクにしたことがあったのかも知れない。
特に去年の生誕祭前は、リタ達を週末ごとに屋敷に招いていたわけで。
自然、彼女達の話をする機会もあったのだろう。
カサンドラはカサンドラで、生徒会役員で突如勃発した合奏に向けて問答無用のスパルタ訓練を敢行していたので――その時期の記憶が曖昧模糊としている。
それに三つ子が誰に懸想しているかなんて、アレクには全く興味も関係もない話題だろう。彼の記憶力が極めてずば抜けていることの証左に過ぎないというだけの話か。
「本日はようこそお越しくださいました、皆様」
美しく着飾った女性など見慣れているはずのカサンドラでも、思わず惚れ惚れ
緑色の双眸には初夏の爽やかな昼下がりを彩る、可愛らしく綺麗な深窓のご令嬢が三人揃い踏み状態で映っているのだ。眼福としか言いようがない。
妖精もかくやと思わせる、紛れもない純粋培養のお嬢様達の煌めきに圧倒されるカサンドラ。
自分が招待したお茶会のためにわざわざ着飾って来て来てくれた事も嬉しいし、やはり女の子は華がある。
「こちらこそご無理を申し上げ大変恐縮していますわ。
お招きに与り光栄です、カサンドラ様」
シャルロッテは春風を纏いにっこりと微笑みを讃えていた。
真っ白なレースの意匠をあしらったシルク生地のロングドレスがとてもよく似合っている。
初対面で悪態をついていたあの姿と全く重ならない、女性の変化っぷりにも驚かされる。リタで慣れているはずなのに……!
「ミランダさん、お久しぶりです。
いかがお過ごしですか?」
可愛いお嬢さんなのだが、プライドの高さが滲み出ているミランダ。
大きな桃色のリボンを髪に結び、澄まし顔の彼女はドレスの裾を軽く持ち上げた。
「特に申し上げるべき事は起こっていませんね。
今はアンディが王都にいないもので、忙しいということもありませんし。
何はともあれ、今日はお誘いいただきありがとうございます」
「カサンドラ様、お招きありがとうございます!
皆さんで集まることが出来て嬉しいです、とても楽しみにしていました!」
初めて会った時のおどおどとした態度はすっかりなりを顰め、天真爛漫な明るさを取り戻しつつあるキャロル。
ワクワクと心を躍らせているのが目に見えて分かる、今日の主役の片割れだ。
一応名目上はお茶会という事だが、シャルロッテが当初計画していたのはキャロルの婚約祝いで――
ついでにミランダの分も一緒に祝おうという相談だった。
別に自分達が祝わずとも身内で盛大にお祝いがあった事だろうが、こういうサプライズは案外楽しいものだと知る。
元々は相手の許諾なく騒ぐサプライズパーティに良い印象はなかったのだけれど。
相手を意図的に騙すサプライズという催しは元来好きではなかったが、お茶会ついでに「おめでとう!」とささやかに祝うくらいなら誰かが傷つくこともない。
シャルロッテは清楚なロングドレスに似合わない、大きめの鞄を抱えていた。
もしかして、あの中に二人へのお祝いのプレゼントでも入っているのだろうか。
あからさまな物品の受け渡しはどうかと思うが、どうせ他には誰もいないのだ。
一々口さがなく咎める必要もないだろう。
「では皆様、中へお入りください――」
玄関前で立ち話も失礼な話だ。
今日は久しぶりのキャロル達とのお茶会と言うことで、使用人達も気合を込めてサロンの模様替えと飾りつけを行っていた。
シンシアが選んでくれた可愛らしい花柄のティーセットに合わせ、ああでもないこうでもないと皆で額を突き合わせ。
”ややファンシー”をテーマに、内装をガラッと変えたのだ。
カサンドラ個人のイメージにはそぐわないふわふわとした雰囲気だが、彼女達にはこの上なく似合うだろうと自負している。
是非、皆にサロン内を見てもらおうと逸るカサンドラ。
しかしそんな自分に、戸惑いがちにシャルロッテが片手を挙げて遮りの言葉を発したのである。
「急なお願いで申し訳ございません、カサンドラ様。
不都合なければ、お庭を案内していただけませんか?」
「庭園……ですか?
ええ、勿論構いませんよ。ご案内いたします」
急な申し入れではあったが、毎日庭師が丹精込めて手入れを行っている広い庭園は、レンドール家別邸で最も景観の好い場所であろう。
こんな可愛らしい三人娘と一緒なら、見慣れた景色ももっと華やいで映えるはずだ。断る理由もない。
尤も、夏の訪れを感じさせる初夏の陽射しの下だ、あまり長居は出来ないだろう。
足元に注意を払いながら先導する。
庭園に踏み入ったシャルロッテは少しそわそわ、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
もしかして……
キャロル達のお祝いをここで行うのかな?
カサンドラは呑気にそんな事を考えていた。
彼女が一言「婚約おめでとう」と発すれば、カサンドラも満面の笑顔で拍手をすればいいはずだ。
打ち合わせは行っていないが、シャルロッテの祝いたいという気持ちは自分も持つものだから。
「……この辺りで良い……でしょうか」
シャルロッテは突然立ち止まり、腕に提げていた大きな鞄の口を開けた。
もしかしたら二人へのプレゼントが登場するのだろうか?
大きさ的に、ぬいぐるみ?
何か起こるか分からずカサンドラもドキドキしていると……
シャルロッテだけでなく、キャロルとミランダも同時に白い鞄の中に両手を入れた。
――ん?
一体何だ? と訝しむ時間はなく、身じろぎも出来ない次の瞬間。
カサンドラの視界が、頭上から降り注ぐ小さな何かで覆われた。
ぶわっと、巻き上げられた『何か』がゆっくりと足元に落ちて散らばる。
それは小さな花だった。
『カサンドラ様、王子とのご婚約おめでとうございます!』
全く予期していなかった事態に、カサンドラはぽかんと口を開けてしまった。
彼女達は持参した数えきれない花を、まるで紙吹雪のようにカサンドラの頭上に一気に放り上げたのだ。
色とりどりの花だったが、その小さな花は全て同じ種類。
……直径五センチほどの花がぱらぱらと足元に落ち、そして細かい花びらもひらひらと一緒に時間差で舞い落ちていく。
白や、赤や、ピンクの花弁。
花の種類に疎いカサンドラでも、その花の名前は知っていた。
この花、全部――デイジー?
「え? えええ? あの、シャルロッテさん? 今日はお二人のご婚約をお祝いする場では……??」
「私も最初はそのつもりだったのですけれど。
講義でデイジーさんとお話をする機会がありましたの。
……一番最初に、まずはカサンドラ様のお祝いをするべきではと助言を受けました。
彼女の仰る通りだと思い直し、プランを変更したのです!」
三人合意の上で、カサンドラを真っ先に祝おうとあっさりシャルロッテは方針転換したらしい。
何と柔軟な思考なのだろうか、と目を丸くする。
デイジーの助言――と言うよりは、お願いだったのだろう。
キャロルだけではなく、時期違いのミランダも祝うのならそこにカサンドラの名前が無いのはおかしいと、言いづらいけれど訴えてくれたのかもしれない。
学園に入学する前から決まっていた事なので、完全に自分の事は頭から抜け落ちていた。目から鱗状態。
「遅くなりましたけれど、ご婚約おめでとうございます。
自分の事を祝って頂けるのは嬉しいですが、カサンドラ様を差し置いてなんてそんなこと!
シャルロッテさんの提案、大賛成でした」
キャロルがもう一度、と花を掬いあげてカサンドラの頭上に大きく放り上げる。
今度は小さな花びらばかりがひらひら舞う。
花吹雪なんて、まさか白昼堂々自分が受ける事になろうとは。
「……最近、王子と随分親密らしいとの噂は聞き及んでいます。
何があったかは存じませんが、そのような間柄に進展したならば……貴女だって祝い事に相当するのではないかしら」
ミランダは少し視線を逸らしながら、緑の長い茎がついたままの赤いデイジーを抓み上げる。
少し恥ずかしそうに「はい」とカサンドラに差し出した。
「ありがとうございます……。
このお花をわざわざ選んでくれたのですね」
もしもデイジーの発言が無かったら、こんな風に祝ってもらえるはずがなかった。
自分の婚約こそ時期外れだし、学園外でのことだし。
脳裏に浮かぶ彼女の姿に、カサンドラは感動してしまった。
「ええ、彼女も一緒に祝いたいのではないかと思いまして。
このお茶会は私が発起人とは言え、招待客を勝手に増やすわけにはいきませんもの。
丁度数を用意できる時期でよかったです」
彼女の名前の花を持ってきてくれたのか。
シャルロッテの計らいに胸が詰まる。
サプライズを仕掛ける側だと思っていたのに、まさか自分が仕掛けられる側に替わっていたとは。
流石に盲点だった――が。
「では今度はわたくしも、です。
キャロルさん、ミランダさん。
良い人とご縁があったこと、心よりお祝い申し上げます」
シャルロッテの鞄の中には、まだまだ花がわんさか詰め込まれている。
カサンドラもそれらを掬いあげ、そのまま皆の頭上に思いっきり放り上げた。
色とりどりの花が、蒼穹の空の下に舞う。
これは――思いもよらず、予想も出来るはずがなかった。
嬉し過ぎる。
こんなにも自分の事を見守ってくれている人が傍にいるのだという事実が、そして純粋に優しくしてもらえたという事実が。
人は心を大きく揺さぶられた時、泣けてしまうのだと思い知らされる。
――目の端に、涙が少し滲んだ。
この花の色を 空の色を 皆の笑顔を 自分は絶対忘れない
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