第400話 懸念?


「先日はカフェに誘って下さってありがとうございました」


 翌朝の学園、教室前廊下。

 もはや朝の恒例行事と化した、王子との雑談タイムだ。


 カサンドラは廊下の窓越しに朝の陽射しを浴びながら、すぐ傍に立つ王子に向かって頭を下げる。

 放課後に王子と一緒に行動で来た事はとても楽しかったし、実現したことに今でも夢だったのではないかと半信半疑である。

 決して特別なことではないはずの放課後の時間は、自分達にとって逆に限りなく特別な時間だったと言える。


 家に帰宅した後、あまりにもカサンドラが喜びを抑えきれずに頬をにやつかせていたせいで、義弟のアレクも若干引いていたような記憶が……

 去年までではとても考えられない状態は、カサンドラにとって毎日が驚きの連続である。


「こちらこそ、急な話で申し訳なかったね。

 朝、ジェイクと話をしていた時に決まった話だったから」


「そうなのですか、ジェイク様が」


 カサンドラはその人物名を復唱しつつ、教室内に視線を遣る。

 廊下の窓から伺う教室内の様子は毎朝の光景と左程変わるものではない。


 ただ、王子が教室内にいないので強襲してくる人の頭数が減ったかな、という印象は受ける。

 相変わらずシリウスやジェイクの周囲には人が多く、再びラルフに近づいてくる女生徒も復活の兆しを見せている――と言ったところか。

 概ねこれと言った変化はない。


 貴族の御曹司らしからず、ジェイクはポケットに手を突っ込んだまま机の上に座って、近くの男子生徒と話をしているようだ。

 その間隙を突くように、女子生徒が嘴を挟んでくる様子が遠目からも邪険に出来ず困っている感が見て取れる。


 大声を出して追い払うのは簡単でも、周囲を威圧して自分の要望を通すということの危険性を彼らは良く知っているようだ。

 特に女子生徒一団を敵に回すと厄介この上ない事は、どこの世界でも変わりはない。


「……。

 王子、何か思い煩われているのでしょうか」


 カサンドラと同じように教室内の彼らの姿を一瞥した王子。

 だがその表情が翳り、曇った瞬間を見逃さなかった。


 不穏な空気を感じ取ってしまったので、思わずそれを聞かずにはいられない。

 王子に何か悩みがあるのなら、それを見過ごすわけにはいかないと思う。


「え?

 ……ああ……そう、だね。

 少し思うことがあって」


 彼はやや言葉を濁し、肩を竦めて細く長い吐息を廊下に落とした。

 相変わらず綺麗に磨き上げられた綺麗な廊下は、上靴など存在しない世界なのに毎朝塵一つなくピカピカである。


「最近、ジェイクが露骨というか、全然隠せていないだろう?」


「……。」


 一体何を悩んでいるのかと言えば、まさかの友人の恋愛事情を気にしていただけらしい。

 どれだけ喫緊の懸念事項なのかと身構えたが、少々肩透かしを食らった気持ちである。


「昨日だって、あんな表情で誰かと話をしている事に驚いてしまってね。

 もう隠す気がないというか、隠せない段階まできているのだろう」


「確かに王子の仰る通り、ジェイク様はリゼさんに好意を抱いているのかもしれません」


 もはや否定する要素がないくらい、彼の本音は駄々洩れ状態である。

 半年くらい前は、もっと隠せて素知らぬ態度だった気がするのだが……


 少しでも勘が鋭い者なら、彼が抱いている感情が何に根差しているものか一瞬で悟ってしまうだろう。


 恐らく女子生徒の中には、彼の気持ちに気づいている者もいるはずだ。


 だが敢えて言葉にせず、焚きつける事がないのは――それが自分達にとって不利益な事だから。

 品のない言い方だが、自分が狙っている異性に好きな人がいて、しかもそれが庶民で……

 まかり間違って恋人になり、言わば愛人がくっついてくるのは困る。


 彼らが自制し、その距離を保っているならばその間、見て見ぬふりをしているだけだ。

 本来ならミランダにされたように、実力で嫌がらせをして排除に動く女生徒がいたかもしれないが――リゼの腕っぷしの強さは去年大勢の前で明らかになった。

 流石に男性顔負けの剣の使い手に面と向かって喧嘩を売るようなお嬢さんは今のところいないようだ。

 ……案外、カサンドラと親しくしているから手を出しにくいという心理的バイアスがかかって見逃されているのかも。だとしたら、自分の存在がリゼの役に立ってホッとするところだが。


「ですが王子が気に病まれる必要はないかと。

 ジェイク様には、ジェイク様のお考えがあるのでしょうし」


「キャシーの言うとおり、余計な世話に過ぎないと思うよ。

 でも、何だか嫌な予感がする――予感というより、嫌な予想が当たって欲しくないというか」


「どういうことですか?」


 王子が言うには、今はまだ学園内でおさまっている。

 彼が特待生の一人に執心しているらしい、という噂で留まっている内はそれでも表面上は取り繕える。

 ジェイクも結局のところは自制して、その想いを口にすることはないだろう。


 彼の抱える内面の問題が解決しない内は良い形になるとは思えないから、現状維持のままだとして。


 王子が心配している事は、もしも野心家の大人たちが嗅ぎつけて動き出したら物凄く面倒な事態に陥るのではないかということらしい。

 地位の高い人に取り入るために見目麗しい女性を”貢ぐ”行為は別に物凄く珍しいことではない。

 王子を始めとしたこの世代は、乙女ゲームという基本的な枠組みの中で構築された世界ゆえ、そういう大人の事情からは切り離された世界だった。


 だが一歩外に足を踏み出せば、人を人とも思っていないような悪だくみや奸計でのし上がってきたような人たちが現実に存在している。偉い人が皆ご立派なんて奇跡は起きるものじゃない。


 この世界は人が支配する世界。


 ――社会があり、お金があり、そして地位や立場がある。

 表面だけの綺麗事で罷り通るようなことばかりではない。

 お金のためなら人を傷つけても構わない、そういう価値観の持ち主だって大手を振って歩いているかもしれないのだ。


 そういう話にリゼが万が一でも巻き込まれたら、それは誰にとっても良い話にはならないだろう。


 この世界の庶民に人権という意識というか概念自体存在しない。

 下手をしたらリゼが何者かに拐かされ、ロンバルド家への貢物として差し出されるなんて凡そ想像したくない事態に発展する可能性まで浮上する。

 他の形で恋心や執心を利用されるかもしれない。



 ……そうなった場合、間違いなく……事態がこじれる!

 現状はほぼほぼ両想い状態なのに、外部の要らない手が関わってきたせいでトラブルに発展する未来しか見えない。


 乙女ゲームという枠組みの中だからこそ上手くいった貴族のお坊ちゃんと普通の女の子との恋が、全く違う関係性に舵を切ってしまうことになる。

 それは想像したくない事態、ということはカサンドラにも理解できた。


 それはジェイクも重々承知の上だ、関わらせたくないから自分の気持ちは絶対に言わない。


 でも王子やら他の人やらにまで伝わってしまう程、隠せてない。

 元々嘘をついたり演技をするのが得意なタイプではない、気持ちが昂じてしまえばそれを完全に無かったように振る舞えるほど器用ではない人間だ。


 素直で分かりやすいというのはこの場合短所になってしまう。


 巻き込みたくないなら、隠し通すべきだ。


 他ならぬ王子だからこそ、そのような何とも言えない気持ちでいるのだと思われた。



「彼女は特待生とは言え、あくまでも”普通”のお嬢さんだ。

 あまりにも立場が違う者同士、想いが通じたとしても決してそれが幸せに通じる保証はない。

 一度ジェイクと話をした方がいいのかもしれないけれど……」


 うーん、と王子は腕を組む仕草をし、表情をやや険しくし口を引き結ぶ。



「惹かれるべきではないと分かっていても好きになってしまうという気持ちは、誰よりも私自身が経験したこと。

 ジェイクにとって何か有益な助言が出来るわけでもないから」



「……。」


 そんな風に何でもない事のように言われ、カサンドラは予期せぬところから放られた直球に顔の端を赤くした。

 昨日話をした時にも思ったけれど、実際に彼の中ではそうだった――と、彼の口から去年のことを聞かされると妙に気恥ずかしい。


 カサンドラも試行錯誤、なんとか王子に信用されたい、近づきたいと思っていた日々がザァッと脳裏を過ぎってまともに彼の顔が見れなくなってしまう。

 お互い、先の見えない不安の渦中にいたのだなぁ、と。



「な、何とかお二人が幸せになれる方法があれば良いですけれど」


 王子の気持ちはそれに尽きるだろうし、勿論カサンドラだって同じ想いだ。

 ジェイクが幸せになれるということはリゼと無事に付き合っているということで、それはリゼにとって本懐を遂げる事であるから。


 もしもシナリオに変更が無かったら、卒業パーティの時に告白という流れになるはずなのだが。

 しかしそれは前段階として、ジェイクが戦いの場で友人を喪ってしまうというシナリオ上避けて通れないイベントがあっての話だ。


 そのイベント自体が消失してしまった場合、果たして一体どういう経過を辿れば無事に卒業時に告白なんて流れになるのだろう。

 悲惨な体験などなくても日常的にもっと親しくなって、自然な形でお付き合いに至ることは出来ないのだろうか?

 

「仮に二人が交際を始めたとしても、ジェイクは近い内に正式な婚約者を決められるだろうしね……」


「……そう、ですね……」


 リゼの立場でロンバルド侯爵家の正妻というのは、荒唐無稽なお話だ。

 余程上手く立ち回って周囲に認めさせて、それでも第二夫人という立場が限界だろう。


 ……そしてそれは――少なくともジェイクにとっては絶対に許容できない事だ。

 かと言って全てを擲って駆け落ちをするような人間でもないな、と。実際に彼と接した一年で考えを改めた。

 好きな女性のためなら家を裏切って遠くへ逃げ出すことも辞さないという、無責任な人間ではない。



「キャシー?」



 あまりにも深刻そうな顔をしていたせいだろうか。

 王子が心配そうにこちらの様子を伺っていることに気づき、顎に当てて悩む仕草をしていた手を取っ払い横に振る。


「な、何でもありません」


「君には関係のない事で煩わせてしまってごめん。

 ……そもそも、最初から君に相談するべきことではなかったね。

 君まで、無駄に悩ませたいわけじゃなかった」


「そのようなことを仰らないでください、王子」


 気がかりなことが何かあるのだろうなと思って突っ込んで聞いたのは自分の方だ。

 それに自分が悩んでいるのは王子とは少々異なる視点も混じった話なので、カサンドラこそ全てを吐露して彼の相談に乗ることが出来ない事を申し訳なく思っている。

 まさか「本当は結ばれるべき二人なんです、大丈夫です!」なんて真顔で言うわけにもいかないし。


「……キャシーにとって、耳に好い話ではなかったね。

 その、リゼ君に起こるかもしれない万が一の話だとか、立場がどうだとか」


 彼は気まずそうに俯き、困ったように眉尻を下げた。

 互いの間に隠し立ては無しにするべきで、何事も話し合った方が誤解がない。

 それは彼の本当の気持ちを聞いた時に強く思った事だし、誤った方向に思い込んだり気を揉むくらいなら耳障りがどうだなど、カサンドラには一切問題ない。

 自分に都合の良いことばかり聞かされて「大丈夫だ」なんて言われるよりは、言いづらい事でも、互いの見解を把握するに越したことはない。


 まぁ、友人の恋愛ごとの相談などは本来恋人にすることではないかも知れないが。


 ――ただ、自分達は普通の立場とは違う。

 生まれが生まれゆえ、いつだって責任が付きまとう。

 特別であるということは、決して思うまま我儘に贅沢に生活して良いというわけではない。当然、恵まれた立場ゆえに制限されることもある。


 目の前の彼は――友人として共感し励ますべきか、それとも王子という立場で苦言を呈するべきなのか思い悩んでいるのだろう。

 適切な判断をしようのないカサンドラに、つい愚痴めいたことを零してしまう程。


 恋なんかしたことが無いからジェイクの気持ちは分からないと言っていた王子。

 だが今は”分かっている”からこそ余計にどう接していいのか分からない。




「……やっぱり、ジェイクにかけるべき言葉が浮かばない。

 共感と言ったところで……根本的に違う。

 結局、私は――キャシーがレンドール家の令嬢だったことを幸運に思っているから」



 状況が変われば、立場も変わる。

 本来のゲームとは真逆と言える状況にカサンドラも戸惑っていた。そして事情は知らずとも、彼も友人を羨むべき立場ではないことに困惑しているのかも知れない。



 こちらを立てれば、あちらが立たず。 


 儘ならないものである。





「おーい、アーサー。

 カサンドラも、そろそろ時間だぞ」



 教室の窓が急に開き、ひょっこりとジェイクが顔を出す。

 丁度今まさに彼の事でしみじみと今後を憂いていた状態だったので、同時に二人ギクッと肩を震わせた。



「すぐに行くよ。

 すまない、ジェイク」


 王子が返事をすると、彼は「毎朝毎朝、良く飽きないよな」と呆れたような顔でガラス窓をぴしゃりと閉める。

 それは彼なりの精一杯の嫌味だったのかもしれない。




「それに――ジェイクはあまり我慢が強い方ではないと思う。

 進退窮まったらどういう行動にでるか、私にも分からないから。

 ……このまま平穏に過ごせれば、皆にとっていいことなのだろうけどね……」


 彼はポソッと囁くように小声で呟く。


 キレやすさで言ったら、そりゃあ三人の内で直情径行なのはジェイクだろうが。

 キレてどうなるわけでもないだろう。


 それに昨日だって普通にリゼと楽しそうに話をしていたし、追い詰められているようには見えなかった。



 大袈裟な言い方だなとカサンドラは感じた。




 卒業まで二年近く残っている。

 まだまだ先は長いのだ、今すぐ急に何らかの変化が起こるとは思えない。

 王子が心配し過ぎではないかな、と多少なりとも呑気に捉えていた。





 自分達には時間が残されている。

 もっともっと、沢山、楽しい思い出を作っていける。



 お互いの関係性も、自然な形で変わっていけるはず。


 





   そう信じて 疑っていなかった

 


  


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