第399話 <リゼ>


 ……リゼは今、大変困惑していた。


 事情は理解できるのだが、何故自分も一緒に!? と、激しく疑問が湧き上がって現実を認識するまでしばらく時間がかかった。



 急に朝、ジェイクに「放課後時間あるか?」と言われて二つ返事で頷いたものの。まさか王子とカサンドラのカフェデートに自分が同行することになるなんて思わなかった。

 この四人で行動する機会は決して少なくないので、慣れて来たと言えば慣れた――はずなのだけど。


 リゼはチラッと、通路向かいの二人掛けの席に座る王子とカサンドラを一瞥する。

 日常的に着用し、見慣れているはずの白い制服がキラキラと眩しく輝いて見えた。


 こんな一般人が利用するようなカフェに、なにゆえこの国の王子とその婚約者様がいるのであろうか。

 あまりの眩さに目がくらみそうになり、リゼは目と目の間をぎゅっと指先で抓んで瞼を閉じる。


 彼らが自由に二人だけで外出できない立場だということは今までの経験からよく分かっていたことだけれど。

 それに逐一付き合わされるジェイクも大変だよなぁ、としみじみ思う。


 彼らの護衛とは言え、まさか二人に同席するわけにもいかないだろうし。

 想像したらリゼだって嫌だ。居心地が悪いどころの騒ぎではない。

 露骨に邪魔者過ぎる。



 他に腕が立つ男子生徒でも一緒に同行すれば良いだろうに、とは思う。

 しかし護衛の対象は次期国王陛下のアーサー王子とその婚約者であるカサンドラ。


 学園に通う誰もがお近づきになりたいとその機会を虎視眈々と伺っていると言っても決して言い過ぎではない。

 誰に声を掛けるか考えた際、後々問題になりようがない同級生のリゼをピックアップするのも、素で面倒くさがりそうなジェイクの考えそうなことである。


 その役得、恩恵にあずかっているのが今だ。


 王子がカフェに!? しかも例の――シンシアの親御さんが経営する、あのデイジーが裏工作をしたあのカフェに!?

 と生きた心地がせず心臓がバクバクと音を立てている。


 去年、小細工を弄してジェイクを引き留めたのは誰あろう自分である。

 カフェの店長に話を通し、王子とカサンドラを引き離すことに成功し、ジェイクとも相席の機会を得るというデイジーの発案がしっかり填まった一日だったのだけれど。


 再びこの店に、ジェイクと向き合って座っているという事実に、リゼは何故か居たたまれなさを感じてしまうのだ。



 とは言え、勝手に過去を思い返して汗を流しているのはリゼだけだ。

 ジェイク達はそんな裏工作など知りようがないだろうし、知っていても知らんぷりをしてくれているだろう。


 気にしない事にして、前回と同じように適当にメニューを注文。

 緊張で乾いた喉を水で潤し、ようやく人心地ついたリゼである。




「何かいつもお前を巻き込んでて、悪いな」


「いえ!?

 そんなことないです、どうせ私、放課後暇ですから!」


 正面に座って話しかけてくるジェイクを目の前に、リゼは慌てて両手を横に振った。

 カサンドラと王子のデートが「本題」なのだとしたら、ジェイクはそのおまけの護衛。そして自分はジェイクの暇つぶしと言うか、時間つぶしのおまけの相手。


 昨日の家庭教師のアルバイト以外で、こうやって彼の傍に堂々と存在できると言うのは嬉しい。

 彼に初めて会った時から一年以上が経過したけれど、去年よりも半年前よりも、今の方がずっと彼に対する想いが強くなっている事にも気づく。


 ……玉砕覚悟で告白する事も恐れる程。

 万が一でも、この親しくなれた関係に罅を入れたくなくて、このままの状態が自分にとってベストなのだと思い込んでいる。


 こうやってクラスメイトとして親しく接することが出来る期間も、あと二年を切ってしまった。

 出来る事なら卒業の最後まで、彼に気軽に接してもらえる女子生徒でいたいと思う。


 そして願わくば卒業後も、傍に――



「お前さぁ、前も言ってたけどホントに騎士団関連の職に就くつもりなのか?」


 彼はやや言いづらそうに、突然リゼに声を掛けて来た。

 奥歯にものが挟まったかのような言い方に、リゼも思わず顔を跳ね上げて彼の顔を見つめる。

 横からでも大概整った顔立ちをしているというのに、正面近くでハッキリと両目に捉えると正視できないくらい格好いいので本当に困る。


「そのつもりですけど」


「あー……

 お前をここまで焚きつけといて言うのも難だけどさ。

 ほら、あのエレナだっけ?

 あいつみたいに、フツーに文官志望じゃ駄目なのか?」


「最初はそのつもりでしたけど、でも私は剣に携わった職に就きたいって思ってます」


 というかジェイクと同じ職場で働ければ下働きでも何でもいいのだが。

 一緒に行動が出来る可能性があるとすれば、参謀補佐官が一番可能性が高いだろう。フランツから教えてもらった。


「いや……

 やっぱさ、騎士団って忙しいし。割と危険って言うか、最近妙に色々あってお勧めできないって言うか」


「覚悟の上です!」


「女が入るのは結構しんどいと思うぞ? 周りは野郎ばっかだし」


「今もそんなものじゃないですか」


 リゼは眉を顰め、抗議の意味を込めて彼を見据える。

 今だって剣術講義ではジェシカ以外の女性と一緒に活動する事など無いし、男子生徒ばかりだ。

 騎士団もそれくらいの男女比率だという事くらい大方予想がつく。


「文官職より狭い門だぞ?

 もし受からなかったら、折角学園卒業したってのに勿体なくないか」


 いきなり自分の目標を否定されると、流石に相手がジェイクであっても口が尖りそうになる。

 勿論彼は彼なりにリゼの進退、将来のことについて気遣ってくれているのかもしれないが。

 学園卒業後もジェイクの傍にいたいと思っているから立てた目標なのに、当の本人から辞めた方が良いと言われて胸がざわめかないはずがなかった。


「その時はその時考えます!

 試験の事は私もある程度考えてますよ。

 騎士団って魔法が使えたら採用に有利なんですよね?」


「あーーー……

 成程、だからお前魔法講座もとってんのか」


 実際に魔法の講義を受けるキッカケは一年前に受けたカサンドラのアドバイスであった。

 当時は何故魔法なんか習わなければいけないのだろうと不思議でしょうがなかったが、今となっては受講していて本当に良かったと思う。

 魔法の講義も実技もリゼには興味深く楽しいものであったし、何より魔法が使えることは実戦で大変有利だと聞く。

 魔法の才能がある者の多くは宮廷魔道士や魔法研究の分野に流れて行ってしまう。

 騎士団関係者が魔法を使えるのはかなり融通が利くというアピールポイントになるのだ。


 剣術、座学、馬術、そして魔法。

 これらを高い水準で試験で発現することが出来れば、狭い門でもこじ開けることが出来ると自分を鼓舞する。

 ただ座学の試験を受けるだけよりも幅広い分野に手を出さなければいけないが、壁は高い方が登り甲斐があるというものだ。


「ジェイク様が入学前に騎士団に合格できたのって、やっぱり魔法が使えることも大きかったんですか?」


「どうだろうな、合格基準は担当官じゃないから知らんけど。

 ま、魔法は使うなってシリウスから釘刺されてるし、使ったのがバレたら物凄く面倒なのは皆知ってる。

 俺の場合、合否にあんまり関係ないような気もする」


 そう言えば以前、魔法の威力が強すぎるから禁止されている、魔法の講義も出禁だったっけと思い出す。

 魔道士の魔力が強ければ強い程、魔法の威力は増すということは分かるが……

 出禁になる程って、よっぽどだ。


「魔力が強いって、どういう感じなんですかね?」


「ん? 見てみるか?」


 彼は口角を持ち上げ、ニヤッと笑う。


 魔法を使ってはいけないと言われているのに?

 まさかこんなカフェ店内ど真ん中で、一体禁じられているどんな魔法を使うと言うのだ。

 リゼは顔面が青くなりかけたが――


 そんなリゼのことなど一向に気にする様子もなく、ジェイクは両の掌をテーブルの中央に突き出した。

 まるで天井から漏れてくる雨垂れを受け止めるような仕草で静止する。


「………。」


 ジェイクは僅かに歯を食いしばる。

 何もない、空気しかないはずの空間が――僅かに揺らいだ、気がした。


 存在していない「何か」を大事に抱え上げるようなジェイクの姿勢。

 本来なら何も視えない、知覚できないはずだ。


「あ!」


 彼の掌の上に渦巻いているのは、彼自身の”魔力”だ。


 人間は自分の内にある魔力を操り、精霊石と呼ばれる触媒でその力を増殖・制御させることで精霊たちから力を貸してもらう事が出来る。

 その効果こそが魔法だ。

 火の弾を打ち出したり、嵐を巻き起こしたり――

 普通の人間には不可能な事を、精霊の力を借り受ける事で可能たらしめる。


 逆に言えば、魔力そのものは単体では意味をなさない。

 どれだけ強大な魔力を放出しようと、言わば”精神力”を無理矢理外部に表出させただけなので現実に及ぼす影響力がない。


 ”声”をいくら張り上げても目の前の岩を砕くことは出来ない。

 腕をまくって”筋力”を誇示しようとも目の前の焚き木に火をつけ燃やすことは出来ない。

 身体の機能はそれぞれ、正しく使ってこそ意味をもつ。


 魔力は、魔法という形になって初めて意味をなす。


 そこに在るということは知覚可能だが、ジェイクが魔力を掌に集中させたところで何かが破壊される事はない。


 ポカンと呆けた表情で彼の掌と、彼の顔を交互に見遣る。


「魔力ってさぁ、一人一人特徴があるっていうか、性質が違うらしいんだよな」


「そうなんですね」


 言われてみればその掌の上に感じる”力”は、自分のものとは全く違う気がする。

 ビリビリと空間が軋み、揺れた。

 肩を竦めてしまったのは、本能的に異質な差を感じたからか。


 こんな強い魔力で魔法を行使したら、山一つを消失させる威力も出るのだろう。

 制御が難しそうだとも思った。


 フッと彼が緊張を緩めると、彼の掌の上に漂っていた魔力が霧のように掻き消えた。

 確かにリゼにも視えないけれどもそこに在る、と知覚できるほど大きな魔力なのか。

 

 一人一人魔力の性質が違う。

 自分は一体どんな感じなのだろう。


 リゼは同じように両の掌をテーブルの上に乗せ、いつも実技で行うように――手の先に向かって神経を集中させる。

 本来は表出した魔力をそのまま精霊石に集中させ、それを触媒にして魔法を使う。

 こうやって何もない虚空に自分の魔力を出してみるのは慣れないことだった。


「へぇ、石がなくてもそこまで集中できるのか」


「……。結構、難し……」


 目標対象物もない状態で、精神力という無形の力を表出し続けるのは存外難しい。

 感覚的なものだ。


 すぐに均衡を崩し、固定化できずにふわっと掻き消えてしまった。


 さらさらと、指の間から集中力が漏れていくような錯覚に陥る。

 ジェイクは簡単にやってみせたのに、自分の未熟さに思わず唇を噛み締めたくなった。


 あんな軽い仕草だけで、他人のリゼにも知覚できるような魔力を表出できるのは凄い事なんだろう。


「はは、一年かそこらで補助もなくそこまで制御できるなら立派なもんだろ。

 才能はあるんだろうな」



「魔力をどうこうって、講義の中でしかチャレンジしたことないんですよね。

 これなら自室でも練習できるかも?」


 魔力をコントロールするのは、精霊石の補助が無いと出来ないものだと思っていた。

 もっと自在に制御できるようになれば、精度の高い魔法を使うことも可能では?


「やめとけやめとけ、魔法関係は何が起こるか分からん。

 お前のことだから限界ぎりぎりに挑戦して気絶しそうだしな。

 精神削れるから、体にいいもんじゃないだろ」  


 もう一度楽しそうに笑いながら足を組み替えたジェイクだったが――




「あのぅ、お客様……」




 すぐ近くから、大変戸惑いをはらんだ声が聴こえてリゼは肩を跳ね上げ視線も上がる。


 先程注文したケーキセットを丸いトレイの上に置いたまま笑顔を引きつらせる店員と目が合ってしまった。

 完全に不審者を見る視線である。



「こちら、置かせてもらっても宜しいでしょうか」



「……。

 はい、オネガイシマス」


 つい恥ずかしくなって、顔を背けながら愛想笑いを浮かべた。

 そーっと、テーブルの上に乗せた両手を引っ込めながら。



 空の両手で何かを掬いあげるような恰好で止まっていた自分を第三者の自分が俯瞰する。





  はたからは、テーブルの上に両手を掲げ、何かを念じている怪しい二人にしか見えんわ!





 ※





 彼はカフェで甘いものを食べるという習慣がないので、コーヒーを飲みながら普段通り変わらず話しかけてくれる。


 先ほどは魔法の話になったが、フランツから受けている週末の乗馬の訓練や弓の指導やら、さっきまで一緒に参加していた剣術講義の話やら。会話の内容には事欠かず、彼と話をしているとあっという間に時間が過ぎる。


 緊張はしているが、以前ほど露骨に身体が動くということもなくなったし少しは慣れて来たのだろうと思う。





 ふと、ある疑問がリゼの胸中にフッと射し込んだのだ。


 通路を挟んだ向かいの席のカサンドラと王子は、ごく普通にカフェでお茶――デート中である。

 それはそれは、どこからどう見ても仲睦まじい親しい間柄にしか見えないロイヤルカップル。

 

 羨ましいとか憧憬という感情をこえた、もはや自分にとっては別次元の光景だった。



 しかし――

 何も知らない第三者の視点で見ると、今の自分とジェイクは彼らと全く違うようには見えないだろう。

 本質的にはただのお付きの人、護衛だが他人の目から見れば光景に大きな差はないと思う。



 ……見ようによっては、これはデートの範疇ではないか。

 イメージがそう思い至ると、一気に気恥ずかしくなる。

 彼にそんなつもりはないと分かっているが、どうにも落ち着かない。



 普段からカサンドラに気を配ってもらっているおかげか、彼女に関することでよくリゼはジェイクから声を掛けられる。

 それは自然な流れだと思っていたが……


 カサンドラに関わらない事でも、そう言えばジェイクと一緒にいる機会が増えたなと振り返る。



 以前からの約束だったとはいえ、この間も一緒に遠乗りに行けたし。

 家庭教師だって続いているし、彼の家を借りて様々な便宜を図ってもらっているし。



 彼は誰に対しても優しいし気さくだからそういうものだろうと思っていた、が――

 まだ正式な婚約者が決まっていないという事情もあろうが、彼は特定の女性に対して親しい態度をとらないよなぁ、とも気づく。


 一番彼と話してる女子って自分なのでは?

 よくよく考えれば、それって……何故?




 ……いや、いやいや。


 それはない・・な。


 今、特殊な環境だからこそ、勘違いをしてしまっただけだ。


 ”そんなことがあるはずがない”。


 



 彼が自分に好意を――それも友情ではない想いを抱いてくれているなど、想像するだけで彼に対して失礼ではないか。




 心の中にぽつっと出来たしこりから目を背けるように、リゼは話を続けた。









     いつまでも ”このまま” なんて


     都合の良すぎる話だと、本当は分かっているのに




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