第398話 カフェデート
――あまりにも唐突で、全く予期せぬ事態に遭遇してしまった。
「キャシー、今日の放課後は空いているかな?」
発端は王子の質問であった。
進級してからというもの、特に変わり映えのない日常。
週明け月曜日も特に目立って記憶しないといけないような出来事も生じず、ただただ”平穏”という言葉の意味を噛み締めて生活しているカサンドラ。
ともすれば表面上、何の問題も無さ過ぎて緊張感が抜けてしまうような日々が続いている。
毎朝王子がカサンドラに声を掛けて話をする光景も、一月も経てばすっかり皆当たり前のように気にしなくなっていく。
人間の慣れという感覚はなんと恐ろしいものだろうか。
あれ程蜂の巣を
当のカサンドラも、最初程心臓が飛び出るような驚きはなくなった。
朝から王子の爽やかで眩しい姿を間近で見る事が出来て眼福だと思えるほどには、余裕が出て来たようだ。
そんな新しい日常の中で、王子が自分の放課後の予定を聞いて来た事にカサンドラは少し身構える。
のほほんと怠惰な日々を暮らしているつもりはないが、最近の自分はどうも危機感が足りない気がする。
尤も、危機感を持てと言われたところで漠然とした王宮に入ってからの身の危険に限定されている現状、具体的な行動を考えることは難しい。
とりあえず父に出された『宿題』のテーマを決めるにしても、キャロル達との交流を深めていて悪い事にはならないとお茶会の準備を粛々と進めているくらいか。
一つ一つ、目の前に提示される突発的なイベントを
この先に起こることなど、最早自分には何一つ分からない。
知らない未来へ向かって舵を切ったこの世界に、自分の前世の記憶など一切役に立たないのだ。
後は自分の頭で考えて、皆が幸せになる未来を描きそれに向かって行動を起こす他ない。
――まぁ、普通、人生ってそういうものだけど。
これから絶対に起こってしまうバッドイベントを回避する、なんて一度しかない人生の中で一回でも経験する方がおかしいわけで。
未来に何が起こるか知っているなんて、普通の人間が持っていい能力ではない。
そんな人生はさぞ詰まらないだろうなぁ、とも。
先に何が起こるか分からない、月並みではあるが”だから楽しい”のだと思う。
そして何が起こるか分からない――王子の変貌ぶりは、カサンドラを今なお大きく動揺させてくるのである。
「時間があるなら、放課後カフェにでも一緒に行こう」
あまりにも軽やかに王子に提案され、カサンドラはしばらく”カフェ? そんな単語は知らないなぁ?”と一瞬記憶喪失になりかける程驚いた。
王子とカフェという単語は無縁というか、本来結びつかないものなので連想出来なかったせいだ。
※
「きょ、今日はお誘いいただき、ありがとうございます……」
カサンドラは正面に座る王子にぺこりと頭を下げた。
若干挙動不審気味に周囲の様子を見渡し――その視点移動中、ある一点でピタッと静止してしまう。
自分達のテーブルの通路を挟んで隣、ジェイクとリゼも一緒に向かい合って座っていたからである。
要は、放課後待ち合わせをして四人で一緒にカフェまでやってきたというだけの話なのだが。
完全にリゼも「???」と頭の上に疑問符を並べて浮かべ、その困惑ぶりを如実に物語っている。
「なんだか懐かしいね」
正面に座る王子の言葉に、すぐに向き直って姿勢を正した。
『懐かしい』。
カサンドラにとって、シンシアの実家ゴードン商会が経営する
三つ子と一緒に何度か足を運んだ事もあるし、たまにデイジーに声を掛けられて放課後話をすることもあったので。
静かで雰囲気の良いブラウンを基調にデザインされた店構え、出てくる軽食も普通に美味しいのでお気に入りのスポットとも言える。
だがこのシチュエーションが懐かしい、と言われればそうだなぁ、と感じてしまう。
王子と一緒にこの喫茶店に来たのは去年の一学期。
街の散策に行こうと誘われ、その時もジェイクと一緒に行動していた事をふと思い出していた。
あの頃は、むしろ自分の方が付き添いというか無理矢理同行してもらっている、という若干の疎外感を抱いたものだ。
ジェイクが同行してくれたから、一緒に行動できる。
それは去年も今日も変わらないことだった。
街を独り歩きできない王子にとって、ジェイク一人がいればそれで事足りるという状況は大変気楽なのだろうとも分かる。
今日も学園帰りの放課後カフェが実現したのも、護衛名目でジェイクが同行してくれたからである。
……いや、ジェイクはジェイクでいつものようにリゼに同行を要請するきっかけになるので、双方ウィン・ウィンの関係だろうか。
ここまで利害が一致するのは面白い。
「本当は二人だけでと思ったのだけど。
君に護衛もなく出歩かないようにと言った手前、自分は例外なんて言えないからね」
彼は少し残念そうに、苦笑しながら隣のテーブルを一瞬だけ視線を遣った。
少なくとも、カサンドラ一人でいるよりよっぽど王子の身の方が何か起こる確率は高いだろう。彼の方が重要人物だ。
もしも二人一緒に無防備に歩いていれば――最悪の場合カサンドラが捕まってしまい、そのせいで王子まで動きを制限されて一緒に拉致連行、という最悪の事態に発展しかねない。
王子一人でいるより、彼にとってよっぽど危険な状態に陥る可能性が高い。
護衛など要らないとジェイクに言わしめる程腕に覚えのある王子、彼一人なら暴漢に襲われても撃退できるだろうに……自分がいれば足手纏いになって余計な足枷が増えるだけ。
そうなってしまったらカサンドラは無事に逃げおおせたとしても立つ瀬がないし、自分の無力のせいだと自身を苛むだろう。
転ばぬ先の何とやら、王子はやはり慎重である。
念のため敵対勢力と”戦える”人間が複数いることに越したことはない。
何人もずらっと店内に騎士を待機させて一挙手一投足監視されるよりは、互いの目的のために協力できるジェイクを「使う」のは理に適っている。
勿論、カサンドラもリゼが自分と同じで、予期せぬ事態に直面しているがそれが嬉しいことに変わりはないという気持ちが我が事のように分かるので。
自分が王子と一緒にここに座っている事で、彼女の幸運にも繋がるのなら双方善し! という誰も傷つかない素晴らしい取引である。
「まさか王子がこちらに誘って下さるとは思っておらず、とても驚きました」
適当に注文を終え、人心地着く。
一緒に下校と言うだけでもドキドキものだったのに、今度は講義の終わりにカフェでお茶でも、なんてどういう風の吹き回しだろうか。
しかも彼らが普段使用している安全安心の餐館ではなく、一般のカフェに誘われるだなんて。
まぁ、クラスメイトの親が経営している店で危険な組織とのつながりがないことは事前調査でハッキリ分かっていること。
過去の経験上、足をのばしやすかったという理由はあるだろうが。
「――学生らしい事をしてみたいと思ったから」
学生らしいこと?
普段同じ教室で授業を受け、日常的に顔を合わせる特異な学園という空間で共に過ごしているのに。
「私は放課後、王宮に所用で赴くことも多い。
君と一緒に過ごせる時間も思うようにとれるわけじゃない」
「仕方のない事だと承知しております」
「王宮内でも急ぎの案件が良く舞い込むようになってきたこともある。
まぁ、それは私だけではないけれど」
彼が父親である国王に大変厳しい教育を受けている事は聞き及んでいる。
愛の鞭かも知れないが、彼は王子が実権を三家から奪還し本来の王権を取り戻させようと躍起になっている節があるようだ。
多忙だ忙しいと言っているのに、カサンドラと頻繁に行動していたら「遊んでいるだけじゃないか」と思われることも考えられる。
他人の目を気にするのも彼らの仕事の一つだ。王族のような立場の人間にとって、何よりも気にしないといけない体面に関わる。
「それらの問題――多忙だという事は、卒業したら解決するものだと分かっているつもりだ」
彼の静かな言葉に、一度胸が大きく高鳴った。
今は親の庇護のもと貴族の令息令嬢として、また家業を継ぐものとして、優秀な官吏候補として、学園で知識を身に着けている学生達。
こうやって広い大陸各地から同じ場所に集って過ごせる期間はとても希少だが、責任を負う大人になるための
卒業すれば道を
もしくは、立場や居場所が変わる。
特に女生徒は婚約者と婚姻するための準備に入るケースが多い。
……何らかの邪魔だてが入らなければ、カサンドラも普通に婚約者の王子と結婚することになるわけで。
レンドールには滅多に戻れなくなるだろう、アレクはカサンドラが卒業した二年後に新入生として王立学園に入学するから頻繁に会えるだろうか。
生活環境がガラッと変わってしまう。
王子は学園卒業を以て正式に王位継承者、王太子の称号を得る。
今現在は仮に国王が退位するとしても、他の成人済みの王族が卒業までの期間代理で執政を行うとのことだ。
そんな空白、玉座に穴が開く制度で良いのかと思っていたが、何の事はない。
実際に権力に握る三家にとって、国王が誰であれ、何であれ、些末で変わらない問題なのだ。
王妃が”空位”でも問題に思われない程度には、彼らにとって王族なんて誰でも務まるものという認識なのだろう。
――逆に、自分達にとって不都合ならば躊躇わず排除できる程の存在。
「危険を伴うものだから、事情を知らないカサンドラを巻き込みたくない」と頑なに遠ざけようとしていた王宮に、自分は輿入れすることになるわけだ。
王太子妃という単語が脳裏に過ぎるが、まだまだ全く現実とは思えなかった。
どんな生活になるのか、もはや御伽噺の世界だ。
「でも、学生時代なんて今しかないものだ。
一度くらい、こうやって放課後のカフェでデートをしてみたかった。
……ずっと思っていたんだよ」
彼はそう言ってにこっと微笑んだ。
嬉しそうに、蒼い瞳をキラキラと輝かせるその明るい表情にカサンドラは胸が詰まる。
この国で誰よりも恵まれた立場であるはずの人なのに、結局のところ普通の人が普通に得られるような”日常”とは無縁。
自由もなく、一人で行動するなど以ての外だと行動範囲を制限され、いつも何者かの監視下に置かれている。
いつも他人の視線に晒されると言うのはストレスだろう。
こうやって何の変哲もない誰でも訪れることが出来る場所に来るだけでも言い訳や手順が必要だったわけだ。
「放課後ではありませんが、去年も一緒に訪れましたね」
今となっては何もかも懐かしい。
あの日はデイジーとリゼの計らいによって、同行していたジェイクを引きはがすように二人きりにしてくれるというとんでもないイベントが盛り込まれていた。
王子はあれを偶然の産物だと思っているかも知れないけれど。
二人でゆっくりお茶の時間を過ごせたのは、あれが初めてだったんじゃないだろうか。
「そうだね、あの時は驚いた。
いきなり
「わたくしもです」
千組目のカップルだか何だか知らないが、あれよあれよという間に奥の二人掛けの席に通されて。
周囲の視線が恥ずかしかったけれど、王子と一緒に話すことが出来て嬉しかった。
思いがけない幸運だと思っていた……が、やはりあの日店内にいたデイジー達の差し金だったのだろう。
「あの頃は、君が噂で聞いていた人とは全然違うという事に驚いていた。
あまりにも普通……――常識的で優しいお嬢さんで、私にとっては好ましい女性のようだと思っていて……
こちらも非常識な態度をとるわけにはいかないと悩んでいた頃だったかな」
思わずゴホゴホと噎せそうになった。
やっぱり今の自分が干渉できない、昔の自分の噂話を思い出すと暴れ出したいくらい恥ずかしくなる。
だけど彼が一年前の事を振り返ってそんな思い出話をしてくれるとは思っていなかったので、カサンドラも興味深かった。
他人行儀で、見えない壁を感じていた王子。
踏み込めない”何か”を感じ、無理矢理突撃するようなこともなく、彼を追い詰めるような極端な行動に出なくて良かったと思う。
良く言えば慎重、悪く言えば臆病な自分の性格が功を奏したことは幸運だった。
「王子。
一度だけでも……など仰らないでください。
また一緒に参りましょう。
今度はラルフ様やシリウス様にも声を掛けたら、きっと喜んで同行して下さるのではないでしょうか」
彼らとお茶だ食事だとなれば、どうしても大仰に餐館に連れられて「気軽さ」とは程遠い。
三つ子にとっても慣れない緊張を強いられる空間にいるよりは、行き慣れたカフェの方が気持ちも楽だと思うし。
王子は虚を突かれたかのように瞠目していたが――
すぐに優し気に瞳を細め、「そうだね」と頷いた。
平和な日々。
穏やかで、満ち足りた日々は卒業するまで……いや、勿論卒業してからも続くのだ。
だから今日限りだなんて言わないで、いつでも来ればいい。
彼もそのつもりだったかも知れないが、一度だけでも、なんて言われたらそれを意地でも否定したくなってしまうというものだ。
きっとまた、ここで楽しい時間を過ごそう。
自分達だけでなく友人も幸せなら、それもまた自分にとって嬉しいことに違いない。
どうせ自分達のような立場だ、二人だけで堂々とお出かけが出来ないのなら、今更それを嘆いても仕方ない。
遠慮なく周囲も巻き込もう。
どんどん自分が図太くなっているような気がしたが、しょうがない。
ゲームのように、自分達だけが悪者になって成敗される未来も
彼らの想いが叶わず不幸になって、自分達だけ幸せな未来も
どちらもカサンドラは御免だ。
皆幸せじゃないと嫌だと思う。
自分がこんなに欲張りだったことに、今更自覚し苦笑いだ。
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