第397話 <リナ>
王子やシリウス達が普段食事や休息のため、王都内の各地に所有し共同で使用している
いつでも、どこにいても彼らは自由に出入りでき、使用人も常識の範囲内で使うことができる。
庶民の自分からでは考えられない贅沢だと思われる。
実際、便利には違いない。
彼らはその身分上気安く外で食事を摂ることができないので、こういう場所が無ければ一々自宅や学園寮に引き返さなければいけない。
それに所用で遠方に赴くことも多い。
自由に使える安心できる餐館は彼らにとって、もはや必要不可欠の施設なのだろう
――とは言え、四人が皆信用し合え、親しい仲でなければまず実現は不可能だったはず。
互いに対立派閥として三つ巴状態というにしては、彼らが仲が良いことが奇跡であるように思える。
王子の求心力のお陰なのだろうか。
リナはシリウスの紹介――斡旋を受け、点在する餐館の一つで毎週日曜日メイドとしてアルバイトを行っていた。
毎週御三家の誰かが訪れるというわけではないのだが、王都内で最も中心、アクセスしやすい場所に建っている一際大きな建物がリナの仕事場所である。
シリウスだけではなく、ジェイクやラルフ、そして王子もたまに食事のためにふらっと訪れる。
いつやってくるのか前以て連絡があるわけではないので、屋敷の中は常に一定の緊張感に保たれていた。
お客さんと連れ立って赴き相伴するというケースもある。
前以て来訪の予定が聞かされているなら用意も容易いが、全く予期せぬ時間帯にやってくるとバタバタと使用人達も慌ただしく動き出さねばならない。
空白の時間の方が長いということもあり、屋敷の中で常時待機している使用人は必要最低限。
住み込みの宿舎を使用している者に緊急招集をかけて切り盛りしなければいけない事もある。
この屋敷の責任者はかなり手慣れた執事が采配を行っており、リナは普段彼らの指示に従って動くことになる。粗相があっては一大事なので、アルバイトの一日が終わると大抵、疲労困憊状態だった。
応接室の調度品、用途不明の大きな壺を一心不乱に磨くリナ。
もしもひっくり返して割ってしまえば賠償金だけで一生が消えてしまいかねないので、慎重に――
布巾でキュッ、と取っ手を磨き元の位置に戻した後、リナは苦笑を浮かべた。
『一生』、か。
何百枚もの金貨を用意しろと言われても自分には無理だ。
だが自分の感覚が正しければ、リナはこの学園生活を延々と繰り返し何度も何度も同じ時を過ごしている。
仮に今日、賄いきれないような莫大な負債を背負っても、学園を卒業したらやり直し全部無かったことになるのだろうか?
そんな風に考え、自嘲してしまったのだ。
このまま未来に向かいたいと真実願っているのに、心のどこかでは諦めにも似た自虐的な想いに蝕まれる。
――入学式の日まで、戻される?
雲を掴むような、要領を得ない話だ。
本当に自分が”繰り返し”ているのかさえ、証拠があるわけでも誰かに論理だてて説明できるわけでもない。
ただの思い過ごしや勘違いと一笑に付されたらそこまでだ。
空想癖のある、ちょっと頭の弱い子扱いで終わってしまうだろう。
全ては感覚。
誰にも言葉で伝えられない、既視感。
今でこそ既視感を抱く機会も滅多にないけれど、生徒会に推薦を受けた時に大きく感じたあの”またか”という気持ち、絶壁から突き落とされたような絶望は誰にも分からないだろう。
折角、今まで体験した事のない世界で未来に繋がっているのだと信じていた一年間が灰燼に
嬉しいはずなのに、喜べない。胸に刺さった棘は今も時折、チクチクとリナを苛んだ。
ああ、駄目だ。
もっと楽しいことを考えよう。
リナは首を横に振って、窓の桟を掃除するためゴシゴシと擦り始める。
昨日シンシアと一緒にカサンドラのために新しいティーセットを選んでいる時は本当に楽しかったなぁ、とリナは頬を綻ばせる。
シャルロッテやキャロル、ミランダやカサンドラ達の雰囲気に合う、可愛くてファンシーな柄の磁器を探すのは存外難しかった。
無地でシンプル、高級感あふれるものならカサンドラの家にいくらでもあるだろうから、子供っぽくない程度に可愛い品を選別するのは骨が折れた。
何せゴードン家は、シンシアの母の趣味でカフェをいくつか経営している。
そのため、搔き集めれば広いホール一室全てを埋め尽くす勢いで――仕入れた食器が数え切れない程揃ってしまったそうだ。
全部の柄を確認するだけでも目が回りそうな量!
そんな中を掻き分け、一緒に選んだ色違いのティーカップをカサンドラが気に入ってくれればいいのだけど。
ああでもないこうでもない、とシンシアと一緒に目移りする様はとても新鮮な気持ちで満たされていた。
カサンドラに関わることだからだろうか。
去年の夏のお茶会の時も、植物園見学の時も……
全く既視感を抱くことのない大きなイベントを過ごせた時は、いつもカサンドラが関わっているような気がしてならない。
それは大きなイベントごとだけではなく、日常の様々な場面で感じている事である。
今の状況から助けて欲しいと思う時、一番に脳裏に思い浮かぶのは彼女の事であった。
だが、助けて欲しいと窮状を訴えたところでカサンドラも困るだけだろう。
シンシアには「言わないと分からない」と励ますことは出来たが、言っても分かってもらえないことだって世の中には沢山あるはず。
世界の全てが自分にとって親切で優しいものではないことくらい知っている。
都合の良い事ばかりではない。
言ったところで理解されないと最初から諦めてしまう――
「リナさん。
シリウス様がお見えになったと報せがありました。
本館へ行きますよ」
「……はい、分かりました!」
壁掛け時計は丁度十二時を回ったところだ。
外出の途中、昼食をとりにきたのだろうとリナも足音を立てないように、でも急ぎ小走りで先輩メイドの後をついていく。
「まぁ、そのペンダントはどうしたのです?」
先輩メイドが目敏くリナの胸元に光る、
普段アクセサリーで身を飾る事はないリナだが。
「こちらは先日、友人からいただいたものなんです」
ティーセット選びに行った時の帰り、シンシアからお礼にとプレゼントしてもらったものである。
小指の爪ほどもない小さな石だが、本物の宝石だ。
とても自分の身で購入できるものではなく当然最初は断ったのだけど、折角リナに似合うと思って用意したと言われては受け取らないのも悪い気がした。
銀色のチェーンに吊られ胸元を飾ってくれるペンダントに、リナは指先でそっと触れた。
「良く似合っていますね」
「ありがとうございます」
こんな装飾品を着けてきて、と叱責を受けるかと思っていたが特に咎めは無かった。
彼女達もこんな宝石など普段から見慣れているので、価値観が完全に自分とは違うのかも知れない。
そんなやりとりを軽く交えながら廊下を歩くと、既にシリウスは食堂に向かったらしく給仕役がせかせかと行き交っているのが見えた。
自分も手伝わなくてはと厨房に向かう。
ふと、彼の姿が脳裏を過ぎった。
眼鏡の位置を直すため、指先でクイッと押し上げているいつもの姿で。
まだ彼に挨拶もしていないのに、フッと彼の感情の見えづらい
――シリウス、か。
自分の目的のため、どうにか足掻く手段を調べるために近づいた男性、クラスメイトである。
彼が当初自分など眼中にないということは、分かっていた事ではあるものの……焦燥感ばかりを生んだ。
シリウスの視線はいつも自分ではなく、自分を通した先のリゼの方を向いていた。
彼はああいうしっかりハッキリとした気が強い女性が好みなのだろう。
特に成績が自身に肉薄するくらい良く、勉強が好きというか向学心が高いところに興味を持っていたようだ。
近づきになろうと思っても、自分など全く視界の中には入っていない。
何とかして好印象を持ってもらうためには、カサンドラの言う通り勉強を頑張るのが一番の早道だったと今でも思う。
去年の今頃は何故かラルフに興味を抱かれていたようで大変困っていたということも、付随するように記憶の縁に浮かんだ。
リタが物凄く自分に対してモヤモヤしていたのは分かっていたが、どうすることもできなかった。
自分がリゼに抱く感情と少し似ていたのだろう。
何も近づく努力をしていないのに、自然と相手に気に入られるというのは”ズルい”と感じてしまう。人の持つ感情までは、押し殺せない。
夏前頃まで、恋愛の話は一切しないようにしよう! とリゼが言い出した事は有り難かった。
相談も何も、あんな訳のわからない一方通行だらけの関係で進展があるとも思えなかったので英断だ。
――要するに姉達も、ただの憧れというだけではなくて本気で好きになっていったのだということか。
互いに傷つけ合いたくない、嫌な感情を抱きたくないから距離を置けたのは良かった。
あれは身内だから出来たこと、もしもリナリタリゼの三人がただの友人だったら、その友情は取り繕うことも出来ず瓦解していた可能性すらあっただろう。
そういう点でも環境には恵まれていたなぁと思う。
尤も、その頃自分は彼女達と違って純粋な想いではないということが良心の呵責で苦しかったのもあって、自縄自縛状態。
姉達とは違い、ただ彼に気に入られなければいけないと焦っていた当時の自分を思い出す。
ずっと彼に対して後ろめたさがあった。
その時に抱いていた彼への想いは焦燥感だけだ、と。
リナはずっと思い込んでいた。
――それが”違った”のだと自覚したのはいつだっただろうか。
ああ、植物園の時か。
今思い出すと、キュッと胸が締め上げられる。
彼はあの日とても器用に、植物園の管理人であるゼスが用意してくれた花で冠を作っていた。
黙々と、せっせと花の茎を編む姿にリナはとても吃驚したものだ。
この人にそんな趣味が――思いもよらない一面があったのかと目を丸くした。
既視感を一切湧かず、シリウスのこんな姿を見たことがある
知人に教えてもらったのだと、恥ずかしがるでもなく淡々と作業をこなす彼は案外器用だ。
力が余り過ぎて花自体を潰してしまうリタやジェイクの姿を思い出せば、絶妙な力加減でとても完成度の高い花冠を作ってみせたことは驚きである。
その真剣な横顔に、絶え間なく動く指先に、隣に座っていた自分は何故かいつも以上に凄く緊張していた。
上手ですねと褒め称えるくらいしか出来なかったが、それは彼に気に入られたいからではなく心の声が勝手に出てしまったようなものだ。
シリウスがその時選んでいた花は、赤やオレンジなど、ハッキリとした色合いばかりだった。
黒づくめの彼とは対照的なカラーの選択を微笑ましく思っていたのだけど。
『折角ここに来たというのに怪我をした上、手ぶらで帰るのも散々だろう。
リゼ・フォスターに渡してやってくれ』
彼が花冠を作っていたのは、他でもない。
怪我をしてその場にいられないリゼのためだったのだ。
――そのショックは想像以上にリナの心を抉った。
彼はリゼの事を気に入っている、それは分かっている。
下心で、利用するために彼に取り入ろうとする自分が見向きもされないのは当然だ。
理屈では分かっているのに、泣きたくなるくらい悲しくて。
なんでこんなに悲しいんだろう。
当たり前のことを受け入れられないんだろうと突き詰めて考えた時、初めて自分の気持ちに気が付いた。
”今の自分”しか知らない、過去の自分が会ったことのない彼。
新鮮で驚きに満ちた側面にずっと触れてきて、いつの間にか本当に好きになっていたんだなぁ、とその時初めて気づいてしまった。
あまり思い出したくない記憶であるが、思い出として考えるならかなり印象深い一日だった。
植物園というキーワードを出したのは自分だが、まさかそんな提案が皆に受け入れられるなんて想像もしていなかったし。
息が止まるショックが再びリナを襲ってくるので、普段は思い出さないようにしているけれど。
あの日、自分の気持ちに気づいたのは疑いようのない事実である。
※
「…………え?」
リナは厨房に入る一歩手前で、立ち止まる。
皆、急に石像のように硬直し、動かなくなったリナに驚いているけれども多忙と言う渦中だ。
心配そうに声を掛けるだけで手を足を動かし、自分の持ち場に急ぐ使用人達。
だが今、リナは他の事を考える余裕がなかった。
さっき、自分は何を考えた?
――普段は思い出さないようにしているけれど
思い出そうとすれば、思い出せる……?
全てを”忘却”することは難しい。
人は自分の過去の印象深い事を、自然と覚えているものだ。
普段はそんな過ぎ去った昔の記憶を逐一思い出して余韻に浸るような場面は少ないし、過去の記憶が日常の生活の邪魔をすることはない。
人は記憶の取捨選別をしながら自然と生きていて、記憶と今現在を混同することはない。
過去と現在は地続きの”世界”であるものの、物理的に行き来が出来ない以上、ある意味では別世界とも言える。
過去の世界へ行くには
記憶を遡れば、当時の場面を反芻できることも多いだろう。
いつも自分は、既視感を抱く度に嫌だと思った。
忘れたい、と思った。
真っ新な自分で、自分だけの人生を歩きたいのだ、と。
でもそうやって思い出したくないと過去の記憶に蓋をしているのが他ならぬ自分で、普段抱く既視感は――
”思い出したくない”と嘆く自分が蓋をして抑え込んでいる記憶。抑えきれずに溢れた残滓が影響し、発生するものだと仮定するならば。
自ら《・・》思い出そうとすれば、思い出せるのではないか?
今、リナが任意に植物園であった去年の記憶を、意図的に脳裏に呼び起したように。普段は思い出したくなくて眠らせているけれども、当時の出来事を色を纏わせ蘇らせることも人間はできるのだ。
過去の自分がどうであったか。
果たして過去、この学園で何が起こったのか。
今より”
自分が望めば、記憶の蓋を開ける事が出来るのでは?
ドクン、ドクン、と心臓が波打つ。
そうすれば――
自分が何度も”繰り返している”という他人に上手く伝わらない現実が、未来予知と言う形で説明可能になるのでは?
記憶が蘇れば、それが正しければ、誰かに信じてもらえる……?
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