第396話 生徒会の依頼


 王宮演奏会の”付き添い”が終わった翌日。

 予想外のことで楽しい時間を過ごせた幸運を感じていた。

 リタが自分の名前を挙げてくれたおかげだが、案外ラルフも自分の事を信用してくれているのかも知れないと思え、直截に嬉しかった。


 王子の傍にいる時間も一年前より多くなり、自分の中で時間制限や焦り、未来の見えない不安を抱えなくて済むのはとても心が穏やかな状態だ。



 


 朝食を済ませた後、その場で先日の出来事をアレクに報告しつつ、姉弟団欒の一時を過ごしていた。

 何故か最近アレクは以前ほどの元気がないというか、何か思い煩っているような気がしてならない。

 とは言え、行動に変化があるわけでもないし、本人が悩みを抱えている雰囲気を醸し出しているわけでもない。


 これはただの姉のカンとしか言えないのだが、もしかしたら人知れず悩んでいることがあるのだろうかと心配になる。

 尤も、自分に何かできる程度の悩みであればアレクは自分で解決するだろうし。

 カサンドラには言えないと思っているなら、自分が出しゃばって根掘り葉掘り悩みを聞き出すのもまた彼の決して低くないプライドを傷つける事になるのではないか。


 何かあったか? と聞くのは容易いかもしれない。でも結局具体的な内容が想像もつかないのでいくらでもはぐらかされてしまう。




 根拠はなく、ただの”カン”だ。

 文字通りの勘違いという可能性も大いにある。


 ただ何かあった時に備え、相談しやすい雰囲気を作るために。

 昨日の演奏会の報告という形でアレクと歓談の時間を作っている。


 和やかで穏やかなスローにさえ感じる時間の中、言い出しにくい事を言えるキッカケになるのではないか。


 急に呼び出して相談をするのが難しいのなら、こちらから積極的にアレクに話しかけるべきだ。

 この間体調を崩してからだろうか、何となく彼の瞳は精彩を欠いているような気がしてならなかった。

 あくまでも普段通りの日常を過ごしているのに、カサンドラは不思議でしょうがない。


 ――あの王子の弟だし。


 一年近く、――いや、それまでもずっと本心を誰にも悟られる事無く平然とした態度で過ごしていた王子の実の弟。

 血の繋がっているアーサー王子の事を思えば、悩み事があっても隠し通してしまえそうだ。

 カンとは言え、様子に違和感を抱いた自分は案外観察力がついたのではないかと思ったのだけど……



「ラルフさんって、好きな人が出来たら凄いですねぇ」


 うわぁ、とアレクは半ば呆れたように言い放った後、瞠目した。

 あまり王宮内で接点がなかったとは言え、兄の親友である。

 彼らの事はアレクも懐かしく思えるようだ。


「ええ、わたくしも驚きました」


 女性に対する接し方、扱いは王子のように限りなくスマートな人だ。それは特定の誰かを特別扱いしないかわりに、平等に接する。

 少なくとも自ら望んでトラブルの種を撒くような人ではない。


 それが今や、舞踏会で一目見て決めた女性と婚約し、彼女のために自身が作曲した曲を捧げるなんて中々彼の人物像とは結びつかないだろう。

 まぁ、実際に彼の恋愛ルートに入った時のイベントを思い返せば――

 どちらかというと今が彼の本来の姿という気がするけれども。


 そんな風に王子の幼馴染の現状なども交えて彼と話をしていると、来客の知らせがカサンドラのもとへ舞い込んできた。



「申し訳ありません、アレク。

 クラスメイトがいらっしゃったようなので、そちらに向かいますね」


「もしかして例の三つ子です?」


「違います、シンシアさん――ベルナールの婚約者ですよ」


「ああ、あの方ですか。

 では僕も挨拶に行きましょうか」


 アレクは記憶を手繰り寄せた後、頷きながらそう言った。


「お会いしたことがあるのですか?」


「去年の暮れ、レンドールに帰省していた時にベルナールさんが一緒に挨拶に来たんですよ。

 その時に僕も同席していたので」


 そう言えばそんな事を言っていた気がする。

 あのベルナールがまさか王立学園で素晴らしいお嬢さんを嫁候補として連れて帰ってくるなど全く思っていなかった関係者一同、顎を落とすくらい驚いたのだとか。

 結婚の裁可を判断する父のクラウスも、別にどんな娘を連れてこようが好きにすればいいと何も考えていなかったそうだ。

 だが思いの外普通の良家のお嬢さん過ぎて、二度見三度見の驚愕模様。


『ベルナールがあの娘をだまくらかしているのではないだろうな?』


 と一言呟いたのがアレクも印象的だったという。

 万が一カサンドラが無関係なところで二人が交際を始めて突然紹介されたら、十中八九父と同じ感想を抱いたに違いない。


 ホントに”あれ”で良いのか? とシンシアに問いただしたい。

 シンシアがベルナールの好みのタイプであることは想像に難くないが、シンシアにだって選ぶ権利があるだろうに……


 一度面通しした事もある上、シンシアと一緒にベルナールも同行し着いて来たらしいのだ。


 猶更アレクも一緒に行くことに不都合があるはずもなく、彼女達を待たせてある応接室に二人で向かった。



「シンシアさん、何のご用でしょうね」


「先週依頼していたものをお持ち下さったそうです」


「そう言えばそんな事言ってましたね。

 ……クラスメイトを働かせ過ぎた結果、レンドール家の評判を下げないでくださいよ?」


「失礼な事を言わないでください、杞憂です」


 仕事が早く正確な事に、シンシアはお願いしていたお茶会用のティーセットを彼女自ら持ってきてくれたらしい。





 ※




「シンシアさん、この度は無理なお願いを聞いて下さってありがとうございます」


「とんでもないです!

 昨日、リナさんと一緒に仕入れ品や商店を見て回って、とても楽しかったですよ」


 にこにこ笑顔のシンシア。制服ではなく、リボンのついた可愛らしいワンピースを着る彼女は満足の行く商品選びが出来たのか機嫌が良さそうだ。

 対照的に、彼女の隣で不調法に足を組んで不満そうな顔をして口を尖らせているのがベルナールである。

 ソファの裏に片腕を回し、こちらへの不機嫌アピールを欠かさない。


「ベルナール、貴方一体どうしたのです? そんな顔をされるとこちらも良い気持ちになれませんが」


 彼はむすっと口を「へ」の字に曲げた後苦虫を嚙みつぶしたような顔をした。

 深い青色の髪と瞳の持ち主は、その顔の美醜がどうこうというよりも彫りの深さがまず目立つ。

 その顔で睨まれると落ち着かない。


「……だーってさぁ!

 折角の土日、シンシアとどっかに出かけようと思ってたら!

 昨日はリナとか言う同級生とお前ん家の茶会用の食器選び?

 で、今日は納品があるって言うからよー」


 彼はブツブツと恨み言をカサンドラに解き放つ。


「あら、それは……

 申し訳ないことをしましたね。

 普段からずっと一緒なので、そのくらい気にならないかと思っていましたけれど」


「………。

 ふ、普段は学園だし、寮だし。

 そんなに頻繁に会ってるわけじゃないし」


 彼はシンシアの視線に気づき、ぷいっと顔を逸らした。

 シンシアと一緒にいたいがために、この納品作業にも自ら志願してやってきたそうだ。


 恋人たちのデートの時間を邪魔して悪かったなぁ、とは確かに思う。

 とりわけ、ベルナールにとってはのっぴきならない状態なのだろう。



 何せ、シンシアに彼が同行しているということは”仲直り”したということだ。

 彼の事を傷つけてしまったと思い込んだシンシアが、距離を置くのではなく彼に以前より積極的になった結果だと言える。


 ベルナールはきっと大感激だっただろう事は、想像にかたくない。


 自分の失言が原因ですれ違った後、わだかまりが解けた週末だから……

 そりゃあベルナールからすれば一緒に出掛けたい気持ちが募っているに決まってる。


 だがカサンドラが仕事をシンシアに依頼してしまったせいで、貴重な休みが奪われた! とご立腹なわけだ。

 心の狭い男だと言うべきか、運のない男だと言うべきか。


 シンシアがどこかに逃げてしまうことなど無いと分かっているのに、心配性だなとも思う。



「あちらのテーブルにティーセットをお持ちしました。

 一緒に確認していただけますか?」


「後でじっくり拝見いたします。

 シンシアさんの選んで下さったものに間違いはないでしょう」


「そんな……

 カサンドラ様は私を買いかぶり過ぎです」


 シンシアは慌てて両手を突き出してわたわたと上下させるが、カサンドラの評価にはベルナールも得意げだ。

 うんうん、と訳知り顔で頷く。


「そうだろう、そうだろう。

 じゃあシンシア、もう用は終わったって事で、さっさと退散しよーぜ!

 他に用事はないんだろ?」


 彼は恐縮して顔を真っ赤にするシンシアの腕を掴んで、そのまま立ち上がらせようとした。

 そこまでカサンドラを邪魔者扱いしなくても良いだろうに。


「ベルナールさん、シンシアさんが痛がってます。

 落ち着いてくださいよ」


 完全にシンシアの事しか考えていない癖に、強引にき動くベルナールの盲目ぶりにアレクの冷静な声が突き刺さる。

 カサンドラが忠告をしても逆効果だが、彼はアレクには一目置いているのだ。

 自分よりも随分年下の窘める声には随分と従順で、すぐに彼女の腕の拘束を解き放つ。


「悪りぃな、シンシア。大丈夫か?」


「大丈夫だけど、そんなに焦って引きあげる必要もないと思うの。

 ……ね?」


「しょうがねぇなぁ」


 シンシアに直接言われ、何も言い返す事無く再び彼はソファにドカッと腰を下ろした。

 一分一秒でもこんなところに長く滞在できるか、と言わんばかりの剣幕だったというのに。


 猛獣使い、という言葉が一瞬脳裏を過ぎっていく。



「少しお待ちになって下さい。

 シンシアさん、実はもう一つお願い事が……」


 流石にこの雰囲気では言い出し辛い。

 しかし、例の話を通すなら学園内よりは外での方がゆったり落ち着いて話も出来るだろう。カサンドラは口火を切った。

 なんで自分がこんな役回りを……と思わないでもなかったけれど。


 元をただせば一年前の自分の言動が巡り巡って自分の元まで来た、一年かけてのキラーパスを受けてしまった以上「今更」な話である。

 当然、ベルナールは一気に気色ばんで怒鳴った。

 シンシアが口を開けるよりも早く捲し立てる。


「はぁ!?

 カサンドラ、お前ホントにいい加減にしろよ!? どこまでシンシアをこき使えば気が済むんだよ」


「わたくし個人のお願いではなく、学園の――生徒会からの依頼です」


 ぎゃんぎゃんと吠えるベルナールも、途端に勢いを失い口籠る。

 生徒会の現メンバーを頭に思い浮かべれば至極当然の反応と言えた。


 ほぼほぼ身内に近しい顔なじみのカサンドラには文句を言えても、御三家の跡取りやらこの国の王子に表立って逆らうアホではない。


「生徒会って……

 そんなの、猶更シンシアには荷が重いだろ?

 何の用かは知らねーけどよ、勘弁してやってくれよ」


 トーンダウンはしたものの、彼は心配そうにシンシアを見つめる。

 自分の彼女が他人に良いように使われるのは耐え難いという想いに違いはないのだ。


「私の事を心配してくれてるのは分かるわ。

 でも、私達が会えたのはカサンドラ様のお陰だし、相談に乗ってもらったり、いつもお世話になっているから。

 どんなお話か聞いてから考えたいの」


 獣が唸り声を噛み殺す。

 苛立ちと不安がまじりあった彼の表情から目を逸らした。


 ……いきなりとんでもない集団に目をつけられ、頼まれごとを失敗してしまったら、という心配が広がっているのだろうか。

 生徒会をどんな傍若無人な権力者の集いだと思っているのだろう、ベルナールは……

 元々反権力思想の根強い青年だ、特に半端者ゆえに身分制度に板挟みにあってきた彼にとっては嫌なものに見えているのかも。

 ジェイクとは個人的に親しくなったとは言ったが、それで他の貴族全てに好印象を持つわけではない。

 取り分け貴族らしからぬジェイクの性格だから、気が合っただけだろうし。



「お聞かせください、カサンドラ様。

 私に何か出来る事があるのでしょうか」


 

 カサンドラは例の貸衣装のデザインの話をシンシアにする。

 自分が発案者ではなければ、この役を請け負う責任を放棄していたかもしれないが……

 王子もシンシアの事を信頼してくれているし、一般の生徒である彼女が手掛けたものなら角が立たない、という理由もちゃんと説明した。



「お、王子の推薦……?」


 ベルナールはぎょっとし、顔を引きつらせた。


「去年わたくしのドレスのデザインをして下さったのがシンシアさんだと王子はご存知です。

 そのセンスを見込んでのお願いです、引き受けていただけるのならわたくしも嬉しく思うのですが、ご無理を強いたいわけではないのです。

 辞退されても全く差し支えありません、仰ってくださいね。

 学園内のことでシンシアさんに仕事の依頼を強要するのは決して本意ではありません」


 自分にない能力の持ち主だからと甘えすぎるのも良くない話だ。

 ベルナールと一緒に過ごす時間を意地悪で削り取りたいわけではない。


 だが――ベルナールの予想に反して、彼女は喜色満面で手を打ったのである。



「わぁ! 嬉しいです!

 是非! お引き受けします!!」



「シンシア!? お前、分かってるのか!?

 一着ならまだしも何着もって……結構大変だろ!?」


 完全に右往左往し、考えを改めさせようとする彼氏の言葉など全く耳に入っていないのか、完全にシンシアはやる気満々だ。




「リナさん達のイメージで服を作れるなんて、とっても楽しそうです!

 王子に難色を示されるどころか、名前を挙げていただけたなんて光栄の至りです、是非お任せください」




 完全に前のめりで、今すぐにでも溢れるイメージを紙に描きだしたいと言わんばかりに手を震わせるシンシア。

 カサンドラが想像していた反応よりもずっと上方向の反応に、ホッと胸を撫で下ろした。


 彼女が引き受けてくれるなら、シリウス達も納得だろう。

 引き受けてもらえたという報告が出来るなら、自分が何かいいことをしたみたいな副次的効果も得られる。


 

「……お前さ、それ……

 これから忙しくなるってことだろ?」


 ベルナールの声が僅かに掠れている。

 指を震わせ、隣で意気込むシンシアを指差した。


 だが普段控えめな彼女がこんなに意欲的でやる気満々なのだ。

 優しく柔らかい雰囲気のシンシアであるが、彼女も芯の強いしっかりした女性の一人である。

 一度こうと決めた事を軽々しく撤回することもないだろう。


 そういう性格を分かっているのか、ベルナールは早々に説得を諦めた。

 額を掌で多い、重たい重たい溜息を落とす。

 


「は~~。

 仕事と俺とどっちが大事なんだって聞きたくなるわ」




「はいはい、ベルナールさん。

 お仕事のお話もあるでしょうし、僕達は別室で待機しておきましょう。

 邪魔になったらいけませんからね」




 空気を読める少年アレクの有無を言わせぬ提案で、ベルナールはそのまま部屋から引きずり出された。

 本当に人の会話を口を出さずに良く聴き、その場に即したアシストをしてくれる義弟である。


 横からやいのやいの口を出してきそうな彼を部屋から追い出してくれたのは純粋に面倒が減って有り難い。

 アレクの助けになりたいと思っていたのに、逆に彼の気遣いに助けられるとは……



 ここまでお膳立てをしてもらったのだから、もう少し時間をもらって話をしよう。と、カサンドラは人知れず頷いた。




 もっと詳細な契約の内容を提示し、商会への正式な依頼の話もしなければいけない。




 シンシアの選んでくれたティーセットが近くのテーブルの上にずらっと並んでいる。

 それらを彼女と一緒に眺めながら話を続けるのも良いだろう。



 リナと一緒に選んでくれたというティーセット、今度のお茶会で皆が気に入ってくれればいいなと心が浮き立つカサンドラだった。


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