第391話 王宮演奏会へ
――ひょんなことから、王宮演奏会に招待されてしまったカサンドラ。
いざ誘われてしまえば楽しみでしょうがなかったその日を、ようやく迎えることが出来た。
ゲームの中で演奏会のイベントなんかあったかなぁ、と思い出そうと頭を捻る。
そう言えば、王宮ではなかったがラルフがヴァイオリンを弾く演奏会に参加というデートイベントはあった気がする。
ラルフ関係のイベントは彼のフラグの性質上、学園外がメインになってくる。
ドレスを着る機会も何かと多いし、他の貴族達や社交界に顔を出すようなイベントが多く発生する。
これはジェイクやシリウスでは学園生活中には滅多に生じないものなので、ファンタジー王侯貴族系恋愛ゲームの醍醐味と言えばそうなのだろう。
王宮での演奏会があった記憶はないが、ラルフ関係のイベントは優雅なものが多かったなぁ……と、ついつい郷愁に駆られてしまう。
現実の体感時間で一年以上が経過すると、個々のイベント詳細条件や内容も段々薄れてくる。
ある程度のキーイベントは、一年前記憶を思い出した際にメモ書きをしているけれども。鍵のかかった机の中にしまっているが、そろそろ処分するべきかもしれない。
持っていたはずの記憶が、次第に彼方へ消えていく。
そもそも一通り直感で初プレイを終えた後攻略情報をざっと検索して眺め、最後の方はいかに効率よくスチルやエンディングを回収するかという習性が出てしまう。
自力で見つけたイベント条件ならはっきり覚えていても、検索で見つけた”答え”
そのものはその場限りで忘れやすい。
……。
社会人ゲーマーとしてはしょうがないのだ。
全て手探りで条件を探し当てる総当たりする時間をそうそう用意できるものではない。
前世の自分が何をしていたのか、まるで夢から醒めた後のように茫洋として思い出そうにも思い出せなくなってきているのだが……
きっと以前の自分はそうだったのだろう、と想像がつく。
他人が集めた攻略情報に頼り切りというプレイになってくると、条件やフラグの管理などを忘れやすいという弊害が生じる。
現状、それが顕著に表れているのかもしれない。
尤も、今更イベントの事を思い出す必要はないかなぁ、とカサンドラは肩を竦めた。
シナリオという決められた道から逸脱した現状、ただでさえ朧気になっているゲームの内容と現状を無理にあてはめなくてもいいに決まっている。
意味がない。
気がかりなのは三つ子の恋模様、それだけ。
自分の手で彼女達の歩く道を大きな岩で塞いでしまったことが、ずっと心残りだ。
恋愛成就と言う”ゴール”に辿り着くにはう回路を探さなければいけないだろうし、何とか回り道をしてでも上手くいって欲しいものである。
自分と王子の幸せと引き換えに、彼女達が悲しむなんて嫌だった。
だが既に道標は手元にない。
果たしてカサンドラがどこまで介入して良いのかわからず手を拱いているところである。
恋愛の本質的な問題に他人が割って入ると、多かれ少なかれ
良い方向に作用したのがカサンドラにとってのシリウスやラルフなのかもしれない。だがそれは結果的に良かった、というだけであり。
偶然やタイミングの振れ幅次第でいくらでも吉にも凶に変わってしまう。
今日のように、リタに誘われた演奏会で細々と二人の仲が進展するよう手を回すことは余計な世話にもなりかねない。
せめて他に彼女が困る場面が無いよう気を配ろうと心に決め、カサンドラは王宮へ向かっていた。
棚から牡丹餅状態で王子と演奏会に誘ってもらえたので、出しゃばるつもりも最初からない。
その他大勢の観客に紛れ込みつつ、リタの傍にいるべきだともう一度確認して頷いた。
「……。」
光沢を放つシンプルな形の黒いドレスに身を纏い、馬車にいる。
カサンドラの膝の上に乗せられた掌、そこに光るのは大きなダイヤモンドが填められた指輪だ。
学園に填めていくわけにもいかず、こういう時しか飾ることの出来ない王子からの贈り物である。
事情が事情ゆえ、卒業した後自分の身が安泰でいられるかは分からない。
でも彼と一緒ならどんなことがあっても乗り越えられるだろう。
一人ではないという事の安心感や頼もしさからは、幸せな未来図しか想像できない。
自分を運ぶ馬車の車輪がカラカラと乾いた音を立てて大通りを進んでいく。
王都の中央に聳え、決して場所を見失うことのない目的地だ。
在学中、こんなに頻繁に白亜の宮殿を訪れることになるとは思っていなかった。
確実に変わっている世界を実感し、少しの不安と大きな希望に胸が満たされていく。
馬車はゆっくりと王城の中に吸い込まれてその姿を町から消していった。
※
広大な西大陸を治めるクローレス王国の中心、王城。
権勢を誇る夢のように美しい建造物の中に入っていく。
カサンドラを出迎えてくれた王子のスーツ姿に思わず声を上げてしまいそうになったが、それだけは懸命に堪えてカサンドラも微笑んだ。
顔の造りが良いというのは本当に得難い天からの贈り物なのだなぁとしみじみ思う。
だが彼の場合は生まれ持った造作だけではなく、ただそこに立っているだけでも気品が感じられるし風格も感じられる。
そういう雰囲気が全て合わさって今の『アーサー王子』という存在を彼足らしめているのだ。
外見だけそっくりさんが現れたとしても、絶対にそれだけでは彼の替わりになんかなれないだろう。
「ごきげんよう、王子。
お出迎えいただきありがとうございます」
「よく来てくれたね。
休日も君に会う事が出来て嬉しいよ」
爽やかに笑んで言い放つ彼の言葉にドキッとする。
もしも一年前同じ状況に陥ったとしても、彼は社交辞令として……婚約者に対する礼儀だからと今と同じような言葉を使って出迎えてくれただろう。
あらためて、戸惑いをおくびにも出さない沈着冷静な彼は凄いのだと思う。
でも実際に彼の本心を知って以降の彼の言葉は、同じ単語選びのはずなのに全く違う印象を受ける。
去年はずっと、それは社交辞令? 誰にでも言える言葉? と王子の意図を探っていたものだ。
だが感情が伴う彼の挙動は、疑いを持ちようがないくらい嬉しそうだなぁ、と伝わってくる。
「ラルフ達は先に着いているよ」
カサンドラは演奏会がどこで行われているのか知らないので、王子に先導してもらわなければならない。
きょろきょろとお城の様子を眺めるのも田舎者丸出しだ。
極力控え、王子の隣を歩いていく。
ごてごてした盛装も王子にはしっかり似合うのだけど、飾り気のない黒いスーツ姿もこの上なく良く映える。
実は彼自身が発光していますと言われても信じてしまうだろう、抜群の煌めきを背に負っている王子。
それでもお城務めの人間は王子の存在を見慣れたものとして、驚く様子もない。
一緒にいる時間がもう少し長くなれば、一々動揺しなくても済むのだろうか。
王子と軽い世間話を交えながら、カサンドラは目立たないように周囲や道順を確認する。
「私は生まれた時から馴染みのある場所だけど、キャシーは滅多に来るところではなかった。
また城内を案内する時間も欲しいね」
踏みいれたことのない領域、全く知らない王城の区域。
自分が今まで見て来た場所は、ほんの一部でしか無かったのだと思い知っている最中のカサンドラ。
そんな自分を見かねたのか、王子がやんわりと提案してくれた。
「……面目ございません」
有難い申し出のはずなのに、自分の不見識を見抜かれた気がしてカサンドラも流石にきまりが悪かった。
この王城の敷地内だけでも村や町程度の広さがあるし、城壁の内側にいれば籠城も十分可能だと思われる。
全てを把握するのは一体何か月かかるのやら。
毎年王宮舞踏会が開かれる大ホール、その更に奥の回廊を進む。
途中には庭園がいくつもあり、そのどれもに季節の花々が咲き誇っていて目にも鮮やかだ。
「さぁ、もう着くよ」
王子が指差した先に、大きな円柱状の建物が見える。
――オペラ会場としても使用される音楽ホールからは微かに楽器の音が響いていた。
大理石でできた表面がつるつるの床タイルの上を滑らないように注意を払って歩く。
ホールの中は完全に暗幕で覆われていて暗かった。
等間隔に通路に設置された光石の光源を頼りに歩いていると、ようやく目が暗さに慣れて来たようだ。
以前観劇のためにシャルローグ劇団を訪れた事を思い出す、そんな建物の中。
中央の社交界に殆ど顔を出していなかったツケが回り、積極的に挨拶できる知人もいない。
王子が傍にいてくれるので不安な想いは一切ないけれども。
やはり活動を学園内だけに終わらせず、リタではないが貴族達の出会いの場に顔を出すべきかなと思っていな最中。
慣れ親しんだ人影が視界に入り、自然と声を掛けていた。
「ラルフ様。ごきげんよう」
ホールの後ろ側を歩く自分達の前に――王子に負けず劣らず輝く容姿の持ち主がサッと現れた。
薄暗がりの中でも彼の存在感に僅かな陰りは見当たらなかった。
「……そしてリリエーヌさん。
お会いできて嬉しく思いますよ」
ラルフの傍でにこにこと微笑むリタにも声を掛けてみる。
前回の晩餐会の時にも思ったが、緊張でガチガチに固まることなく自然な微笑みを浮かべるリタの肝はかなり据わっていると思う。
素の演技力が高いのだろうか?
どちらにせよ、「気品を持て」と言われて一朝一夕で持てるものではない雰囲気という漠然とした目標を達成するのは辛かっただろう。
それに向かって一心不乱に一年間身を投じて来たリタの振る舞いは決して付け焼刃とは言えない。
彼女の
それがラルフのためと思えば真っ向から挑戦する、恋に生きる乙女のパワーは凄い。
「もったいないお言葉、光栄です」
仄暗い会場内でも、彼女の笑顔で周囲に花が咲き乱れそうだ。
普段元気いっぱいの張り上げた声とは真逆であるものの、はっきりと聞き取りやすい控えめな発声は耳に心地よい。
「ではリリー、僕はエドガー達に挨拶に行ってくる。
彼女がいるから特に問題ないだろうし」
いつのまにか愛称で呼んでいるラルフ。
だが
流石に言いがかりにしか思えないクレームなので、言葉には出来そうもない。
「――。
はい、大丈夫です」
婚約者を連れ歩いて紹介して回るのも彼の立場では当然のことだろうが、何せ現状は”仮初の婚約者”。
いずれ関係が解消されること前提のリタを見せて回るわけにもいかないのだろう。
ラルフは王子と僅かに言葉を交わした後、首の後ろで一つにまとめた髪を左右に揺らしながらその場を去っていく。
綺麗な金糸、髪先がふわっと視界の端に浮かび上がって一瞬意識を奪われた。
男性だというのに長い髪なのはレアケースだが、やはり美形がするとサマになる。
そう言えば――自分達四人は皆、金髪だった。
一言で金の髪と言っても、カサンドラの髪は少し濃いストレートのロングヘア。
王子は明るい金の色で、つやがある柔らかそうな髪質で。
ラルフは王子の色に似ているが――彼よりも質が硬めに見える。
そしてリタは金髪のウィッグを被っているが、蜜色のふんわりとしたウェイブのかかったロングヘア。
元の髪をそのまま伸ばし、脱色したら実際にこんな髪型になるのかも。
益体のないことをを考えていると、リタがこちらに近づいてきた。
黄色を基調としたフレアドレスは彼女にとてもよく似合う。このままの装いで聖アンナ生誕祭に参加してもおかしくない。
彼には用のないものだろうし、このままプレゼントしてあげたらリタには貸衣装など要らないのでは……
いや、無理か。
ラルフとしては他人にバレてはいけないのでご法度。
それに大貴族の彼の常識では、一度着たドレスを着まわすなんて論外中の論外に決まってる。
「今日はリリエーヌさんのおかげで、わたくしも招待に与ることが出来ました。
ありがとうございます」
ヴァイル派の集まり、彼らの領域に自分から望んで足を踏み入れる事はない。
そのはずだったのだが……思い起こせば、アイリスという先輩を通しヴァイル派のパーティに集まってばかりな気がする。
それでも個人的な接触にならず知人が増えない、社交界での立ち回りは難しいなと感じる要因か。
若い相手ならともかく、年配で意見番という立場の重鎮と顔を繋ぐのは根回しが必須なのだろう。
――王子の婚約者とは言え、地方貴族レンドール侯爵の娘ということで結構警戒されていることも大きいか。
リリエーヌとは二度目の邂逅ということで、できるだけ親密な空気を出さないようによそよそしい会話を続けるのは結構神経を使う。
彼女の正体を知っている以上、とんだ茶番だ、とふと我に返って恥ずかしくなる瞬間を乗り越えなければいけない。
演技は難しい、少なくともカサンドラにその才能はないのだろうな。
しばらく和やかに話を続けた。
勿論込み入った話や学園内での”リタと共有している”出来事を話題に出すわけにもいかず。
もっぱら話はこの間のケンヴィッジ邸での晩餐会のことに終始していたのだが。
「カサンドラ様」
「何でしょう」
「同じ指輪を前回の晩餐会にも着けていらっしゃいましたよね」
「ああ、これは……」
自然と反対側の手が、カサンドラの指を飾る装飾品の表面をなぞる。
「王子からいただきました」
自分達の会話に混じってくることは無かったが、王子はすぐ傍に立って周囲の様子を伺っている。
こんなところで知らぬ女性に話しかけてくる人間もいないだろうが、王子が傍にいるだけでも余計な詮索から守られているような気がして安心できる。
リタにとってもアウェイの地だが、カサンドラだって未知の場所だ。
王子がいてくれて有難いといつも以上に思う。
「婚約指輪ですか?
最初は宝石の大きさに驚いたのですが、デザインが凝ってカサンドラ様にとてもよくお似合いだったことを思い出しました。
素敵な指輪、羨ましい限りです」
王子の目の前で素直にそう褒めてくれるリタ。
当然彼も悪い気はしないわけで、”リリエーヌ”に対する印象もきっと上がったはずだ。
王子はリリエーヌがクラスメイトだということを知らない……と思う。
果たしてラルフの婚約者がどんな相手だろうと気になっている中で、さらっと好感度を上げていくのは流石乙女ゲームの主人公……と、カサンドラは内心で
にこにこしているリタが扮するリリエーヌ嬢。
だが、そんな彼女に横から軽くぶつかってくる者がいた。
とんっと、彼女の体が横によろめく。
わざとはそうでないのか傍目には分からず、カサンドラは足元が覚束ないリタの体を慌てて腕で支える。
目も慣れてきたが、この薄闇。
足元がふらついてよろめくこともあるだろうし。
「………おっと、失礼」
そう言って――中肉中背、糸目の青年は何でもない事のように声を掛けてくる。
見た事のない青年だった。
正直に言うなら、意地が悪そうな顔と言うか……
腹に一物も二物も抱えていそうな黒さが雰囲気に漂っている。
とても失礼なことだ。そんな印象を抱いたことに自分でも吃驚した。
だがあのケンヴィッジの三姉妹よりももっともっと――歪曲した悪意を隠しきれていないというか。
そして彼の隣、腕に手を掛けて並んで佇む女性には……どこか見覚えがあるような。
既視感?
ゲームの中で見たことがある、というそんな直感を抱いて目を何度も瞬かせるカサンドラ。
「さぁ、席に向かおうか。
クレア」
連れの女性への呼びかけの声で、思い出す。
線の細い、たおやかな淑女――間違いない。
……ラルフのお姉さんだ。
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