第390話 一年越し



 四月中の役員会は入れ替わりの時期なので何かと忙しい。

 ――だが今年、加えて来年に限って言えば役員幹部の入れ替わりが全くないことが決まっている。


 そのため去年の新幹部役員総入れ替えで、勝手の分からなかった頃の会議と今は全く様相を呈していた。


 役員会の最中にブレイクタイムまで設けるという余裕が炸裂しているくらいだ。


 全員一斉に役員が変わるのは混乱の元だが、同じメンバーで二期も三期も続けられるのは心理的にも情勢的にもかなり負担が少ないのだと分かった。

 去年の今頃は、カサンドラもアイリスがいなかったら果たして生徒会という集団に馴染めたかどうか全く自信がない。


 本当に彼女の存在は大きかった。

 自分が入学することで幹部から外されてしまったというのに、全く気にすることもなく丁寧に引継ぎしてくれたことを思い出す。


 カサンドラの勝手でお茶汲み雑用の生徒を断ることにして、毎回会議の飲み物を準備をすると決めた時だって当然のように手伝ってくれたことも。

 今まで生徒会に女子生徒がいなかったから嬉しいと微笑んでくれた彼女は、例え彼女が下心云々と言おうが女神様としか思えなかった。

 

 自分が彼女のように振る舞えるとは中々思えないが、友人の一人であるリナが学級委員、つまり生徒会役員として一緒に活動していく事になる。


 彼女に不都合がないよう気を配らなければいけないだろう。


 尤も、気を配る必要がないくらい――新体制の役員会議はゆったりほのぼの状態なのだけど。


 会議が始まる前。

 皆より早めに生徒会室にやってきて、彼女と一緒にお茶の準備をする時間は楽しかった。

 リナの存在があるからか、シリウスが無意味に不機嫌オーラを発しなくなったのも雰囲気改善に大きく寄与していると言える。


 元々彼は言葉の足らない人で、自分が考えていることは他の人も分かっているだろうと知らずの内に思い込むきらいがあった。

 幼馴染同士なら気軽に後で確認出来たり、容易く足りない言葉を察することができる。


 だがそうでない自分達には叶わぬこと。議論の中で置いていきぼりにされるシーンが多々あった。

 見かねた王子が補足を入れてくれたことも何度か。

 普段口を挟まない王子の声が聴けるのは、そういう時くらいしかなかったのだが……


 リナの存在は思った以上に自分達にとって潤滑油的存在のようだ。

 そしてシリウスだけでなくラルフもジェイクも、彼女に対して悪く思われるような行動はとらない。

 主人公の一人だということもあるのだろうが、彼女の困り顔は結構な破壊力があるので出来るだけ避けたいと思ってしまうのだ。

 ……三つ子で同じ顔の作りなのに、そんな想いにさせられるのはリナだけかも知れない。

 不思議な事である。




 ※


 



 役員会さえ終われば、一週間の学園活動がひとまず終わりとなる。


 学生だろうが働いている身だろうが、休みの前日というのは心がウキウキ弾む人が多いだろう。

 カサンドラもその例に漏れず、既に気分は週末の王宮演奏会に飛んでいた――のだけれど。


 生憎、今日はすんなりと役員会後に帰宅できない事態が生じてしまった。


 滞りなく役員会も終わり、穏やかな雰囲気のまま学級委員たちが生徒会室を後にしていく。

 もう今日は用事もないからリナと一緒に帰宅しようと思い立ち、声を掛ける寸前のことだ。向かいの席に着席したままのシリウスが、先にカサンドラを呼びつける。


「帰宅は少し待ってもらおう、カサンドラ。

 これから幹部のみで話し合うべき懸案事項がある。

 急な事で悪いが、少し残ってもらいたい。……問題はないか?」


 こんな土壇場になって言われても、とカサンドラはリナの方を一瞥する。

 彼女はこちらの邪魔にならないようにと思ったのか、慌ただしく皆に続いて部屋を出て行くではないか。


「お疲れさまでした、皆様良い週末をお過ごしください」


 ペコっと頭を下げて退出するリナ。

 無情にも、扉は閉められた。


 折角今週はこれで終わりだと思っていたのに、予定外の残業状態にカサンドラもガッカリである。

 ただ、シリウスだって決して悪意をもって邪魔をしようと声を掛けたわけではない。

 リナと共に下校できる絶好の機会を不意にしたのは彼も同じ。

 


 話し合いがあるのだからしょうがないと、内心舌打ちをしているのかもしれない。



 たかが一学園の生徒会の役員会――と言えないのはカサンドラも一年を通して実感してきたことだ。

 学園に通う優秀な生徒、良家の子女たちに素晴らしいと思ってもらえるようなしっかりとした運営実績が自分達には必要だった。

 もしも不真面目に過ごしてトラブルでも発生したらシリウスの将来、進退問題にまで発展しかねない。


 カサンドラが放課後が潰れてガッカリだ、なんて彼らにとっては極めて些末な不満ごとだろう。

 問題が発生したなら、どうにかするのが自分達の仕事。

 

 腑抜けかけた気を引き締め、カサンドラは頷いた。



「ええ、シリウス様。勿論大丈夫です」



 それに王子も幹部、当然話し合いには同席する。

 少し帰宅時間が遅くなるが、その分王子と一緒にいる時間が長くなると思えば帳尻合わせにもなる。



「ところで、一体どのような問題が発生したのでしょう」



「別に問題と言うわけではないのだがな、早い方が良いだろう」



 シリウスは憮然とした表情になり、眼鏡の縁に触れる。

 リナがいなくなった途端にいつもの仏頂面とはあまりにも分かりやすすぎませんかね、とカサンドラは心の中で呟いた。

 言葉に出しても楽しい事にはならない。




「話と言うのは他でもない。

 生誕祭に関わることだ」


 一度席を立っていたカサンドラは、再び椅子に座って足を揃える。

 ジェイク達は既に着席したまま、カサンドラの様子をじっと見ているようで……何とも言えない不穏な雰囲気に、つい気圧された。


 カサンドラがいなくても決定できることなら、彼らは事後承諾と言う形でこちらの承認を得ていたはず。

 蔑ろにされていると言われればそうかも知れないが、既に決まったことならああだこうだと気を揉むこともなく結果をいち早く知れるポジションに収まることが出来たとも言える。


 この雰囲気は、まるでカサンドラの『意見』が必要なのだと言わんばかりの圧力プレッシャーをひしひしと感じていつもと違う気がした。


 じんわりと手に汗を握り、シリウスの発言を聞き逃すまいと耳を傾け喉を鳴らす。


 生誕祭は六月、まだまだ猶予がある。

 だが一旦準備を始めたら忙しくなるのだろうなぁ、と今から落ち着かない。

 去年のように合奏の練習をしなくて済むのだから、フルート特訓事件が起こらない事だけは確かだ。


 去年に引き続き、今年もアレクにフルートの特訓に付き合ってくれなんて言えたものではないので心から安堵する。


 それに今年はラルフの独奏ではなく、外部から歌い手を呼ぶことになっている……はず。

 その伴奏、そしては歌い手はラルフが伝手で呼ぶから彼以外は演目の内容にノータッチ。


 王子が合奏すると言ったのは去年だが、今年は流石にそんな提案はしないだろうし。


 一体カサンドラのどんな意見が必要だと言うのだ……?


「生誕祭に着用するドレスのことだ。

 去年、話に出た事を覚えているか?」


 ――?


「え? ……は、はい。

 勿論覚えておりますが」


 危ない危ない。

 反射的に「はぁ?」と怪訝そうな声を出してしまうところであった。

 シリウスだけならともかく王子がいるところで見苦しい姿は見せられず、疑問符だらけになりつつも大人しく頷く他なかった。


 生誕祭のドレス……か。


 視線を斜めに上げて去年を思い出した。


 三つ子が生誕祭に着るドレスがなくて制服で参加するはずだったことがまず思い浮かぶ。

 幸いデイジーにドレスを貸してもらえるということでそれは避けられたのだけど。


 当時は三つ子が着るドレスが無い、と聞いたこの三人が物凄く失礼なことを話していたなぁ、と少し遠い目をしたくなった。

 時間が経つのは早いものだ。


 彼らが気になっていた相手は、一年後の今、それぞれ違っている。

 完全に主人公達に攻略されている最中なわけだ。

 隔世の感とはこのことか。


 それは彼女達の前向きな頑張りの成果だ、心変わりとも違う。

 実際、自分と同じように趣味や興味、努力の方向を自分達に寄せてくる姿を目にしたら……攻略対象、いやジェイク達だって気にならないわけがない。


 一年間かけて真っ当な手段で順調に彼らの心をわしづかみしたことを実感し、カサンドラは全く関係のないところで一人で感動していた。


 しかし現状に喜んでばかりもいられない。

 そのドレスの件が今年はどうだというのだ?



「去年お前から提案があったことだ。

 家の事情で盛装出来ない生徒のために貸衣装を学園側で準備してはどうか、と。

 生憎去年は立ち消えとなったが、再び検討することにした」


 シリウスは淡々と話し始める。



 事の発端は、リナが生徒会に入ったことに起因する。

 特待生とはいえ生徒会役員の一員、制服ではなく盛装した方が良いだろう。


 役員の服が制服だったり他の生徒の借り物なのは格好がつかない。

 生徒会に入ったリナのため、衣装を学園側から用意するべきではないか、と。シリウスがラルフとジェイクにも意見を通そうと試みたそうだ。

 だが彼らにとってはあまり歓迎できる提案ではなかったらしい。


 同じ三つ子でクラスメイトのリゼやリタは特別待遇は出来ないのに、リナだけ学園の予算を使って盛装を準備するのは不公平なんじゃないか、と二人の同意は得られなかった。


 無理に通そうとするなら、リゼやリタのために彼らは自費で用意しかねない――そんなジェイクとラルフの雰囲気を察知したシリウスは考えを一度撤回しなければいけなかった。


 生徒会の予算を使えばリナ一人分のドレスくらい無理なく仕立てられるが、会計のラルフはリナ一人だけ特別扱いすることに難渋を示している。リタには用意できないのに、という言外の意思が透けて見えるようだ。


 かといってシリウスが自費で用意するのは、筋が通らない。


 彼にしてみれば生徒会の役員だからという尤もらしい理由でリナにドレスを着せられると思っていたのが……それは目論見が甘かった。


 困ったシリウスが王子に相談したところ、彼は再度カサンドラの提案を拾い上げるよう助言をくれたそうだ。


 ――ドレスを用意できない学園の生徒が選べる貸衣装を学園側が用意してはどうか、と。

 言った覚えは……あるな、と心の中で頷いた。


 まさかの一年越しの具体案化に、カサンドラも驚きである。


 特に今年は御三家の跡取りが在学中なので莫大な寄付金、援助金が学園にプールされている。

 これを機会に一気に何着か――何十着かでも揃えてしまえという算段らしい。

 舞踏会のドレスと違い、生誕祭に着るようなアフタヌーンドレスなら細かく採寸せずともシンプルなデザインなら誰でも着れる。


 そこから入用いりようの生徒に選んで着てもらうことを考えているようだ。


 去年は提案しても頓挫したのだ、この三人の意見が噛み合わずにバラバラだったから!


 もしも実現すればリナもリタもリゼもそこから生徒会が用意した衣装を着て生誕祭に参加できる。


 恐らく三つ子はドレスが無ければ、去年デイジーから借りたものを再度お願いしていただろう。

 それに最悪制服と言う手段もあるのだ。


 だが……ここは男性としてのプライドというか、出来れば”自分が”手配したドレスを使って欲しいという想いがあるのだろう。


 自分の手で、好きな人の”困った事態”を何とかしたいのだ。

 カサンドラはそう理解した。


 彼らがどうにかして彼女達に陰ながらでも助太刀したいと、日々機会をうかがっているのは知っている。

 ……あのダイエット事件の時のように……




「特に問題があるとは思いませんし、反対する理由もありません」


 そもそもカサンドラが言い出した事だ。

 勝手に自分達の提案として使うのではなく、カサンドラにも賛同を得ようとは、少々意外だ。

 それだけなら事後承諾で勝手に手配してやってくれとさえ思う。


 まぁ、彼なりに義理を通してくれたと思うことにしよう。 


「賛意に感謝する。

 しかし決定したと言っても、問題はまだある」


 シリウスは眉一つ動かさず、謝意を一ミリも感じない無表情で言葉を続けるのでこちらも戸惑う。


 話はこれで終わりではないのか?


 

「ドレスをどのように手配するかも決めなければいけない。

 去年もこの辺りの段階で躓いたのだったな」


 躓いたのはそこではなかった気がするが、カサンドラはとりあえず疑問に思った事を口にする。

 まぁ、三つ子の服のサイズが……などと言い出さないあたり、彼らも話を前に進める気があるのだろう。サイズ情報ならラルフが持っていそうな気がするが、それは公開できない情報のはず。


「……ええと、学園と取引をしている商会にお願いすればいいのでは?」


 だがシリウスは首を横に振った。

 学園と繋がっている大商会は、ラルフの生家が元締めのようなものだから手配しようと思えばいくらでも高額で素晴らしい凝った衣装を用意できるだろう。


 だが――

 名を連ねるのは大貴族御用達の大商会ばかりだ。

 そこに依頼し、卸してもらうことはいささか”やりすぎ”なのだという。


 特待生や衣装を持てない生徒……自費でそれさえ賄えない人間にそんな上等かつ素晴らしい特権を与えるのは後々揉め事の種になりかねないのでは? とシリウスは考えているのだ。


 サーシェ商会に頼むとしても、汎用に仕立てろと依頼した結果……下位貴族の用立てた衣装よりよっぽど素晴らしいドレスが納められる気がしてならない。彼らも学園側の依頼だから、一層仕事に手抜きはないだろう。


 いくら王子を擁する生徒会の指示とは言え常軌を逸したサービスは依怙贔屓疑惑を向けられかねない。

 いや、実際にそうなのだが出来るだけ表ざたにならない方向で彼らは実行したいのだ。



「そこで私が彼らに提案したんだよ、キャシー」


 それまでシリウスの話を黙って聞いていた王子が、苦笑を浮かべながら口を開く。

 生徒会室にいる人間の視線が、一気に王子へと向かって突き刺さった。



「この件はクラスメイトのシンシア嬢――ゴードン商会に一任してはどうかと」


「どういうことですか?」


 カサンドラは面食らい、上体だけやや仰け反った。


「去年、君が舞踏会で使用したドレス。

 あのデザインはシンシア嬢が手掛けたものだったね。

 学園で使用するドレスも彼女にお願いすることが出来れば、と考えたんだ」


 学園の名でドレスを仕立てようと思えばかなり上質なものを用意することになる。

 だが無名の――ただの生徒がデザインしたドレスならば、言わば素人の作品。


 高位貴族の令嬢達もモヤモヤすることはない。

 実際にはカサンドラに似合うドレスを一瞬で描いてくれたことで彼女の能力は実証済みだから、いいものが出来るはず。


 何より、だ。


 シンプルなドレスでも、出来るだけ”特待生のクラスメイトが着る”ということを意識してデザインして欲しいと直接お願い出来るという利点もある。

 彼らにとって好都合なのは、シンシアの同級生のクラスメイトは三つ子だけということだ。何着も作るとすれば、彼女達に似合うデザインに大いに期待できる。悪くない提案だった。


 シンシアがデザインした服をゴードン商会の懇意にしている仕立て屋が作って納める。

 予算も多く割く必要はなくなるし、いいことづくめの案と言われれば……



 シリウス達が「それで行こう」と納得するだけの理由は見えた。



「ゴードン商会の娘とお前は随分仲が良いように思える。

 お前から依頼をすれば、喜んで請け負ってくれるのではないか?」



 うんうん、とジェイクとラルフも友人に続いて頷いた。

 彼らがリナ一人に対するドレスの用意を承諾しなかったばかりにこんな面倒な事になってしまったと、分かっているのかいないのか。


 彼らも内心ストレスを感じていることが分かっているから、カサンドラも敢えて言及しないけれど。


 出来る事なら自分の名前で、それこそありえないだけの大枚をはたいて準備させることも造作ない。

 だがそこまでする理由がないから、こんな遠回しな支援になってしまっている。

 ……彼女達の性格上、仮に正面切って贈ると言われても絶対断るだろうから、選択は正しいのかもしれないけれど。



 ――こちらにだって問題があるわけで。




「皆様……少々お待ちくださいませ。

 実はわたくし、今は別件でシンシアさんにお願い事をしているのです。

 これ以上ご負担をおかけすることは心苦しく――」



 視線の集中砲火を浴びる。



 無言の三人の視線。

 目は物を言わないながらも彼らの心の声を雄弁に語る。


 色違いの彼らの目がジーーーッと訴えかけて来るのに、カサンドラには耐える事が出来なかった。


 俯いて細い吐息を落とした後、彼らの顔をぐるっと見渡す。


 別に脅されているわけでも何でもないのに、沈黙と静寂、張り詰めた空気の圧に堪えられなかったのだ。




「………承知いたしました。

 ですがシンシアさんが難しいと判断なさるようでしたら、無理にお願いいたしません。

 それでも宜しいですか?」





 ふっと空気が弛緩する。

 緊張状態だった生徒会室から、暗い影がパァっと消えていく。






「ああ、それで構わない」



 シリウスの一声で、この幹部会は一応の決着が着いた。




 ※




「何とか無事に話がまとまって良かった。

 君を巻き込む形になってしまった事、申し訳なく思うよ。

 もっと早くキャシーに根回ししておきたかったのだけど、何せこの話が決まったのがお昼のことだったから」


 王子はそう言い、苦笑した。

 なんだかんだ、彼は友人にも甘いのだ。



「まさか去年のお話が一年後に実現するとは思っていませんでした。

 後はシンシアさん次第ですね」





 一年前とは言え、カサンドラが出した意見を実現できた。

 友人らのためにもなり、そしてシンシアの――いや、ゴードン商会へのささやかな利益に寄与することができる。

 自分で服を作るのが好きなシンシアの趣向にも合う、更に彼女が手掛けるからには三つ子のそれぞれの持つ雰囲気に合致する可能性も高い。



 この件がまとまればいいね、と王子が言っていたのは本心のことだろう。





 シンシアが断ったらこの話は無かったことになるのだろうか。





 彼女が断る姿は想像できないが、この案件の命運を自分に託された身としては複雑な気持ちだ。

 自分に関わったせいで、色々と面倒な事に使われているような気が……

 




 今後とも良い付き合いをしていきたいので、カサンドラも話の持って行き方を四苦八苦考える事になる。 

 


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