第388話 <リナ>


 今日の選択講義は――魔法講座。


 この学園では魔法体系を学び、そしてその理論を実践するために本格的な魔法指導が行われている。

 自分達の生活に密接に結びついた魔法という力学。


 火や水、雷や風といった自然界の現象を司る数多の精霊の力を自分達の持つ魔力により指向性を持たせたものだ。

 その活用法は多岐にわたる。

 強大で便利な力であることは間違いないが、決して誰も彼も適性を有しているわけではないそうだ。



 人間には大なり小なり魔力と呼ばれる見えない”力”が眠っているが、訓練によって増やすには限界がある。

 最初から”器”の大きさは決まっていて、その器が大きいほど魔法の才能があると言われるわけだ。

 このキャパシティは後天的にどうこうできる類のものではないらしい。


 以前一度だけカサンドラと魔法講座に出席した時、彼女は残念ながら器が小さく魔力も弱く適性がないと判断された。

 総合的な判断だが、学んでも無駄だ、と言われるのは良い気持ちはしなかっただろうな。まぁ、適性がある生徒の方が珍しいらしいけれど。


 ――リナが”才能がある”と魔法講座の講師に言われた時はピンとこなかった。

 何も分からない無知な田舎者に魔法の才能が備わっているなんて思えなかったので半信半疑。


 多くの人間は魔法に適性があるかないかなど興味を持つこともなく、仮に才能を有していても芽吹かせることできず生涯を終える。

 魔法を専門的に習うには人脈も必要になってくる、師は大事だ。


 体系だった魔法学を学ぶためには学園で講義を受ける他、聖アンナ教団などの魔法を使う集団に入って教えを乞うしかない。 


 普段の生活の中、光石で灯される明かりや永遠の種火、食物保存を可能にする氷箱、湧き出る水を沸かせる炎で構築される浴場など――魔法技術の恩恵を享受しているが原理となる魔法学や魔道士のことはよくわからないし、自分とは無関係なものだと皆思っている。


 究極の専門職である。

 しかも魔力と言うのは全く解明されていない不可視の力ゆえ不安定なものらしい。

 突然魔力の出力が低下し、ただの人になる可能性と隣り合わせだというではないか。


 魔道士は選ばれし者と言われる通り、中々適性と自身の興味熱量が噛み合わない職であると言える。



 リナにとっては全く未知の領域。

 カサンドラに勧められたことも記憶にあるが、シリウスに近づく方法として確かに適した選択だろうと今なら納得できてしまう。



 魔法の勉強をすることは楽しかった。


 目に見えない魔力を精霊石と呼ばれる触媒に送り込む。

 頭の中で幾何学的に刻まれた文様を強くイメージし、精霊の力を呼び出してその通りの効果を具現化させる。


 幾何文様は魔法術式と呼ばれ、過去の数多の魔道士たちが”精霊から同じ効果”を引き出せるように図面に表したものだ。

 魔法とは本来精霊との交信、直感的なものだったのだろう。

 統一規格なんてものは本来存在しないものだった。

 それを図形という形で留めた古の賢者の発想力には脱帽させられる。


 魔法学は今の世に伝わる魔法術式を解析し、構築理論やパターンを覚え”何故この効果が出るのか”を体系的に学ぶものだった。


 例えば火魔法の初歩中の初歩である火球という魔法も、ちゃんとイメージする図形がある。

 綺麗な円の中に、曲線を描く。


 脳内のイメージ通りに魔力をなぞらせる感覚は中々言葉に尽くしがたい。


 難しい魔法になると詠唱――精霊に意思をより伝えるための言葉を唱え合わせないと使えないものもある。

 中々に奥が深く、人一人では一生かけても探求しきれない分野。

 なので魔道士は魔法を使う事が好きというよりは、研究が好き! という人間が多くを占めているそうだ。

 生活の中に存在する魔法道具マジックアイテムは研究の副産物に過ぎないらしい。


 まだ見ぬ新しい魔法の求道者たちのお陰で、自分達の生活は成り立っているのである。

 




 リナは蒼い精霊石を填めこんだ魔道士の杖を、スッと前方に指し示す。

 己の内に流れる血液のように、全身を巡る不可視の”力”。

 それが確かに肌の表面を覆い――すーっと精霊石の中に流れ込んでいくのが分かる。


 頭の中にイメージするのは、かなり複雑な術式だ。

 脳内に描く幾何文様、その曲線、直線を青い光で浮き上がらせていく。


 声に出す。


「――穿て、『氷槍』!」



 脳内に描いた文様が精霊石の周囲に出現し、一瞬で弾ける。

 それと同時に、杖の先から大きな槍の形をした蒼い光が数本虚空から出現し解き放たれたのだ。


 数本の鋭い蒼い槍は、魔道士訓練用のまとを一気に突き破った。


 周囲の生徒、そして講師である魔道士が一斉に息を呑んでその光景を見た。


 的である”盾”は何重もの結界が張られている。学園の生徒が扱えるような魔法など掻き消せる強固なもののはず。

 だがリナの魔法の槍はまるで紙を貫くかのように抵抗さえ感じさせない。


 盾を突き破り、なおもリナの放った魔法は威力に衰えを見せなかった。



「おい、待て。……結界が……壊れるぞ!」



 それは今リナが貫いた的のことではない。


 万が一でも暴走した魔法が建物に被害を出さないよう、実技棟に張られた固定式永続結界のことだ。

 貴族や良家の子女たちが静かに学んでいるこの学園、まさか魔法の暴発で建物が倒壊など冗談では済まない。


 だから高位魔道士が施した結界は、何か不慮の事故があっても被害がその中だけで済むよう保険の意味合いを持っていた。


 ――普通の魔道士では手も足も出ない強固な結界を、魔法の槍はみしみしと音を立てて穴を穿たんとしている。


「あっ……」


 自分の学んできたことを表現できることが嬉しくて。

 全力で放った攻撃魔法は、不吉な音を立て透明な結界に亀裂を走らせている。


 止めないと! と焦っても、一度手から離れた魔法は術者でもどうにもならない。

 このままでは校舎の外壁を貫き、建物に被害を与えてしまうのではないかとリナは少し先の未来を想像して震えた。


 半球状に張られた結界が、鈍重な悲鳴を上げる。


 

 魔力の調子は良かったが、ここまで自分の魔力が高まっていたことに自分で驚き戸惑う。

 新学期になってからというもの、リナは毎週のように――いや、二日、三日ほど連続して魔法講義を受け続けていた。


 たまたま今日、シリウスが同じ講義を受けている。

 特訓の成果を見せたいと張り切ってしまった結果引き起こされる大惨事を想起し、リナは恐怖にぎゅっと目を閉じた。




「……。

 氷の精霊フェンリル、『盾』を」




 混乱状態に陥る寸前の広い空間の中、不意にこの場に不釣り合いな冷静な声が響く。

 彼は杖でトンと床を突いた後、それを振りかざした。


 すると結界を穿つ氷の槍が、突然何かに跳ねのけられ真っ二つに折れ――そのままシュウシュウと蒸気と化し。

 瞬く間に、消えてしまった。



 リナの槍は行く手を阻むように現れた蒼き壁によって、全てへし折られてしまったのだ。




「シリウス様……」


 危機が去りホッと安堵感が全身を覆ったが、彼に無駄な魔法を遣わせてしまったと再度別の意味で緊張が走る。


 だが彼は全く表情を変えるでもなく、全く気にした様子もなく。


「見ない内に随分と腕を上げたな、リナ・フォスター」


「申し訳ありません!」


「……あれは管理側の不備だ、いくらなんでも脆すぎる。

 結界に使用している精霊石に傷でも入っているのだろう、確認させるべきだな」


 淡々とした口調で、全く動じていない。


「それを差し引いても十分な威力だ、驚いた」


 ちっとも驚いた様子には見えないが。

 彼の眼鏡の奥では、もしかしたらそんな感情の変化が垣間見えていたのかもしれない。


 まだ周囲の動揺さめやらぬ中、シリウスは講師の一人である魔道士に話しかけに向かう。


 十名にも満たない少人数の参加者で本当に助かった。

 元々結界に不備があったとはいえ、リナの魔法で建物が損壊したなんて話になったらどんな噂が流れるか分かったものではない。



 学園から貸し出されている、精霊石を填めこんだ魔道士の杖。

 それを所在なく強く握ったり緩めたりして、身の置き場がなかった。

 恐々と遠巻きに凝視される視線がチクチク痛くて、逃げ出すことも出来ない時間。

 数分かそこらでも長く感じてしまった。




 ……勉強を頑張って、シリウスと近づきになることが出来た。

 カサンドラの言う通り、ひたすら勉強に励み成績を上げていくことでシリウスの自分に対する興味の度合いが変わっていったのは自分でも分かる。

 だが――

 それだけでは駄目だと思った。


 今リナがこんな想いを抱いている原因を突き止め、二度と入学式の日に戻されないためには勉強だけでは駄目だと思った。


 魔法の腕を磨き、彼の目に留まることで知られざる知識がシリウス伝いに手に入るかもしれない。


 そんな打算的な行動が良くなかったのだろう。

 張り切って成果を出そうとして、彼に面倒をかけてしまうことになろうとは。


 ハァ、と項垂れる。

 そんなリナの傍に戻って来たシリウスは、不思議そうに首を傾けた。


「どうした。魔力の使い過ぎで気分でも悪くなったか?」


「い、いえ! 決してそのような事は……

 ただ、私が魔法の制御が出来なかったせいでシリウス様を煩わせてしまったことが申し訳なくて」


 なんだ、と彼は眼鏡のブリッジを指の腹でクイッと上げる。

 彼のその動きは無意識と思われるが、彼の眼鏡が動き角度が変わる瞬間のレンズの煌めきにドキッとする。

 レンズ越しに見える黒い双眸に、顔に出さない多くの感情が重なって見える気がした。


「気にすることはない。

 腕を上げたとはいえ、お前の魔法を防ぐくらいは容易い事だ。

 ……もっとも――この速度で上達すれば、その先は知らんが」


 他の魔道士は結界が破られそうなことに対して明らかに狼狽し、本当は防がなければいけないのに誰も行動を起こさなかった。

 もしも一人の特待生の魔法に負けるようなことがあったら、それは彼らのプライドをいたく傷つけるものだろう。


 今回は結界の管理不備があっただけのようだが、もしも本当にリナの魔法が強すぎたということなら、教える立場の自分が歯が立たなかった証明になる。

 そんな不都合な明らかになるかもしれないと恐れた結果、誰も動かなかったのだ。

 見過ごした結果リナの魔法が他の建造物を壊したとしても、事故と言い張るつもりだったのか。


 シリウスは考えるよりも先に手を動かす。


 あの魔法の発動速度を考えると、反射的に行動していたはずだ。


 溺れている人間がいたら思考を置いて、まずは手を伸ばすかのように。


 プライドが高い人のはずなのに、失敗したらと躊躇うことはないのはそれだけ自信がある証拠なのか。

 正義感が強いから……か。


 他の魔道士が呆気に取られて口を半開きにしている時でも、一切慌てることなく対処に踏み出す。

 人任せにするという発想自体がないのだろう、とリナは彼の涼し気な表情をしげしげと眺めた。


「ありがとうございます」


 何事もなくて本当に良かった。


 ……その後もシリウスはリナが強力な魔法を使えるようになったことを褒めてくれた。


 たまたま結界が万全の状態ではなかったとは言え、他の人間を驚かせる成果を出したのは事実。

 シリウスも目を留めてくれるほどには、成長したらしい。


 


   今なら言えるか?




 こんな打算的な提案なんて、本当はしたくない。


 純粋な知的好奇心から彼にお願いしたかった。

 今はどう理由をつけても……


「あの、シリウス様。

 私こちらの学園で魔法学の講義を受けています。

 ですが魔法史という分野もあるとお聞きしました。

 ……そちらを学びたい場合、どうすればいいでしょう」


 するとシリウスは少しばかり表情を曇らせる。


 魔法史という研究分野があることは本当の話だ。

 魔法を系統だてて原理を学び未知なる精霊の力を研究するのが、今リナ達が行っている勉強、訓練だ。


 だが魔法の成り立ちのことなど、魔法関係に纏わる歴史を学ぶ機会はなかった。

 考えてみれば技術や理論だけ知識として利用しているのに、歴史上の経緯は学ぶ機会がない。

 そんなことは知らなくても魔法を使える事実には変わりがない、教える意味も希薄と言えばそれまでだ。


 興味があることは、事実。

 でもそこまで真剣に学びたいかと言われれば、そういうわけじゃない。魔道士になりたいわけでもないし。


 これはただの口実だ。



「それなら聖アンナ教団や神殿に資料があるだろうな。

 私もお前と同じように興味を抱き、読みこんだこともある」


「わぁ! シリウス様凄いです。

 もっと魔法の事について勉強してみたいので、そのような資料に触れられることが羨ましいです。

 私が……教団内で勉強することは、無理……ですよね?」


 敬虔な教徒というわけでもない。

 聖女アンナの事は遠い昔の偉人というイメージしかないもので。


 そんな自分が教団内部の資料に触れるなど絶対に出来ないだろう。

 だがシリウスがいれば、何か自分の現状打開に役立つ知識を手にする機会を得られるのではないだろうか。



 ……自分が彼に声をかけ、懐に入り込まないといけないと思った目的。



 相手の優しさを利用するようで後ろめたくてしょうがなかった。



 ドクンドクン、と自分の鼓動がやたらと耳に障ってうるさい。





「本来ならば無理だと言いたいところだが……

 お前は完璧主義なところがある、学園で学ぶ知識だけでは片手落ちだという気持ちも分かるからな。

 ……いいだろう、すぐにとは約束できないが――手配しよう」




 やや逡巡の時間を経た後、シリウスは静かに頷いた。

 彼は嘘をついたりその場限りのごまかしをするような人ではない。


 信用できる彼から、そう言ってもらえたことにリナは内心で歓喜に打ち震えた。



 勿論、怖さもある。

 ここまで頑張って辿り着いた、秘められた魔法の資料を漁っても現状が変わらなかったら……

 もはや打つ手は無い。


 ただ、ここまでの提案に既視感は感じない。

 こんな行動を自分が起こしたことがない、と判断して良いだろう。

 何かが変わる可能性に賭けたい。



 そうでなければ……



 全て自分の馬鹿げた妄想と割り切り、残りの学園生活を終えることしか出来ない。



 同じことの繰り返しだと、思い知らされるだけなのは嫌。

 神に嘲笑われる自分の姿に絶望するだけだ。




 彼の導きが、自分にとっての未来に繋がると信じてリナは笑顔でお礼を言った。 

 

 

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