第386話 お茶会の準備


 カサンドラが予想した通り、もう一晩ゆっくり眠ったアレクの体調は翌朝随分良くなっていたようだ。

 まだ食堂に姿を見せる程元通りと言うわけではないけれど。昨日の今日で食堂にやってきたら、それこそ「寝てなさい」と自室まで押していかなければいけないだろう。


「アレク、具合はいかがですか?」


「……そこそこです」


 顔を見にアレクの私室を訪れた時に目に入ったのは、上半身を起こした状態で本を読んでいる義弟の姿。

 熱も下がったという彼の言葉を信じるならば、本当に一過性の風邪だったのだろうなぁとホッと胸を撫でおろす。


 自分の存在、去年一年の間アレクをむやみやたらに心理的負荷をかけていたのでその蓄積された疲労で体調を崩した……なんて想像をしていたので。



「それではアレク、今日も一日大人しく休んでいるのですよ」


 若干自分が大上段から構える態度になってしまうのは、こうやってアレクに忠告をする機会など滅多にないことだからだろうか。


 姉らしく、弟の体調を気遣う。

 いつもであれば元気でピンピンしている頑健な彼にそんな気遣いをしても「貴女こそ、もう風邪ひかないでくださいね」の返事一言で撃沈してしまうので。


 勿論心配だからこそ、声を掛けるのだ。

 安静にして欲しいというのは本心の言葉。

 早く治りそうで良かったと、安堵で体から緊張が和らぐ。



 病床につき、いつもより何割も増してしおらしいアレクの姿はこれが見納めになるのではないかとついガン見してしまうカサンドラ。


「あの、姉上。

 ………ゴホッ!」


 彼は本から目を逸らし、カサンドラに顔を向ける。

 そして挨拶だか何か伝えようとしたのだか分からないが、その瞬間思いっきり喉から大きな咳をする。

 その後断続的にゴホゴホと咳き込み、その都度前屈みになるアレク。

 カサンドラは慌てて彼の背中を掌で擦る。


「大丈夫ですか、アレク」


 コホコホ、と彼は目じりの端に涙の粒を浮かべて何度も頭を上下させる。

 熱が下がったと言っても風は厄介だ、咳、喉の痛みはしばらく彼の身体にダメージを与えていくのだろう。


「声を出したら喉が痛いでしょう」


「………。いって……らっしゃい、姉上」


 ろくに会話もできない現状、弱っている姿を見られたくないのだろうか。

 アレクは俯き、力無く頷く。そんな様子が痛々しくて胸に突き刺さる。



 ――生意気さが影をひそめると、本当に薄幸の美少年にしか見えないなこの弟!



 自分が様子を見に来たせいで無理をさせたのかと後悔し、早々に彼の部屋から退散することにした。


 少しは姉らしく、という想いに付き合わせて彼を苦しめたいわけではない。


 喉の痛みや咳に効く薬でも持ち帰りたいと思ったが、カサンドラは薬師としての知識はゼロに等しい。

 専門のお抱え医師が屋敷内でアレクの様子を逐一診てくれるのだから余計な事をするのもな……と、カサンドラはいつもより五分ほど遅れて教室まで向かっていた。



 アレクの様子を伝えると、王子も安心して「ありがとう」と労ってくれる。


 自分が何かしたわけではないけれど、病状の回復を文字通り親身になって考えてくれる人がいてくれるのはとても心強い事だと思った。




 ※




 アレクの病状が快方に向かっていることは間違いない。

 熱も下がり、食欲も戻っているのだから元々体力のある少年だからあっという間に元気になるだろう。


 義弟のことはお医者さんにお任せする他ないとして――

 カサンドラはカサンドラで、自分の体調管理に気をつけつつ用意しなければいけないことがあった。


 来週に差し迫ったキャロルとミランダの婚約祝いのお茶会の用意。

 完全に女子会、内輪の集まりである。

 だからこそ、今までとは違った趣向の用意もいるのではないかと考えたのだ。


 昼食を終えた後、カサンドラは食堂内に視線を巡らせる。


 中にいないということは、もう選択講義に向かったのだろうか。

 急いで食堂を出、回廊を歩いて目的の人物の姿を求めていると――回廊の端っこで誰かと会話をしている彼女の後姿を見つける事が出来た。


 後ろ向きだが、彼女だとすぐ分かるのは髪型のせいだ。

 肩口で切り揃えた艶やかな黒髪は印象的である。


 貴族のお嬢様の多くは腰まで伸びる程の長い髪が標準装備。でも三つ子のように、特待生だったり貴族の令嬢ではない女子生徒は髪の長さにあまりこだわりがないようだ。

 長髪だと手入れに時間もかかるし、似合う似合わないの問題もある。

 特待生でもロングヘアの女生徒はいるものの、くるくると髪型が変わってイメージチェンジも頻繁だ。


 そう言う意味で、彼女達はとても自由なのだろうと思った。


「シンシアさん、ごきげんよう。

 あら、リナさんでしたか。

 ……お話し中、申し訳ありません」


 昼休憩はベルナールと話をしていると思い込み、勇み足で声を掛けてしまった。

 だがシンシアの影となっていた方向から姿を見せたのはリナだ。

 以前はシャルロッテに捕まって話を聞かされていたリナであるが、どうやら今日はシンシアが相手らしい。

 彼女はとても聞き上手だ。

 澄んだ蒼い瞳でうんうん、と彼女に相槌を打たれるとついつい言葉が溢れてしまうというか、もっと聞いて欲しくなる。


「カサンドラ様はシンシアさんにご用事ですか?

 では私は席を外した方が……」


「り、リナさん! 出来れば、一緒にいて欲しいです……

 あの、問題ないですか?」


 カサンドラに何の脈絡もなく急に声を掛けられ、シンシアはちょっと委縮してしまっている。

 恐らく何か相談事をしていたのだろうし、自分のせいでその相談事を中断させてしまうのはかなり申し訳ない話だ。


「ええ、勿論です。実は――」


 カサンドラはこうして声を掛けた用件を手短にシンシアに説明することにしたのだ。長時間昼休みを拘束するつもりは最初からない。


 来週末、カサンドラの別邸で婚約祝いのささやかな場を設ける事になった。


 そのお茶会で、カサンドラは新しい食器を用意しようと考えている。

 いつもは家令たちが大商会から仕入れるような高級感あふれる価値のある食器を使用しているが、折角の女子会。

 ”貴族のお茶会”を大きく前面に押し出すのではなく――今回は季節も春だし、可愛らしくファンシーな柄のカップなどを用意したいと思ったのだ。


 これはちょっとした冒険ではあったが、自分の趣味ではないがきっとキャロル達は喜んでくれるのではないかと思った。

 お茶会と言えば大人びた雰囲気で優雅な午後の一時を演出することに注力するが、今回は発案者のシャルロッテの意向に沿った飾りつけにする予定だ。


 だが生憎カサンドラの別邸には、普通の可愛らしい女の子が好むようなラブリーな食器など皆無である。

 シンプル・高品質がモットーだ。

 カサンドラも自分に似合わないという理由で排除し続け、今に到る。


「次回のお茶会で使用する可愛らしいデザインのティーセットの手配を、ゴードン商会にお願いしたいのです。

 ――是非シンシアさんに選んでいただけないかとお願いに伺いました」


「えええ!?

 お、お茶会……? ルブセインやウェレスやマディリオンのお嬢様……ですか」


 ドギマギと落ち着かないどころか、招待メンバーを聞いた瞬間泡を噴いて卒倒しかねない衝撃を受けたようだ。

 女子三家のリーダー的存在だし、王都住まいのシンシアは彼女達が雲の上の存在だと刷り込まれているのだからしょうがないか。


「お祝いの日取りが決まったのですね、良かったです!

 シャルロッテさんも喜ばれるでしょうね」


 事前にシャルロッテから相談を受けて把握していたリナは、そんなシンシアの動揺は周回遅れの感想なのだろう。

 わぁ、と手を叩いて嬉しそうに微笑んだ。

 キャロルの相手が当人にとって望まざる男性だったら……と悩んでいたが、その問題もパス。

 そして招待の日程も完全に決まったのだから、確実に”幸せな婚約”を祝えることになる。


 あまり自分達が集まって何かをするという話は言い広めたくないが、シンシアもリナもいちいち他の生徒に触れ回るような人物ではない。

 広めないでくれとお願いすれば聞き届けてくれると信じているからこそ、こうして声を掛けたのだ。 


「これを機に、レンドールとゴードン商会の取引も増やしていくようにしたいですね。

 用意して下さったものがキャロルさん達の目に留まれば、シンシアさんのお名前で紹介したいと考えています」


 彼女達が個人的に品物を気に入ってくれれば、お客さんになってくれるかも知れない。

 シンシアの実家にとって悪い話にはならない、むしろ上客になってくれるはずだ。


「………!

 それは……もしも叶うとすれば、父や兄も喜ぶことでしょう」


 元々ゴードン商会は王都でも中堅どころと言った立ち位置の商い規模だ。

 吹けば飛ぶような細い屋台骨ではない。が、もっと上の方から睨まれれば明日をも知れぬ苦境に立たされる可能性はある。

 

 シンシアはベルナールと結婚――ウェッジ家と縁が結ばれるわけだ。

 レンドール侯爵家はウェッジ家を庇護する立場、ゆえにゴードン商会も”庇護”の対象になってくる。


 実際にカサンドラがどこまでシンシアの実家の助けになれるかは分からないが、彼女の家が取り扱う商品をアピールする機会に出来ればと思ったのだ。


「わたくしはシンシアさんのセンスを信用しています。

 難しいお願いなことは承知していますが、ティーセット一式、どうかお願いできないでしょうか」



「は、はい。

 ……早速今日、自宅に戻って家族会議を開かないと……!」



 少し悩んだ素振りを見せたが、すぐに持ち直して大きく頷くシンシア。

 だがまだ少し不安そうに眉尻を下げ――隣に立つリナの腕の袖をきゅっと掴んだ。


「リナさん、良かったら一緒に選んでもらえないかな……?」


「……私?」


 完全に応援する立場に立ってニコニコ微笑んでいたリナが、急に名指しで巻き込まれてきょとんとする。

 自分を指差し、困惑気味にカサンドラに目くばせをしてきたが……


「リナさんにもご協力いただけるなんて、嬉しいです。

 ふふ、楽しみですね」


「………!」


 今回のお茶会のコンセプトは、男性陣を招待しない女子会!

 女の子らしくファンシーでキュートにしようと閃いた。今後二度とそのようなテーマで誰かを家に招待することもないだろうし。


 折角春の妖精の異名を持つシャルロッテに、お人形さんのように華奢で可愛らしいキャロルがいるのだ。フリフリのドレスだって難なく着こなせるだろう可愛さの塊。


 ……ミランダが来て絶句する可能性があったが、意外と彼女も乙女チックなイメージのものが好きそうな気がする。

 占い師のところで並んでまで恋愛占いをするくらいだから、案外乙女な趣味を持っているのかも。


 そして乙女な趣味と言えば――まさにリナ。


 普段着から既に自分に良く似合う可愛い格好をする彼女なので、この二人に任せれば間違いはないものと思われる。


 カサンドラの貧困なお姫様もどきのイメージを実現したら、全てがまがまがしいレースやリボンで装飾されて逆に年齢を感じさせるようなダサい装飾になりかねない。

 シュールな光景しか想像できず、自分のセンスは既に遠くへ捨て去っている。



「それでは、シンシアさん。

 リナさんとの歓談中、大変失礼いたしました。

 急なお話です、難しいようでしたら仰ってくださいね」


 今回のコンセプトに則って、シンシアの審美眼――春らしく可愛らしいセンスで演出出来れば自然とゴードン商会の名を出すことも出来るなぁ、と。

 一方的にそう考えただけなので、時期も差し迫っていて準備が難しいなら今屋敷にある来客用のティーセットを使えばいいだけの話である。



「……あの……大変厚かましいことをお聞きしてもいいですか?」



 シンシアは何か思う事でもあるのだろうか。

 少しばかり深刻そうに、何処か泣きそうな顔で――カサンドラに縋るような視線を向けて来るではないか。


「シンシアさん?」


「あの、カサンドラ様がこのお話を私に下さったのは、私がベルナールさんと婚約をしたから……ですよね」


 ぽつ、ぽつ、と。

 言いづらそうに、しょげ返ってそんな事をシンシアが言うので――カサンドラも首を傾げる。


「もしこの先、私が……ベルナールさんとこの先結婚出来なかったとしたら、私の家との取引は……

 無くなってしまうのでしょうか」


「え?」


 彼女の震えるようなか細い声に、カサンドラは呆気に取られて二の句が継げない。

 祈るような仕草で両の掌を組むシンシアは冗談を言っているようには見えなかった。


「今、私もシンシアさんから話を伺っていたのです。

 シンシアさん!

 折角カサンドラ様がおいでなのだし、話を聞いてもらったら少しは心が軽くなると思うわ」


 悄然と俯く黒髪の少女。

 決して華やかな容色の持ち主ではないが、清楚で優しく真面目だということが一見して伝わるお嬢さんだ。

 裁縫が得意だったり、服のデザインも得意だったりと手先の器用さには舌を巻く。


「およそありえない仮定の問いに大変驚きました。

 ベルナールと何か問題が生じたのですか?

 またあの人は、貴女を困らせるような事をしたのですね」


 動揺を出さないように、カサンドラも必死だった。

 何せ前回のシンシアの相談内容は、突然ベルナールにキスをされて突き飛ばして逃げて傷つけただなんだ、という。

 個人的に何のアドバイスもしようがないストレート過ぎる相談内容だったのだ。






   今度は一体どんなとんでもない発言がシンシアから出てくると言うのだ!?






 本心では、耳を塞いで逃げ出したくなるくらい追い詰められていた。


 頭の中で思い浮かべた顔なじみ、ベルナールに飛び蹴りを食らわせる。

 このいたいけで純粋ピュアな女の子を再び困らせるような、一体どんな事をやらかしたというのか。


 まさか……まさか まさか まさか。

 前回の相談以上のやらかしで彼女を追い詰め、傷つけたのではあるまいな……?



 いや、まさか。流石にベルナールでもそこまで愚かな人間ではないはずだ、と必死で自分に言い聞かせる。




 胃が……胃が痛い……!





 シンシアは肩を落とし、「違うんです」と呟き首を力なく横に振る。



 そして数拍の沈黙の後で彼女が語りだしたのは――それは、相談ではなかった。

 リナが言う通り、話を聞いて欲しかったのだろう。




 懺悔に近い、悔恨の言葉だった。



 

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