第381話 <リゼ>



「図々しいお願いですが、どうかよろしくお願いします!」


 リゼは寮の厨房入り口で、毎日美味しい食事を作ってくれるおばさん達に深々と頭を下げていた。



 *



 学園で並ぶフルコースの昼食のように贅沢なメニューではないけれど、リゼは毎日寮で食事を摂るのがとても好きだ。

 どうしても大勢が一堂に会して粛々と若干重苦しい空気の中で、頻繁に給仕が食器の上げ下ろしをする昼食は豪華すぎて庶民には勿体ない。

 テーブルマナーが気になって最初は食べた気になれなかったものだ。


 それに対し、素朴な単品なメニューも対応してくれる寮の食堂はおしゃべりがそんなに好きではないリゼでもホッとする雰囲気を演出してくれる。


 ともすれば所帯じみていて嫌だと眉を顰める貴族のお嬢さんもいるけれど、特待生や金銭的な問題で寮から通う生徒には概ね好評である。


 食堂のおばさん――いや、おばちゃん達はリゼの頼みを聞いて、互いに顔を見合わせる。

 学園に雇われている以上身元はしっかりしているのだろうが、白いエプロンを見つけて毎日忙しなく働くの中年の女性たちはしばらくきょとんとした顔をしていた。


 が、すぐに明るい雰囲気でドッと笑い出したのである。


「ああ、いいよいいよ。

 リナちゃんも良く使ってるし、今度はリゼちゃんね。

 私達と時間が被らないなら好きなようにお使いよ。

 ああ、片付けや後始末は自分でやるんだよ?」


「ありがとうございます……!」


 相当無茶なお願いのはずだが、交渉という単語も空を切る程拍子抜けに要望が通ってしまった。

 リゼはホッと胸を撫でおろしながらも、既に前例としてこの調理場を何度も使用させてもらったリナに心の中で礼を言う。


 急に自分が厨房を貸して欲しいと言い出しても、簡単に通ることはなかったはずだ。先におばちゃん達の信頼を勝ち取ってくれていた妹に大感謝である。





 さて、厨房使用許可はもらえた。

 とすれば……


 問題は、何を作るか、だ。


 リゼは真剣な眼差しで、脳裏に今まで自分が食した数多のメニューを思い浮かべていたのである。


 だが自分は料理など素人もいいところだ。

 暗黒料理を作るような致命的な不器用な人間ではないと自負しているが、大層なものを作る自信も全くない。






  こんなことなら実家にいるとき、もっと母の手伝いをしていればよかった……!






 いくら後悔しても、先に立たずである。





 ※




「ということでリナ。

 貴女のアドバイスをもらえたら、とても助かるんだけど。

 時間があったら一緒に考えてくれない……かな?」


 妹に頼みごとをするのは最終手段だ。

 だがリナに頼るしか他に方法が思いつかなかった。一人では全く前に進まない。


 急に部屋を訪れたリゼの用件を呆気にとられた表情のリナは、事情を一通り話すと――小首をかしげて小さく笑った。


「それは良いけど、藪から棒で吃驚したわ」


 金曜日の夜。

 壁掛け時計は八時を回ったところだ、就寝にはまだ早い。

 皆自室で自由なリラックス時間を満喫中のゴールデンタイムである。

 それを邪魔するのは忍びない話だけれど、リゼには時間がなかった。


「ジェイク様と遠乗りに行くのに、お弁当を作るのね?」


 改めて自分の行動を言葉にされると、「うわぁぁぁ!」と叫びだして逃げ出したい衝動に駆られる。

 リナは何一つ間違ったことを言っているわけではないのに、辱めを受け追い詰められた気持ちになって、窓ガラスを割って外に脱出したくなった。

 流石に妹の寮部屋でそんな奇行は出来ないが、無言で頷きながらも物凄く恥ずかしい状況だ。


 椅子を勧められて座る自分、寝台の上に腰を下ろしてにこにこ意味ありげに微笑むリナ。

 この構図がいかんともしがたい。



 ……自分から言い出した事だ。そうはらを括って、ぎゅっと口を引き結んだ。


  


 今日の昼休憩、ジェイクに呼び留められて休日の予定を確認することになったまでは良い。

 時間や場所を間違えないように記憶に刻み込み、当日の天気を祈るのみという状況で。


 日程を頷きながら聞いて疑問に思ったのは、お昼のことだ。

 昼食を食べた後だったから、余計に当日はどうするのかと慌てて尋ねた。


 ……というのも、折角馬に乗って遠出が出来るのに、すぐに引き返してきて昼で解散、という状況はあまりにも残念過ぎる。

 折角一日空いているのなら、もう少しゆっくり出来るのではないか。


『飯? ……ああ、昼は何か作らせるから持って行くから、大丈夫大丈夫』


 彼は特に気にした様子もなく、さらっと質問を流した。

 だがその流れ去る疑問を無理矢理掴んで引き戻し、リゼは意を決して自分が作ってくると宣言してしまったのである。


 勢いは本当に怖い。

 カッと頭に血が上ったと言えばいいのか。


 もしも……

 同行者が自分ではない女性だったら、弁当の一つでも作って来てとでも頼まれたかも知れない。


 自意識が肥大していることは承知の上で、なお自分が期待されていないのだと思い知ることが耐え難かった。


『馬をお借りするわけですし、お昼は私が準備していきますよ』


『え……お前、料理出来んのか……?』


 ジェイクが驚き戸惑ったことも一層の拍車をかけた。

 まぁ驚くだろうな、何せボタンをつけることも出来ないくらい家事能力壊滅状態だと勘違いされていたくらいだし。


 それくらい出来ると啖呵を切ったはいいものの――


 よく考えれば、自分は凄く料理が上手いというわけではなかった。

 凡人と言うか、焼いたり煮たりのごく普通の庶民料理くらいなら見様見真似でも何とかなるだろう。


 料理とは手順に従えばその通りに出来上がるものだと思っている。


 だが問題は、振る舞う相手がジェイクと言う事。




 ただの同級生ではなく、ロンバルド侯爵家の後継ぎ様に、料理を齧ったこともない素人が作った弁当を食べさせる……だと……?

 



 ハッと我に返って自分が大それた事を言った事に気づいたけれど、既に撤回の機は逸していた。

 それじゃあ任せたと肩を叩かれては、今更前言を翻すことも出来やしない。


  

 こうしてリゼは遠乗り当日、ジェイクと一緒に食べる弁当を準備して向かうことになってしまったのだ。

 敢えて気づかないふりをしていたら、ジェイクの家のプロたちが用意してくれたお弁当を持ってきてもらえていたのだろうか。



 いや、でもこれは乙女としての沽券に関わる案件だ。

 いくら分不相応で失礼にあたるレベルとは言え、弁当くらい用意したいという無駄なプライド。


 最初から”出来ないだろう”と思われていたことが悔しかった。




「リナも知ってると思うけど、私、そんなに料理得意じゃないから。

 何を持って行くか、相談に乗ってもらいたいのよ」


「私で良ければ、勿論。

 ええと、遠乗り――行き先が行き先だし……

 馬の上は安定しないわよね?」


「そうねー、荷物を背負うにしても、どうしたって揺れるかも」


 馬車で移動するのとは違い、騎乗状態で街を出るなら荷物は大きく揺さぶられるだろう。

 気合を入れ過ぎた綺麗な飾りつけをしたお弁当を持って行っても完全に道程でシェイキングされて無残なことになりかねない。

 少なくとも繊細な飾り、細かい配置のお弁当は難しいだろう。

 例えば野菜を切って飾って文字を形作っても原型をとどめていないかも。

 そんな文字を書く予定ははなからないが。


「外で食べるなら、食べやすい方がいいわよね」


 うんうん、とリゼも頷く。


 そうなるとメニューも絞られてくるのだろうか。

 多少揺れても問題なく、食べやすい……となったら握り飯が無難なのだろうか。

 リゼも白いお米の握り飯は好きだが、簡素過ぎて男らしさしか感じない選択な気もする。


「ここは簡単に、パンに具を挟んで持って行ったらどうかしら。

 具がバラバラにならないように詰める必要はあるけれど、中身次第で色も鮮やかで食べやすくて美味しいでしょう?」


「形が崩れないようにするなら、朝に食べるいつものサンドイッチの方がいいんじゃない?」


 脳内にパッとイメージされたのは、薄切りの四角いパンに具を挟んだサンドイッチだった。軽食として親しまれている形である。

 リゼはバゲットに具を挟むよりもそちらの方が食べやすくて好きだ。


 揺れても大丈夫なようにぎゅうぎゅうに詰めるなら、四角や三角に切れる方が詰めやすそうだし。



「リゼが食べるだけならいいと思うけど、食べ応えを考えたら大き目のパンの方がいいのかなって」


 成程。

 確かに薄切りのパンに挟んでいくよりは、それだけでも食べ応えのある大き目のパンに具を挟んだ方がボリューミーだ。

 ジェイクはその外見からも想像できるように、普通の平均男性以上には食欲があるわけで……

 いくら味を変えても、お腹いっぱいになるまでサンドイッチを延々と食べるなら……結構な量が要るだろうし。

 それならパンの部分を多くして具を変えた方が良いのかもしれない。



「それにサンド形式だったら、料理の腕を厳しく問われることもないと思うわ。

 あ、ゆで卵を殻とともに粉々にして混ぜ合わせるくらい料理に不慣れって言うなら話は別よ?」


「流石にそこまで非常識じゃないわ」


 反射的に、ムッと眉を顰めてしまう。


「……以前、リタが……」


 ごにょごにょ、と彼女は語尾を窄める。

 その奥歯に何か挟まったような言い方で視線を斜め上の天井に逸らすリナは、当時の光景を思い出して苦笑いを浮かべている。

 容易くもう一人の妹の行動が想像が出来たリゼもそれ以上言及はしなかった。




    そうか……

    暗黒料理の使い手が身内にいたのか……。 





 二人の間での会話は止まったが、その空隙を埋めるように――




    はーっくしゅん!!




 と、大きな大きなくしゃみが隣室から聴こえて、リゼは顔を片手で覆って大きな溜息を吐いたのである。

 リゼとリナはそのあまりにも的確なタイミングで聞こえたくしゃみに肩をビクッと跳ね上げた。


 今頃リタは、自分の事を噂している人がいると室内をよろきょろ見渡して首を捻っている事だろう。






「え、えーと。じゃあ……」


 気を取り直して、リゼは持ってきたメモ用紙に文字を走らせる。

 長細いパンの絵と、それに挟む具を何にしようかとリナと話し合う。


 野菜やチーズだけでは物足りないだろうから、肉を焼いて挟むか……

 となると味付けは……


 具体的にリナの意見や思い付きを書き留め、何とか形になりそうな数種類のロールサンドをメモの上に完成させる。

 自分一人で考えるのは自信もないが、リナが一緒なのでとても有難い。


「土曜日の市場で買うものは、このくらいかな」


 実家にいる時でさえ、家の手伝いで買い物に行く機会は滅多になかった。

 自分達の部屋の掃除や整理整頓は好きだったけれど、何かを”作る”ことは気が進まない性格だったもので。


 力仕事も苦手、料理も任せきり、手伝いもしたくない……

 結局親に甘えていたのだろうなぁ、と今更思う。田舎暮らしがどうにも性に合わず、勉強さえしていればそんな生活から抜け出せる。そんなことしか考えてなかった。

 簡単に他人に踏みつけられないよう一人で生きていけるだけ、それなりの立場が欲しかった。


 全部が全部、徹頭徹尾自分のために生きていた。

 自分と同じ時を過ごしてきた妹達は、田舎に残すという罪悪感も手伝って気に掛けていたけれども。


 ――誰かのために、とか。

 誰かに好かれたい、とか。


 自分以外の動機で行動したことが無くて、何から何まで初めて尽くしの生活である。

 でもそんな生活も意外と楽しいし、現状、とても満足していた。

 十分すぎる程、幸せなのだと思う。


 そりゃあ楽しい事ばかりではないけれど、だからこそ嬉しい事が心に突き刺さるというか。


「……ねぇ、リナ。この辺りでお勧めのパン屋さんって無い?

 値が張っても良いから。

 私、詳しくないのよ」


 ペンを指で挟み、横に振って自分の書いたリストを眺める。

 折角だから少し奮発して良いパンを買えば、素人仕事でも美味しく食べられるのではないかと思ったからだ。


「もしリゼが嫌じゃなかったらだけど。

 日曜、私も一緒にパンを焼いても良い?」


 躊躇いがちにリナはそう申し出てくれた。


 彼女は料理が趣味、手芸が趣味と女子力という概念が可愛い服を着て擬人化した存在である。

 実家が小麦を作っているということもあり、パンを焼くのも好きだし上手い。

 リゼも妹が焼いたパンは好きだが……


「え? でも……

 朝凄く早く起きるし、申し訳ないから」


「リゼは寮の厨房使うの初めてでしょう? 勝手が分からないと時間もかかるわ。

 私も焼き窯を借りるから、ついでに一緒に料理しましょう」



 神!

 神がいた……!


 後光がキラキラ眩しく光る妹の笑顔に、リゼは五体投地で崇め伏したい気持ちになった。


「いいの!?」


 ジェイクとの待ち合わせも朝だから、相当早起きして準備しなければと気合を入れていた。

 その準備のためのパンを焼くということは更に早く起きないといけないということだ。

 流石に申し訳ないと思うが、確かに彼女の焼くパンは美味しい。


「勿論! 明日一緒に買い物行きましょう」

 

 

 自分にとって何の得にもならないだろうに。

 彼女の優しさが心に沁みる。


「ありがとう! それは助かる!

 ……リナがパンを焼いてくれるなら、これは買わなくても良し、と」

 

 買い物リストの一番上のパンの文字を二重線で消し、代わりにパン作りに必要な材料を聞いて書き足した。

 挟む具の味付けさえ間違えなければ、食べられないものは出来ないだろう。



 もう一度完成予定図に書き込みをしつつ、リゼは当日の手順もずらっと順に並べていった。

 予定は大事だ、細かく作業順を書き連ねる。



「リゼと一緒に料理が出来るなんて思わなかったわ」


「そうねー、私もそんな日は来るとは、とてもとても」


 寮に入ってからは家事の手伝いからは解放された。

 用意された食事を食べれば事足りて、部屋の片づけさえしていればガミガミ叱られることもない天国だ。


 調理場はどうしても食材を扱うせいか、虫が「こんにちは♪」とひょっこり予期せぬところから湧き出るので――総じて水場は苦手である。

 



「リゼって本当にジェイク様の事が好きなのね」




 完成間近だったメモの下から上に、ビーーーーッと黒い線が縦に刻まれた。

 ガリガリガリ、と下の紙まで一緒にペン先で削る勢いで。



 思わず手を滑らせ、言葉にならずに絶句するリゼ。



 声も出ずに引きつった表情で妹を見るが、彼女は嬉しそうににこにこ微笑んでいる。

 これで顔のパーツは同じ造りだというのだから恐ろしい。


 いくら鏡の前でにらめっこをしたところで、同じ表情を作ることは自分には出来ない。




「……まあね。

 好きじゃなかったらこんな事しないわ」








 誰かのために悩んだり考えたり、頑張るのも、案外悪くない。


 だけどそれを楽しいと思えるなら結局恋愛は自分のためにするもので。

 やっぱり自分はどこまでいっても、利己的な人間であることに変わりはないのかもしれない。

    



 原動力が彼の存在というだけで。


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