第380話 どちらでも。
――王宮で開かれる演奏会を、王子と一緒に鑑賞することになってしまった。
勿論自分の意志であることは間違いない。
が、「もしかしてやらかしてしまったのではないか」という後悔にも襲われている。
喜んでくれた王子の顔を思い出すと、今更辞めますと前言を翻すわけにもいかないのだけど。
自分の自制心のなさに呆れながら、カサンドラは午前中の授業を過ごしていた。
果たして気軽に受け答えして良かったのだろうか、と。
ラルフの視点から見れば、二人きりのデートの邪魔をしに行くはた迷惑な存在でしかないのでは。
そんなイメージが先走り、ドッと汗を掻く。
――そもそもラルフにとって、カサンドラはどんな人間に見えているのだろうか?
攻略対象に嫌われるということは避けたい。
だが過剰に興味をもって接することも避けたい。
クラスメイト、生徒会役員の一員として一定のラインを引いて彼らに接してきたこの一年間を思い返す。
特にラルフと大きな接点があったわけでもないし、どこまで行っても付かず離れずの「知人」であった。
ラルフの自分への印象……
自分が王子の婚約者であることに疑念を抱き、裏があるのではないかと疑われていた事をまず思い出してしまう。
その後はカサンドラに因縁をつけてくることもなくなったが、今もカサンドラに不信感を抱いている?
悪意まで持たれていないだろうと思いたいのは、彼に発破をかけられた一件を思い出すから。
自分が未だにラルフにとって不審人物だったり、王子の婚約者であることが憎いと思える人間なら、婚約解消の話などスルーしてほくそ笑んでいれば勝手に自分達の関係は瓦解していたはずだ。
でも彼は引き下がろうとする自分に、ちゃんと確認しろと強く背中を押してくれた。あれが何らかの打算的行為だったとは思えない。
……ただ、ラルフはカサンドラの味方ではなく、あくまでも王子側の人間。
あの時カサンドラに声を掛けて叱咤激励したのは王子の不可解な行動が不自然に思えただけで、カサンドラ個人へはプラスともマイナスとも言えない印象のままなのかも。
勢い余って背中を押したはいいけれど、別にさして親しいわけでもない。
疎ましい――までいかなくても、若干鬱陶しいと思っている相手という印象に留まっているとしたら?
ここで演奏会にしゃしゃり出たら、持ち直しかけた彼の印象メーターが駄々下がりしてしまうかもしれない。
彼らに嫌われたいわけではない。
三つ子達の想い人であり、王子の親友だ。そして彼らにも幸せになって欲しいと思っている。
その幸せになるための恋愛ごとに自分が飛び出してきて、機嫌を損ねなければいいのだが。
腕を組んで考えても出てこない答えを探す。
ゲーム内で彼を攻略した記憶は確かにある。
でも実際に立場も次元も違った状況、姿かたちは同じでも全く異なる男性にしか見えなかった。彼らは”生きている”。
カサンドラと何ら変わりのない、一人の意思を持った人間だ。
彼らの育ってきた家庭環境を多少理解して知っているとは言え、それで全てを把握できるなんて思う方が
こんな風に、
※
食事が終わった後のお昼休憩のことだった。
カサンドラは誰かと常に一緒に行動しているわけではなく、どちらかというと単身で行動することが多い。
特定の生徒と常に一緒にいると、「可愛がっている」「贔屓している」なんて陰口が他の生徒の口の端に登ってしまうかもしれない。
用事があればその限りではないが、女子生徒としては珍しいかもしれない。
大体仲良しグループが集まって世間話に花を咲かせている姿が、学園内のいたるところで見られるものだ。
特に女子はその傾向が強い。
お茶会の件でミランダに声を掛けようかどうしようか迷った挙句、結局先に友人らと連れ立って食堂を出て行ってしまった。
どんな声掛けをすれば自然かと考えあぐね、肝心の彼女を見失ってしまったのだからどうしようもない。
出来るだけ自然に声をかけたいと思っていても、やはり友人と歓談している中に割り込むのは躊躇われる。
しかも内容がお茶会のお誘いという出来るだけ水面下で示し合わせたいことゆえに、一層声を掛けづらかった。
キャロルは廊下ですれ違った時にサラッと約束を取り付けることが出来て助かったのだが……。
どうもミランダは気の強いお嬢さん、というオーラが端々に感じられて生半な覚悟では声を掛けるのが難しい。
以前のお茶会は、アンディ伝いにお願いしたから猶更か。
選択講義が一緒ならまだ話しかけやすいが、打ち合わせでもしないと中々偶然に出会うことは難しかった。
礼法作法系に加え、社交ダンスや体術にも彼女は顔を出しているようだし。
案外身体を動かす実技が好きなお嬢さんでもある。
「カサンドラ様ーー!」
食堂を出てミランダとの接触に頭を悩ませていると、こちらの姿を見つけたリタの声が聴こえて振り向いた。
三つ子の声は皆同じ”質”のはずなのに、こんなに弾むような明るい声でカサンドラを呼び留めるのは彼女くらいだ。すぐに判別がつく。
案の定、黄色いリボンを横髪に着けるリタが手をブンブン振りながら駆け寄ってくるのが見えた。
いくら用事があるからと言っても、自分は彼女のように天真爛漫さ全開で駆け寄る事は実質的に不可能だ。
リタと同じ仕草で自分がミランダに駆け寄ったら――と、一瞬想像したが自分でもぞわっと身の毛がよだつ。
彼女は悲鳴を上げて逃げていくか、関わりたくない他人のふりをしてスルーされるかのどちらかだと思う。
これが個人の持つ資質、性格に紐づいた行動というものなのだろう。
「ごきげんよう、リタさん」
「カサンドラ様とご一緒出来る事になって、本当に嬉しいです!
無理を言ってすみません!」
彼女はカサンドラの傍に寄ると同時に、深々と頭を下げた。
もう少し勢いがついたらスライディング土下座の再現をも思わせる駆け込みぶりだったが、一応衆目があるためリタも頭を下げるだけに留めた。
「……リタさん。
歩きながら、少しお話しませんか?」
何せ、リタの声は良く透る。
彼女なりにワントーン落とした声でも、耳を
食堂の前という誰もが自然に出入りできる場所で、ラルフがどうした演奏会がどうした、という話をするのも不用心過ぎる。
リリエーヌは幻の令嬢、この学園にいるはずがない存在。
二人の会話を盗み聞く形になって演奏会の存在を知ったカサンドラが注意喚起するのも口が過ぎる気がする。が、出来る限り内容は伏せるべきだろう。
こちらの意図が伝わったのか、リタは口を真一文字に引き結び、大仰な仕草で何度も頭を上下に振って頷いたのである。
出来るだけ人影の少ない方向と言えば、やはり生徒会室に向かう廊下か。
自然に歩みを揃え、リタと回廊を渡っていく。
職員室や医務室のある西棟への廊下は日中生徒の人影もまばらだが、カサンドラにとっては慣れた道だった。
「……本当にわたくしがご一緒しても良かったのでしょうか」
カサンドラは人の視線が途切れた瞬間を見計らうように、肩を並べて歩くリタに小声で話しかける。
呼ばれたのだから、頷いた。
ただそれだけのことなのに、スッキリしない。
ラルフの同行者がリリエーヌだから、だ。自分はその秘すべき関係性にいるべきではない、第三者。
「わたくしに限らず、リタさんの事を知る方が同行されるのは控えるべきではないでしょうか」
「大丈夫ですよ~。
だって、ラルフ様が勧めて下さったんですから!」
あっけらかんと言い切って、彼女は右の掌をパタパタと上下させる。
「………?」
ラルフが勧めた……?
予想外の話に眉がやや跳ね上がる。
王子の口ぶりから、リタの強い要望があったと思っていたのだが。
「ラルフ様が演奏会の最後の曲に参加されるから、一人になる時間が少し不安だって話をしたんです。
それなら誰か知っている人も呼べばいいって、勧めてくれました。
だから私、カサンドラ様が一緒だったら心強いなって思って」
そりゃあリタはそう言うだろう。
自分ではない自分に扮して、全く知り合いのいない王宮の演奏会に行く。
何かしらのアクシデントが起こった時に、頼れる人がラルフ以外にいないのは彼女の立場では不安だろうし。
「ラルフ様は何をお考えなのでしょう。
そのような事を仰れば、秘密が露見するリスクが高くなるだけでしょうに」
彼にしては危機管理意識が甘すぎないだろうか。
皆で一緒に登校した時にわざわざ演奏会の話題をしれっと出すわ、リタに同行者を勧めるわ……
リタが自分を指名するのは容易く可能性として挙げられるだろうに。
「私も言ったはいいものの、流石にカサンドラ様は駄目だろうなって思ったんです。
こんなに学園で仲良くさせてもらってるわけですから!
ラルフ様、困るかなって」
あはは、とリタは己の失態を自分で笑う。
いくらなんでも危険すぎる、朝の話も聞かれていたらリリエーヌの正体がバレてしまう。
「でも――カサンドラ様なら、バレてもバレなくてもどっちでもいいって言ってましたよ」
「えっ……?」
ぴた、と立ち止まる。
それまで進む歩調に合わせて視界に映る景色が流れていたけれども、カサンドラが硬直すると同時に、視線はリタの顔ただ一点に向けられた。
「カサンドラ様に
私、凄く嬉しかったんです!」
ぐっと拳を握りしめて力説する彼女の言葉を上手く咀嚼できず、カサンドラは固まったままだ。
ゆっくりと思考を
成程……。
……カサンドラがリリエーヌの正体を知ったところで、ラルフが言う通り”悪い事”は起こりようがない。
だってリタはカサンドラの友人だから。
もし事が露見した場合、窮地に立たされるのは身分を僭称したリタ本人だ。
ヴァイル家は「騙された」側として
それが分からないカサンドラではないから、友人を思い騒ぎ立てることはない。
ゆえに、カサンドラがリリエーヌの正体に勘付こうが気づこうがラルフにとっては些末な問題だ、と?
悔しいが確かにその通りだ。
カサンドラもラルフに「リリエーヌさんはリタさんですよね!?」なんて詰め寄りはしないし、ずっと気づかないふりでいるつもりだから……
でも、それにしたって不思議な話だ。
当初はレンドール侯爵家が中央で何か良からぬことを企んでいるのでは、とささやかならぬ疑心を抱いていた彼なのに。
自ら架空の婚約者なんて弱みを曝け出して、痛い腹を突かれる可能性を考えなかったのだろうか。
政敵と意識しているだろう人間への対応として、脇が甘すぎる。
うーーん……?
「ラルフ様はカサンドラ様の事凄く信用してるんだなーって思いました!
そうじゃなかったら、私の我儘が通るわけないですし」
「えっ」
絶句した。
ラルフは軽々しく他人を信用するような人ではないと思うのだけど……
リタはとても素直だ。
単純とも言えるが、時としてその素直さが人の心に真っ直ぐ突き刺さる。
裏表なく、思考と言動が最短距離で繋がっている娘だと分かっているから、そういうものなのかな、と。
懐疑的にならず、スッと心の中に入るのかもしれない。
信用されているとは俄かには信じがたいことのはずなのに。
彼女に言われると、もしかしたらそうなのかもしれないな――と、心に晴れ間が射していく。
※
翌朝、カサンドラは意を決して自分からラルフに声をかけることにした。
婚約者が決まった彼の周囲には、今まで何かにつけて話しかけに来た女子生徒の影もすっかり少なくなっていた――はずだったのだが。
彼の意に反し、一時は数を減じていた付きまとう女子生徒もリリエーヌはこの学園にいないのだからと徐々にその勢いを取り戻しつつあった。
ラルフは本人の真意はどうであれ、社交的な人だ。
王子と同じく、女性に対してもごく普通に人当たり良く対応できる貴族の鑑のような存在と言っていい。
要するに話していて楽しく、お近づきになって損はないわけで。
婚約者! という単語に恐れをなして遠巻きにせざるを得なかった女子生徒も、対王子仕様を
彼にとっては閉口ものの現実だろう。
ようやく取り巻かれることもなくなったと羽を伸ばして自由を満喫していたのに、王子と違って婚約者が学園内にいないディスアドバンテージのせいで再び女性陣が活気づき始めるという状況に置かれていた。
女子生徒を前にして雑談を続ける彼に話しかけるのには、若干の勇気が必要だった。
近くの席にリタがいるのに、婚約者はどんな人なのか、自分も会いたい、だのの攻勢を受けているラルフ。
表情はにこやかでも内心はうんざりしているのだろうな。
カサンドラは息を吸い――緊張を悟られないよう、出来るだけ穏やかに声をかけた。
「ラルフ様、ごきげんよう」
普段、王子達の席近くの教壇前に姿を見せることのないカサンドラ。そんな自分の存在に気づいた生徒達は狐につままれた顔をしている。
恐らく一番驚いていたのは、王子ではあるまいか。
そんな動揺を顔に出す人ではないけれど。
「……カサンドラ」
僅かに驚いたような顔をしたものの、一体自分に何の用だ、と言いたげに。
倦んだ表情のラルフが重たそうに口を開く。
朝から女生徒達に捕まっている不満をこちらに向けないで頂きたいものだ。
「演奏会へのお声掛けを頂戴し、ありがとうございます。
リリエーヌさんにお会いできる事、今から楽しみでなりません」
こちらの様子を恐々と伺っていたリタが、目に見えて動揺して身体を揺すっているのがおかしかった。
「ああ、そのことか。
彼女は君の事を頼りにしているようだから、来てくれて僕も助かるよ。
――今後ともリリーと仲良くしてあげて欲しい」
事情があって架空の婚約者を選ばざるを得なくなった彼。
婚約者の正体は、同じクラスの女子生徒。
気づいていても、気づいていなくてもどっちでもいい。
無責任というのか、信用されているというのかは判断が難しいところだが。
きっちりカサンドラとリリエーヌが”繋がっている”アピールをされるところを見ると、彼もカサンドラに事実を隠そうとも思っていないのだろうなと思った。
――ラルフとは、このくらい距離感が丁度良いのかもしれないな。
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