第379話 演奏会のお誘い
「おはよう、キャシー」
朝の王子の第一声に、ようやく慣れて来た。
カサンドラだけではなく、周囲も彼の様子に一々大袈裟な反応をすることもないし、教室内での雑談に途切れ目が生じるわけでもなかった。
ただ、毎朝のように王子に挨拶に訪れていた最上級生の生徒は、王子と全く会話を交わせない状態に不服そうな様子である。
……突き刺さるような視線は感じるものの、自分を差し置いてどうぞ彼・彼女達と話をしてきてくださいと言うのも憚られる。
王子は王子の意思で行動しているので、それを自分が指図するなど逆に厚かましい。
それに一年中ずっと王子は朝の時間、彼女達の雑談相手をしてきたのだ。
たった二週間程自分が独占したからと言って罰は当たるまい。
そう無理矢理自分を納得させ、視線を軽くスルーする。
恨みに思われるのは本意ではないが、彼女達の御機嫌取りと王子との時間どちらが大事かと言われれば考えるまでもない話だった。
雑談の途中、今後の週末の予定について王子に尋ねられた。
「……婚約のお祝い?」
王子は予想外だ、と言わんばかりの表情でこちらを凝視する。
廊下で話をしている自分達を第三の自分の目が俯瞰すると、ただのカップルのやりとりにしか見えない。
実際にそれに違いないというのに、毎日毎日いつも同じ場所で二人で話をする光景はバカップル呼ばわりされて後ろ指をさされはしないかと冷や冷やものだ。
「はい。
今週や来週末ということはないのでしょうが、近い内にキャロルさんとミランダさんのご婚約をお祝いする場を設けたいと考えております。
発起人はシャルロッテさんなのですけれど」
「私は彼女達と親しいわけではないから、事の是非について何か言うことはないけれど。
そうか、君が三人を招くわけだね」
「折角の機会ですので、アンディさんやエドガーさんも招待出来ればと思ったのですが……」
ミランダとアンディ。
キャロルとエドガー。
男性陣がいないのに、女子だけで盛り上がるというのも片手落ちな気がする。
だが非公式のお茶会に、アンディやらエドガーを連れてくるのは難しい。
普段付き合いのない他家の人間を招くのなら、公的な催しとして主催する必要があるだろう。何度も行き来している身内や内輪ならともかく、だ。
正式に婚約を祝うという名目で招待状を出すなら、招待主であるカサンドラも王子に同席してもらう必要に迫られる。
――そうなった場合、婚約者のいないシャルロッテは……
慣例上近しい親族である父か兄と同伴で来なければいけない。
はっきり言ってシャルロッテの兄のビクターは居心地が悪いこと甚だしいだろう。
彼に居心地の悪い想いをさせないよう彼の親しい人間を呼ぶ必要も出てくる。
連鎖的に招待する相手が膨れ上がって、際限がなくなるから難しい。
自分の権限で呼びたい人を呼べばいいと言っても、人数が重なれば重なる程、招待バランスのかじ取りが難しい。
大所帯にしないためには、自分達だけでささやかなお茶会ついでの「おめでとう会」のこぢんまりとしたものが良いと思ったのだ。
シャルロッテ自身も、結局は四人で集まる口実が欲しかったのかもしれない。
最初のお茶会以降皆で顔を合わせて話をする機会もなかったし。
ささやかなお祝いついでに、女の子同士でのわいわい楽しい女子会を楽しみたいのだろう。
「確かに彼らも等しく祝われる立場だ、同席した方がいいだろうね。
でも生憎アンディは近く王都を離れる事になっている。地方での大きな役回りを任されたと聞いた。
休日に集まることは難しいはずだから、君達だけで楽しく過ごすよう段取りをした方が互いに気負わなくて良いと思うよ」
「まぁ、そうなのですか。
ミランダさんも寂しくお想いでしょうね」
騎士団は王都内だけに留まらず、地方に派遣される事も多い。
レンドールにも騎士団の駐屯地があって、良く挨拶に訪れていたものだ。
あれは王国内の治安維持に見せかけ、レンドールに王家に対して翻意が無いか逐一兵力の確認を行っているのだとか。
父も領内の話で騎士団に出張られることを厭っている、騎士団への印象はあまり良くないはずだ。
騎士団の人事で地方任官を経験し、下地を積み上げることも昇進への大きな足掛かりだ。
アンディにとって見聞も広がり、良い経験となるだろう。
何せ近い将来、ジェイクの片腕として騎士団幹部の座を約束された人物。
更にウェレス伯爵家という贅沢な後ろ盾もあるのだ、間違っても島流し待遇ではあるまい。
任期は分からないが、ミランダが卒業した後、彼女が任官地に赴けばいいだけの話だ。
華々しく王都に戻ったら今以上の地位が約束されているに違いない。
会えない間は寂しいだろうが、こればかりはしょうがない。
「そうだね。
……だからキャシー達に祝ってもらう機会があれば、ミランダ嬢も嬉しいのではないかな」
「教えて下さってありがとうございます」
地方任官に向けて多忙なアンディに声を掛ける前で良かった。
こういう理由があるなら、女子会のような集まりになることも不自然な事ではない。
思い余ってアンディやエドガーに声を掛ける前で良かった。
「……それにしても――驚くばかりだ」
「王子?」
何故か感嘆した様子を隠さない王子に、カサンドラは首を傾げた。
婚約祝いの話を提案したのはシャルロッテである。もはや発案の横取り状態になっているのに、そんなに感心したように「うん、うん」と訳知り顔で頷かれても困ってしまう。
「耳には届いていたけれど、本当にキャシーが彼女達と仲良くしているという事に感動さえ覚える。
……君の立場で三人に接触を図ることは困難だっただろうね。
全く騒動も起きることなく、今に到るまで学園内が平和なのは君の影響が大きかったのかもしれない。
シリウスも不思議がっていたよ。ここ数か月女子生徒での諍いも減った、緊張が和らいでいる気がすると」
実際に緊張が和らいだのなら、それは自分のしたことではなくシャルロッテやキャロル、ミランダ達の行動の変化が大きかったからだと思われる。
反目し合うでも無視するでもなく、ごく普通の親しい間柄として日常的に接することで縄張り争いのようないがみ合いも自然と減ったようだし。
カサンドラを始め、皆良好な関係だと暗黙の共通認識が広がれば、それに表立って反発して問題行動を起こす令嬢もそうそう出てこないわけで。
概ね、アイリスの言っていた通りの状況が現実になったと言っていいのではないだろうか。
「三人のお陰でしょうね、皆さん本当はお互い親しくなりたかったと仰っていました。
その機会の実現に携われたことは嬉しいことです」
「キャシーだから今の状況があるのだと思う、中々出来る事ではないよ」
「いえ、とんでもないです。
そもそもアイリス様のお膳立てがあったからこそ、わたくしも踏み切ることが出来たのです」
王子が物凄く感心した様子なのが心に痛い。
カサンドラ自身は、決して三人と接触を図ることに前向きだったわけではないのだ。
アイリスたっての依頼でなければ、学園内の均衡を破りうるような博打めいた行動に出ることは出来なかった。
幸い、キャロルを始めシャルロッテもミランダも普通のお嬢さんで、話が通じる人だったから上手くいっただけだ。
自分の意志もなくただ周囲に祭り上げられているだけだったり、威張り散らすような気位の高いお嬢様相手だったら最初のお茶会自体頓挫していたことだろう。
たかが地方貴族のカサンドラが音頭を取って自分達を招集しようなど、何様のつもりなのかと騒ぎ立てられたら宥めるのも大変だったはず。
運に恵まれていたから、今がある。
「アイリス嬢も、君だから気兼ねなく相談が出来たのだろうね。
彼女だって信用の置けない人にそんな話はしないよ」
王子は微笑む。
ピッカー、と光り輝く爽やかな笑顔に思わず両目を覆いたくなる眩しさ……!
「王子、もうそれくらいで……」
カサンドラは所在なげに視線を彷徨わせた。
面と向かって誰かに自分の行いを認めてもらえる機会はそうあるものではない。
それが全く駆け引きも嫌味もなく、満面の笑顔で褒めてくれるものだから……大変落ち着かない気持ちに襲われる。
誉め殺し状態!
カサンドラの表情は笑みの形のまま硬直した。
だが一頻り嬉しそうに頷いていた王子であったが……
次第にその表情を翳らせていく。
「今回の婚約祝いの件――非公式だろうが君の名で招待出来る事は喜ばしい事だ。
ただ、何一つ君の力になれず歯痒く思うのも私の正直な気持ちかな」
声にならない悲鳴が喉の奥に木霊する。
デイジーの言葉がひょっこりと記憶から飛び出てきたせいだ。
カサンドラの名でなくとも、王子の名を借りて大々的に! なんて。
王子がカサンドラのために何か出来る事があればと思ってくれるのは、とても有難く嬉しいことのはずなのに。
流石にこの件で王子の名前を出して祝宴を開くのは、小規模な女子会を開きたいシャルロッテには不都合なことだろうし。
カサンドラだって、ただでさえ毎朝王子に話しかけられなくて苛々している女子生徒の視線を感じている。
王子の威を借りてまで、要らぬ争いの種を撒きたいわけではない。
自分の責任で出来る範囲は、自分の手の届くところでおさめたい。
カサンドラは、基本的に小心者なのだ。
根っこは臆病だと自覚している。
それが図らずも”慎重で真面目”だという評価に繋がっているだけだと思う。
「ところで、週末のお話ですが……
王子は何かご予定が?」
話を元に戻そう、と。
カサンドラは自分で脱線させた話題の行き先を切り替え、王子に向き直った。
「ああ、そうそう。
来週末、キャシーの予定は空いているかな」
フッと表情を元に戻す王子。
真面目な顔もドキドキする――結局はどんな表情でも王子の姿はカサンドラには刺激が強いのである。
会って話が出来る神様の作った芸術品、という印象は全く変わることはない。
彼は人差し指の先をを天に掲げるように、上向きに立てた。
「大丈夫です、現状予定はございません」
お茶会の招待は、今のままなら来月になりそうだ。スムーズにいけば、だが。
ミランダやキャロルだって大貴族のお嬢様、暇を持て余しているはずがない。
だが男性陣を招く手間がなくなれば、その分実現も早くなるだろう。
「来週末、城内のホールで王宮楽士団の演奏会があってね」
カサンドラは記憶を馳せる。
そう言えばチラッとそんな話を小耳に挟んだような。
ラルフとリタの会話だったか?
さぞかし盛大な
去年の誕生日、自分は王子やラルフ、ジェイクとシリウスというとんでもないメンバーから演奏を贈られた。
あれはあれでレアすぎるイベントだったけれど。
王国で最も非凡な音楽的才能に恵まれたエリート集団のオーケストラは、カサンドラも今まで経験したことのない規模に違いない。
学園に派遣される音楽隊とはまた違う、エリートの中のエリートたち。
剣術の腕は誤魔化しが利くものではないと言われるが、音楽という芸術分野もまた誤魔化せるものではない。
どんな音楽を奏でるのだろうかと気にならないと言えばウソになってしまう。
「先日ラルフから、キャシーも演奏会に来てもらえないかという打診があった。
私もその日は都合をつけて鑑賞に向かうから、君も聴きに来てもらえないかな」
「わたくしに?」
何故?
至極当然の疑問が脳内にポンっと浮かび上がる。
あの会話の内容やラルフの現状から察するに、ラルフとリタで参加するというよりはラルフと「リリエーヌ」に扮したリタと一緒に行くことになるのだろう。
いくらなんでも婚約者がいるのに
「ラルフ様はリリエーヌさんと一緒に鑑賞されるのですよね?」
「そのリリエーヌ嬢が、キャシーを呼んで欲しいと要求を出したそうでね。
ラルフも君に声を掛けることは気が進まなかったとは言っているけれど、リリエーヌ嬢たっての『お願い』だからね。
どうにかして君にも来てもらえないかと相談を受けたんだ」
「リリエーヌさんが……」
勿論、中身はリタだ。
リタがリタの姿で演奏会を鑑賞するなら、カサンドラも喜んで一緒に行くだろう。
でも正体がバレないように振る舞わなければいけない状況で、敢えてカサンドラを指名してくるなんて……かなりリスキーな要求ではないだろうか。
ヴァイル公爵家の思惑はどうであれ、架空の婚約者だと知られないように工作をしているはず。
その状況下で、リタと友人関係で気づくかもしれないカサンドラを同行させるなんて。どう考えても諸手を挙げて受け入れられる話ではない。
危機意識が無く、もっと直截的な言い方をすれば愚かな行為だ。
勿論カサンドラは全てを知った上でスルーしているけれど、そんなことはラルフは知らない。
……そんなリタの我儘など拒否すればいいのに、不承不承でもカサンドラに打診を行ってきたということは……
カサンドラを呼ぶというリスクを冒してでも、リタの希望を叶えたい。
そう、彼が考えたからだと思う。
「先日の晩餐会で君とリリエーヌ嬢が親しくなった事は私も知っている。
彼女は社交界に知人もおらず、同行してもらえると心強いと言っていたそうだ。
どうだろう、キャシー」
少し悩んだ。
ここで提案を受け入れることで、リタにとっては本人が言う通り心強く感じてくれるかも知れない。
だがラルフにしてみたら 『空気を読め』 と不快に感じる可能性も……なくはない。
折角二人で演奏会デートに行けるのに、自分達が視界の端でウロウロしていたら色んな意味で落ち着かないはずだ。
リリエーヌの正体が王子や自分にバレるかもしれないと思いながら時間を過ごすのは、彼にとってもストレスだろう。
気を利かせて二人きりにさせてあげるべきなのか?
『リリエーヌ』を演じるリタが、少しでも安心できるなら空気を読まずに参戦するべきなのか?
ラルフには一角ならぬ恩もあるので、出来れば彼の本意に沿いたいとは思う。
しかしリタだって、彼女にとってアウェイの城の中で心細いかも……
「それに私もキャシーが城に来てくれるのならとても嬉しい。
予定は絶対に調整するから」
王子は奇を
綺麗に澄んだ鮮やかな青色の双眸。その中に、戸惑う自分の表情が映り込んでいる。
「勿論喜んでお伺いいたします。
ラルフ様には、お誘いを頂戴したお礼を申し上げなければいけませんね」
綺麗ごとを並べても結局のところ、カサンドラだって王子と一緒にいたいのである。
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