第375話 六角形、解消


 週末の晩餐会は、カサンドラにとって予想もつかない事ばかりだった。


 とても楽しい思い出として、この先も忘れる事は出来ないだろう。

 王子やラルフの驚くべき言動もそうだし、その後王子とアレクが一晩兄弟水入らずの時間を過ごしたと言う事も。


 王子と一緒に宿泊しようと誘うなど、本来の彼の性格を考えれば正気を疑うレベルの発言である。


『王子! 良かったら僕の部屋で一緒に休みませんか!?』


 ふと脳裏に甦るのは、屈託ない笑顔。

 あんなに無邪気に、楽しそうな表情のアレクを見たのは初めてかも。

 自分は彼と五年以上姉と弟という関係でいたけれど、本物の兄弟の前で見せる顔はあんなにもあどけないものなのだ。

 今思い返せばかなりの衝撃である。


 ただ……


 何故かアレクは、王子がお城に帰ってからしばらく元気がなくなってしまったようなのだ。

 意気消沈した義弟の様子は、『そんなにお兄ちゃんっ子だったのか』とカサンドラを震撼させて止まなかった。


 仕方のないことかもしれない。今まで「無い」と思っていたものが一度「有る」のだと気づいてしまった時、幸せなものであればあるほど――この上ない喪失感を覚えるものだ。


 頻繁には無理かもしれないが、そんなに離れてがっかりするくらいなら。

 今後も王子をレンドールの別邸に招いて、食事でも一緒に摂る機会を増やすことも視野に入れるべきではないかとカサンドラは人知れず首肯する。


 カサンドラは王子と外食する時は餐館ゲストハウスに招待されていたが、そこにアレクを連れて行くわけにはいかない。

 万が一、アレクの姿をシリウスに見られては厄介な事になるかもしれない。

 彼は記憶力が良いし、幼い頃から王子の幼馴染として王宮に出入りしていた。


 王子時代のアレクの事を面影を見い出し、生き残っていたと知られたら……

 想像すると背筋が凍るように冷えていく。


 少なくとも、王子の幼馴染とアレクの個人的な接触機会など無い方が安心だ。


 人前で会えず忍んで会わねばならない兄弟。

 ……。積もる話も終わった後だろうし、アレクの寂しさも少しは和らいでいると良いのだが。





 晩餐会は学園とは全く関係のない、私的な催しである。

 この学園でアイリスに招待された生徒は自分と王子、そしてラルフとキャロル――リリエーヌくらいなものだ。





   『愛しい婚約者に、何か?』




 思い出すと、顔にボッと火がつきそうだ。


 ケンヴィッジの三姉妹の前に颯爽と立ち塞がって牽制してくれたあの姿を、この学園の生徒に目撃されなかったことは幸いだ。

 流石にあの場面を間近で目撃され、話を振られてはカサンドラもしどろもどろになる他ない。


 日が経った後の手の甲だというのに、まだ熱が残っているような気がする。

 ラルフは女性に対して社交辞令のような誉め言葉を多々使うし、扱いもスマートだ。

 決して女性好きというわけではないが、公爵家の長男としてどう振る舞う”べき”なのかよく理解している。


 だから『婚約者リリエーヌ』への愛の言葉がサラッと口から出てくるのは意外でもない話。

 だが王子はそういう恥ずかしい台詞を素面で言うような性格には……


 と思ったが、過去のあれやそれやが一気に記憶を押し込めた箱から脳裏に飛び出て来た。


 週明けの登校中に、王子の台詞の一つ一つを詳細に思い出して恥ずかしがるなど、自殺行為だと思考を一旦停止する。



 王子と朝教室で話が出来るので、毎週月曜日のルーティンになっていた手紙を渡す、という行動の必要もなくなった。

 今まで手紙に書いていたような近況報告や差し障りのない固い文面を渡すより、実際に言葉で話した方が早い。

 一方通行のやりとりが噓のように、新学期からカサンドラの学園生活は様変わりしてしまったのである。



「カサンドラ様、おはようございます!」


 登校時間も他の生徒に合わせている。

 早起きの必要もない事をしみじみと噛み締めながら外門をくぐるカサンドラに、聞き覚えのあり過ぎる声が掛けられた。


「皆さん、おはようございます」


 三つ子が仲良く一緒に登校している、その時間に被ってしまったようだ。

 最初は三つ子ということで戸惑ったものの、今となっては彼女達の中の一人としか出会えなかった世界は考え難い。

 全く同じ姿かたちなのに中身は別人。

 でもそれぞれ仲が良い、カサンドラにとっては羨ましい姉妹の絆を持つ主人公達。


 カサンドラの行いでこの先の恋愛シナリオがどうなるのか――こんな心配をカサンドラがしているなんて彼女達が気づくはずもない。


「一緒に教室まで行きませんか?」


 人一倍元気な声、ニコニコ笑顔のリタ。

 一昨日『リリエーヌ』と化した彼女と一緒に過ごした時間は、幻だったのだろうか。


 別人、変装。そんな単語が彼女の周囲に浮かんでしまう。


 元の顔立ちが大きな特徴のない普通に可愛い女の子なので、化粧やウィッグ、ドレス効果で大化けしていた。

 ここにキャロルがやってきても、ここに大好きなリリエーヌ嬢がいるだなんて気づきはしないはずだ。


 リタの笑顔がいつも以上に輝いて見えるのは、カサンドラの気のせいではあるまい。

 晩餐会でラルフの婚約者役をこなすことが出来て自信がついたのだろう。


 ゲーム内のイベントだから仕方ないとはいえ、一般生徒に無茶ぶりが過ぎると改めて思う。



「ええ、勿論です」


 週明け早々、彼女達と登校できるのは運が良い。

 カサンドラはクラスメイトからも遠慮がちに接せられる、デイジーや三つ子以外は軽々しく声を掛けてくれない。

 そんなに高圧的に見えるのかと落ち込むが、今更な話だ。


 出来るだけ派閥に巻き込まれないように他の生徒ととってきた距離を思えば、致し方ない。

 


 三人と一緒に並木道を歩いていると、まさに『平和』という文字が浮かび上がって来るかのようである。

 三つ子の恋愛に関しては確たることを言える状況ではないが、少なくとも――


 こうやって皆で楽しく過ごせる時間は穏やかで凪いだ湖面の上に浮かんでいるような心地よさを感じていた。




 だがそんなカサンドラの平穏な時間も、彼の一言で一気に心慌ただしい一幕に変じていく。


「――おはよう、キャシー!」


 再び背後から――しかも結構後方から声を掛けられ、カサンドラの歩みは急停止した。

 勿論王子の声掛けに合わせて三つ子もピタッと制止する。


「おはようございます、王子」


 嬉しいのだけど、何と慣れない事だろうか。

 王子がいたって平常通り爽やかな笑顔で片手を挙げている姿に、一気に心拍数が跳ね上がる。

 朝から眩し過ぎて、心構えが出来ていないと変な声を上げてしまいそうだ。



「……じゃ、じゃあカサンドラ様。

 私達はこれで」


 リゼは王子の姿を見つけ、彼が一直線に早足でカサンドラの方に向かってくるので一歩横に退いた。

 緊張した面持ちで愛想笑いのリゼは、邪魔をしてはいけないと気を遣ってくれたのか。

 妹達の腕を引っ張るように先に校舎に向かって進もうとしたのだ。


「三人とも、おはよう。

 先を急ぐ用事が無いのなら、君達も一緒に行こう」


「えっ、でも」


 王子は全く動じていない。

 アルカイックスマイルのまま、若干後退る三つ子を誘い始めたではないか。


 そして数秒後、彼の真意を理解する。




「おいアーサー、勝手に一人で先に行くな、って――」


 王子は毎朝、教室に友人たちと入ってくる。

 何か別行動する用事でも無ければ、四人一緒に登校してくるのは去年から変わっていない。


 王子を追いかけ、ぶつくさと文句を言いながら赤髪の男子生徒がやってくる。

 カサンドラだけではなく、三つ子の存在に気づいた彼は少し驚いたようであった。


 ラルフとシリウスも鞄を小脇に挟んだままゆっくりとした歩調で現れた、が。

 彼らもまた、王子が呼び留めていたのはカサンドラだけではないと知ると途端に様子が一変する。


 もはやカサンドラの事など視界に入っていないのではないか、と疑いたくなるくらいごく自然に視線を三つ子に向ける。

 そうなればもう、リタ達とて王子やカサンドラの事を気に留める余裕も消し飛んでしまうわけで。

 ここまできたら完全に二人の世界がそれぞれ形成されてしまっている。

 

 王子が誰と一緒に登校しようが委細問題なしのようだ。


 完全に王子も分かっててやっているのだろうなぁ、と確信犯めいた意思を感じるカサンドラ。



 だがお陰で、この上なく平和的に、全く問題なく皆揃って校舎に向かって登校を再開することが出来たのである。

 



 全員で一緒に行動するのは、去年の餐館でバッタリを顔を合わせて以来だろうか。

 最も古い記憶を辿れば、一学期の試験が終わった後玄関ホールの奥にある中庭で揃って夏休みの計画を話していた光景が思い浮かぶ。



 今は随分と、雰囲気が変わってしまったなぁ……そうカサンドラが達観し、目を細めてしまうくらい様変わりしたこの関係性。

 そもそも男性陣が完全に態度が変わってしまっているのが見て取れて、本当に愉快――いや、感慨深いものがある。


 勿論、出来る限り感情を抑えているしあからさまな言葉に出すわけでもない。

 だがお互いに相手の事しか見えていないというのは同じだ。



「ジェイク様、結局土日はずっとお仕事だったんですよね」


「そうそう、休日返上な。

 今度の日曜は絶対騎士団には顔出さないし、遠乗りに行こうな」


「嬉しいです! あ、もしご迷惑じゃなかったら、私、馬の上から弓を射ってみたいです」


「あー、騎射な。……え、お前本気か? ……転んで落ちたら踏まれて死ぬぞ?」


「……落ちません!」





「あ、ラルフ様。この間は……ありがとうございました!」


「僕の方こそ気を遣わせてしまって申し訳ない。

 演奏会の件、予定は問題なかったかな」


「はい! 大丈夫です。むしろ這ってでも行きます!

 ラルフ様も演奏されるんですよね!?」


「最後の一曲だけね。

 頻繁に音合わせが出来るわけじゃないから、混ぜてもらえただけ運が良かった」


「わー、楽しみです!」






「シリウス様、昨日はあの後大丈夫でしたか?

 ……私、結局何も出来なくて」


「気にするな、全く問題ない。

 あいつの意地の悪い助言を鵜呑みにせず、機転を利かせてくれて助かった」


「とんでもないです。

 以前、奥様は葡萄が苦手だと仰っていましたよね。

 ワインをお持ちする指示を不思議に思い、確認にあがっただけですから」


「今後もあいつの言うことは真に受けない方が良い。

 他人の失敗を指をさして笑うのだけが生き甲斐という、どうしようもない人間だ」


「そうでしょうか、ただお忘れになっていただけだと思いますよ」


「お前のいる餐館を選んで正解だったな。……ありがとう」






 ……王子も確かに彼らから見れば『変わった』かもしれないが、君達も十分変わってしまったよ…… 





 三者三様のやりとりは、もはやカサンドラが関与できるものではない。

 相談を受けることも今後はなくなるくらい、順風満帆なやりとりを続けていけばいいと思う。




 大きな事件なんてなくても自然に当たり前に、お互いの想いが通じ合うのではないか。

 そうであって欲しい。


 王子と雑談を交わすわずかな隙間に聞こえる彼女達の会話に、心の底からそう願うカサンドラであった。




 ※




 もうすぐ校舎の入り口、玄関ホール。

 今日はこのまま教室に入る事になるだろう。


 並木道を歩く時には遠巻きにされていた自分達だが、やはりエントランスに近づくにつれ他の生徒が集っていることを実感してしまう。

 チラチラとこちらを盗み見るように、様子を窺っているのが肌に突き刺さるのだ。




「そうだ、カサンドラ!」


 薄い鞄を肩に引っ掛けるように掲げていたジェイクは何かを思い出したのか、こちらに声を掛けてくる。

 彼の声は平時でも大きい。

 注意を向けようとトーンを一つ上げた呼び声は、三つ子達だけでなく周囲の人間まで注目してしまう大きさだ。


 今に始まったことではなく、「何でしょう」と微笑を讃えながら返事をしたのだが……





「土曜、アーサーがお前の家に泊まったんだって?」




 ――!?!?




 ………ジェイク……? 

 しれっとした顔で一体何を……!?




 その場にいた全ての人間の動きが完全に止まった。


 時間停止した世界を一瞬体験することができたカサンドラだが、残念な事に自分も驚き過ぎて二の句が継げない。



 三つ子の「え?」と見てはいけないものを見るかのような視線、そしてバッと逸らす仕草に身が捩られ引きちぎられるかと思った。


 落ち着け、とゆっくりを息を細く吐き出す。

 自分は何もしていないのだ。


「た、確かに晩餐会の後、王子はわたくしの屋敷でお休みになりました。

 遅い時間ですし、お帰りになるのも大変かと弟が――」


「そうそう、お前の家で凄いもてなしを受けたって同僚が言ってた。

 泊めてもらえて助かった、お礼言っといてくれって。

 アーサーもお前の弟と夜じゅう話し込んでたみたいだし、世話になったとかなんとか」


 

 その瞬間、緊迫感に息詰まっていた玄関ホールの空気が弛緩する。

 ホーーッと全力で安堵した生徒達の心境を思うと、カサンドラは恥ずかしさの余り頭を抱えて蹲りたくなる。


 三つ子もきまり悪げにそれぞれ顔を見合わせ、胸を撫でおろしているではないか。どれだけ気まずい思いをさせれば気が済むのか。



 三つ子達の顔がまともに見れない。

 お願いだから再三にわたって勘違いしないで欲しいものだ。



「さ、左様ですか。

 騎士の皆様が不足なくお過ごしならなによりでした、弟に伝えておきますね」



「頼んだ。

 ……でも、アーサーの寝起き悪くて大変だっただろ。使い物にならないって言うか。

 あれでシリウスよりマシって凄いよな」



 ジェイクの何の気ない発言にムッと口を尖らせたのはシリウスだ。

 チッと舌打ちをし、眼鏡のブリッジを指でくいっと押し上げて苛々と立ち昇らせる。



「失礼な事を言うな、朝目覚めてすぐに行動できるお前の方がどうかしている。

 そうだろう、ラルフ」




「……どっちもどっちかな。

 ジェイクは朝から煩いし、シリウスは機嫌が氷点下で話にならないし。

 足して二で割るくらいが丁度いいから」




 肩を竦め、飄々とした応対のラルフ。




 主人公三つ子の性格のバランスは奇跡の天秤の上に成り立っていると思うけれど。


 なんだかんだ、彼らも仲の良い幼馴染なのだと思える一時だ。







 傍で彼らのやりとりを苦笑しながら眺める王子の視線は――『大事な友人』に向けるものだった。


 

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