第371話 姉妹、去りし後


 完全に思考が停止していた。


 気が付けば捨て台詞もなく、三姉妹は娯楽室から去っていった――もはやこちらの心中はそれどころではない。


 いきなり乱入してきた二人組のインパクトは絶大で、カサンドラの頭周辺に鳥がぐるぐる舞っているような精神状態である。

 口を開けば動揺のあまり奇声を発してしまいそうだ。


 突然の王子の行動――もはや奇行とさえ思われる――に、自分の心臓が弾け飛んでしまったのではないかと勘違いした。

 スッと彼の手がカサンドラの手から離れた後も、腕が持ち上げられた体勢のまま宙に浮く。しばらく呆然としていた。


 王子が困っていた自分達をフォローしてくれたことは理解している。

 だが同時に自分達まで一緒に発破しなくてもいいのではないか?


 まだ手の甲に熱が残っているような気がして、カサンドラは平静を装うので精一杯だ。


「これであの子達も、反省し考えを改めてくれればよいのですが。

 大変申し訳ありませんでした」


 アイリスがそう頭を下げて詫びているのを茫洋と眺めている。

 もしも王子達が割って入ってくれなかったら、自分は三姉妹にどんなことを言っていたのだろうか。

 折角この一年、『怖いお嬢さん』という評価を覆すことができるように目立たず静かに、常に沈着冷静であろうと意識してきた。

 いきなり聖母のように慈愛に満ちた存在にはなれないが、少しずつ以前の評判を払拭していったように感じていたわけで。


 この場で大声を伴い彼女達を叱咤し罵声を上げてしまえば……

 むしろカサンドラの方がダメージが大きかったのではないだろうか。


 三姉妹が”ああ”なのは今に始まった事ではない。ヴァイル派の貴族が集うこの場では失笑されこそすれ、アイリスに同情的な人間の方が多いだろう。


 だがカサンドラが不快だからとその場の感情に任せて怒鳴り散らせば、そちらの方が印象に残って人の噂にのぼってしまうに違いない。


 しかも閉ざされた場所だから、尾びれ背びれはつけ放題。

 逆にアイリスに気を遣わせてしまうことになった可能性が高い。


 だが王子達が颯爽と場に割って入ってくれたおかげで、可能な限り平和に穏便に彼女達を退場させることに成功した。


 これは自分だけではできなかったことだ。


「キャシー、大丈夫?」


「はい、とても助けて下さってありがとうございました」


 いくらインパクトが大事だと言っても、前触れが無さ過ぎる彼の行動にはこちらの方が驚かされる。

 ようやく宙に浮いたままの右腕を下ろし、後ろ手にさっと隠した。

 

 カサンドラもこうなってしまったのだから、当然リタも平然としているわけがないだろう。

 気を紛らわせるためにも彼女の方に視線を遣る。


「……すみません、ラルフ様。

 私、少し席を外しても良いですか……?」


 普段との差を考えれば、やはり耐え難いものがあるのだろう。リタは肩を震わせ、まさしく作ったような引きつり笑顔でラルフにそう告げる。


 静かに、でも素早い足取りでリタも娯楽室から一旦出てしまった。


 ……気持ちは、凄く分かる!


 もしも許されるのなら、自分も退席して誰にも見られない場所で壁でも叩いて気持ちを鎮めたい。

 恥ずかしさにのたうち回るような醜態を晒すことができないのはカサンドラもリタも同じだが、ここは自分が留まって場を収める事が一番なのだろうと自分で自分を納得させる。


「アイリス嬢、貴女の妹御とは言え……この事態、話に聞いていた以上にお困りでは?」


 眉尻を下げ、騒動の原因である三姉妹がいなくなったことにアイリスはホッとしているようだ。

 そんな彼女に、王子は同情を込めた視線と共にそう言った。


「お気に障るような事態を起こし、申し訳ございません」


「一度、私達から侯爵に忠告をした方が良いのではないだろうか。

 ……ラルフはどう思う?」


「僕はそれでも構わない。

 流石に目に余る言動に感じたね」


 王子とラルフから直接、侯爵に三姉妹の行動について苦情を入れてくれるらしい。

 それはカサンドラとしても、一番彼女達にとって効果があるお灸なのではないか? と人知れず心の中で何度もコクコクと頷いていた。

 実際に首を動かしていたらげてしまうかもしれない、高速首肯である。


 彼女達が好き勝手な振る舞いをしアイリスを困らせることが出来るのは、父である侯爵の後ろ盾があってのことだ。

 ケンヴィッジ侯爵といえども、この二人から直接苦言を呈されれば現実を目の当たりにし、考えを改めざるを得ない。


「まぁ、王子。ありがとうございま――」


 王子の申し出に、アイリスは一瞬表情を明るくした。

 手を胸の前で合わせ、安堵の雰囲気を醸し出す。

 だが一瞬の事だ。


 何かにハッと気づき、彼女は俯き表情を翳らせる。


 ややあってアイリスは静かに首を横に振った。

 力なく、二人の申し出を遠慮するアイリスにその場にいたカサンドラ達はとても驚いた。


 彼女が妹達の素行に困り、迷惑を受けていることは明白だ。


「お気遣いありがとうございます、王子。ラルフ様。

 ……この度の件は謝罪いたします。どうかお目こぼしを頂戴出来ないでしょうか」


「どうしてですか、アイリス様。

 普段からお困りなのでしょう?」


 それまで言葉を挟むことを遠慮していたカサンドラだが、つい驚いて声が出てしまった。


「個人的な話ということで、ケンヴィッジ家の問題にするつもりはないよ。

 アイリス嬢が不利益になるようなことはない」


 王子は再度、そう強く申し出た。

 あの惨状を目の当たりにすれば、二度と同じシーンに出くわしたくないという彼の気持ちも分からないでもない。


「……。

 最初からあの子達と今のような関係だったわけではないのです。

 今は教えてくれませんが――原因があるとすれば、それは我が家の問題。

 王子の手を煩わせてしまうわけには参りません」


 確かに迷惑を掛けられ、困らされていた。

 王宮舞踏会の招待状を破かれたり、大切な従妹を虐めるなどの非道な行いがあったことは間違いがない。

 だがこれで彼女は千載一遇の機会を自ら手放してしまった。


 同じように困ったことがあってもアイリスの自業自得、ということになってしまいかねない。

 問題解決の機会があったのに、それを見過ごしてしまった自分のせいだろうと言われるだけである。

 より一層三姉妹のことで彼女の立場、彼女を見る目が厳しくなるのではないか。


 カサンドラはモヤモヤとした思いが燻り、何とかならないかと焦る。


 ……だがアイリスの意志は固いようだ。

 ここまで再三各方面から白い目で見られてきた義妹関係。

 それでもラルフや王子に今まで直接訴え、どうにかしようと実行に移せなかったのは……


 もしかしたら、過去妹達と上手くいっていた時代もあって。

 そういう思い出が根底にあったか、突如思い出されたのか。


 とても甘い考えだと思う。

 いくらアイリスがそうやって譲歩し、彼女達の替わりに頭を下げたところでそれを恩に着るような性格ならここまでこじれていない。

 一度上から抑えつけないと、人間の考え方などそう容易く変わらないのだ。


 それこそ――

 カサンドラのように『突然前世の記憶を思い出す』なんて劇的な現象が起こらない限り、考え難い。



「貴女がそこまで言うのなら、僕達も差し出がましい真似はよそう。

 ……それで彼女達が変わるとは思えないけれどね」


 ラルフは前髪を片手で掻き上げ、軽い吐息を落とす。


「アイリス様、また困ったことがあればいつでも仰って下さいね」


 自分に出来る事などたかが知れている。

 身内の恥を隠したいというよりは、身内の問題だからこそ、一方的に断罪されたくないという彼女の生来の甘さ。

 難しいものだ。

 相容れない者に慈悲を与えたところで、それを優しさだと理解などされないだろうに。


「ありがとうございます、カサンドラ様」




 ラルフはひと段落ついたことを確認し、周囲の様子をぐるっと眺める。

 だが目的の人物の姿が見えなかったようで、やや難しい顔になって眉を顰めたのだ。


「……遅いな、まだ戻ってこない、……か」


 恐らく、恥ずかしさと居たたまれなさでこの場から脱出したリタを探しているのだろう。

 言われてみれば、気を落ち着けるだけにしては帰りが遅いような気がする。

 キャロルは婚約者のエドガーがついているし、何よりアイリスの屋敷には頻繁に出入りしているから心配はいらないだろうが……


「アーサー、僕は彼女を探して来ようと思う。

 屋敷内で迷っている可能性があるかも知れない」


「そうだね、あまり一人でいるのも良くないだろうし」


「罷り間違って、あの三姉妹に遭遇していないとも限らない」


 そんな不幸な事故は勘弁願いたいものだが、カサンドラもこの屋敷の完全な見取り図を知っているわけではない。

 混乱し、正気を失った彼女が変なところに迷い込んでいないとも言い切れなかった。


 未だ娯楽室に戻ってこないリタを探しに出て行くラルフの後姿を見送るカサンドラ。


 騒然として落ち着かなかった空気も、ようやく少しずつトーンダウンして元の落ち着いた雰囲気に戻りつつあった。

 三姉妹もおらず、そしてラルフもリタ――リリエーヌもいない。

 まるで余興のようにとらえられてしまったかも知れず、カサンドラはただ一人、この場でひたすら恥ずかしかった。



「身内の不始末を承知の上で申し上げますが……

 カサンドラ様、王子と斯様に親しくなられていたこと、私とても驚きました。

 いえ、感動と言っても差し支えございません。

 ……原因を作り出したのが妹達でなければ、私は外聞もなく拍手喝采しておりましてよ」



 カサンドラは何といって良いか分からず、愛想笑いを浮かべる他ない。

 今更改めて言及されると、とても恥ずかしい……!


 ようやく収まった動揺が再び致死量となってカサンドラを襲ってくる。


「とても可愛らしい愛称ですのね」


 は、恥ずかしい……!


 これ以上突つつかれたら爆死しかねない、とカサンドラは別の意味で窮地に立たされていた。

 王子は委細気にせず、いつも通り微笑みアイリスの話を聞いているけれど。

 彼の突拍子もない行動にはいつも驚かされてしまう。


 嬉しいのは間違いなのだけど、それを上回る驚きに上塗りされてしまう。

 新学期初日のキャシー呼びの一撃と言い、今日の一幕と言い……

 こちらは王子の一挙手一投足に翻弄されっぱなしだ。



「あの、皆様……何かあったのですか?」



 すると、先程三姉妹の前から逃げ出し、今まで姿を晦ましていたキャロルが不思議そうな表情で近くに戻ってきたのだ。

 隣にはエドガーが険しい顔をして立っていたのだが、場の空気が一変していることに戸惑いを覚えて表情を少しずつ緩めていくのが印象に残った。


 決死の覚悟で戦地に引き戻って来たというのに、既に決着が着いた後、戦評の場に移っている。――そんな戸惑い。


「キャロルさん、ご気分は大丈夫ですか?」


 三姉妹に酷い言葉を浴びせられ、完全に顔色を失ってその場から逃げ出してしまったキャロル。

 もう彼女が姿を現わすことはないだろうと思っていただけに、思いの外早い復帰にカサンドラもアイリスも戸惑った。


「はい。……一度逃げ出してしまいましたが……

 一度、ちゃんとあの方たちに向き合わないといけないと思い、こうして戻ってきました。

 エドガーさんが傍にいて下さるし、いつまでも……逃げ回っても何も変わらないですから!」


 キャロルはその幼い顔立ちには似つかわしくない程、瞳に強い意志を籠めて決然と言い放つ。

 それまで良いように言われ続け、恐怖しか感じない相手三人に敢然と立ち向かおうと言うのか。


 弱弱しく儚げで、アイリスの後ろに隠れていたキャロルの印象が再び一気に変わってくる。


「まぁ、そうだったの……。

 でも生憎、あの子達はもう部屋から出て行ってしまったわ。貴方が出てすぐのことよ」


 アイリスは口元を指先で押さえ、身を屈めて「ごめんなさい」と謝る。


「もしかしてカサンドラ様が……?」


 キャロルは期待に満ちた視線を向けてくる。

 もしかして、自分が一喝して三姉妹を黙らせたと誤解している……?


 そりゃあアイリスが招待客の前で怒鳴り散らすことはなく、何か大きなきっかけが無ければ彼女達は未だに娯楽室に居座ってアイリスの胃を攻撃し続けていたに違いない。


「いえ、そうではないのです。

 聞いて下さい、実は先ほど――」



 王子とラルフのとんでもない発言と行動がその場にいなかったキャロルにまで伝わってしまう……! 

 世にも珍しい光景を目の当たりにしたら、アイリスであってもつい口が弾むということなのだろうか。

 従姉妹同士の気安さも手伝い、二人はこの僅かなひと時”招待主””招待客”という括りを忘れたかのように親しく話を始める。


 傍で客観的にあの情景の話を聞くしかないカサンドラには辛すぎる。

 だらだらと背中に汗を流し、にこにこと感極まった様子で武勇伝のように大袈裟に語るアイリスを薄っすらと開けた目で眺める。




「まさかここまで大きな話になるとはね。

 ……居心地の悪い想いをさせて申し訳ない。

 あのままではキャシーが嫌な役を引き受けることになってしまうのではと、身体が勝手に動いてしまった」


「王子に庇っていただいたお陰で、あれ以上の諍いに発展することもありませんでした。

 ありがとうございます」


 ああ、やっぱり自分の我慢が限界だったことを彼は気づいていたのか。

 この晩餐会が台無しになってしまう、アイリスが悲しい想いをしてしまう。

 そうなるくらいならいっそ自分が一言強く言えば、彼女達を追い払えるのではないかと思った。


 でも当然場の空気は著しく悪くなっただろうし、自分の評判もどう転んでいくのか分かったものではない。

 一招待客が、招待主を差し置いて偉そうにしゃしゃり出るなんて……と、あの噂好きのマダム達に顔を顰められたかもしれないのだ。


「あまり無茶をしないで欲しい。

 君を守るのは私の役目だと前にも言ったはずだ」


 ヒュッと息を呑む。

 そうやって何気ない言葉に繋げてカサンドラの心臓に矢を突き立てないで欲しい。

 こちらの内心が大騒ぎで収集がつかなくなる――


 目を輝かせたキャロルから詳細を聞かれたり、エドガーも驚いて目を白黒させていたり。

 格好の話題の的となり、カサンドラはそれからしばらく、身を焦がされるような時間を強いられた。




 ※




 そんなに時間は経っていない。

 コツ、と背後に靴音が聴こえた。


「ラルフ、お帰り」


 王子の視線が少し逸れ、カサンドラの肩越しの人物へと向かう。

 言葉と視線に釣られてカサンドラも背後を振り返ったが、そこに立っているのはラルフ一人だけだ。


 リタの姿が見つからなかったのだろうか。 

 不安な想いが胸過ぎる。


「ラルフ様、リリエーヌさんは……?」


 だがラルフはカサンドラの声など全く意に介さないどころか、聴こえていないのか。

 スッと自分の横を通り過ぎ、王子の肩に手を置いた。

 そして――反対の掌で顔の下半分を覆い、肩を震わせ顔を下向ける。

 微かに、カサンドラにも彼の声が聞こえた。





「アーサー、大変だ。

 …………。天使がいた」





 流石の王子も全く予想外の彼の言動だったらしく、その肩を掴む強いラルフの手を跳ねのける事も出来ずに完全に固まっていた。



 カサンドラは単身で戻って来たラルフの後姿を唖然と見つめる。


 心の中で、ぼそっと呟いた。








   ごめん、ラルフ。


   よく分からないんだけど……――  頭でも打った?

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