第370話 危険物につき


 終始和やかなムードで食事を終える事が出来た事にカサンドラはホッとした。

 デザートの甘酸っぱい林檎のタルトを食べ、その甘味にホッと一息つく。


 食事が始まった当初は、あまりに表情が冴えず具合でも悪くなったのかとリタが心配だった。

 幸いにもカサンドラの杞憂で終わったようで、彼女は無難に時間を過ごしている。


 あくまでもエドガーと視線を合わせることのないよう注意を払った結果、彼女の口数は少なくなってしまったのか。

 いや、そもそもリタは舞踏会で一世一代の演技を行い、そして更に追加でラルフの用件に付き合っている。

 あまり話し過ぎるとボロが出てしまうかもしれないので、静かにニコニコ微笑んでいる彼女は十二分に役割を果たしていると言えるだろう。

 途中離席リタイヤも出来ない緊張にずっと晒されていると考えれば満点だ。


 ここまで深窓のお嬢様の演技が板についていることに、カサンドラは感動してしまう。

 ゲームの中でのイベントは完全に端折られているし、要は素敵なドレスに身を包んだ主人公のお披露目イベントのようなものだった。


 だが現実はそう易くない。


 周囲には大物貴族ばかり。

 同世代よりも威圧感のある当主も数多く出席しており、この世界では生粋の令嬢たるカサンドラでも常に気を張っているような空間だ。

 その中で何時間にもわたって拘束され、自分ではない自分を演じなければいけないストレスは如何ほどだろうか。


 夜会だの晩餐会だのパーティだの、ラルフのパートナーとして繰りだせば綺麗な装いで「うふふ」と笑っているわけにはいかない。

 ラルフと事前の打ち合わせを何度もしたのだろうし、自ら引き受けたとはいえプレッシャーもあるはずだ。

 彼女の強靭な精神メンタルに、カサンドラは心の中で惜しみない賞賛を送っていた。



 メインの会食が終わったので、これで解散――というわけにはいかない。


 むしろ逆だ、これからが本番とも言える。

 食事の感想を述べあいながら、親交を深めたい相手ターゲットを見定めて交友関係を築いていく。

 社交界は加点方式ではなく減点方式、そのことを常に念頭に入れて振る舞わなければいけない。


 食堂から遊戯・娯楽室へと移動する。

 皆にこやかな微笑みを浮かべているものの……特に有閑マダムには気をつけるべきだと要注意人物を見定めていった。

 彼女達の話のタネになってしまえば、僅か数日の間に尾びれ背びれのついた噂が王都内に出回ることになるだろう。

 品の良い帽子で着飾り、更に羽付きの扇子を広げ互いに意見交換をし合うオバサマの様子をそっとうかがい、出来るだけ距離をとるように心がける。


 彼女達の耳に醜聞スキャンダルが触れようものなら、その段階で社会的な死を宣告されたようなものだ。

 味方に着ければ頼もしいが、自分のような学生の二倍や三倍の時を生きている社交界で一角の影響力を持マダム達に迂闊に近づく勇気は無かった。


 アイリスは自分が主催した晩餐会を素晴らしいものだったとして彼女達に広めてもらうために招待したのだと思われる。

 彼女達に好印象を持たれ、可愛がってもらえるのなら心強い味方になるはずだ。

 内々だけの席で終わらせず、社交界正式参戦のアピールも欠かさない。


 自然と、広い部屋に男性と女性のいるスペースが二分されていく。

 女性たちは王国内の噂話に花を咲かせ、男性達は家のことやお仕事の話で盛り上がる。

 特に年配の男性は煙管キセルを燻らせる者も多いので、そちらに向かうと煙たいので女性陣は避けがちだ。


 香水と煙管の煙の相性は最悪。

 鼻が曲がりそうになることも多々ある。自然と屯する場所が変わってくるものだ。



「カサンドラ様、本日は晩餐会においでいただきありがとうございます」


 颯爽とドレスの裾を翻し、全く疲れを感じさせない優雅が微笑みを讃えるアイリスに声を掛けられた。

 丁度キャロル、そしてリタと三人で話をしていた時のことだ。


 話と言っても、キャロルに慕わし気に話しかけられるリタが少し心配になって様子を見ているだけという状態なのだが。


「アイリス様のお陰でとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 感謝申し上げます」


 チラと視界の隅にリタとキャロルを収めながらカサンドラはお辞儀をした。

 肩から胸元に滑り落ちてくる髪を指で後ろに払う。

 髪が邪魔にならないよう髪をまとめてくる方が良かったかと少し後悔したが、後の祭りである。

 ダンスを踊るわけでもないからと普段通りの髪型で来たのが間違っていた。


「ふふ、キャロルもすっかり表情が明るくなりました。

 学園で困ったことも生じていないようです、カサンドラ様には感謝しかありませんね」


 アイリスは表情を綻ばせながら、従妹キャロルの様子を眺めている。

 その優しい視線を感じ、自分もアイリスのようなお姉さんが居たら良かったのにな、なんて無いものねだりしてしまう。


「いえ、全てはエドガーさんのお陰でしょう。

 わたくしは何のお力添えも出来ておりません」


「そのように謙遜なさらないでください。

 毎日学園に楽しく通っていると聞いて、私も信じられない想いです。

 カサンドラ様をはじめ、善くしてくださる方がいてくださるおかげでしょう」


 久しぶりにアイリスと言葉を交わしていると、この人と一緒に一年間生徒会で活動していたのだと感慨深く胸が詰まる想いだ。

 何かとフォローしてくれた優しいお姉さんのアイリスはとても頼もしかった。


「学園から離れてしまいましたが、カサンドラ様、その後いかがお過ごしですか?」


 身辺に変わりないか? という探りの質問だろうか。

 カサンドラ自身が外部に向けて明確に何かが変わったと主張出来る事は無い。

 あるとすれば、王子との関係性かもしれないが……


「変わりございません。お心配こころくばりいたみいります」


 流石に自分の口からそんな恥ずかしい事を言えるはずがない。

 最近王子が自分に対し以前よりフレンドリーなんですよ、なんて。

 厚顔な人間だったとしても、中々言いづらいことである。


「ところで、レオンハルト様のお姿が見えませんね」


 王子の顔をパッと思い浮かべたのと同時に、アイリスの婚約者であるレオンハルトの事も思い浮かんだ。

 ヴァイル公爵家の規模、影響力まではいかないが、あちらも一国の公爵家の次男である。

 実務の場に出てくることはなく、主に対外・儀礼的な社交のやりとりを任されているお家だと聞いたことがあった。

 家柄は図抜けているので、賓客を迎えるのに申し分ない。


 美麗な貴公子に挨拶をしようと会場を見渡したが、どこにもその麗しい姿は見当たらなかった。彼は王家の血筋を汲む青年なので、ノーブルな雰囲気が王子にどことなく重なる。

 アイリスと並ぶと正統派美男美女カップルで大変目の保養になるのだが……?


「彼は今、おじさまを父の私室にお連れしています」


 今回参加していないが、この屋敷にはケンヴィッジ侯爵が主人として今も屋敷の中にいる。

 全く来客の前に姿を現わさず娘一人に采配全てを任せるとは、中々にスパルタな父だと思う。


 招待客の一人が前以て、「食事後一緒にチェスでもしよう」と侯爵に話を持ちかけており、その案内のためにレオンハルトが駆り出されてしまったというではないか。


 更にアイリスが忙しくなるだけだろうに、と唖然とする。


「私がお願いした事なのです。両親に頼らず、皆様をおもてなししたくて……

 当日はお父様もお手隙になるでしょうから、ごゆっくり旧交を温めてはいかがですかと」 


 カサンドラの内ならぬ浮かんできた疑問を察したのだろう。アイリスは少し困ったように首を傾げ、そう言い置いたのだ。


 もしも侯爵であるアイリスの父が参加するとなれば、間違いなくあの三姉妹も同席する。

 懸念があった以上、今回は自分の思うようにさせて欲しいと嘆願したのだという。

 勿論侯爵には、家のこと全て任されるだけの能力があると示したいという、涙ぐましいアピールの末実現した事。


 彼女の心労を思うと身が凍える想いだが、今のところ晩餐会は大盛況。

 まさに彼女の前途を祝するかのような素晴らしい一席だと、カサンドラは惜しみない言葉を送った。

 周囲を眺め渡せば、皆の満足そうな様子が見て取れる。


 キャロルの攻勢に戸惑っていたリタも、次第に笑顔が増えて少しずつお喋りを進めているようだ。

 楽しすぎて近しくなり、自分が学園の生徒の一人だとバレなければいいのだが……と、二人の様子に冷や冷やもののカサンドラ。

 だが概ね、場は平和で楽しい歓談の一時を過ごしていた。


 アイリスが場を離れかけたその時であった。



 彼女が何よりも恐れていた事態が起こってしまったのである。



 突然遊戯室の扉が音を立てて大仰に開き、皆の視線が一気に集まった。

 アイリスが悲鳴を喉の奥に押し殺したのと、カサンドラが彼女達に気づいたのは全く同じタイミングだ。


 高笑いと共に、アイリスの腹違いの三姉妹がこれ見よがしに着飾って堂々と入ってきたのである。

 アイリスの顔がサーっと真っ青に染まるのを見て、カサンドラも絶句する他ない。


 彼女達はアイリスの姿を見つけるや否や、スタスタスタと早歩きでこちらに近づいて来る。

 奥の方で談笑をしていた男性陣たちは何事かとこちらに視線を向けたが、どうやら自分達には関わりが無い事だと判断すると遠巻きに様子を伺いながら雑談を続けた。


 ビリヤードやダーツで遊ぶ手は一旦止まったが、「またあの三姉妹か」と苦笑いになって再び娯楽に興じる男性陣。



 相変わらず強烈な三姉妹だなと、串に刺した団子状態で連なって突進してくる彼女達を眺めていた。が、アイリスにとってはそれどころではないだろう。





「お姉さま~。酷いじゃないですか、私達だけ仲間外れにして、誘っても下さらないなんて!」

 

「どうして声を掛けて下さらなかったんですかぁ?」


「おねえさまばかり、ずるいですー!」


 彼女達に取り囲まれ、周囲で話をしていたマダム達がひそひそと互いの扇で顔を隠し合いながら小声でささやき始める。

 これはどう考えても良い事にはならないと、カサンドラも血の気が引いた。


「あ、あの、貴女達……今日は、大切なお客様をお招きすると……」



 アイリスの震える声など耳に入っていないのか。

 妹の一人が、呆然自失状態で足を震わせるキャロルに詰め寄った。

 無意識の内にか、キャロルはリタの腕をぎゅっと握りしめている。


「なんだ、キャロルもいるじゃない!」


「ご、ごきげんよう……」


 先ほどまでの明るいキャロルはどこへいったのか。完全に意気消沈し、視線を床に落とす。



「婚約したんですって、おめでとー。

 でも悲惨な話よねぇ」


「あのマディリオン伯爵のお嬢さんが! ただの音楽団員と結婚とか、ありえない話じゃない?」 


「よっぽど縁談がなかったのねー、良かったじゃない、キャロル。

 ラルフ様に全く相手にされない魅力無しな貴女をもらってくれる人がいて」


「しかも! と~っても年上なんでしょ? 売れ残り感半端ないし、もしかしてロリコン?

 よくそんな相手で手を打ったわね。

 凄い勇気だわ!」



 よくもまぁスラスラスラと、キャロルを囃し立てる言葉を続ける事が出来るまでだ。

 何とかその場に俯き加減で立っていたキャロルも、ニヤニヤと笑う三姉妹の視線に耐え切れず――

 身を翻して、娯楽室から出て行ってしまった。



 心配になって様子を窺っていたエドガーが彼女の名を呼び、後を追いかけていく。

 寄ってたかって言い募る彼女達に、婚約者として一言言いたい気持ちはあるだろうが……


 ヴァイル派の人間には知らぬ者のいない、ケンヴィッジ侯爵という父を持つ彼女達に面と向かって抗議する事は難しい。

 マディリオン伯爵とて頭が上がらない相手に、彼女達が言う『一演奏者』に何が言えるであろうか。

 心中を思うとカサンドラはいたたまれず、ぎゅっと歯噛みした。



「貴女達……。

 カサンドラ様とリリエーヌさんの前ですよ。聞き苦しい言葉を使ってはいけません」


 アイリスの優しさが目に沁みる。

 これだけ酷い言葉でからかう妹達に、幼い子に言い聞かせるよう優しく宥めるように注意するだけで済ませようとしている。

 何とか穏便に退室願いたいという感情も見え隠れしているが、彼女が声を荒げて叱責する姿は想像が出来ない。

 だからこそ彼女達も調子に乗ってしまうのかもしれないが。



「そんなこと言われても」


「ねぇ……?」


 クスクスクス、と姉妹はそれぞれ顔を見合わせ含み笑いを浮かべる。



「ラルフ様の婚約者って言っても、ただの筋肉ゴリラでしょ?

 物珍しさで拾われたけど、すぐに飽きられるんじゃないの?」


「別に王子の寵愛を受けているわけでもない形式上の婚約者様にそこまで媚びるなんて……

 お姉さまったらみっともないわぁ」




 筋肉……。

 急に雑言の対象となり、身構えていたリタも少なからずショックを受けてしまったようだ。

 キャロルを抱き上げた事をさしているのかも知れないが、女性に対して何という事を言うのか。


 周囲から注目を浴び、遠巻きに物珍し気に見世物にでもされているような感覚に気が遠くなった。

 アイリスの心境を思うとやり切れず、カサンドラは人知れず拳を固める。


 どうせ――

 カサンドラは『悪役令嬢』! という面構えなのだ。

 彼女達姉妹なんかより、外見面では気合の入り方が違うとさえ言える。

 自前で作り出せる迫力は、彼女達より上であろう。


 この場で面と向かって叱咤し、姉妹を追い払う事が出来るのは自分しかいない。

 これ以上アイリスを困らせるなど到底許容できる事ではなかったのだ。


 多少自分のイメージは損なわれるかもしれないが、やむを得ないとカサンドラは姉妹の前に一歩踏み出そうとした。



 しかし、カサンドラの行動の方が僅かに遅かった。



 先に広い室内に、ざわっと大きなどよめきが起こる。

 何が起こったのかと疑問に思った時、彼らの声が間近で聞こえた。








「私の――」

「僕の――」





 いや、近い!

 声が近い!?


 王子の声が耳元で聞こえ、決意の証とばかりに握りしめていた右手が――ふわっと持ち上げられる。

 いつの間に傍に来たのか。


 手の甲に軽く口づける王子と。



 その場に立ち尽くすリタの肩を、ぐいっと抱き寄せるラルフと。






  『愛しい婚約者に、何か?』






 あまりにも堂々とした庇い方に、カサンドラは内心大絶叫である。






 王子ーーー!? 



 ラルフーーー!?


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