第373話 <リタ 2/2>


 リタはしげしげと三姉妹の長女アリーズを眺める。

 悔しそうな、憤懣やるかたないという表情に息を呑んだ。


「今のお話を、アイリス様やキャロルさんにされてはいかがでしょうか。

 きっとお二人も、その訴えをお聞きになれば――」


 彼女達がそんな思いを感じている事がアイリス達に分かってもらえれば、少しは現状改善の余地があるのではないかと思った。


 話を聞けば最初は思い違い、好意の行き違いが発端で。

 そこから思い込みによって彼女達への嫌がらせの道に走ったというのなら……


「言えるわけないでしょう!

 ……貴女だから、言えたのよ! ……同じ、だから。

 貴女なら、この気持ちを分かってくれるって、思ったから」


 三姉妹の長女、アリーズは叫んだ。

 そして気まずそうに語尾を濁し、視線を逸らした。


 同じ? と訊き返しかけ、ハッと息を呑んだ。

 そうだ今の自分はリリエーヌだ。

 フレイザー家の妾の娘の一人として引き取られた少女と言う設定になっている。

 正妻の子ではない、愛人の子。

 どう言いつくろっても変わりはない。子ども当人には何の咎もないのに。


 彼女達は以前「同じ」だと言ったら激高した。

 だが実際は同じく貴族の妾腹の娘ということを自覚しているから印象に残っていたのだろう。


 プライドが高いのだ。

 言葉を尽くして正妻の子であるアイリス達に思いの丈を説明するのではなく、理解されやすいだろうリリエーヌに本心を告げたことがその証左だと思えた。

 きっと分かってくれる、同調してくれるに違いないという希望が、彼女の口をこうも緩ませているのだ。

 余計にチクチクと心が痛む。


 自分は妾の子ではないし、本名はリリエーヌなんかじゃない。

 どれだけ多くの人の目を欺き騙しているのかと思うと頭がくらくらするし、心臓に悪すぎる。


 でもラルフとの約束、契約だ。

 秘密は守るし、彼に選ばれた婚約者としてその役目を最後まで演じてみせると心に決めた。


「同じ立場である私でも、アリーズさんからお聞きしなければ、想いを知ることは出来ませんでした。

 全く立場が違うアイリス様に、何も言わないまま。

 分かってもらえないからと嫌がらせを繰り返すのは傲慢だと思いませんか?」


「………。

 言えるわけ、ないじゃない。

 あの人たちに? 私がどれだけ惨めだったかなんて、どうして私が自分から伝えないといけないの。

 そんなの、余計に惨めなだけじゃない」


 アリーズは視線を伏せた。

 言わなければ伝わることのない想い。

 神様だって心の内を覗けやしないのだから、普通の人である彼女達がその場で気づいて理解するなど不可能な事だ。


「でも侯爵様はアリーズさん達の言うことを全て信じて下さるのでしょう?

 侯爵様に分かってもらえるのなら、きっと……アイリス様だって」


「お父様は私達のことなんて、本当はどうでもいいの。

 私達の気持ちを分かってくれる? そんなの、口だけよ」


 彼女は一層眉間の皺を濃くして、拳を握る。

 微かに彼女の双肩が震える。瞳に縁に薄っすらと涙が滲み、月明かりに浮き上がった。


 あれ?

 リタは内心で首を傾げる。

 聞いた話によれば、侯爵は妾の娘である彼女達をとても可愛がっているはずでは?


「お父様は、ただレイリアさんが憎いだけ。

 ……アイリスの事を嫌っていたのは、自分の子か確信が持てなかったからでしょうし?

 もっとも、今となってはお父様の姉上――オバサマにアイリスはそっくりだから、その疑いは晴れたでしょうけど」


 レイリアと言う名には聞き覚えがなかったが、話の流れから侯爵の正妻なのだろう。

 親に勝手に決められた正妻の事を好きになれないばかりか、『裏切られた』と思ったのなら……

 成程、侯爵がアイリスや夫人に対する冷たい態度をとっていたという話はそれがきっかけだったのか。


 思わずリタは表情を失くした。

 人から聞く話だけでは分からないものだ、まさか夫人にも過去に疑われるような何かがあったとは。

 いや、アリーズとて確信があるような口ぶりではない。事実はどうで何が正しいのか……?

 ケンヴィッジ家の内情を深く知ることに及び腰になってしまった。


「私達がアイリスに嫌がらせをすれば、レイリアさんも嫌な思いをする。

 お父様も間接的にあの人に嫌がらせが出来るってわけ。それだけの事よ。

 別に私達の事が好きなわけじゃないの」


「ええと、お聞きしていた話と大きく違うように感じます。

 侯爵様は皆さんの事を目に入れても痛くない程可愛がっておられたと」





「だって私達は、未だに婚約者だって決めてもらえないのよ!?

 このまま代替わりして家から追い出されてしまえば路頭に迷うっていうのに……

 お父様は私達のことなんかどうでもいいの!

 ただ、アイリスやレイリアさんに嫌がらせが出来るから、言うことを聞いてくれていただけよ!」




 その叫びは先ほどよりも真に迫っていた。

 今まで誰にも言えず、蓋をしていた感情が暴発してしまったかのようだ。


 肩を上下させ、口元を覆うアリーズ。

 可愛がられていたと本人が思っていなかったということは、リタには大きな衝撃であった。

 親から愛されているから、それに甘えて無茶ばかりしていると聞かされていたのに。


 目に見える行動は誰から見ても同じなのに、その内実の差に目が白黒してしまう。


 彼女達はずっと誰にも言えないまま想いを抱えていた。

 彼女達の行動としての表出は、ただのアイリス達への「嫌がらせ」。


 思い違いをしたまま、誤解を生んだまま。

 だからアリーズたちも今まさに、誤った思い込みをしているのではないか、とリタは思ったのだ。


 真剣な表情のまま、気まずそうに俯く彼女達を順繰りに眺めた。



「私は、そう思えません。

 侯爵様はきっと――皆さんに、自由に恋愛して欲しかったのではないでしょうか」


 好きな人と結婚して欲しい、という父親としての希望。

 それが自然に頭に浮かんだ。


「え?」


「自分が親に無理矢理相手を決められたのが嫌だった、だから皆さんに無理強いをしたくないとお考えだったのではないでしょうか。

 もしくはお嫁に出したくないくらい、溺愛しているかのどちらかですね!」


「え? ………そんな事……」


 狐につままれたように呆けた顔で、三人は恐々こわごわと視線を交わし合う。

 そのタイミングのばっちりさ加減が微笑ましくさえあった。



「あの、これは私……の、友人が良く言っていたことなのですけれど」



 危ない。

 危うく素のリタがひょっこり顔を出すところであった。

 ふぅ、と息を整えて彼女達に話し始める。


「三人姉妹や四人姉妹が揃って仲良しな事は、結構凄い事なんだそうです」


 これは自分が周囲に耳タコ状態まで聞かされていたことなので、凄く心に残っている。

 自分達は三つ子であったから猶更だ。


「親御さんがそれぞれ、同じように愛情や手を姉妹にかけているつもりなのに、相性が合わなかったり受け止め方に差があって……

 上手く嚙み合わずに三、四姉妹の誰か一人が弾かれてしまったりすることがよくあるのだとか」


 特に真ん中の子は放置されがちだとか、上からも下からも板挟みになってしまうことがあったり――色んな上手くいっていないケースを聞かされたものだ。



「でもその友人は三姉妹ですが、とても仲が良くて。

 親が三人を平等にそれぞれ大事にして、個性を認めて接してきた結果なんですって。

 周囲の大人たちからうんざりするほど『親に感謝しろ』と言われたのだとお聞きしたことがあります」


 これは自分の実体験である。

 三人全く違う個性でも、それぞれ普通に仲が良くて纏まっていて信用できる間柄。

 そこまで仲良しな三姉妹は珍しい、なんてよく言われたものだ。


 真実か事実かは統計をとる術もないので分からないが――

 少なくとも自分達の姉妹仲が良いのは、親に皆、愛されて大事にされていたからだと思う。

 依怙贔屓もなく、一人だけ爪弾きにされることもなく。

 親の愛って偉大だなぁと後になれば思うことも多かったが、親の愛を疑ったり奪い合うようなことがなく自分達は満たされていた。


 だから仲が良かった、というのは親にとって都合の良い言い分かもしれないが。

 表立ってそれに反論できる程、リタは親の立場の難しさを体験したことがないので……一概に間違ってはいないのではないか。

 彼女達を見ていて、ふと心に過去の情景が浮かんだのだ。


「私は侯爵様に直にお会いしたことはありません。

 ですが、三人のとても仲の宜しい様子、信頼して心配し合うお姿……

 今まで親御さんにとても大切にされていたのだろうなと、私は思いました」


 本人はそれは愛情なんか無いと思いこんでいても、自覚していなかっただけで満たされていたのではないか。

 思い込みや思い違いで目を背けていたけれど、相手の想いは――違っていたのではないか。


 婚約者云々の件を聞いても、そこまで面倒な事情を経ての婚姻生活ならばどの面を下げて婚約者をあてがおうと思うのか。


 愛娘に相手を押し付けようなんて普通は思えないだろう。

 可愛いからこそ、手放したくなかったり照れもあってそんな事を口には出さないままだったのかも知れない。


 話を聞いていて、実際に三人と接して、リタはそう感じた。

 あまり彼女達について、『強烈』な被害を受けたことがない状態だから、色眼鏡を外すことが出来ただけかもしれないが。



「きゅ、急にそんなこと、言われても……」



 先刻までそうだと思い込んでいたことが間違っていたかもしれない――と、思う瞬間は戸惑いを生む。

 俄かには信じがたいし、受け入れ辛い。

 その気持ちはリタにもよくわかる。



「私から何か申し上げる事は難しいです。

 ですが、アリーズさん。カミラさん、ウェンディさん」 


「何、よ」



「アイリス様も、キャロルさんも、カサンドラ様も――

 それぞれ次のステージへ上がって行かれます。

 アリーズさん達が足踏みしたままでは、嫌がらせと思われるような行いさえ届かなくなりますよ?


 ……それに、舞踏会の時も今日も。

 皆さん、ちっとも楽しそうじゃないですよね。

 楽しくない事を頑張るの、私はどうかと思うんです!」  


 いつまでも嫌がらせが続けられるわけではない。

 これから学園を卒業して、結婚して。それぞれの道を進んでいくとして、いつまでも地団太を踏んでいても手が届かなくなることは明白だ。

 今回王子やラルフ達を怒らせてしまった事も合わせて、もっともっと肩身は狭くなるし周囲の目は厳しくなる一方だ。




  もう いいじゃないか。




 それはリタの素直な気持ちだった。



「分かってる!

 そうは言われても、一体どうすればいいのよ!

 今更、出来る事なんてないわ」








「ええと……じゃあ、恋愛とかどうですか?

 恋って、楽しいですよ!」 







『は?』




 それまで意気消沈して俯いていた彼女達が一斉に顔を上げる。

 急に何を言い出すのだと、唖然とした視線が突き刺さった。



「斯く言う私も、実は一目見た時からラルフ様の事が大好きで、お目に掛かる機会があればとずっと慕っておりました。

 ……勿論そのために慣れない事も努力が必要でしたし、決して楽ではなかったです!

 でも誰かを好きになって、好きになってもらえるよう悩むのは悲しい事もあるけど、楽しいですから!


 アイリス様やキャロルさんに嫌がらせしてる余裕なんかなくなりますよ!」


 洒落やジョークではなくリタなりに本気だった。

 その負の方向にいってしまう感情が反転することがあったら、きっと素晴らしいエネルギーになると思うのだ。



「私達に好かれたって、こんな評判だし?

 相手だって困るでしょうよ」



 やはり自分達が悪評の的で、避けられている――ということは自覚しているのだ。

 その上で悪役なんだから、と。嫌がらせばかり自棄になって行うのは気が滅入る話でもあったはずだ。


 三姉妹は三人とも、自分だけは良い子でいようと思うでもなく。

 死なば諸共の精神で、負の方向とは言え固く結びついているわけだ。

 絆は強いのだろう。



「それは身から出た錆なのでしょうがないです!

 やってしまったことは、時間をかけてそそいでいくしかないと思います!」



 リタは彼女達のことを、貴族間でのやりとりを深く知らない。

 だから肩入れすることも庇う事も出来ない。

 その悪評を取り除くだけの力もないし、そもそもアイリスやキャロル、カサンドラ達の気持ちも分からないし変えることもできない。


 ただ……


 彼女達が辛そうだと思ったから。

 愛人の娘という同じ立場のリリエーヌだから、と。

 本人としては忌むべき恥ずかしい体験、昔の話を話してくれた。

 アリーズの悲鳴に応えたかったのだ。



「……。

 はぁ……貴女と話をしていると、何だか全部どうでもよくなってきたのだけど。

 相容れないわ。

 何なの、このポジティブの塊は」



 酷い!




「あの、アリーズ姉さま。

 やっぱり……皆さんに謝りませんか?」


 三女のウェンディが長女の顔色を窺うように、そう話しかけている。


「……。

 謝ってどうにかなるものじゃないし、アイリスもキャロルも今更私達と関わりたくないでしょ。

 どのみち王子やラルフ様に睨まれたらこれ以上嫌がらせなんて無理よ。

 この子の言う通り、もうステージが違うのね。


 あーあ、お先真っ暗!

 はぁ。……無意味でも、謝罪して……処罰されないようにするしかないのかしら」



 がっくりと肩を落とすアリーズ。

 その言葉とは裏腹に、つかえが取れたような妙に明るい言い草だった。

 

 肚を括り、追って沙汰を待つ罪人のような口ぶりである。

 あれだけの恥を晒し、そして彼らの不興を買ったとなれば事は侯爵家の問題だけでは済まない可能性が高い。


 大事おおごとになり過ぎたからこそ、こうして三人揃って裏庭の隅っこで肩を落とし悲嘆に暮れていたのだろうが。



「リリエーヌ」



 ふん、と。アリーズは肩にかかった髪を手の甲でバサッと振り払う。




「私、謝罪なんてした事ないのよね。

 ここまで言いたい放題言ってスッキリしたでしょう? せめて練習台になって頂戴」


「?」


 立ち上がり、アリーズはこちらを真っ直ぐに見据える。





「筋肉ゴリラなんて言って悪かったわ。


 良く考えたら――私達にとって、希望の星みたいなものじゃない。


 すぐに飽きられないよう、ラルフ様にしがみついてなさいよ」 




 実際に目の前で悪態をつかれると、かなりの迫力である。

 嫌味を言うことにかけては年季が入っているというのがよくわかってしまう。

  

 ただ彼女の表情は不思議と晴れやかで、「最悪」「未来が無い」などとぶつくさ文句を言いながらも――

 決して苦しんでいるようには見えなかった。



 自分のおかしな発言のせいで彼女達の気が少しでも楽になったのなら良かったと思う。





 だけど、結局偽りの顔リリエーヌとしてしか接することが出来なかったことが心残りだ。


 希望の星と言ってくれた。

 身分の低い妾腹の娘であっても、高位貴族のお嫁さんに選ばれることがあるというのは、彼女達にとって大きな希望にも見えるだろう。


 でもそれも偽り、嘘なのだ――という事実がリタの胸中を締め上げる。



「悪評も地に落ちるとこまで落ちたし、もうどうにでもなれって感じね」


 いくら行動や考え方を改めると言っても、行ったことはナシには出来ない。

 急に何かの事件が起こって、評価が改まるなんて偶然など訪れはしない。後ろ指をさされたり、お叱りを受けることもあるかもしれない。




「……大丈夫ですよ、アリーズさん!

 一人じゃないです。

 仲が良い三姉妹って、本当に頼りになりますから。

 それこそ、無敵です!」



 その三姉妹パワーで負の道に腐心し続けたのなら、その逆の壁も乗り越えられるのではないかと思う。








 最後まで、お役御免のその日まで。

 自分はリリエーヌの役を絶対に演じ続けよう。


 同じ立場――後ろめたさや劣等感を抱いているかもしれない人達にとって、そんなの『関係ない』と思ってもらえるのなら。





 せめて最後は、『リリエーヌ』の名誉を棄損しない方法で婚約解消をしてもらおうかな。

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