第368話 初対面


 ケンヴィッジ邸に到着するまでに、大きな通りに沿って歩く。


 そう言えば前回この道を王子と一緒に馬車で乗っていた時、急に馬車が大きく揺れたことを思い出してしまった。

 流石に二度同じ偶然が起こることは無く、カラカラと小気味よい車輪の音が周囲に響き渡るのみである。


 二匹目のドジョウを狙ったわけではないけれど、王子と同じ空間に二人だけという状況が急にカサンドラの記憶を鮮明に呼び起こすのだ。



 ……落ち着かない。



 ここでそわそわした素振りを見せても彼に不審がられるだけだ。

 どうかしたのかと問われても、まともに返答することも出来ないだろう。

 ガタンと馬車が振動し、前のめりになって転げ落ちそうになったカサンドラを彼が抱き留めてくれた――たったそれだけの事だ。


 カサンドラは少し視点を変えようと、窓の外に視線を向ける。

 彼をじろじろ眺めているのも気恥ずかしかったから。


 視界の逃避先として自然な形で選んだ車外の景色。

 茫洋と眺めていたカサンドラだったが、おや、と首を傾げる。


「……騎士の数が……

 多い、ですね」


 ぽつりと呟いて、もう一度ぐるりと注意深く眺める。

 馬車を護衛として固める騎士以外に街の通りにチラホラと白を基調とした騎士服を纏って帯剣した青年達の姿。


「……。

 ジェイク様?」


 見間違いかと思い、二度見する。

 チラッと視界の端に映っただけだが、彼の容姿は遠くからでもよく目立つ。


「やはり、まだ捕まっていないのか」


「何かあったのですか?」


 秀麗な眉宇を曇らせ、王子も窓の外の景色を険しい表情で見やった。

 騎士がウロウロしているということは大捕り物でもあるのかと身構えたが、騎士達の動きは捕まえるためではなくただの慎重な警邏網のようだ。


「三学期の終わり頃にもあったことなのだけど」


 王都で『通り魔』的な犯行が勃発したのだ、と王子は言う。


 女性を狙った犯行で、夕暮れ時で人通りの少ない時を見計らい後ろから襲い掛かる二人組がいるらしい。

 鈍器のようなもので女性に殴りかかるなんて、恐ろしい。カサンドラはぞっと身を竦めた。


 彼らの犯行によって数名の被害者が出たそうだ。


「そのようなことが……全く存じませんでした」


 王都は治安が良いと思っていたので、夕暮れ時とは言え女性に理不尽な暴力を働く輩がいるなど考えた事もなかった。


「学園の生徒達には伏せられていたからね。

 王都にそんな凶悪な人間が紛れ込んでいると注意喚起をしても、あまり効果がないだろうと」


 彼が言うには、被害者にはある特徴があるらしい。

 被害にあった女性は学園に通うくらいの年頃で、なおかつ栗色や茶色の髪を肩で切り揃えている者ばかり。

 手当たり次第というわけではないし、学園に通う生徒がそんな時間に単身うろうろしている事もないだろう。

 そもそも良家の令嬢やお嬢さんの多い学園で、そんな髪型をしている女性の方がレアである。大っぴらに注意喚起していたずらに不安をあおるようなことはしないように、というのが騎士団上層部のお達しだったそうだ。


 確かにカサンドラをはじめ、腰まで長い髪をきっちりと手入れを行き届かせている令嬢ばかり――


「あ、あの。リゼさん達の髪型……ですよね?」


 レアだとは言っても、同じクラスに三人もいる。丁度狙われやすいと思われる条件にぴったりの三人が!

 それに気づいた時、ぞっと背筋が凍った。


「その心配も大きかったから、しばらく騎士の見回りの数を増やし犯人探しにずっと追われていたと思う。

 その後被害者は出ず、犯人の行方は杳として分からない状態だった」


 新たなる被害者が出なかった事は幸いだ。

 街の死角を潰すように騎士や衛士たちが見回っていれば、誰にも気づかれずに襲い掛かるのは難しい。

 目撃証言も乏しく被害も出ず、現行犯で捕まえることも出来なくなったというのは逆説的な話ではあるが。


 何はともあれ街が平和になったと警邏も手薄になったのも束の間の話。

 数日前に同じような被害を受けかけた女性が、衛兵詰め所に逃げ込んできたのだとか。

 肩のラインで切り揃えた茶髪の女性の訴えから、例の犯人だろうと騎士団も本腰を入れて捜査に出回っている。


 ジェイク自ら街に出てきて動いているのも、『万が一』という心配があったからだろう。丁度対象に入る条件を持つ女性が身近にいる。


 カサンドラから見れば、リゼに襲い掛かったとしても今の彼女なら一瞬で返り討ちにしてしまうと思えるのだが……


 元々彼は心配性だから、今血眼になって問題を解決しようとしていることだけは良く分かった。

 カサンドラには直接関係がない事と言われても、やはりそんな凶暴な人間が同じ街にいるというのは怖い。

 それに三つ子達がその犯人に見られてしまって被害者の仲間入りをするなんて想像したくもない話だ。


  

「そうだったのですか、怖いお話ですね。

 早く街に平穏が戻ると良いのですが」



 会話を続けながらも馬車は道を進む。

 アイリスが待つ屋敷まで、後もう少しだ。



 カサンドラや王子、ラルフ達はケンヴィッジ家の晩餐会に招待されている。

 同じ時間、騎士団の仕事として神経を尖らせるジェイクの事を想像すると、悪いことをしているわけではないのに罪悪感のようなものが湧いて来た。


 尤も彼の性状からすれば――社交的な場に連れ出されるくらいなら、騎士の本分で働いている方が何倍もマシだと嘯くに違いないか。




 ※

 




 ケンヴィッジ邸にカサンドラが訪れるのは、これで三度目となる。


 一度目は入学式前、まだカサンドラが前世の記憶を思い出していなかった時のことだ。

 強烈な腹違い三姉妹の存在にビックリ仰天したことはよく覚えている。

 何故あのような素晴らしい女性の妹が……? 本当に血が繋がっているのか……?

 と、考えても仕方のないことを考えてしまった。


 二度目は前年度の秋、彼女にガーデンパーティへ招待された時のこと。

 初めてキャロルと個人的に話が出来ただけではなく、招待主のアイリスから信じられない『お願い』をされたのだ。

 アイリスの腹違いの三姉妹に虐められ、すっかり臆病になってしまったキャロル。

 彼女をアイリス卒業後も守って欲しいという彼女たっての願いだったが、その後ミランダやシャルロッテと言う他派の女子リーダー的令嬢と顔を繋ぐことが出来た。


 新しい年度が始まったが、今のところ三姉妹絡みで大きな問題も起こっていない。

 このまま何事もなく平穏に卒業まで過ごしたいものである。


 流石に今日は三姉妹もいないだろうし、王子の婚約者としてしっかりと晩餐会をこなさなければと使命感に燃えていた。


「では、行こうか」


 既に多くの馬車が広場に止まっている。

 自分達の乗って来た馬車は王家御用達のそれなので別格としても、連なる他のどの馬車を見ても豪奢なことに怯みそうだ。

 まるでお城の舞踏会に参加した時のように煌びやかな別世界の雰囲気を醸し出している。


 王子に促され、隣に立つと――

 彼は左腕を僅かに浮かせ、もう一度「行こう」と促してくれた。


 すぐにピンとこなかったが、そう言えば自分達はパートナーだ。

 心の中で動揺しもんどりうつも、表面上はにこりと微笑むだけに留める。


「失礼します」


 観劇の帰り道、王子の腕をとって歩いていた。別におかしなことではないし、離れて歩く方が逆に不自然だと分かっていてもやはり慣れない……!

 社交ダンスで踊る時には「そういうものだ」と抵抗を感じないのに。いざ素面の状態で腕を差し出されると大変戸惑うカサンドラである。


「遠慮しなくていいよ、この腕はキャシーのものだから」


「………。」


 何の前置きもなく、サラッと言われて思考が空転する。

 危うく歩みを止めて彼に引きずられることになるのではないかと焦るくらい、カサンドラの心の中は大変な騒ぎであった。

 彼の肘に掛ける指がぷるぷると小刻みに震えているが、どうすることも出来ない。


 恐らくカサンドラの顔は真っ赤だっただろう、知り合いに会わない内に早くこの動揺をおさめないとと視界がぐるぐる廻った。

 俯き加減で、爪先をじっと見つめながら壮麗なお屋敷の玄関に向けて歩みを進める。



「やあ、ラルフ」


 王子が何食わぬ様子で、そう声を発したのにつられて顔を上げる。

 どうにかこうにか、別の事を考え気を逸らすことに成功しつつあったカサンドラ。


 玄関前、先を行く一組の男女に気づいて翡翠色の双眸で王子の視線の先を追った。

 黒を基調としたスーツに身を包むすらっとしたシルエットの青年がこちらを肩越しに振り返る。

 長い金の髪を首の後ろで一つにくくる、赤い瞳の美青年――毎日のように顔を合わせているというのに、場所が違えば互いに全く雰囲気も変わる。

 彼もまた顔が良い事は分かっているけれども。睫毛の長さと、それが白い肌に作る影の濃さに目を惹かれる。


「ごきげんよう、ラルフ様。

 お会いできて嬉しく思います」


 会って嬉しいと思わない相手にも、社交の場では社交辞令的に言わなければいけない。

 そういう外面や面目、体裁を殊の外大切にする世界で育ってきたからこそ――安易に他人を信用できず、用心深くなってしまうのはカサンドラだけではなくラルフも同じなのだろう。


 だがここで顔見知りと会えた事は素直に嬉しい。見知らぬ人達の中で孤軍奮闘するより、良く知ったクラスメイトがいてくれる方が気が楽だ。

 ……そう思えるほど、自分はラルフの事を好意的に捉えているのだと思うと、入学当初と比べて大きな心境の変化だ。


 あまり関わりが無い相手だと思っていたが、一年かけて互いに信用を稼いできた結果なのだろう。


 とは言え、カサンドラの視線は既にラルフを通り越している。

 彼の腕に手を添え、静かに佇む金髪の女性……青い瞳の少女に全力で注視中だった。


「そして……

 初めまして。貴女がリリエーヌさんでいらっしゃいますか?」


 こちらに向き直る女性は『初対面』ということになっている。

 ややラルフが不満そうな顔になったが、それも当然か。


 彼が連れている『婚約者』は本来は存在しない女性なのだと、他人に知られるわけにはいかないだろうから。


 だがラルフの心配には全く及ばない、とカサンドラは確信を持つ。


 よくもまぁ、ここまで別人になったものだと己の目を疑った。

 本当にこの女性はリタなのだろうか、と自信がなくなってしまう。

 真相を知っているカサンドラさえ、本物を前にしても信じがたい変身ぶり――事前に知らなければ、絶対にこの女性リリエーヌがリタなのだと看破など出来はしない。

 メイクの腕がいいのか、もとの素材が良いのか、はたまたその両方か。


「――リリエーヌと申します。

 お会いできて光栄です、カサンドラ様。どうかお見知りおき下さいませ」


 ゆるりとした口調には微かに聞き覚えがある。だがその所作は全く別人、堂々とした態度でお辞儀をする彼女は……

 何処から見ても完璧な深窓の令嬢だった。

 学園内の女子生徒より遥かに品良い印象を与える彼女が、実は庶民で。どちらかと言えば大雑把でガサツな少女だと見抜ける人がいたら、それはカサンドラのように種も仕掛けも知っているとしか考えられない。


「こちらこそ、どうぞよしなに」


 カサンドラはそう返しつつも、失礼にならない程度に彼女を見つめてしまう。


 ああ、面差しは確かにリタだ。

 生命力に溢れる澄んだ瞳は彼女のもの。




 喋り方や動作を無理に変えるということは自分の人格を歪めることにもなる。

 そう悩んでいたリタの姿を覚えている。


 ラルフに目を留めてもらえる可能性があるのなら、と羞恥をかなぐり捨ててお嬢様という役を演じる努力をし、苦手な事にずっと関わって来たリタ。

 普通なら『やっていられない』と逃げ出しても仕方ない。

 無意味な事だと身が入らなくても、カサンドラには何も言えなかったはずだ。


 でもカサンドラの言う事だからと信じてくれて、先の見えない努力を重ねて。

 キラキラと薄桃色のドレスを纏い、着飾ってラルフの隣に立つ彼女は眩しく輝いている……!


 カサンドラが何かを成したわけでもない、頑張ったのは彼女自身。


 でもここまで立派にラルフの婚約者役をしっかりとつとめている姿を目の当たりにすると、何故か目頭が熱くなってくる。





   よくぞここまで……!




 感無量とはこのことか。


 もしも周囲に誰もいなければ、カサンドラは彼女の両手を握って賞賛の言葉を惜しまなかっただろう。

 流石にそんな場違いなことは出来ないが、心の中では紙吹雪を彼女の周囲にまき散らしていた。




 それにしても――

 化粧の持つ力の凄さに戸惑いも覚えてしまう。

 カサンドラのような元々の個性が強い、目鼻立ちがくっきりしたキツい顔だと化粧は全てそれらの要素を高めるものにしかならない。

 けれどもリタのような普通に可愛い、というどんな方向にも”足せる”顔立ちは、雰囲気をここまで変えてしまえるのだなと驚くばかりである。


 ラルフの婚約者選びの舞踏会では学園の女生徒も多く参加していたが、誰一人リタだと見抜くことができなかった。

 そしてリタ自身も完全に役を演じ切っている、ここでカサンドラが彼女の足を引っ張るわけにはいかない。


 何せ、ラルフはカサンドラがこの状況を正確に把握しているなんて知らない。

 完璧に変身したリリエーヌをリタだと分かっているかのように扱えば、彼女自身がカサンドラに口を滑らせたとしか思わないだろう。

 彼女の信用に関わるので、長時間の接触は控えた方が良いな……


 そう思い、王子と共に屋敷に向かおうと決めた直後の事である。






「リリエーヌさん!

 再びお会いできるのをどれほど楽しみにしていたでしょう……

 先日はありがとうございます!」


 一瞬、張り上げた声の持ち主が誰なのか認識できなかった。

 吸い寄せられるように声の上がった方向を向き、更にぎょっと顔を強張らせる。


 パートナーと一緒にいるはずのキャロルが、一人こちらに駆け寄って来たのだ。

 珍しく大きな声とともに、ドレスの裾を両手で持ち上げながら可愛らしく走る彼女の姿に唖然とする。


 マディリオンのお嬢様が人前でパタパタと走るなど、体術の講義でもない限り全く考えられないことであったからだ。

 頬を上気させるキャロルに、その場に屯する一同は目が点状態である。




 だがそんな視線を一切ものともせず、キャロルは興奮気味にリリエーヌ――いや、リタの腕に抱き着いた。


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