第367話 王子のお迎え・Ⅱ


 その日は朝から全く落ち着かない日々を過ごし、そわそわしていた。


 大きな催し事がある朝はいつだって緊張する。が、とりわけ今日は卒業した先輩、アイリスが招待してくれた晩餐会。

 晩餐会という名の通り、招待時刻は午後の五時。

 当然迎えの馬車もそれに従って、夕方近い時刻になってしまう。


 結果的に朝からずっとそわそわと落ち着かず、部屋の中を無意味に行ったり来たりを続けているカサンドラである。

 あまりにも浮足立つ姉を眼前に、激励のためか声を掛けてくれたアレクも苦笑を浮かべる始末だ。


 久しぶりにアイリスと会うことが出来て嬉しい、そして王子と一緒に過ごせる休日だということも嬉しい。

 スペシャルな一日なことに相違ないはず。なのに、もしも浮かれすぎて失態を演じてしまったらどうしようかとドキドキしてしまうのだ。


 何も手につかない漫ろな日中を経て、晩餐会に向けて支度を始める時には心はすっかり疲れているという前のめりの様に自分で呆れた。


 晩餐会に着て向かう衣装に袖を通す。足元までドレスの裾で隠すロングスカートの藍色のドレス。

 明るすぎず派手過ぎないので、カサンドラは幼い頃から紺や深緑の服が好きだ。

 深い暗色をベースにキラキラと光沢の入った金銀の刺繍で飾るマーメイドラインのドレスの裾は広がっているので――見ようによっては人魚のフォルムか。


 その衣装に王子から贈ってもらった装飾品も重ねて着ける。

 テキパキと手慣れた様子でカサンドラを飾っていくメイド達も、やたらと豪奢なアクセサリーボックスを開けてしばらく絶句した。


 王子はカサンドラの着用する衣装に色合いやデザインを合わせてくれ、その上アクセサリーまでいくつもプレゼントしてくれた。

 そこまでしてもらうのは申し訳ないという想いが強いのは、自分に身を飾るのが苦手という意識が根強いからか。

 自分で言うのも難だが、綺麗に飾り立てた分だけ威圧感が出てしまうというか凄味が増してしまうと言うか。

 これが悪役お嬢様面づらの真骨頂だと言われれば納得する他ないけれど。


 可愛らしいとは程遠い、気位の強い有閑マダムにしか見えない……


 ここまできて外見について文句を言ってもしょうがない。それに王子付きの衣装係が選んでくれた宝飾品は間近で見れば細工の細かさに目を奪われるが、一見すると控えめなフォルム


 ――客観的に美人だと思われる容色であるだけで恵まれている。

 いくら地顔が不機嫌そうだの面白くなさそうだのと陰で言われても、だ。


 今まで着ける機会のなかった婚約指輪を左手の薬指に填め、細かな翡翠の珠をちりばめた髪飾りも着けて漸く準備万端。

 胸元に掌をあてがい、「スー、ハー」と何度も呼吸を整える。


 王子が馬車で迎えに来る頃合いになり、いざ出陣と気合を入れるため高らかに天井に手を掲げると――


「姉上、勇ましいのはいいことですが。

 そろそろ王子が迎えに着ますよ」


 静かなノックの音に気付かなかったカサンドラは、廊下で顔を引きつらせ視線を逸らすアレクに呼び出されたのである。

 握りしめた拳の行き場をなくす。誤魔化し笑いを浮かべ、そっと握った手をそろそろ下ろし、後ろ手に隠した。


「そ、それでは参りましょう!」


 カサンドラはホホホ、と無理に明るく弟を外に促したのである。





 かなり気まずい。


 無言のままのアレクと連れ立って屋敷の外門へと向かう。既に使用人一同がずらっと並んで待機済みだ。

 王家が絡むと皆、とても行動が素早い。

 特に家令のフェルナンドに至っては口ひげが何割か増しでつやが光っている気がする。


「ケンヴィッジ家の晩餐会なのですから、あまり奇妙な動作で注目を浴びるような事はしないでくださいね、姉上」


「分かっています……」


 視線を合わせないまま改めてそう忠告されると、一層恥ずかしさが増す。


 主催はアイリスと彼女の婚約者のレオンハルトだから、恐らくケンヴィッジ侯爵夫妻は出席していないはずだ。

 学園を卒業した後、一人の立派な貴婦人として女主人役が出来るのか社交界へお披露目の意味も込められているという。


 親がしゃしゃり出てフォローしてくるようでは学生時代と変わらない。


 だから準備も段取りも采配も全てアイリスが行っているはずだし、カサンドラが卒業したら同じように屋敷に大勢を招待して夜会や晩餐会などを催さなければいけない。

 近しい先輩にお手本を見せてもらうという意味でも、今日の参列には大きな意味がある。


 初回にいきなり扱いの難しい人間を招待する事もないだろうから今日はゆっくりと過ごせるはずだ。

 王宮舞踏会程緊張することもあるまい、と何度も自分に言い聞かせる。


 が、アイリスの人脈を考えれば、錚々たる面子が集まるのだろうと予想は出来る。

 王子をしれっと招待できるくらいなのだから、学園生活は重要だなぁと改めて思い知った。


 普段お近づきになることが困難な相手と親しくなって個人的なやりとりが出来るというのは大きなアドバンテージだ。学園で過ごす三年間はとても大切だとしみじみ実感する。

 人と話をするのが苦手だからと一人ぼっちで過ごしてしまえば、社交界でも孤立する。


「あ、王子の馬車じゃないですか?」


 アレクが視線を向けている先に、つられてカサンドラも顔を向ける。

 地面にもうもうと砂塵を巻き上げ、景気の良い蹄の音を響き渡らせる四頭牽きの馬車は――王家の紋章を確認するまでもなく自分を迎えに来たものだと分かった。


 澄ました顔の年配の御者が、白馬四頭を同時に綺麗に止める。

 更に横、後列には騎士の護衛付きだ。

 キラキラと眩しいばかりの王子様御一行に、カサンドラは再度緊張で喉を鳴らした。


 王都内を馬車で行くのにここまでの物々しさは、流石王族。


 微かな馬の嘶きが合図であるかのように、それらが牽いている馬車の扉がゆっくりと開いた。


 馬車から軽快な動作で降りて来た王子と目が合う。

 どんな姿でも神々しさに溢れている彼だが、流石に盛装されていると視界への暴力が限界を突破する。

 そこいらの美人と呼ばれる女性より整った美しい顔立ちなのに、中性的ではなく男性らしいシルエットなのがズルいと思う。


 かっちりとした厚手のスーツも良く似合っていてカサンドラは何度も目瞬きを繰り返す。


「迎えに来たよ。

 ……行こうか」


 曇りない笑顔で微笑まれ、カサンドラはこくこくと頷く。

 彼に迎えに来てもらうのは二度目とは言え、やはり不慣れゆえの緊張に足が縺れそうになった。


「王子」


 だが彼を呼び止める声が響いて、皆の視線がそちらに集中する。

 何食わぬ飄々とした態度のアレクは王子に向かって仰々しく一礼。


「ご無沙汰しております。

 今日は姉を宜しくお願い致しますね」


「………。

 アレク」


 一瞬自分の『弟』の名を呼びそうになったのだろう。王子は僅かに言い淀んだが、すぐに表情を持ち直して彼の名を呼んだ。

 周囲の使用人達の目線で言えば特に不自然には映らないだろう光景。

 だがカサンドラとしては物凄く複雑な心境である。


「ああ、勿論」


 本当の兄弟のやりとりは、双方の気持ちを考えるとかなり落ち着かない気持ちになる。




「本日は晩餐会、お戻りも遅い時間になるでしょう。

 王子、どうか今晩はこちらでお休みになって下さいね!」




 しみじみとした気持ちになっていたカサンドラの気持ちを一蹴するかのように、アレクは今、何だかとんでもないことを言ったのでは?


 全く事前に打ち合わせていなかったので、カサンドラの思考も真っ白に塗りつぶされた。




 王子は是とも否とも返答をしなかった。

 二人とも馬車に乗り、従者がパタンと扉を閉める。



「……。」

「……。」


 パカパカ、と馬が歩む音だけが馬車内に響く。

 少しの間静寂の時を過ごした。




「……アレクの最後の発言、あれは一体……?」


 よく分からないと言った様子で首をかしぐ王子。

 努めて平静を装うカサンドラも、ようやくアレクの発言の意図を理解した。


 前回のガーデンパーティとは違い、晩餐会ともなれば帰宅の時間は深夜を回るだろう。

 食事が終わった後の歓談や遊戯の時間を想定すれば日付を跨いでもおかしくない。


 カサンドラは晩餐会に参加することはあっても途中で退室することが多かったが、今日は王子と同行している。

 彼に合わせる必要があるので早く帰ることは難しい。


 ……一旦カサンドラを送り届けてから再度王城へ帰還するなら、遅い時間で大変だろう。

 夜遅くまで護衛達を引っ張りまわすのも可哀想である。


 となれば、王子がレンドール別邸で休んで帰ると言うのは特に不自然な話ではない……のだろうか。


「アレクの言う通りです。

 遅くなるようでしたら、遠慮なさらずお泊りになって下さい。

 ……恐らくアレクもそのつもりで準備をしていることでしょう」


 アレクは護衛の騎士、従者たちの面々をしっかりと確認していた。

 王都内のことだ、そのまま帰還するもよし。王子が気がかりなら宿泊しても良し、と柔軟な対応をしてくれるに違いない。


「迷惑ではないだろうか」


「とんでもございません!」


 王子を夜遅く家に招待し、そのまま泊って行って欲しいと言ったこともある。


 尤も、その時は深夜遅く――流石に無断で外泊するわけにはと言い残して帰還した。だから実際に滞在するなら初めてのことになる。


 去年の秋、同じくケンヴィッジ邸でのガーデンパーティ。


 王子に送ってもらって、何ももてなせずに帰らせてしまった過去を思い出す。

 出来る事ならゆっくりして欲しいと言う想いはカサンドラも同じだ。


「兼ねてよりアレクは、王子とゆっくりお話が出来る機会を望んでおりました。

 どうかあの子の希望を叶えて頂きたく思います」


 彼にとっては、王子は本物の兄。

 積もる話も沢山あっただろうに、あの夜はずっとカサンドラが話をしていたせいでアレクも気を遣ってくれたし。

 不自然ではないタイミングで王子と互いに遠慮なく胸襟を開いて話したい、という彼の気持ちは是非汲んであげて欲しいと思う。 


「それは私にとっても有り難い話だ。

 余りにも都合が良い事が重なると、どうにも落ち着かない気持ちになってしまってね」


 王子は苦笑を浮かべながら、決して滞在に不満があるわけではないのだと重ねて言及してくれた。


 彼の気持ちがカサンドラにも痛い程よくわかる、身につまされると言った方が良い。

 こんなに幸せなことばかりで、後でしっぺ返しを食らうのではないか? と、疑心暗鬼になってしまう心境。

 あるがままの状態を受け取るのも恐る恐る――


 特に王子は今まで家族関係において、あまり幸せな過去を持っているとは言い難い。

 今まで完全に亡くなっていたものと思い込んでいた弟が、こうして近くにいて話しかけてくれるというだけでも現実感がないのかもしれない。


「アレクもわたくし達の帰還を楽しみに待っていると思います」


「そうだね。とは言え、まずはアイリス嬢に招待してもらった晩餐会が恙なく進行することを願うばかりだ」


 王子の言う通り、今日のメインイベントはまだ始まってもいない。

 綺麗な馬車の中で互いに向き合って座っていると、いつもより近い距離に思えて急に鼓動が急加速する。

 広い個室内、膝が触れるわけではない。

 でも完全なる密室空間が普段より距離を近く感じさせる。


「アイリス様にお会いするのは久しぶりなので、とても楽しみです。

 今日は一体どなたがいらっしゃるのかと想像すると、ただただ緊張しますけれど」


 何せ後に女侯爵となるアイリスの、社交界への正式な参加表明の一幕だ。

 既に王子が招待されているというだけでも大変な事なのに、他にどんな大物が紛れ込んでいるのかと思うと全く気が抜けない。


「少なくとも、ラルフは参加するからね。

 それにマディリオン伯爵家からはキャロル嬢も来るだろうから、学園行事の延長のようなものと考えれば負担も軽いかもしれない」


「そうなのですね」


 成程、王子の言う通りだとカサンドラは頷いた。

 いきなり年配、社交界に深い根を張る重鎮に声を掛けるよりも、まずは面識が十分にあって格式に問題がないお嬢さんやお坊ちゃんに声をかけるのなら間違いがない。

 それに招待された方も知っている顔が多い方が楽しい時間を過ごしやすいだろう。


 キャロルは勿論、ヴァイル公爵家の関係者としてご当主ではなくてラルフを招待するのも当然の事かも知れない。


 そうか、ラルフと晩餐会で同席するのか。

 予想していなかった自分が少々迂闊だった。社交の話などラルフとする機会がないので思いもよらなかったが、ここで彼とエンカウントしてしまうとは。


 いや、それも少し違う。

 カサンドラは今まで他家の主催する格式高いパーティなどには一切参加しなかった。

 そんな自分とは違い、ラルフは立場上多くの家からお呼ばれしていただろう。カサンドラの方がラルフにとってはレアな招待客扱いと驚かれる方かもしれない。


「実は私も少々気がかりなことがあって、ラルフとどんな顔で話をすればいいか困惑しているところだよ。

 ――彼の婚約者も同判すると聞いたからね。

 一時学園中を席巻した、あの噂の」



 あっ、と。

 カサンドラは驚きの余り、変な声をあげてしまうのを必死で抑えていた。




 ラルフの婚約者が『偽物』だということは、当人と関係者以外カサンドラしか知りようがない事だろう。

 当然王子もその婚約者の素性も知らされていない、ということだ。



「まさか彼が他の女性に心を惹かれるようなことがあるとは思わなかった。

 名を聞いたこともなく、社交界に顔を出した事もない令嬢だから……何かの裏の取り決めがあったとも考え難い。

 あったとしても、ラルフがその女性に惹かれたということは事実だろう。

 ……意外過ぎて俄かには信じがたかった」


 そう言って王子は何故か落胆したかのような表情を浮かべ、車窓から外の景色を眺める。

 親が無理強いするから舞踏会を開いて嫁を選ぶ事になってしまったが、嫁選び自体が打算なく不本意なことなら……わざわざ無名の令嬢を選ぶ必要はない。


 舞踏会に参加した女性たちが諦め、立ち入る隙がないと思ってしまうくらい――

 ラルフが心を惹かれ『選んだ』という事実に、王子はいたく驚愕したのだ。



「私はてっきり、ラルフはリタ君の事を好きなのだろうと思っていた。

 だから彼の行動には驚きしか感じない、未だに信じられない想いだ」



 うーん、と王子は口を引き結んで瞑目した。


 王子の本心を聞き、カサンドラとしては何も言えるはずがない。



 ラルフがリタの事を気に入っていたのはちゃんと気づいていたのだな、とか。 

 いかに友人同士でも恋愛話を気軽にするわけではないのだな、とか。


 互いの家の事情なども合わせ、不干渉領域の存在があるようだと察したり。




 王子から見れば、今まで少なからず好意を抱いていたリタの事は一切葛藤の余地なく、あっさりと知らない女性に彼が目移りしてしまったように見えているわけだ。

 友人の心変わり様を目の当たりにし、さりとて直接聞くに聞けない複雑な想いも十分伝わってくる。




 ラルフに対して誤解をしているのだとしたら、解いてあげたいとも思う。

 彼には王子との関係で窮地を救ってもらったという、大っぴらには出来ない恩もあるからだ。

 


 でも言えるわけがない!




 これから会う女性が、ほぼ間違いなくリタ本人だ――なんて。





 言うに言えない事情を知るカサンドラにとって、大層居心地の悪い行きの馬車であった。



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