第366話 昼休憩の一幕
び……
吃驚した! 吃驚した――!
リナを促し一緒に生徒会室に向かう短い道中、カサンドラの心臓はバクバクと激しく鼓動を打ち鳴らしていた。
まさか第三者の口から聞くとは思わなかった『前世』というキーワード。
視界外から思いきり鈍器で殴打されたような感覚にさえ陥る。
間違いだと言う事が救いだが、本当に予期せぬリナの言動に動揺が止まらない。
何とか平静を取り繕っているものの、笑んでいる口元は引きつっているはずだ。
リナは普通の女の子だ。
占いにも興味があっておかしくないし、年頃の娘ならそれこそ『おまじない』だの『前世占い』などに傾倒してもおかしな話ではない。
だが……
もしも、と嫌な予感が脳裏を過ぎった。
リナに並びそっと彼女の表情を伺う。先ほどの爆弾発言は最初から存在しなかったかのような態度にも、少し引っ掛かりを覚えたことは確かだ。
まるで意図的に”隠した”ような態度。
彼女はこの世界の主人公と言う特殊な存在だ。
カサンドラは悪役側とは言え、
もしかしたらここに至るまでのカサンドラに本能的な違和感を抱き、本来の登場人物ではない”異物”だと気づかれてしまったのではないか?
物語の主幹たる主人公に、存在を否定されてしまったら……
果たして自分は今まで通りにいられるのだろうか?
一気に不安が押し寄せてくる。
カサンドラという名前なのに、本来の役割を放棄してしまっていると言っていい。
リナが無意識にせよ、カサンドラの存在を”おかしい”と直感で疑義を抱いたとしたら?
貴女は
そんな強い拒絶を抱かれても、自分は今まで通り存在できるのだろうか。
生徒会室の扉のノブに触れる手が小刻みに震えた。
カサンドラの行いのせいで、今、この世界があるべき道から逸れてしまった状態にあるとして。
リナ達が主人公特権を有していることは今までの偶然という名の必然シーンを眺めていれば一目瞭然。
そして結ばれるはずの相手との恋を成就させるイベントを起こすために、彼女達の力が作用してしまったら?
逸れたシナリオを戻す力が彼女達にあるとしたら……?
「……カサンドラ様?」
急に沈黙してしまったカサンドラを不思議に思ったのか、リナはドアノブに手を掛けたまま立ち止まる自分に声を掛けてくれた。
「何でもありません。
生徒会室の奥にお茶を淹れるための設備がありますので、そちらへご案内しますね」
「ありがとうございます!
カサンドラ様がいてくださって、本当に幸運だと心から思います」
彼女の言葉には誤魔化しや社交辞令と言う要素が欠片も感じられない。
控えめに微笑み、こちらを見る視線に懐疑的なモノは無い。
そもそもリナは誰か怪しい人がいるからと排除しようなんて思う人間ではない。
カサンドラ自身に誰にも言えない『やましさ』があるから、あんなワンセンテンスにこの世の終わりのような絶望感を覚えてしまったのだ。
誰にも話せない、信じてもらえないだろう事象を抱えることのもどかしさに心のそこで悔しく思う。
ここがゲームの世界で、自分はそれで遊んでいた別の世界の人間の記憶を持っている――
前世は異世界人だ。
どんな顔をして告白しろと言うのだ。
リナの仕草や態度に、自分を騙そうとする意図は見えない。
そんな非道な事を考えるような娘ではないと、カサンドラも信じている。
画面越しに接していた少女も、今目の前にいるリナも。
優しく素直で正直な女の子なのだから。
……考えすぎ……か。
そもそも、答え合わせなど出来ることではない。
カサンドラは考えるのをしばし留め、彼女を部屋の奥に案内する。
※
生徒会には女子が少ないとアイリスも嘗て嘆き、カサンドラを喜んで迎えてくれた。
今なら彼女の気持ちが良く分かる、やはり集団で女子が一人だけというのは居場所がない気がするし気を遣う。
しかも今年はクラスメイトで気心の知れたリナが一緒だ。
先ほどのリナの一言によって天地が揺るぎそうな動揺ぶりを示したカサンドラだったが、いつもと何一つ変わらないリナの様子に安心する。
彼女は女の子らしい趣味を多く持っている、先ほどの言い間違いというのも頷ける話だ。
きっと占いやおまじないが好きなのだろうなぁ。
花占いとかもするのだろうか。
想像するととても可愛いらしい姿が思い浮かび、カサンドラもつい顔を綻ばせてしまった。
茶器の場所や湯の沸かし方、サイフォンでの淹れ方などを一通り説明している途中の事だ。
何の前触れもなくカチャッと生徒会室の扉が開かれ、リナとカサンドラは同時に肩越しに背後を振り返った。
視線の先には良く見知ったクラスメイトが二人。
「お、カサンドラじゃねーか」
赤髪の精悍な男子生徒、ジェイク。
「……リナ・フォスターも在室中か」
黒髪で眼鏡が特徴的な男子生徒、シリウス。
珍しい組み合わせ――というわけではないが。二人一緒に生徒会室に入って来た。
「シリウス様、ジェイク様。お邪魔して申し訳ありません。
お茶出しの指導に伺っています」
「いや、お前も生徒会の一人だ。好きに出入りすればいい」
そう言われても、とリナは及び腰で困ったように微笑む。
流石に王子含めた幹部役員を前にそんなに奔放に振る舞うなど無理だ。
前年度はアイリスやビクターでさえ、会議後はすぐに退室していたし出来る限り部屋に入らないように気を遣っていた事も知っている。
ただの学級委員なら猶更気後れして立ち入るのは困難だと思われる。
「丁度いい、カサンドラ!
コーヒー淹れてくれ」
「それは構いませんが、ジェイク様、お仕事ですか?
……生誕祭までは十分日があると思いますが」
ジェイクは生徒会の資料が整然と並ぶ書棚の中から、一冊の資料を抜き取った。
それはとても薄い冊子のように見える。
その一連の動作で生徒会室に来た目的が勉強ではないと分かった。
だが生徒会でジェイクの仕事はまだ出番がないはずだと、不思議に思ったのだ。
「いやー、仕事って言うかさ。
……ちょっと名鑑確認」
ジェイクは苦虫を噛み潰したように顔を歪め、不機嫌そうに眉根に皺を寄せている。
「また同じことをしでかされても困る、しっかりと確認しておけ」
「はいはい、分かってるって」
うんざりとした様子で頬杖をついたジェイクは、不承不承数枚程度の冊子を順繰りに捲っていく。
そんな
「リナ・フォスター。
練習ついでに、紅茶を淹れてもらおうか」
いつも通り無味乾燥な顔つきなのかと思いきや、チラチラとこちらを気にしている。
どうやらリナに飲み物を頼むタイミングを計っていたようだ。
「はい、畏まりました」
紅茶よりコーヒーの方がシリウスは好きなはずだ。
敢えて別の飲み物を指定することで確実にリナに淹れてもらえるように仕向けたのだとピンとくる。
だがそれを口に出してもいい事は無さそうなので、カサンドラは気づかないふりでジェイク用にコーヒーを淹れて持って行くことにした。
リナと二人で他愛もない話をしながら各々飲み物を用意する。
誰も利用者がいないのなら、お茶でも飲みながらゆっくり話が出来ると思っていたのだけど、残念だ。
「ジェイク様、どうぞ。……先ほどから何をご覧になっているのですか?」
コーヒーをそそいだカップを乗せたソーサーを持つ。
そっとジェイクの机の上に置いて、カサンドラは丸いお盆を両手で胸元に抱えた。
少し身を乗り出し、彼の読んでいる資料に上から視線を落とす。
「悪いな、もらうぞ。
……あー、これか?
さっき、やらかしたんだよな」
ジェイクは不機嫌そうに言い、熱い湯気立つコーヒーを一口飲んだ。
はぁ、と彼の溜息とも言えぬ吐息が机の上に落ちた。
彼が見ている資料は……
学園生徒の名簿に相違ない。他に変わっている事と言えば、何だろうか。
更にじっと目を凝らす。
生徒名の横に、ちらほらと異性の名前が記されてることが見えるくらいか。
「婚約者持ちの奴を確認してるんだよ。めんどくさい」
ジェイクの苛々が蒸気と化して脳天から昇り立つかのようだ。
一体何をやったんだとカサンドラも首を傾げる他なかった。
「実は、さっき――」
ジェイクが先ほど起こった出来事を教えてくれた。
恐らく愚痴を聞いて欲しかったのだと思われる。
傍に立つカサンドラは、格好の愚痴吐き対象だったに相違ない。
彼の話によると、昼休憩に入った直後の食堂横で。
ある男子生徒が女子生徒に詰め寄っている光景を運悪く見つけてしまった。
建物の白い壁に女子生徒は背中をつけ追い詰められている。それに覆いかぶさるような姿勢の男子生徒にひたすら怒鳴られていたのだそうだ。
また女子生徒に無理矢理言い寄っている男子がいるのかと、ジェイクは眉を顰めた。
出来れば見て見ぬふりを決め込みたいが立場上トラブルを見過ごすことはあり得ない。
今にも噛みつかんばかりに女子生徒に接近する男子生徒――彼の腕をぐいっと掴んで、たちまちの内に距離をとらせた。
みっともない真似をするなと言ったまでは良かった。
「女子が怖がっている、近寄るな」と忠告したことがジェイクの”やらかし”であった。
よくよく話を聞けば、二人はつい最近婚約が決まった者同士。
要するに痴話喧嘩に近い状態だったわけだ。
ただ、女子生徒にとって怖い想いの残るケースではないかとカサンドラには思えた。
婚約が決まったからと急に構内で接触をはかられても戸惑うばかりだろう。
だからジェイクの行動は一概に正解とも不正解とも言い難い。
しかし――
『婚約相手をどう扱おうが我が家の勝手だ』とムキになられては話がややこしくなる。
食って掛かってくる相手はヴァイル派の貴族の三男、ジェイクとは縁も遠い生徒だった。
流石に他家の事情に強引に割って入ったとあっては周囲への心象も宜しくない。
言い寄っているわけではなく、自分の婚約相手に対する真っ当なコミュニケーションだと言われては引きはがした方に理が無くなる。
女子生徒を壁際まで追い詰め、壁を背にした女性の脇に手をつく。
いわゆる壁ドン状態か、とカサンドラは脳内でイメージが結びつき大きく頷いた。
確かに難しい状況だ。
互いに納得している状況で正式な婚約相手で、風紀違反になるような行動は起こしていない。
力づくでジェイクが横やりを入れたとするなら、そちらの方が問題視されかねない――というわけか。
一応彼の訴えは、騒ぎを聞きつけて現れたラルフがどうにかしてくれ事なきを得たそうだ。
ラルフを見た瞬間、男子生徒は完全に意気消沈して無言で頭を垂れることになった。ヴァイル家のお坊ちゃんが出て来たらひれ伏すしかない。
ジェイクにしてみれば理不尽甚だしい状況だと、不機嫌そうに言い捨てる。
「他の奴らの最新の婚約状況なんか知るかよ!」
「ラルフの婚約が決まった段階で大きな変化があると分かり切っていた事だろう。
事前確認を怠ったお前が悪い」
淡々とした口調のシリウスの冷たい視線の余波を受け、カサンドラも背筋が凍えた。
生徒会が不祥事を起こしたなんて言われたら迷惑だ、と言わんばかりの威圧感だ。
ジェイクが急に婚約者同士を今一度確認を行っている理由は良く分かった。
「ジェイク様、大変でしたね。
その状況では勘違いされても仕方がないと思います。
余程家同士に明確な上下関係があるのか?
婚約者に壁際まで追い詰められた女子生徒は、果たして内心どう思っていたのだろう。
そんな酷い台詞を吐く男性と結婚しなければいけないなんて、本当に可哀想だ。
……確かに、他家の事情と言われればそれまで。
本人自ら助けて欲しいと言わなければ、外野はどうすることも出来ない。
「いや、ずーーっと無言だったから、何とも。
はぁ……女の考える事は良く分からん」
無言ということは、婚約者を庇う事もなかったわけか。
カサンドラが予想したように、家の上下関係で逆らえない相手なのかも知れないという想いが一層強くなる。
「カサンドラ、お前ならどう思う?」
「え?」
「
「――……ッ!?」
思わぬ飛び火状態にカサンドラは身体を仰け反らせた。
慌てふためき、あやうくお盆を床の上に落としてしまうところだった、危ない。
王子に壁ドンされたら……?
……………。
想像できない。
イメージしたらこの場で悶絶する自信がある。
「わたくしには分かりかねます。
王子がそのような事をなさると思いますか?」
まだドキドキと心臓が煩い。
起こりえないことだが、”もしも”と仮定したらいくらでも恥ずかしさの海を泳ぐことになってしまう。
リナやシリウスもいる手前、露骨に狼狽したくない。
「ああ、そりゃ無いな」
拍子抜けするほどあっさりと納得してくれた。
…友人の彼でも、そんな強引な王子の姿は想像できなかったに違いない。
勝手にこちらの想像力だけを搔き立てて無駄に動揺させるのは止めて欲しい、とこっそりジェイクを睨む。
はぁ、とジェイクは気落ちした様子で一名一名、生徒名を指でさしながらの確認作業に戻った。
彼の目はしばらく死んだ魚のように生気が無かったが、ある人名に行き着いて少し瞳に光が差し込む。
「……お、ベルナールか」
彼とシンシアの名が並んでいるのを見て、彼は少し気分が和んだようだ。
何故かベルナールとジェイクは、あの出会いからは考えられないが仲が良いらしい。
『ロンバルドの坊ちゃんを結婚式に呼べねぇかなぁ』などと分不相応な事をベルナールが言っていた――と、アレク伝いに聞いて半笑いを浮かべたこともある。
身の程知らずも甚だしい。
だがなかなかどうして相性とは分からないものだ。
カサンドラも、彼らが校舎内でしばしば楽しそうに話し込んでいる光景を見る。
二人とも大人しい貴族タイプではないし、波長が合ったのだろうか。謎だ。
「シリウス様。
紅茶をお持ちいたしました」
「……ああ、いただこう」
ジェイクを見ていた冷たい氷のような視線のシリウス。
だがその直前までの無表情さから一転し、仄かに笑みを浮かべてリナから給仕を受けている。本当に同一人物なのだろうか。
あからさま過ぎるその態度にカサンドラは無言を貫くことに大変苦労した。
二人でほのぼのとした空気を醸し出している。
「これから講義まで、予定はあるのか?」
「はい、カサンドラ様に役員活動の詳細を教えて頂く予定です」
「私も同席しよう。
カサンドラだけでは分からない事もあるだろうからな。
質問が二度手間になっては時間の無駄だ」
シリウスはこちらを一瞥する。
その無言の圧力が怖い!
その凍れる眼力でカサンドラの自発的な離席を促しているとしか思えない……!
無意識かどうか定かではないが、本当に想い人以外に容赦がない。
完全に二人で穏やかな世界を築き上げている様は、リナにとっても臨むところなのか。
確かにこうなっては、自分は邪魔なだけだ。
――どういう口実で生徒会室を抜け出そうか?
銀のお盆を元の場所に戻しながら、急な用件を捻りだすのに一苦労を強いられたのである。
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