第365話 <リナ>
リナは自分の特異感覚――既視感について自覚をしていた。
自分は幾度この世界を繰り返し過ごしているのかさえ分からない。
いかなる行動を起こしてきたとしても、結局こうして『入学式』の日に巻き戻ってしまう。
何が起こっても、どう足掻いても、このまま魂の牢獄に捕らわれ続けて生きていくしかないのか。
そんなリナにとって余りにも不思議な出来事が起こった。
全く既視感を覚えることのない、リゼとリタという三つ子の姉の存在だ。
彼女達と過ごしてきた十五年の記憶は間違いなく覚えている。
だが本当に自分はずっと三つ子だったかと自問すると……そうではなかった、ような、気がする。
――分からない。
何度も学園生活を送ることになっているのは何故なのか?
リゼやリタは何者なのか?
彼女達と一緒に行動することは自分にとってとても新鮮で価値のある事は確かだ。
一人だけの世界に戻るかもしれないなど、想像しただけで耐えられない。考えられない。
それに加えて入学当初からずっと気になっている人がいる。
『カサンドラ』という同級生の存在だ。
彼女の存在はとても大きいもので、この世界は今まで自分が体験してきた三年とは全く異なっている、と確信を抱くことができた。
ここまで過去の自分が知らないような現象が続いたのなら、きっと偶然じゃない。
何らかの大いなる人ならざる
問題はそう判断したところで、リナに出来ることが見つかるわけでもないということであった。
リナに分かるのは、この世界がかつて自分が幾度となく通過したはずの”時間軸”だということだけ。
一番のネックは、起こった事について「既視感」を抱くことはあっても今後何が起こるかの未来は見えない事だ。意味がない能力。無力過ぎて、自分でも笑えてくる。
先の見えないドキドキワクワクした生活を送れるから、人生は楽しいのだ。
ふとした拍子に過去の自分も経験したことがある――と分かってしまうのは苦痛なだけだ。
未来を視る事が出来れば抜け出す方法を考える事が出来ただろう。だがそんな特別な力は自分にはない。
全てにおいて中途半端だ。
事が起こってしまった後で、「ああ、前にもこんなことがあったなぁ」なんて既視感に包まれガッカリしてしまう。
手の届かない湖の中心に、無数の”体験””記憶”が刻まれたカードが浮かんでいる。
リナがその中の記憶に沿うような行動を起こした時、その
今の出来事は、既に手札の中にあったものだと知るのだ。
――残念! この
小馬鹿にされている。
まるで自分の人生の監視者がどこかに存在し、一部始終を見て嘲笑われているかのような感覚。誰に言ったら、理解される? 分かってもらえる?
希望は、今立っている世界に『いつもと違う』複数のことが紛れ込んでいることだ。
何かの力が作用して、奇跡的な出目の揃った新しい世界に変わったのかも知れない。
リナ自身がこの世界の中で生きていたいのだ。
今の皆と一緒に、未来に進みたい。
そのために自分が出来る事は……
『――リナ・フォスター』
入学したての頃、図書館で騒いでしまってシリウスに叱られた。
重たい本の背表紙がリナの足の先に落ちて、とても痛い想いをしたからだ。
少し腫れてしまった。
その場はリゼやカサンドラに庇われるような形で図書館から脱することが出来たものの、今となっては懐かしい記憶だ。
翌日、シリウスに呼び止められた事を今でも頻繁に思い出す。
『足の怪我の具合はどうだ、まだ痛いのか』
彼は仏頂面で、感情を抑えた抑揚のない口調でそう聞いてくれたのだ。
第一印象とは違い、意外と優しい一面もあるのだなぁ、と「大丈夫です」と頷いた。
――同時にぞわっ、と身体に怖気にも似た震えが走る。
過去に彼とこういう会話をしたことがある……
瞼の裏、薄ぼんやりとした白いモヤの向こうで、目の前のシリウスと全く同じ人物が仏頂面で声を掛けてくれた場面が思い起こされた。
喉の奥に冷たい感覚が込み上げてくる。
いつだってこうなのだ。
嬉しいと思えるようなことは全て、初めての事ではないと気づいてしまう。
過去の自分の辿った足跡に突き当たっただけ。
一体、何度経験してきたのだろう。
こんな風に忘れる事も出来ないくらい何度も何度も繰り返し、記憶の底に沁みついてしまうまで自分はこの三年を繰り返しているのか。
絶望して立ち竦んでいるわけにはいかない、とリナは己を鼓舞した。
これは妄想?
正気ではない? 頭が狂ってしまったのか? そう疑っても、現状は変わらない。
自分が正気であるならば……この世界を何度も経験していることが事実だと仮定すれば、人ならざるものの力が反映されているとしか考えられない。
リナはただの人間、普通の女の子だ。
特別な出自があるわけでもない庶民の娘。
魔法だって使ったことがない、平凡な一生徒。
多少魔法を覚えたところで、時間を巻き戻すような神をも超える力を使えるわけがない。
仮にそんな奇跡を起こすことが出来たとしても、こんな中途半端で苦しい状態を望むわけがないではないか。原因が自分とは思えないのだ。
自分をここに留めるだけの『何か』の力が作用しているはずだ。
『どうした。やはり痛むのか?』
目の前で自分に声を掛けてくれたシリウスは、急に無反応になったリナを怪訝そうに眺めてくる。
『いいえ、大丈夫です。
シリウス様は、図書館でどのような本をお探しだったのですか?』
『ああ、魔法学に関するものを探していたが……
生憎この図書館に関連した蔵書は少なかったな』
――シリウス・フェル・エルディム。
彼はエルディム侯爵の嫡男で、現宰相の息子だ。
それだけでなく、魔法関係にも精通し魔法研究の総本山、神殿にも出入りをしていると言う。
もし彼と親しくなれれば、自分が今まで知りえなかった超常現象について知る機会が得られるのではないか。
過去の自分ももしかしたら同じことを考えたかも知れないが、リナは現状知らない、知っていたとしても記憶を消失している。
だが”この世界”の自分が知ったら、巡り巡って事象解決の糸口になるようなモノを発見できるのでは?
リナ一人ではどうにもならないかも知れないが……
この、今までとは何かが変わっているこの世界で。
手を拱いて諦め、恐れている場合ではない。
自分にとって都合の良い期待、希望的観測。
無意味かもしれない。でも何もしないよりはマシだ。
創造の女神ヴァーディアを祀る神殿は魔法の権威。
シリウスは有能な魔道士で、神殿にも顔が利くのではないか。
皆が知らないことを知っている可能性もゼロではないだろう。
人の目に触れる事のない禁呪の中にリナの現状に関わるものがあって、それが見つかるかもしれない。
……『彼』と親しくなれるのなら、それに触れる機会もある……かな……?
罪悪感に苛まれない日は無かった。
心が、ズキズキと痛んだ。
※
「どうぞこちらにお掛けになってください」
カサンドラが翌日の昼休憩にリナを連れ出した場所は、生徒会室に近い三段噴水が設置された中庭であった。
綺麗に整った外観の良い中庭であるが、生徒会室や職員室が近いこと、また西校舎は講義を行う教室が配置されていないことがあって穴場と言って良い程人がいない。
もっと広く美しい庭園は他の場所にもあるし、生徒達の憩いの場として
リナは玄関ホールに繋がる中庭のベンチで、他の生徒と話をすることが多かった。
「リナさん。わたくしに相談とは、一体何でしょう」
隣のベンチに座るカサンドラ。
彼女は約束を違えることなく、すぐに動いてくれたことに驚きを隠せない。
話があると声を掛けた次の日にはちゃんと時間を作ってくれた。
たかが一クラスメイトの事と後回しにすることなく、真面目に話を聞いてくれるカサンドラ。
見た目の雰囲気こそ少々尖って近寄りがたいけれど、それが彼女の本質ではないことはクラスの皆も知っていることだろう。
……彼女の傍にいると、いつも新しい風に当たっている気がする。
彼女と共に過ごした時間に、既視感などない。
いつだって真っ新で、これが――これこそが自分の初めて歩む人生なのだと噛み締める事が出来る。
過去の自分が知らない、自分だけが知る景色だ。
何故か自分達三つ子に肩入れしてくれ、優しいカサンドラ。
もしかしたら……
彼女なら、自分を助けてくれるのではないか。
リゼもリタも”過去”などないということがよくわかる、恋に生きているキラキラした姿が眩しい二人。
本当は彼女達にこそ、最初に打ち明けるべきなのかもしれない。
己の生に引っ掛かりを覚えることなく、自分磨きや恋愛に一心不乱な彼女達は幸せそうだ。
毎日未知の体験に触れて生き生きと輝いている彼女達に、自分だけ『違う』のだと、真面目な顔で相談する勇気が持てなかった。
自分の恋愛に手一杯な彼女達を煩わせたくない。
彼女達は自分の恋を成就させるために、毎日一生懸命なのだ。邪魔したくない。
それに若干の嫉妬も混じっている。
私だって……
――”真っ
「今日はわざわざありがとうございます、お忙しい中申し訳ありません」
勢い余って、カサンドラを呼び止めてしまったことに若干勇み足だったかな、とリナは後悔していた。
「気になさらないでください、リナさんとお話が出来てわたくしも嬉しいです」
にっこりと微笑まれて、胸がジンと熱くなる。
何を言われても、彼女の言葉は何のフィルターも通さずにスッとリナの心に沁み渡るからだ。
まるで彼女の存在は”吃驚オモチャ箱”だ。
中から何が飛び出してくるのか分からないドキドキを与えてくれる。
王子と親しくなって愛称で呼ばれていた事にしてもそうだ。
彼女といると、常に未知と遭遇できる。
「あ、あの! カサンドラ様にお伺いしたいことがあるのです」
ぎゅっと拳を握りしめ、リナはカサンドラを真っ直ぐに見据えた。
釣り目がちでプライドが高そうに見える彼女は、やはり傍で見ると迫力のある美人さんだ。
その存在感の濃さにこちらが消えうせてしまいそうである。
彼女も真剣な面持ちでリナに向き直る。
ベンチに腰を掛けているが、体勢を少し変えて膝頭をリナの方に向けた。
何と言えば、彼女に伝わる?
自分の抱く既視感を、どうすれば彼女に適切に伝える事が出来る?
考えても正解が見つからない難問であった。
勢いに任せてカサンドラに相談したいと思ったが……
まだ何も確証を得られていない今、カサンドラに上手く伝えられる自信がない。
あと二年という時間制限がリナを焦らせている。
「え、ええと……
カサンドラ様!」
リナは襟を正し、右手の人差し指をピッと天に掲げた。
今のリナの状態を正しく表現するのは困難だ、ではどう言えば伝わるか……
「カサンドラ様は、前世や生まれ変わりは本当にあると思いますか?」
自分の口から出て来た言葉に自分で絶望した。
絶対に選択を誤った。
そもそも自分の現状には正しくない、痒い所に手が届かない自分のボキャブラリーに心の中で頭を抱えた。
「……………はい?」
案の定、カサンドラは呆気にとられた様子でリナを見つめるのみだ。
ぽかんと口を開けたカサンドラの表情を間近で見たのは初めてのことだが、その新鮮さを実感している場合ではない。
「リナさん……?
あの、突然どういうことでしょう……?」
違う! 違うの――!
リナは心の中で悲鳴を上げた。
自分だって、急に知人から前世が云々、輪廻転生がどうのなどと口に出されたら距離を置きたくもなるだろう。
カサンドラの引きっぷりが手に取るように分かり、ドッと汗が噴き出した。
前世、生まれ変わりの宿命……
どんな痛い娘だと思われてしまったのか、痛恨の自爆ダメージを負った。
「い、いえ! 違うんです。
そうではないのです!
先日前世占いの本を読んでいた影響で、つい。
……言い間違えてしまいました!」
自分でも苦しい言い分だと思う。
だが明らかに単語のチョイスを誤った、ここはまた仕切り直して相談する他ない。
ただでさえ信じてもらうことが難しい話なのに、自分から信ぴょう性を下げるような発言をするなんて。
緊張していたとはいえ、愚かすぎる。
「間違……? リナさん?」
このままではカサンドラの自分への印象が、ただの占い好きの夢見るメルヘン少女になってしまう………!
確かにファンシーで可愛いものは好きだ。
だが、これでも地に足を着けているつもりなので――現実逃避が趣味の痛い子を見るような視線はかなり耐え難い。
上手い言い回しが思い浮かばず、思考が空転する。
前世なんて言葉を使うのではなく、同じような夢を見るとか、もっと慎重で遠回しな言い方があったのではないか。
カサンドラもリナの発言に絶句中だ。
二の句が継げず、なんと返事をしていいのか困っている!
もうさっきの自分の発言は無かった事にして闇に葬る他ない。
一度口に出した言葉を消すことは出来ないが、気まずさゆえお互いに聞かなかったことにして有耶無耶にすることは可能なはずだ。
「相談事と言いますのは、次回の生徒会の会議のことです。
私がお飲み物の用意をさせていただきたいのです。
ご迷惑でなければ、事前に教えてもらえたらと……」
「え、ええ。勿論それは有り難いお申し出ですね。
リナさんにお手伝いいただければわたくしも助かります」
さっきのリナの言葉は一体何だったんだ。
カサンドラの釈然としない表情にそう書いてあったが、リナが必死に取り繕う姿に付き合ってくれるようだ。
本当に有難い、問い詰める事もない彼女の気遣いに救われた思いだ。
「役員のお仕事も未だ詳しく知りませんので、良かったらご教授いただけると嬉しいです。
他の学級委員の方はお名前しか分からず困っていたのです」
これらに関しては、カサンドラに相談したいことで間違いない。
この世界から抜け出す方法という掴みどころのない相談とは違い、これからも学園生活を恙なく送るために彼女に教えて欲しかったことだ。
「生徒会室が近くにありますから、一緒に紅茶を淹れてみませんか?
活動内容の説明も資料を目を通しながらの方が把握しやすいと思います」
にこりと微笑む彼女の優しさに、安堵の吐息を落とす。
……カサンドラに不信感を抱かれることが何より怖い。
やはり勢いで正面からぶつかるべきではなかった。
リナだって知人に「私の前世はかつて滅びた国の王女なんです!」なんて言われても反応に困る。似たようなことを突拍子なく空気も読まずに発言したようなものだ。
カサンドラが真顔で頷き、生まれ変わり論なんて語ってくれるはずがないではないか。
勢い余って言ってしまった言葉に、海より深く後悔するリナであった。
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