第364話 お祝いごと


 週末の晩餐会を楽しみにしつつ、カサンドラは普段と変わらない学園生活を送っていた。


 登校後必ず王子と話をする習慣がついたことを『変わらないこと』に数え上げるのならば、の話だが。

 先週だけのことではなく、昨日も今日も王子はカサンドラに声を掛けてくる。


 未だに周囲の視線に戸惑いを感じることも多いが、恒常化すれば皆も慣れてくるのだろうか。

 一番慣れないのはカサンドラ本人だ。去年一年王子の行動様式にすっかり馴染んでいたので話しかけられる度に一人、心の中で大騒ぎだ。


 軽い雑談という形式上、込み入った話が出来るわけではない。

 だが他愛もない話――用件があるようでないような雑談を彼と実行しているという事実が未だに信じられないのだ。


 かと言って常に人混みを掻き分けて話しかけてくると言うわけでもない。

 今のところ、朝だけだ。

 少しずつ彼と言う存在に慣れていくための準備期間を与えられているのかも知れない。

 それは気遣いの一種なのだろう、と思う。


 とてもではないけれどカサンドラから話しかけるような勇気はまだ持てない。

 そもそも女性が積極的に話しかけていくのは、ある意味捨て身に等しい。はしたない、と思われる覚悟でアピールしているわけだ。

 毎日王子達の周囲を取り囲んで押し掛ける女子生徒にうんざりしていたが、それもまた勇気の結実。

 何も行動を起こさないよりは……! と現実に頑張っているだけ、臆病なカサンドラより強いし、勇ましい。

 厚かましさと親しみの狭間を駆け抜けて毎日この教室に特攻してくる女生徒の逞しさに、今更ながら感心する。


 尤も、集団意識が働いているおかげなのかも知れない。

 個人戦で彼らに挑むのは無謀すぎる。徒党を組んで囲む事で、互いに牽制しつつも励まし合う関係とも言える。


 それら女子パワーを直に受け、当たらず触らずの対応を余儀なくされる方も大変だろうな。


 唯一ラルフだけは、その状況から抜け出せて楽しそうだ。

 彼の周囲には現在、あまり女子の姿がない。正式な婚約者が決まったからだ。


 本人比で翼が生えたかのように自由に見えるのは、カサンドラの気のせいではないだろう。

 最近機嫌が良さそうなのも女子達に取り囲まれることが減ったからだと推測される。

 嫁選び舞踏会開催という案件を親から聞かされた直後のラルフ機嫌の悪さを思い出し、それと比べたら――今は天と地の差だ。大変分かりやすい。



 何はともあれ、女子が男子に積極的に声を掛ける事は集団心理が発生でもしない限り、難しいことだ。

 婚約者ではあるもののカサンドラから気軽に声を掛けるのはいくつもの心理的ハードルを越える必要がある。

 舞踏会においてもパーティにおいても、女性は男性に声を掛けられるまで待つべきという常識が浸透しているように日常生活もそれに大きく逸脱しない。


 だから王子もこちらの立場を慮ってくれ、毎朝向こうから話しかけてくれるのだろう。 

 いつまでも一緒にいて緊張して会話の内容がチグハグだったり、慌ててポカをしてしまうような落ち着かない状況でも困る。



 ……何気ない、幸せな日常に慣れないと。



 今の状況におっかなびっくりで、幸せ過ぎて逆に落とし穴が待っていそうで怖いと思う。

 回避できたはずの”破滅”への道を振り返ってもしょうがないのに。



 何かを見落としているのではないかと、時折訪れる焦燥感に胸を焼かれる。






 ※





 彼女達と出会ったのは、昼食を終えた後の長めの昼休憩だった。


 一度教室に鞄を取りに行かねばならない、と自然な所作で食堂を出る。


 食堂の重々しい扉は休憩中は開けっ放しで、そこから校舎に向かう回廊には雨よけの庇が道なりに長く伸びていた。


 その回廊の途中を通過している時の事。

 カサンドラは珍しい二人組に声を掛けられ、呼び止められたのである。


「カサンドラ様!」


 急に視界外から名を呼ばれ、反射的に翡翠の双眸を横にずらす。

 もはや体に叩きこまれた反応の一種で、にこやかに口元を笑ませながら――


 だがすぐにその口元が真一文字に引き結ばれ、視界に入った光景を二度見してしまったカサンドラである。



「シャルロッテさん、リナさん……!?」



「ごきげんよう、カサンドラ様」


 見た目だけは華奢で可憐な伯爵令嬢シャルロッテ。

 緩やかに波打つ豊かな金の髪が陽の光を浴び、一層の煌めきを放っている。

 にこにこと上品に微笑んでいる最上級生のシャルロッテだが、注意深く周囲を見渡しても彼女の取り巻きの姿は傍に見えなかった。


 リナもカサンドラと目線が合った瞬間、ぴょこんと僅かに跳ね上がって頭を下げる。


 エルディム派の中でも歴史を持つ名門貴族ルブセイン伯爵家のお嬢様。

 彼女の隣で楽しそうに話をしているのが、可愛らしいとはいえ普通の庶民のお嬢さんであるリナという景色につい「見間違いか!?」と思ったのは仕方のない話だ。


「お二人は仲が宜しいのですね」


 するとシャルロッテは手の甲を口元に当て、軽くホホホと楽しそうに笑う。


「ええ、仰る通りです。

 リナさんとは選択講義が同じ日もしばしばあり、お話をする機会もありますの」


 完全にリナは恐縮しきっている様子であるが、決して疎んでいる様子は無さそうだ。以前からシャルロッテはリナを気にしていた事は知っていたが、こうも堂々と話しかけているのかと思うと少しばかり冷や冷やする。


「シャルロッテ様にはいつも善くしてもらっていて、本当に有り難いです」


 リナが気後れするのは彼女の性格上仕方ないことだろう。

 普段話す機会も多くない一学年上のお嬢様、しかもエルディム派の女子生徒の纏め役のような立場の女性だ。

 現在シリウスと仲良く過ごしている彼女だ。

 それを内心良く思っておらず、友好的に見せかけつつも後ろからブスリ! なんて怖い妄想を浮かべてもしょうがない相手である。


 去年のミランダが相手だったら間違いなく嫌味や皮肉どころではなく、リナは階段から突き落とされたりしていたかも知れない。


「シャルロッテさんといつもご一緒だったご友人の姿が見えませんね、驚きました」


 更に用心深く周囲を眺めると……

 すぐに鋭い視線に刺し貫かれた。


 離れた木の後ろだ。

 こそこそ複数人、身を隠してこちらを監視している。


 常に彼女の近くには側近の女生徒が控え、シャルロッテが他の生徒と会話をすることを遮りながらガードしていた。

 だからシャルロッテのこのような明け透けな性格を知る機会もなく過ごしていたわけだ。カサンドラだって、一対一で話さなければ彼女がこのような性格だったなんて知る由もなかったわけで。


 この国の貴族令嬢として、少々異端な考え方の持ち主であることは間違いない。


「ええ、そうでしょうとも。

 何せお兄様が卒業されたのですから!」


 シャルロッテは無意味に胸を張る。


「ルブセインの人間に意見出来る者もそうはおりません、私の天下です!

 好きなようにさせて頂きますわ。

 ……とはいえ、あまり無茶をしては説教を受けることになるので……程々に、ですけれど」


 ハラハラしながらシャルロッテを見守っているのだろう側近たちの視線が大変痛い。横から感じる突き刺さるような視線に気づかないふりをするのも辛い。


 シャルロッテが会話をしている相手がリナだということも合わさって、側近たちからハリセンボンを投げつけられているかのようだ。お目付け役として傍で牽制できず、歯痒い想いで遠くから見守っているのだろう。


 庶民相手に単独で接触している事だけでも卒倒ものだろうなぁ、と今までの彼女の様子を思い出して苦笑いだ。


「そうだったのですね」


 シャルロッテの積極性に驚きながらも、カサンドラは何度も頷く。

 今まで生徒会に所属する兄のビクターが目を光らせていたけれど、彼はもう卒業してしまった。 

 卒業後は彼も自分の事で忙しくしているので、あまりシャルロッテ一人に構っている時間もないそうだ。

 浮き浮きした様子でシャルロッテは語ってくれた。


「あの、シャルロッテ様。

 折角カサンドラ様がお見えなのですから、ご相談されてはいかがでしょう」


 話がひと段落ついた頃を見計らい、リナは控えめな声でシャルロッテを促した。

 全く同じ制服と言う形の服を着ているのに、リナもシャルロッテもカサンドラも纏う雰囲気が全く違う。

 純朴ピュアで慎ましいという雰囲気になるリナと、正統派美少女で――例えるなら春の妖精さんと言った様子のシャルロッテと。

 対するカサンドラは冬の女王か。装いは同じはずなのに……厳しく冷たい印象になってしまうのは一体全体どういうことなのだ。

 彼女達と並ぶと、浮いているように感じてしょうがない。


「そうですね、カサンドラ様にもご意見を伺いたいと思っていたのです」


 手をポンと合わせて、シャルロッテは微笑んだ。仕草だけを見ているなら、ビクターが心配する必要など欠片もない純粋培養のお嬢様なのだが。


「カサンドラ様はキャロルさんがご婚約なさったこと、御存知でしょうか」


「ええ、勿論です」


 ラルフの『仮初』の婚約者が決まった事で、大きな変化があったのはヴァイル派の生徒達である。

 何とかワンチャンス、彼の目に留まらないかと思っていた良家のお嬢さん達は各々、釣り合いの取れる身の丈にあった婚約話を進めていったようだ。

 その中でもすぐに噂が広がったのは、ラルフの相手に不足なしと思われていたキャロルである。


 キャロルは大勢からラルフの婚約者候補としてみなされていたが、それが叶わないとなるやいなや速攻で彼女の父親が他の縁談を纏めて来たのだと思われる。

 今まで「今後が決まらない」とモヤモヤしていた状態が何だったのかと驚く程、ヴァイル派内の関係図が大きく変化したのは小耳に挟んでいる。


 しかし婚約が決まったと聞いたのは進級後まもなくのことで、カサンドラは相手の男性の名前を聞いても上手くイメージできなかった。

 元々中央貴族に縁が薄く、既に学園を卒業している男性となれば猶更である。


「おめでたいことですね」


 キャロル程の高位貴族の令嬢ともなれば、卒業した後嫁の貰い手がないなんて事はまずありえないことだ。

 だが無事に良い相手が見つかり、婚約が成立したな一件落着、安心したことだろう。


 それが政略結婚になってしまうのは今更言っても始まらない。

 ……自由恋愛で相手を探せる、そんな都合の良い話が沢山転がっている程甘い世界ではない。


 カサンドラと王子の関係とて、突き詰めれば政略結婚なわけで。

 自分達が家同士の繋がりを強化するための”駒”でしかないことは、口にしないまでも皆承知の上だ。


「折角キャロルさんの正式なお相手も決まったことですし――

 お祝いにパーティを開くのはどうかと考えたのです。

 勿論内々に、ですが」


「まぁ」


 カサンドラは思わず目を瞠り、掌を口元に添える。

 曲がりなりにもエルディム派の彼女が、ヴァイル派のキャロルの前途を積極的に祝するなど、とても思いつかないことだったからだ。

 いがみ合っている緊張した派閥間の空気など無いも同然と言う彼女の提案に、カサンドラは素直に感嘆した。


「ミランダさんにも声を掛けようかと考えています。むしろ一年遅れですがミランダさんのご婚約祝いも兼ねても良いと思っているほどですもの!

 ……ただ、思いついたは良いものの……

 キャロルさんにとっていい迷惑なのでは? と急に不安に思いましたの」


 悩んでいる時にリナとすれ違ったので、相談という体で立ち話をしていたのだそうだ。

 キャロルのためにささやかなお祝いをしたいという相談は、誰にでも出来ることではない。彼女の側近、ご意見番は絶対に良い顔をしないだろう。


 ちら、とシャルロッテはリナに視線を遣った。


「私は貴族の皆様の事情は分かりませんので、想像でしかお答えできません。

 相手の男性の方をキャロル様がどう思われているのか分からないことが、一番の心配材料ではないかと思います」


 リナの遠慮がちな意見に、カサンドラも頷かざるを得なかった。

 対外的におめでたいことなので祝おうと企画しても、当の本人が苦手だったり気が進まない相手だったとしたら――物凄く気まずいし逆に煽られているのか盛大な嫌味か、宣戦布告か!? なんて受け取られかねない。

 キャロルの性格上あからさまに嫌がることはないだろうが内心は「放っておいてくれ」と複雑な気持ちになるかも。

 それで良好な関係性に罅が入ったら一大事だ。


「私は勿論のこと、シャルロッテ様もお相手の男性のことをご存知ないようですし」


「かと言って直接キャロルさんに婚約者の事を不躾に聞きまくるのも失礼な話。

 祝いたい気持ちはあれども、お二人の関係性が把握できないことには実現が難しそうだと暗礁に乗り上げているところなのです」


 相手の男性ってどんな人?

 お家はどんな状態? 貴女は決まって嬉しいの?


 などと真正面から聞くのは、友人関係であっても難しい繊細な話題だと思われる。

 それにヴァイル派に伝手のないシャルロッテには情報収集も単独では難しいはずだ。


「ですがお祝いをしたいというご好意は間違いなく、キャロル様も喜ばれると思いますよ」


 リナも明確にやめた方が良いとも言えない難しい状態のようだ。

 そんな事情を急に相談されて面食らっただろうに、真摯に話を聞いているのは彼女らしいと思った。


「そういえば……

 週末、わたくしはアイリス様の主催なさる晩餐会に招待されているのです」


 彼女が主催ということは、恐らくマディリオン伯爵家の令嬢であり従妹のキャロルも招待しているのではないかと思われる。


「もしもそのお席にキャロルさんがお相手と参加されているのならば、わたくし、それとなくお話を伺ってみますね」


「それは素晴らしいです、直接お会いするのなら間違いがないでしょう」


 キャロルがその相手と仲が良さそうなら、対外的にも内情的にもおめでたい話だ。

 だが明らかに彼女の意に染まないような相手だったとしたら……

 祝うために集う、というだけで逆に無用な気を遣わせてしまうかも知れない。


「折角出来たお友達ですもの。

 おめでたい事を黙ってスルーするなんて、甲斐がないと思いますわ!」


 どこか誇らしげに堂々と、シャルロッテは己の胸に手を当ててそう言い切った。

 本当に根が素直なお嬢さんだなぁ、と思う。


 カサンドラ個人の感覚では好ましい人柄なのだが、やはり彼女もしがらみの多い立場に置かれている。

 もしも大勢の生徒から反感をかってしまえば、事は自分一人で済まなくなってしまうだろう。

 ビクターが彼女の周囲に側近を配置して極力失言から守っていたという事情も分からなくもない。


 ……ただ、シャルロッテが以前言っていた通り……

 折角同じ学園に通っていて、目に見えた垣根もない日常生活を送っているのだ。

 出会いや交友関係の幅がもっと自由に広がっても良いのではないかという意見は、健全なものだと思う。


 確実にキャロルに会えるかは定かではないが、アイリスに聞けばキャロルの現状が把握できるのではないだろうか。

 キャロルも「お姉さま」と慕っている間柄だし、血縁関係もあるから他人事ではないはず。

 彼女に不都合がない程度に、アイリスの思っていることを聞き出せれば重畳だ。


 キャロル側の情報を聞き出すまではこの案はあたためるだけにしておきましょう、とカサンドラは念押しする。

 シャルロッテも同調してくれ、足並みをそろえる事が出来そうだとホッとした――


「……カサンドラ様!」


 心配そうに話の行方を見守っていたリナが、再びカサンドラを呼んだ。

 意を決したとでも言わんばかりの彼女の声に身体を向けて応える。


「私もカサンドラ様にお聞きしたいことがあるのです。

 ご都合の良い日に、お時間を頂いても良いでしょうか」


「まぁ、リナさんがわたくしに?

 勿論大歓迎です」


 これはとてもレアな事態だと、カサンドラの心も再び沸いた。

 キャロルの婚約祝いのことも微笑ましい話だと思えたが、今度はリナに相談ごとをされるなんて……!



 今までリナのために何かできたと思っていなかったので、是非とも彼女の力になりたい。

 そんな思いが強く出過ぎたのだろう、カサンドラも前のめりになって大きく頷いたのである。


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