第360話 薔薇の花


 アイリスに呼ばれた晩餐会に着ていく予定のドレスを王宮に持ち込んだ。

 王子も合わせて服を用意してくれるという、こちらからお願いすることの難しい提案を彼がしてくれたから実現した事だ。


 その上カサンドラは装飾品まで購入してもらった。

 指輪は婚約指輪を外すつもりはないので頑なに辞退したがイヤリングに首飾り、髪飾り。見るからに高価そうなジュエリーを一式贈られてしまった。


 衣裳部屋に用意されていた宝飾品はサーシェ商会長が今日この日のためにと用意してくれていた品物らしい。

 どれもこれも緻密な細工でキラキラと眩しく輝き、目が潰れそうだ。


 しかも衣装合わせが終わった後は、今後カサンドラがパーティに参加することになった場合のドレスまで新調してくれるという。

 ここまでやってもらうわけにはいかないと思っても、当の王子が問題ないと言うのだから頑なに拒絶するのも失礼な話だ。


 衣装合わせという軽い言葉とは裏腹に、二時間以上立ちっぱなしを強いられたカサンドラである。

 有難い話だということは分かっているが、自室に仕立て屋を呼んで雑談交じりに決めてもらうドレスと比べて全く気の抜けない時間だった。




 ようやく衣裳部屋から解放された時は、ホッと安堵の吐息を落とさずにはいられなかった。

 ドレスに関する要望や意見と言われても、職人の方が変でない程度に見立てて下さいとしか言えない。



「お疲れさま、キャシー」


 すっかり追い出された形になった王子が、苦笑いを受けべて片手を軽く振った。

 広々とした廊下に出ると空気がやたらと新鮮に感じられる。


 幸いな事に、晩餐会に着ていく衣装は決まっていたので着せ替え状態にはならずに済んだ。

 これで衣装まで一から用意してもらうとなったら、まだ時間がかかったのかも知れないと思うとぞっとする。

 一時ごろにお城に招かれたはずだが――

 チラと腕時計の文字盤に視線を遣ると、もう三時を過ぎている。

 折角王宮に招待されたというのに、大変勿体ない話だ。いくら招待の目的が衣装合わせとは言え、その用件だけで終わってしまうのはあまりにも味気ない。


「王子、この度はお気遣いをいただきありがとうございます」


 深々と頭を下げると、カサンドラの長い金色の髪が揺れた。


「私の要望だから、どうか快く受け取って欲しい。

 それより折角王宮に来てもらったのだから、君に案内したい場所があるんだ。

 そこで休憩できればと思っているよ」


 ゆっくりと腰を据えて休めるのなら、この際何処でもいい。


 首から肩回りをシースルーの生地で覆っているホルターネックの蒼いワンピース。

 それに合わせて高いヒールの靴を履いてきてしまったので、足が痛くなってきた。

 いつもならそれくらい立ちっぱなしでも平気なはずだが、十人以上に見守られての採寸作業は思いの外圧迫感があったらしい。

 仕立て屋も一人ではなく、弟子が帯同していてその場でスケッチを始めたりと常に視線に晒されていたので気を抜く隙も無かった。


「ありがとうございます」


 カサンドラがもう一度お礼を言うと、彼は少し距離があるけれど、と前置きをして先導してくれた。


 それにしても、ダイエットと称して中央広場を走っていてよかった。

 身体を動かす習慣のおかげで明日の筋肉痛は回避できそうだ。



 人生、何が自分のプラスになるか分からないなとしみじみ思う。




 ※


 



「………こちらは……!」



 一度王宮の外に出、内壁に沿って小径を歩く。

 その先の目的地に辿り着いて、カサンドラは目を瞠って驚愕した。


 王子が自分を連れて来たい場所はどこだろうかと考えていたが、サッパリ分からなかった。

 もしかしたら彼の執務室に案内してくれるのかも知れないとドキドキしていたが、その予想は全く外れてしまったようだ。


 目の前に広がるのは、綺麗に咲き始めた色とりどりの美しい薔薇の花だ。

 春を迎えた時期なので、王宮の至る所に明るい色の花々が咲き誇っているのは目にしていた。

 レンドール邸も庭師たちが丹精込めて草花を世話してくれているので、誰を招待しても恥ずかしくない景色だ。


 だがそんなカサンドラの目を以てしても、その薔薇園の演出する『世界観』を前に息をのまずにはいられなかった。


 こんなにも広く、美しく手入れされた薔薇の群生した姿を見たことが無かったからだ。

 整然と並び咲き誇る薔薇は柔らかなグラデーションのような色合いだ。

 三方を薔薇に覆われたその中央に、白い丸テーブルがちょこんと設置されている。


「母上が造らせた薔薇園だよ」


 パッと見た瞬間、恐らくそうだろうとは思っていた。

 今は亡き王妃、王子の母親が大切にしていた王宮の一角に造られた薔薇園。


 王子に勧められるまま、テーブルに備えられている一対の椅子の片方に腰を下ろした。

 まるで御伽噺か夢の世界にいたような、外界とは隔絶された空間に思える。

 王妃が身罷られてからも、多くの人の手によって大切に維持されていたことが窺える美しい薔薇達の姿に自然と心が浮き立った。


「以前君が興味があると言ってくれていたことを思い出したから。

 是非、見て欲しかった」


「そ、その説は事情も分からず、王子に不快な思いをさせてしまいました」


 カサンドラの誕生日を王宮内で過ごすという話になった時、真っ先にカサンドラは薔薇園を見て見たいと言ってしまった。

 この場所が――王子にとって、他人に触れてほしくない大切な思い出の場所だとは知らなかったあの頃。


「母上の事で気を遣わせてしまったね。

 ……まさか君がこの場所の存在を知っているとは思わなかったから、驚いたよ。

 誰から聞いたのかと、少し不思議だった」


「ジェイク様から王宮内で景観の良い場所だと教えていただいたことがありました。」


「ああ、成程。

 ジェイクはこういう場所に興味を持たないから、母上が関わっていることも知らなかったのだろうね。

 知っていたらわざわざ君に勧める事はないだろうし」


 友人の死んだ母親の思い入れのある場所を気軽に観光スポットのように紹介するのは、言われてみれば心無い話ではないだろうか。


 そこまで無神経な人間じゃないからね、わざとじゃないから、と何故か彼がそうフォローするという謎の事態にカサンドラは何と答えれば良いのか分からず曖昧な笑みで頷いた。


 カサンドラは男子間の友情や付き合いというものは分からないが、今までの事を思い返すと王子はジェイクの事は相当信用しているのだろうと感じる。

 確かに彼は嘘や誤魔化しが苦手な、隠し事が出来ない性格である。

 裏表のないところが王子にとって、とても貴重に映るのかもしれないなと思った。


 いや彼も十分に小賢しい所、己の欲望に忠実な事もある人だということは違いなく、決して悪意の欠片もない聖人なんかじゃない。

 ……そういうところも含めて、普通の人間らしいと言えるのかもしれないのか。



 王子自身も亡き王妃を偲ぶ様子を普段誰にも見せることが無かったと聞く。

 だから王妃に対する思い出の場所の話題が、ジェイクの想像以上に王子の心の傷を抉っていた事に気づけなかったのだろう。

 そう言う意味では、本当に彼は”間が悪い”を地で行く人間なのだろうなと思う。


 この薔薇園の事もそうだし、王子が星空が好きだと勘違いしていた事も。


 でもそれは彼に限らず、人間は相手の思考を読むことなど出来ない生き物だ。

 本心を話してもらわなければ、深い理解も共感も出来ない。

 伝えなければ分かってもらえないのは当然のことで、だから王子も分かってもらえないことは当然だと受け入れている。


 ……思うことは色々あったのだろうな。

 何気ない話の端々で、感情が揺れ動くことがあったはずだ。


 決して他人ごとではない。

 もしかしたらカサンドラも、誰かの心の禁域に触れて悲しませたことがあるかも知れないということでもあった。気をつけようと襟を正すのみだ。



 向かい合って話をしていると、この場所に相応しい紅茶が運ばれてくる。

 透明な赤い色の紅茶は、まさしくローズティーだろう。

 薔薇のジャムを使ったハーブティーの中に薔薇の花弁の欠片が浮かんでいた。


 普段は紅茶と言えばミルクティーを好んでいたカサンドラには、この色の紅茶は新鮮に見えた。

 それにハーブティーと言えばカモミール、というイメージもあったので澄んだ赤い紅茶の香りに興味津々だ。


 一口飲むと、程良い酸味とジャム特有の甘みが混ざり合って、とても美味しい。

 ホッと心が落ち着くのを感じ、そっとカップをソーサーに戻した。


「この薔薇園は、今は主がいない。

 庭師たちが定期的に世話をしているけれども、昔は母上が個人的に友人を招待していた場所でね。

 この薔薇達を見てくれるお客さんが良く訪れていたんだよ。

 ……薔薇園に招かれて紅茶を振る舞われることは、社交界では相当誇れる事だったのだとか」


 王妃が愛する薔薇園で、個人的なお茶会に声を掛けられる事は社交界を生きる夫人たちの中ではとても大切な”勲章”のようなものだった。

 限られた者のみが招待される薔薇園のお茶会。

 ――当時の貴婦人たち皆の憧れだったのだという。


 確かに一国の王妃にここまで歓待してもらえれば『特別感』ゆえに人に自慢したくなる気持ちも分かる。

 王妃はそうやって上手く社交界で自分の地位を堅持し、多くの夫人や令嬢達の手綱を握っていたとも言えるかもしれない。


「今は思い出した時、陛下や私が様子を見に来る程度。可哀想な事をしてしまっている。

 だから……

 キャシーに、薔薇園の次の主になってもらえたらとても嬉しい。

 勿論君の好みに合わせて自由に造り変えてくれても構わない」


 全く予想していなかった王子の言葉に、うんうん、と頷いて聴いていたカサンドラの動きが制止する。

 先代王妃が己の想いを籠めて作ったこの薔薇園を自分に継いでほしいというのは……

 大変名誉なことだが、気の早い彼の提案に心が追い付いていかないのだ。


 カサンドラが硬直しているのを、彼は何か誤解したのか少し慌てた様子で手を横に振った。


「ごめん。また先走ってしまった。

 ……君が薔薇園に興味があると聞いて、勝手に先の事まで考えて……」


「いえ! わたくしも、花は好きです!

 ですがこのような立派な薔薇園、わたくしの手に余るのではないかと心配になってしまいました」


「薔薇の世話は庭師が行うから専門的な知識は要らない、大丈夫だ」


 王子はホッとした様子で、表情を綻ばせた。


「花は多くの人に見てもらった方が生き生きする気がしてならない。

 今日、君が来てくれていつもより色鮮やかに見えるようにね。

 ――これから、そのような機会を君が作ってくれたら嬉しいと思う」

 

 彼の蒼い双眸が優しく細められ、鼓動が一気に速くなる。


 ”来年”だの”未来”だの、今まで王子は考える事が無かった。

 ちゃんと自分の望む将来がはっきりと視野に映る事が嬉しくて、何事も前のめりになってしまうと彼は悔恨の意を小さく呟く。


 でもそれはカサンドラとて全く同じ気持ちだ。

 将来を具体的に考え、”王宮に入る自分”など想像する余地もなかった。

 それが――今は卒業した後の事まで明確な道筋となって提示されているのだから。

 希望に満ち溢れ、幸せだと感じないわけがない。


「わたくし、薔薇のことについて一般的な知識しか持ち合わせておりません。

 この薔薇園の管理者として恥ずかしくないよう今後は学んでいきたいです」 


「ありがとう、無理はしなくても良いからね。

 ――薔薇は君にぴったりの花だといつも思っていたから。

 この薔薇園を気に入ってくれたなら幸運だ」


 再度紅茶の入ったカップに伸ばしたカサンドラの手が止まる。


「……その、わたくし……やはり、傍目にはそんなに派手な外見に見えるのでしょうか……

 薔薇は美しい花だとは承知しております。

 ですが、わたくしは自分が注目に堪え得る存在ではないと思っておりますし」


 それに、薔薇の花に鋭い棘がついていることは有名だ。

 イバラという言葉に表されるよう、綺麗だけれども気軽に触ろうとすれば人の指を傷つける。


 親しみやすいとは全く対義の意味を持つ花の代表だ。


 普段王子の言うことに猜疑を感じることはなかったけれど。

 面と向かって薔薇が似合うと言われると、何だか少し気落ちしてしまう。

 綺麗だけど――自分の性格には合わないような気がする。薔薇が似合うと言ってくれるのだから、そのまま誉め言葉として受け取っておけば良いものを。


 薔薇のようと言われるとどうしても悪役令嬢として生まれた自分という現実を突きつけられてしまう。身勝手な話と分かっているけれど。


「確かに、キャシーは美しいけれど、気が強そうで近寄りがたい女性という印象を抱かれることが多いのではないかと思う。

 ……クラウス侯を見ても思うけれど、その……第一印象が」


「やっぱりそうですか……!?」


 この世界に遺伝という要素がどこまで反映されているのか、カサンドラには分からない。

 だがカサンドラのこの黙っていれば不機嫌そうに見えるキツい顔立ちは絶対父親譲りだと思うのだ。

 優しげで美しい母の顔をそっくりそのままではなく、特に目元はクラウスの遺伝としか言いようがない。


 王子にもそんな印象を抱かれていたのかと思うと、内心でショックである。

 でも人間、初めて会う時は「外見」が全てだ。

 実際に悪役顔だ、自分を第一印象で「リナみたいに穏やかそう」と思う人間がいれば視力を疑わねばならないだろう。


「でも君と接していれば、外見とはあてにならないものだとすぐに分かる。

 人の気持ちに寄り添える優しい女性だということは、話をすれば瞭然だ。

 棘があるからと遠巻きにして見ているだけでは本質に気づけない、私の主観ではそんな薔薇の花のように見える」


 それに、と。

 更に王子は言葉を続ける。


「薔薇の持つ高貴さ――ただ綺麗なだけではなく、周囲に媚びることのない芯の強さも魅力だ。

 そういう要素を併せ、君に良く合っていると思うよ」


 どうか悪くとらないで欲しいと彼は最後に言い添えた。


 勿論、カサンドラの言い方は言いがかりに近かった。

 薔薇のようだと言われて落ち込む女性の方が一般的な感性からずれているのだろう。


 でも改めて王子にそう言葉を並べ立てられると、薔薇に例えられたことなど些末な事と思える気恥ずかしさに襲われる。


 真面目な顔で照れる様子もなく、人の事をここまで褒める事が出来るのは流石だ。

 お世辞や誤魔化しとは無縁に感じる彼の言葉だからこそ、すんなり受け入れる事が出来るのか。



 じんわりとゆっくりと、嬉しさが波紋のように広がっていく。





 ※

 




 それから少し雑談を交わした後――フッと、王子の雰囲気が真剣なものに変わった。


 声のトーンも低く、カサンドラに聞こえるか聞こえないかの声音で囁く。






「侯爵に出された『宿題』のこともある。

 ここなら話をしても大丈夫だ。

 大声を出さない事だけ、どうか気をつけて欲しい」







 ふわふわとした気持ちを引き締めるよう、カサンドラも背筋を伸ばして大きく頷く。

 幸せな未来の事を語る前に、自分達にはまだやらなければいけないことがある。



 だがアレクとも話をしていたがそう簡単にこの一年で成し遂げられるような”功績”をすぐに思いつくのは難しい。

 学園内の派閥関係の意見交換を行ったものの、そこから一歩足を踏み入れるための足掛かりを見つける事は出来なかった。




 でも、王子と話をしている間は時間を忘れる程楽しい。


 真面目な話になっても、生徒会関連の話題を話し合った放課後を思い出して――つい笑みが零れそうになってしまう。



 己の浮かれ様に、自分で呆れた。

 

 

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