第359話 衣装部屋




「――カサンドラ様、お迎えにあがりました」



 レンドール家別邸の外門前で、カサンドラは年配の男性に恭しく頭を下げられた。


 王子に「迎えを出す」と言われ、特に断る理由もないのでその言葉に甘えてしまっただけだ。

 だがいざ目の前に、どう見ても王家御用達の馬車です! という豪奢な馬車が停まっていて声を失った。


 しかもカサンドラの用意したドレスを運ぶ専用の荷馬車まで後方に待機してある。

 ……そんな仰々しいことになるとは思っていなかった。


 肩に掛けたバックの紐がズルっと滑り落ちそうになるくらいぎょっとしたカサンドラ。だが、ここまでわざわざ迎えに来てもらったのだから乗り込まないわけにはいかない。


 門の外壁にはレンドール家の使用人一同がずらっと並び、


『行ってらっしゃいませ、お嬢様』


 と声を揃えて見送ってくれた。

 王家の馬車を迎える家と言うのは、使用人にしてみればこれ以上ないステイタスなのかも知れない。

 どことなく皆抑えきれない弾んだ声に聞こえてしょうがない。


 今まで王子の婚約者という公的な身分があっても、その立場を自覚するような出来事も多くなかったので皆嬉しいのだろう。やはり王家に近しいことは、貴族としての大きな誉れであることに変わりはない。


 斯く思うカサンドラでさえ、誰に遠慮することもなく堂々とお城に招待されたのだから内心では浮き浮きしている。

 誰の目も気にしなくていいなら、クラッカーでも鳴らして狂喜乱舞だ。


 だがはしゃぎまわるような事も出来ず、以前ガーデンパーティの時に乗せてもらったのと同じ立派な馬車に一人で腰を下ろしていた。


 王子が同乗しているわけでもないのに王家の紋章を掲げた馬車に乗るなど、かなり畏れ多い事である。まるで既に王家の一員扱いだ。


 王子は自分達王家は傀儡だ、なんて落ち込んでいるけれど。


 地方貴族の娘である自分でさえ、王家に対してこんなに威光を感じてしまうわけだ。

 御三家の当主たちが王家の威光を決して軽んじられることのないよう、慎重に扱っていることがよくわかる。

 その威をる立場だからと言えばそれまでだが、元々王家の血筋は見目麗しい人ばかりだし、国民受けの良い親しみやすいお人柄であることが多い。

 全国民憧れの対象、という意識が根強く浸透している。


 実態を聞いてもなお、こうして王家の血統の重さに震えてしまう。

 この広大な王国を王を頂点によくまとめている――と父であるクラウスが代々の治世に及第点と評した理由も分かる。


 王を蔑ろにしているように見せない計算高さを三家は持ち合わせているのだ。

 王子や国王の人柄で慕っている王宮の人間は多いから、その”実態”なんて誰も気づかない。


 時の王妃や王子の命を摘む事を何とも思わないと思っているような人たちなのに。

 その真実はずっと隠されたままだ。


 『敵』と呼んで差し支えない彼らは、そう簡単に王子やカサンドラの台頭を許しはしないだろう。

 王子と言う大切な人の本来の居場所でありながらも、『敵』の本拠地とも言える場所。


 まさかクローレスの王宮が自分にとってこんな複雑な想いを抱く場所になろうとは、少し前までは想像もしなかった事である。




 ※



 今までにない丁重なもてなしぶりに、カサンドラは思わず冷や汗を掻く。

 誕生日の時に招待されたことがあったが、あの時よりも更に身の回りに控える従者の数が多い気がする。

 王宮中央のサロンに通され、下にも置かない歓待ぶりにカサンドラは逆に戸惑いを覚えたほどだ。


 従者たちの歯の浮くような社交辞令的な挨拶が右の耳から入って左に抜けていく。良くそんなスラスラ言えるなと感心する。

 だが執事バトラーの話もそこそこに、サロン内に王子が現れた。


「よく来てくれたね、待たせてごめん」


 そう言って彼はカサンドラの傍に脇目も振らずに歩み寄る。


 ――王子の召し抱える衣装係のセンスが良いことは、この私服を見ていれば瞭然だった。


 いつも彼に相応しい場所や場面にぴったりの、サイズも一寸違わず合致する衣装を用意している衣装係……もはや特殊部隊というイメージしかない。

 元々着る服に興味もない王子は、係の者が用意したものを着るだけだという。


 ……何という豪華な着せ替え人形……! 係の人が羨ましすぎる。


 爽やかな春を彷彿とさせる、白地に蒼の刺繍の入ったジャケット。

 ……そのジャケットの袖についている金色のカフスに見覚えがあり、思わず奇声を上げそうになった。

 まさか自分が贈ったカフスを彼が本当に身に付けてくれているとは。


 拘りの強いだろう衣装係の意見を押しのけて着けさせたものだとしたら……

 想像するだけで物凄く気恥ずかしいし、嬉しい。

 思わず赤面しそうになるのを堪え、カサンドラも立ち上がった。


「本日はお招きにあずかり、誠にありがとうございます」


「こちらこそ、急な誘いで申し訳ない。

 ……来てもらって早々、早速だけど――

 皆を待機させているから、一緒に来てもらってもいいかな」


「勿論です」


 王宮の衣裳部屋か……

 想像も出来ない領域に、思わず喉が鳴る。


 そもそもカサンドラはドレスや装飾品にあまり興味がないので、華美な場所に不慣れだ。

 綺麗なものは好きなのだけど。


 ねだればいくらでも買ってもらえるかもしれないが、パーティの度に一回限りのジュエリーコレクションが増えていくのがただただ勿体ないとしか思えない。

 



「彼女の衣装は、もう運んでいるな?」


 振り返りざまに執事らしき男性に声を掛ける王子。


「全てご指示通りに」




 これから衣装合わせということで、来週末の晩餐会用のドレスの用意をすることになる。

 アイリスの招待が舞踏会でないだけ有情だが、装飾品だけでは飽き足らず――

 今後の舞踏会用のドレスまで何着か用意してくれるなど、金銭感覚のマヒしているカサンドラの立場でも不安になってくる。


「本当に良いのでしょうか」


「……キャシー?」 


「王家の使用するお金は、その、国庫……税金――ですよね。

 非実用的な物品を購入することで、浪費だと指摘されることはないのでしょうか」


 前世の小市民的感覚が蘇ってしまった。

 贅沢は敵だとまでは言わないけれど、カサンドラのために湯水のようにお金を使われては宰相あたりがこれ幸いとばかりに糾弾してくる可能性に思い至った。


「心配してくれてありがとう。

 でも、王家の見栄――というか見栄えのための予算は毎年かなりの額にのぼっていてね。

 使いきらないといけないようで、余りが出過ぎると衣装係も怒られるような状況かな。

 ……玉座に座らせる人形を着飾らせることは、彼らにとって大事な意味があるのだと思うよ」


 王家が他人に侮られることがあってはいけないということで、持ち物や衣装などは必要経費として使用を義務付けられているそうだ。

 ――多額のお金を着飾るために使わせる。


 それで堂々と立っていれば、権威のある王族にしか見えないだろうし。

 そういう神輿を綺麗にすることに余念がない。逆にその程度が必要経費と割り切れるくらい、豊かな国――なのだろう。

 未だ地方で内乱が勃発しているが、中央は概ね平和。


 曲がりなりにも西大陸の覇権を握った大国、それを治めている三家の影響力の大きさに身が竦みそうだ。


 割り切ってお飾りの王族として”楽しむ”ことが出来れば楽なのだろうに。

 今の王も、そして王子も。

 真面目で責任感が強い人たちだから、余計に色んな想いを抱えて背負い込んでいるのだろうと切なくなった。

 三家からすればこれだけ環境を整えて飼ってやっているのに文句を言うなどありえない、と思っている状況なのかも知れない。


 ……想像したら、確かに業腹だ。




「では私も来週着ていく服を用意してもらおう」


 どうやらカサンドラの持ってきた衣装を直に見て、王子の衣装を決めるらしい。

 彼が公の場で着たことがない服は広い一室にずらっと並べて用意されていると聞いたが、この短時間で素早く用意できるものなのかと驚く。

 そもそも衣装係が二十人以上召し抱えられているなど聞いたこともない話に、カサンドラはおののくだけであった。


 彼女達の指示に従い、衣装を纏う。

 その上で同じように着飾った王子と並んで立たされ、十対以上の鋭い視線を一身に浴びながら装飾品の選定に入っていった。

 王家の取り扱うものということで、偽物など到底考えられない。

 眩く光る本物の宝石が無数に散りばめられた宝飾品。


 もしも手で触って傷をつけたり落としたりしたら……と気が気ではない引きつった笑顔になるカサンドラだったのだけど。



 しばらく無言で、向きを変えさせられたりイヤリングを付け替えられたり。

 まるでマネキンになったようだと心を無にしていたのだが、ちょっとしたきっかけで一人の衣装係に声を掛けることになった。

 ネックレスの留め具に髪が挟まって痛かったので、しょうがなく。


 だがその一言二言の会話をきっかけに、「どのお色が好きですか?」「この髪飾りは素敵ですね」など彼女達から自然と話しかけられるようになる。


 次第に数名の衣装係の侍女たちが楽し気な声を上げながら楽しそうに宝飾品を選び始めたので驚いた。


「私達、女性の方のために選ぶのは初めてです。

 不手際がないよう気をつけますが、好みと違えば仰ってくださいね」


 いくら王子が不世出の美形の男性とは言っても、やはり女性とは違う。

 十年ぶりに女性を王宮の衣装部屋に招き入れ、ああだこうだとカサンドラの身の周りを整えていくうちに気分が盛り上がって来たらしい。

 粛々と作業をしていたはずの女性たちは、次から次へと女性ものの可愛らしいデザインのネックレスなどを引っ張り出してはカサンドラにあてがった。


 既に衣装合わせを終え、先ほどの私服に着替えて来た王子はカサンドラが未だに侍女に取り囲まれているのに苦笑した。


「私の時には五分もかからず終わったのにね」


「申し訳ありません、私共は殿下付の衣装係であって妃殿下の係ではありませんので。女性のものには不慣れなのです。

 ……妃殿下が王宮にいらっしゃるまで、もっと選定眼を磨かなければ……

 それにしても、女の方の装飾品選びは楽しゅうございますね」


「後の予定もあるから、早めに切り上げて欲しい」


「お任せください」


 宝飾品を選んでもらい、その上で今度は入念な採寸が待っている。


 王族御用達の仕立て屋まで招き入れてくれたようで、色んなデザインのドレスを提案され続けた――が、全くイメージが追い付かなかった。


 もう何でもいい。

 好きにして欲しい。


 喉まで出かかった本音を飲み込んで、これも仕事の一環なのだと笑みを浮かべた。

 自分が苦手な事でも、今後社交界に頻繁に顔を出すことになったら? むしろ妃として自分が主催することになったら?

 とても面倒などと言っていられない。


 一緒にいる王子に恥をかかせないよう振る舞うのも大切な事だ。

 だが流石に立ちっぱなしで疲れて来たので、休憩時間が欲しいと心の中で悲鳴を上げた。


「妃殿下はスタイルが良くいらっしゃるので、何をお召しになられてもお似合いでしょうね」


「……。

 ありがとうございます」


 それが世辞なのか高度な嫌味なのか判別できないが。

 とりあえず、先月のダイエットが功を奏したのだと思うと頑張って良かったと報われた思いだ。

 まさかこんな大勢の前で採寸されるなど予測もしなかった。


 ――制服のスカートがキツい状態だったなら、相当悲惨な事になっていたのではないか、とぞっとする。


 ドレス選びは女性の話と言わんばかりに、本来のこの部屋の主である王子は別の部屋へ追い出される形になってしまった。

 王族も体力勝負だと、カサンドラはこの日ようやく身を以て理解したのである。



 それにしても、妃殿下と呼ばれるのは早すぎるし背筋がムズムズしてしょうがない。

 でも彼女達は完全に自分が王子の配偶者だという事を前提に接してくるので、中々それを辞めてもらうようお願いするのが難しかった。



 結婚という言葉は、学園でもあちらこちらで飛び交っている。

 でも――


 今のカサンドラには、全く実感のわかないことであった。


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