第358話 <リナ>




  リナ・フォスター。





 彼女はこの世界で自分が同じ三年を繰り返していると勘付いてしまった、『主人公』である。





 ※




 彼女はある時途轍もない違和感に襲われた。

 比喩ではなく、世界観が変わるような衝撃を受けた。


 この周回ループが始まる、十回ほど前の事だっただろうか。


 恐らくはそれ以前も、何となく感じていたのだと思う。



 ……自分は何度も、何十回も、何百回も。

 同じ三年を繰り返し、生活しているのではないだろうか。



 自覚したきっかけは、『既視感』だ。



 初めて会う人なのにどこかで会ったことがある。

 初めて知ったはずなのに、以前どこかで聞いた話だと感じる。



 いつか どこかで 過去の自分が 聞いた話 体験した事




 ――日常の全てが、全く新鮮味を感じない既視感に溢れた事象で構成されている。


 最も胸が焼かれることは、それが全て”経験してから”初めて感じるということだった。

 何度も同じ生活を繰り返しているのなら、その話の内容を覚えているはずだ。

 だが、現時点では未来の事は全く分からない。


 自分がその周回で初めて体験することによって、初めて「以前同じことがあった」と遠い記憶をうっすらとイメージ出来るのだ。


 学んだはずの事も全て忘れている。


 勉強を頑張ったという記憶はあるのに、今の自分は内容を覚えていない。知識もない。

 身体を鍛えた事もあるはずなのに、身体能力は入学時の時のまま。かつては走れていただろう長い距離を走れない。学園生活で身に着けた全てが、一気に削ぎ落された状態に逆戻り。



 記憶や体験は全くなかったことになっている。

 現実の体験として再度改めて勉強したり見たり聞いたことで、初めてこの周回の自分がそれを糧に成長する事が出来るのだ。

 勿論、次の周回では必死で身に着けた成長は無かったことになっている。


 自覚してしまえば、絶望に等しい事実である。

 一度気づいてしまったリナは、どうにもならない己の未来に激しく絶望した。



 未知の体験が待っているからこそ毎日は楽しい。

 初めて起こる事象に胸を躍らせ、未来への夢を描く。


 だが彼女は何周も前の自分は、同じことを既に経験していた――ということを、嫌でもその都度思い知らされるのだ。

 未来予知が出来るわけでもない、でも”知っている”。


 今まで魂の奥底に積み重なっていた何十週も体験してきた三年間は、自由に思い返すことは出来ない。


 変わらないのは、始点だけだった。

 真っ新な状態で入学式が始まり、三年過ぎれば再び同じ地点に戻される。


 もしも記憶に抵触することがなければ。

 何度目かの学園生活だと気づかなければ。


 それはそれで、幸せな事だったのだと思う。


 中途半端に残る記憶の残滓がリナを苦しめた。

 いっそ全てが初めての体験だと思える状況であればマシだというのに。


 一度気づいてしまった以上、あらゆる事情においてリナは驚くことも感動することもなくなってしまった。

 だって過去の自分は、それを体験したのだと、嫌でも感じてしまうから。

 


 ”未知”ではないから。

 生誕祭? ああ、確かに前も経験した気がする。

 シリウス様? ……ずっと前に――彼と親しくなったことがある気がする。

 彼と交わす会話は、全てにおいて懐かしささえ覚える始末だ。





 折角仲良くなったって、全部忘れるのに。

 忘れてやり直し。

 同じことを、自分は何度繰り返してきたのだろう。




 

 三年を通じ成長した自分の経験も全て失われた状態で、入学式前日に戻される・・・・






 もう嫌。

 嫌!

 いつになったら、私はこの世界から解放されるの。 



 気づいてしまっても、何も変える事が出来ない。

 まるで自分の行動は最初から決められていたようだとさえ思う。



 自分の行動は 本当に自分の意志に基づくものなのだろうか




 何度も 何度も かつての自分が体験しただろうことを 繰り返し 繰り返し 

 初めての経験だと思っても、終わっててみれば新鮮味などどこにもない。

 過去の自分も同じことをして、同じ現象が起こったのだろうな……と思い知らされるだけであった。



 何をしても、何周も前の自分が既に身をもって体験していた。


 そしてその体験を経てもなお、こうして記憶そのものや知識、経験が「ゼロ」の状態で入学式が始まってしまう――

 つまり既視感を覚えるということは、再び巻き戻るであろう三年後を嫌でも意識させられることであった。



 どうせ、全てを忘れて やり直し。


 中途半端過ぎる、どうせ忘れるなら全部綺麗サッパリ、過去の体験をなかったことにして欲しい。


 今まで何度自分が経験してきたことでも、新鮮だ、未知のことだとワクワク出来るなら良かったのに!

 気づかないまま、永遠の学園生活を送ることが出来ただろうに。





 一度違和感に気づき繰り返しているという事実に思い至った以上、現状を楽しむなど出来ない話だった。


 この学園はリナにとっての魂の牢獄。

 終わらない三年間。


 記憶と経験だけが抜け落ち、ただただ 過去の自分 が辿った足跡を淡々と歩くのみ。






   助けて。


   果たして自分は誰に対し、そう手を伸ばしたのだろう。






 状況に気づいて以降、気が狂いそうだった。


 この境遇から逃れられないと恐怖を覚えた。


 リナは今までになく、強く願った。







    誰か、この世界から助けて!






 ※




「おはよう、リナ!」


「……何かあった? 朝からぼーっとして」



 登校前の朝食を食べている時に、手が止まっていたようだ。

 心配そうな顔のリゼ、リタと目が合った。


「大丈夫。……少し、嫌な夢を見ただけだから」





 奇跡が起こったのだと、リナは今になってハッキリわかった。



 自分と全く同じ顔の、二人の姉。

 この世界で十五年一緒に生きて来たはずなのに、どこかしっくりこない不思議な気持ちを抱えながら。でも楽しく生きていた。




 自分は三つ子だっただろうか?

 最初から、そうだった? 本当に?


 ……いや、違う。


 自分達は、三つ子なんかじゃなかったはずだ。

 でも今までの自分が体験しなかった三つ子と言う事象は、リナを満たした。


 彼女達は過去の自分が全く知らない、存在さえ認識していなかった全く”初めて”の存在だ。

 同じ顔なのに、全然違う性格で。

 一緒にいて楽しくて。



 それまで入学式の日から恐らく卒業までの三年を行ったり来たりしているリナだったが、彼女達と過ごした子供時代は奇跡だったのではないか? と。

 今になっても思う。



 周回の始点はいつも入学式、その前日だった。

 明日から学園生活だと寮の中でワクワクしている、そんな自分に戻ってしまう。


 だから子供時代を過ごすなんて、二度と無いはず。

 そのありえないはずのことが起こり、リナは神に感謝をささげた。


 呪われた人生から解放され、真なる人生の始まりを示す。

 これを奇跡と言わずなんと言う。



 楽しかった。

 判を押したように同じ記憶しかなかった十五年間の記憶を色鮮やかに塗り替えるように、彼女達と一緒にいると景色が大きく変わって見えたから。




 ああ、あの学園から解放されたんだ、と。

 リナは嬉しくて、家の外で幸せを噛み締め何度も泣いた。



 今まで自分が決められた三年間をぐるぐるループしていると思っていたのは悪夢だったんだ。

 悪い夢だった。

 これが本当のリナ・フォスターの人生、終わらない三年間などもう来ない。



 三つ子の姉達と一緒に始まった今の私が、新しい自分。

 もう同じことを繰り返す「無」の感情に苛まれることもない。




 リゼは王立学園に入ると息巻いていたが、リナはそんなつもりはなかった。

 応援しているが、入学してしまえばまたあの延々と続く悪夢を繰り返すのではと恐ろしく、通う気などなれなかった。


 それなのに何故かリナもリタもリゼも王立学園に入学させられてしまったのだ。

 まるでそうあるべきだ。学園に行かない事は許さない。


 ――そう、何者かに強制されたかのようで身が震えた。絶望だ。


 逃れ得ぬ運命とでもいうのか。


 折角、救いを求めて今までと違う世界に逃げてこられたと思ったのに!

 貧しくとも慎ましやかに、片田舎の片隅でのんびり過ごして生を全うしたいという儚い夢は、幻と化した。


 だがどうしても、行きたくないとは言えなかった。





  行かなければいけないと

  何かに衝き動かされた





 まただ。

 また、過去の自分が経験したのだろう学園生活が始まってしまう。

 同じことを繰り返し、その先に進めないと思い知ることは辛かった。

 まるで滑車を回す鼠だ。走る先に道などないのに、カラカラ無駄に滑車を回す。


 半ば諦めに似た感情を持ちつつも、でも三つ子なら何かが変わるのかな?

 不安と期待が綯い交ぜになった入学式を今でも覚えている。


 


 

 クラスメイトも、そして教師も。

 初めて見る場所、人物のはずなのに、やはりそのどれもがどこかで見知ったことがあるような気がして溜息をついた。


 何があっても、「ああ、以前もこうだったな」と感じて新鮮味を覚える事もないのだろう。


 今周の自分はまだ知らない事ばかり。だから起こる全ての事象を”初めての経験”として純粋に喜べばいいのかもしれない。

 でも既視感を覚えると、がっかりしてしまうのだ。


 過去の自分が通り過ぎた足跡を再度踏み直していかねばならないと思い知らされる、得も言われぬ徒労感。

 この気持ちを何と表現すればよいのか。


 以前の自分はしなかっただろうと決死の覚悟で行動に起こしたのに、実は過去に実行していた事だった。

 そんなことばかり。所詮自分が学園内で出来る行動など、たかが知れているのだと思い知らされるのみだ。







 リナにとって色褪せた世界に過ぎない王立学園。

 だが一つだけ、おかしいなと思うことがあった。

 



 今まで彼女が体調を崩した時があっただろうか?

 ……入学式の日に、辛そうな”彼女”の姿を見た時、衝撃を受けた。


 全く既視感を覚えない。

 過去同じ光景を目にしたという記憶が、自分の中のどこにもないということだ。


 入学式の光景など、全てが全て既視感の塊だ。

 何を聞いても見ても、新鮮味など欠片もない。

 だから指が震える程驚いた。


 まるで彼女だけ、違う世界から来たかのようだと錯覚を覚えた。



『失礼ですが――』


 カサンドラという女性に会ったのはこの周回では勿論初めての事である。

 だが具体的なエピソードはなくともカサンドラというクラスメイトは、高慢で高飛車で意地悪な人だ、というイメージを最初から持っている。


 過去何周も体験した世界の中で、会話や風景などを思い出せずとも積み重ねた”印象”として残っているからなのかもしれない。


 でも彼女は印象と違う。

 今までの固定概念とは全く重ならない、既視感を抱かず接せられる存在。



 カサンドラと一緒にいる事がどれほど自分にとって未知の出来事で、新鮮で、足跡のない新雪の上を歩くようなワクワクした気持ちになっていたか。

 誰も知ることはないのだろう。




 不思議なもので、彼女を起点として今まで色あせていたリナの世界が徐々に変わっていった。

 いつの頃からか、この新たな学園生活の中でほぼほぼ既視感を抱くことがなくなってきたのである。


 全ての出来事が新鮮だ。

 夏に王城に招待してもらった時は、こんなことが起こり得るのかと感動に打ち震えた。

 お茶会も植物園も、ラズエナの高原も――僅かたりとも、過去同じことがあったな、と気になることがなかったからだ。

 嬉しかった。

 ふと我に返る時間もなく純粋に楽しかった。


 カサンドラと一緒にいる時は、常に知らない世界を見ることが出来る。


 彼女の傍にいれば、過去の自分が知ることのできなかった”未来さき”に辿り着けるのではないか。

 繰り返す三年間。

 巻き戻ることを怯えなくていい世界に辿り着いたのなら、リナにとってとても幸せなことであった。



 しかし、全てが全て新鮮な日常かと言われるとそういうわけでもない。




『――リナ・フォスター。お前を学級委員に推薦しようと思っている』




 急速に心が凍えた。


 シリウスから打診を受けた時、久しく感じていなかったはずの既視感に襲われ、背筋が震えた。

 そうか、自分は過去、シリウスに気に入られて生徒会に入ったことがあるのだなと確信した瞬間。


 覚えがある以上、この先に自分の未来は卒業とともに途切れてしまうんじゃないか?

 未来など、そもそも存在していないのではないか? という恐怖。 


 また、入学式の日に戻るの?


 このまま学園生活に捕らわれてしまうのではないか。

 今はリタやリナがいるからいい。

 でも次の周に彼女達はいてくれるだろうか?




 終わりのない三年を、再び”独り”で過ごすことになったらどうしよう。




 些細な事を新鮮に感じる日々。

 でも大枠の中で、自分はこの学園に捕らわれたままなのではないかという猜疑心に心が痛んだ。


 カサンドラ一人に僅かな変化があったとしても、それで自分の運命が変わるわけではないのだという諦観。

 もっと……

 もっと自分の絶対経験したことがないだろう、この世界の根幹を変えるような何かが起こらなければ未来は拓かれないのではないか。



 





 ※






 

「おはよう、キャシー」 






 リナにとって嘗てない衝撃をもたらしたのは、ただの挨拶だ。




 ……カサンドラだけではなく王子も、”過去の自分が知らない”王子なんだと知った瞬間、動悸が激しくなった。



 知らない。

 自分はこんな二人を今まで見たことがない、だからこんなに”驚いている”。




  自分の知らない景色を見せてくれる人が、同じ世界にいてくれるという喜び。




 この周回は――リナにとって、もう二度と得られない偶然によって作られた最後の機会チャンスなのかもしれない。




 



 


    ”助けて欲しい”と、リナは強く強く願った。






 もしもその願いが聞き届けられるのであれば……

 自分をこのループ状態から解き放ってくれる存在がこの世界にいるのかもしれない、ということだ。


 



 この機を逃せばもう今のカサンドラと会えなくなってしまうかもしれない。


 リゼもリタもいなくなってしまうかもしれない。



 ……怖い。


 折角今、初めてのことばかりでとても楽しい毎日なのに。


 また巻き戻るのではないかと思うと怖い、この記憶も消えてしまうのかと思うと怖い。




 何をどう説明し、協力を仰げばいいのかも分からない。

 信じてもらえるとも思えなかった。



 学園生活を繰り返しているのだと、証明できない。

 知識も記憶も、一度ゼロに戻っているからその先を知らないからだ。


 既視感に襲われ、周回ループに気づいた? そんな話を真剣に頷いてくれる人が一体どこにいるというのか。





 今の自分の気持ちを訴える術がないことが辛く、こんなにも――もどかしい。



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