第355話 <リゼ>



 放課後、テオの校舎案内をするという話にいつの間にか決まっていた。

 リゼは頷いた記憶はないが、しょうがない。

 不承不承、リタとリナの後についていく形で先月まで自分達の使用していた教室へと足を運ぶことにしたのだ。



 テオの教室の人影はまばらであった。

 既に在籍している親戚や友人のもとに向かっている新入生も多いのか、きょろきょろと不安そうに周囲を見渡しているのはテオくらいだ。

 片田舎から特待生として入って来たのはテオだけなのだろう。

 だから見知った自分達が彼を訪れると、彼はとても喜んでくれた。


 リゼは入学した当初から三つ子で同じクラスだったため、テオの心情は完全に理解できるわけではない。


 だがしかし。同郷の知り合いがいてホッとする気持ちが昂じ、村での癖と言うか気軽に正面から抱き着いて来るのはどうかと思う。


 これを機会とばかりにリゼは一方的に彼に捲し立てた。


 もしもこの状況を許していれば、この学園内で彼と遭遇する機会がある度に大袈裟に喜んで飛びついてくる――というパターンが常態化してしまう。

 周囲の皆が勝手知ったる村での出来事ならともかく、だ。


 そのような内輪の事情を知らない他の生徒からは一体どんな様子に映るのか。

 考えただけで、ぞっとしてしまう。

 リタもリナもあまり深く考えていないようだが、とても見過ごすわけにはいかなかった。


 テオが幼馴染の女の子ならともかく――

 いつの間にか自分達の背を追い越し、大きくなった彼を今までと同じように扱うのは絶対駄目だ。


 勿論彼が頑張って勉強してこの学園に入って来たことは素直に凄いと思うし、この学園を卒業することで将来の選択肢は多くなることは間違いない。

 やりたいことを見つけ、真剣に学園生活に臨むなら手助けすることはやぶさかではない。


 だが自分達に会いたいからだの、そんなぬるい理由で周囲を纏わりつかれるのはハッキリ言って大迷惑なのだ。



「――リゼ姉ちゃん、どんだけ自意識過剰!?」


 テオは目を大きく見開き、地団太を踏む。


「その人達、別に姉ちゃんのこと何とも思ってないのに!?

 そういうの”勘違い系”って言うんじゃないのー!?」


 納得できないとばかりにテオはそう吠える。

 これではキャンキャン小うるさい子犬だ。耳を塞いで、リゼは大きく溜息を落とした。


「勘違いでも自意識過剰でも、私嫌なの。

 お行儀の良いこの学園で目立つような行動はホントにやめて」


 腕を組み、テオを睨み据える。


 例え友人だろうが幼馴染だろうが、この年頃になっても幼い頃の態度のまま接する生徒なんて――どこにもいない。

 正式な婚約者同士でさえ人前での接触は可能な限り避けるという、風紀の面においてはしっかりした環境だと言える。

 学園の外ではどうか知る由もないが、少なくとも異性にベタベタ接触して誤解を振りまく生徒はいないことは確かだ。


 万が一自分達にするようにクラスメイトの女子に気軽に接触でもしようものなら、悲鳴を上げられ生徒会に訴えられかねないわけで。

 ふんわり緩い田舎の慣習をここで変えてもらう必要があった。


「むぅ」


「まぁまぁ、テオ。そうむくれないで!

 リゼの言い方はとんがり過ぎてたけど、やっぱりほら、私達も女子って括りだから。

 女子の後ろにくっついてベタベタするって、めちゃくちゃ軟派野郎って思われるよ? それでいいの?

 男子だってドン引きよ?」


「……そうなのか?」


「せーっかくこの学園には可愛い女の子が沢山いるのになぁ。

 田舎じゃ、まずお目に掛かれないハイレベル! 出会いの楽園だっていうのに、いきなり女子達に避けられたら嫌でしょ?

 テオは暗黒の学園生活を送りたいの?」


 ここで的確に、リタは彼の男子としての見栄やプライドを突いていく。

 田舎でも女性にモテたためしのない少年だ。そもそも近い年代の女子自体片手で足りる程の環境で過ごしてきた。

 モテたい願望を刺激することによって、自分達にとって都合の良い方向に動かそうというのか。

 中々やるな、とリゼは感心して妹を見た。


 雑多な異性の目など意識したことがなかったリゼにとって、不特定多数の人間の目を気にして行動を改めるという心理誘導はパッと思いつかなかった視点だ。


 とりあえず、テオも納得してくれたようでホッとする。


 結局、校舎案内の話はその場で立ち消えた。

 構内探検くらい、見取り図があれば自分一人でも出来る事だからと――それなら最初から甘えずに一人で向かえば良かったものを。

 何処まで行っても弟気質。彼のナチュラルな人頼みぶりに、リゼは大きく溜息をついた。


 一緒に行動しているところを他の生徒に見られたくないという事情もあって、リゼはリタを引きずるようにして教室から離れる事にしたのである。




 ※






 勇ましく一人で校舎探索に出かけたテオの後姿に手を振って見送った後、リゼも鞄を持って寮に帰る事にする。

 いつの間にかリナがいないなぁと気づき首を傾げるリゼ。

 だが浮かんだ疑問を口にするのは、リタの方が早かった。

 

「ねぇ、リゼ。あんな冷たい言い方で良かったの?

 テオだって不安だったと思うよ?

 私達は三人一緒で平気だっただけで……」


「――リタ」


 この娘は本当に甘い。

 リゼは落胆の吐息とともに、しかめっ面になってごちゃごちゃ文句を言い始める妹を制した。

 テオが一番懐いているのはリタだと思う。

 やはり弟のように可愛がっていた相手を敢えて突き放すことにかなり抵抗が生じたようだ。


「もしも、村での態度と同じようにテオが接して来たらって想像できないの?」


「うーん、でも学年も違うし」


「テオなら上級生の教室にだって遊びに来るわよ」


 遠慮をあまり知らない彼が、唯一の知り合いである三つ子に会うために自分達の教室を訪ねてくるという状況は容易に想像できる。



「私はね、嫌なのよ。

 ……もしも……テオと仲良く話してるところを見られでもして。

 冗談でも、何も考えてない発言でも。

 ジェイク様に『お似合いだな』なんて言われたら、絶対立ち直れない!」


 どのような感情が入っているのか、関心の度合いなど関係なく。

 その言葉を聞いた瞬間、リゼは明日を見失うだろう。

 軽口で適当にそんな台詞を言われてしまった時の精神的ダメージを考えると、テオを突き放した方がマシだ。万倍も、マシだ。


 テオには悪いが、完全にリゼの護身のためだった。

 自分の心が無意味に傷つかないための防衛策。


 そんな完全に”眼中にない”と同義の発言をされれば、いくら見込みがないと自覚していても――リゼは傷ついてしまう。

 もしかしたら、なんて夢のような確率の世界で生きているのに、駄目押しで絶望を突きつけられたら。

 一体どんな顔をしてジェイクと話をすればいいのか、わからない。


「あー、なるほど。

 ジェイク様なら言いそう、めっちゃ言いそう」


 リタが引き攣った顔で頷いた。

 ラルフやシリウスはそんな事は言わないと思う。

 でもジェイクは男友達に言うような気軽さ、ノリでリゼに言ってくるかもしれないのだ。


 テオに自意識過剰だなんて言われたが、実際は逆だ。

 全く意識されていない事が分かっているからこそ張った、防衛線なのだ。


 まだ完全に諦めたわけじゃない。


 彼にとって後腐れない、最後の卒業の日までは頑張ると決めたのだ。

 僅かでも、少しでも希望を持って残りの学園生活を過ごしたいと言うのはそんなに我儘なことなのか。


「ところでリナは?」


 廊下に出て、玄関ホールに向かうリゼはもう一度周囲をきょろきょろと見渡した。

 初々しい新入生たちの姿を見ているのも楽しいが、一緒に来たはずのリナの姿が見えないのはおかしいな、と再度首を傾げた。


「デイジーさんの様子を見に医務室まで行ってくるって」


「ああ、そうなの」


「リゼの言い聞かせが長くなりそうだったし。勢いに引いてたよ、リナ」


 素で温厚な性格、人を遠ざけるようなことは間違っても言わない末妹だ。

 いきなり何の打ち合わせも相談もなく、テオにこんこんと言い聞かせ始めたリゼを見て驚いたに違いない。

 リゼの勢いに呑まれ、ススス、と教室の端に寄った彼女の姿は記憶にあるけれど。そうか、デイジーの様子を伺いに行ったのか、彼女らしい判断だ。


 まだ医務室で休んでいるなら、気にかかっても当然か。


「一体何でデイジーさん、急に倒れたのかな」


 リタもきょとんとした顔である。


「さぁ……。

 カサンドラ様と王子がいつもより親しい雰囲気だったから、とか?」


 朝の教室内で変わった事と言えば、それくらいしか思いつかない。


 デイジーがカサンドラの事でヤキモキしていた事は、過去の件でよくわかっているつもりだ。

 二人きりになることの出来ない王子とカサンドラのことを慮って、シンシアを抱き込んでカフェでの一幕を演出したくらいだから相当心配しているのだと思う。

 彼女はレンドールの出身でカサンドラとは顔見知りの仲だったらしいし、折角同じクラスなのにほぼ他人行儀の二人のやりとりを見てモヤモヤしていたに違いない。


「そうそう! 私も吃驚した!

 一瞬、キャシーなんて娘、同じクラスにいたっけ? って考えちゃった」


 カサンドラという名前は貴族の娘っぽい響きだとリゼは思う。

 だが気軽に呼べる名前かと言われればそうでもないし。

 呼び名を短縮しようにも難しいので、キャシーという愛称になるのだろう。


 エリザベスをリズ、と呼んだりするのと同じ感覚だ。


 しかしカサンドラという名前に慣れ親しみ過ぎて、パッと彼女の名が思い浮かばなかった。

 元々二人は人目のないところで仲が良かったのだろうと伺わせていたけれど、王子が積極的に愛称で呼んだことには流石に驚いたものだ。

 ずっと二人の仲を注視していたデイジーが興奮して倒れてしまうのも、行き過ぎとは思うが責められるものではあるまい。


「でも愛称呼びって憧れない?

 距離が近づいたって感じで!」


 完全に乙女思考に入ってしまったリタは、鞄を脇に挟み両手を合わせうっとりとした表情を浮かべていた。

 何を考えているのか、と肩を竦める。


「諦めなさい、私達には無縁の話よ」


 リゼははっきりと、無慈悲に現実を告げた。


 これ以上短縮しようもない、もはやこの名が長い名前の愛称だと言われるだろう。

 リゼ、リタ、リナという分かりやすくそれぞれを表した名前。

 好きな人から自分達を愛称で呼んでもらうなど、物理的に不可能だ。


「……はぁ、分かってる」


 改名でもしない限り無駄な話をしてもしょうがない。


 とりあえず今は、テオの過剰な接触を押し留める事に成功したことにホッと安堵するのみだ。

 そもそも学園という狭い社会において、後ろ盾もない自分達は”噂”の火消しをすることも出来ないので、一度流れた根拠薄弱な話さえ本当の事として既成事実になりかねない。

 中央貴族の派閥に属していれば、不都合なことが起こったら上から守ってもらえるわけだ。


 自分は庶民だから噂なんてどうでもいい、対象にさえならないと思っていたけれど。

 やたらと騒いで目立つ後輩に付きまとわれる三つ子、なんて面白おかしく吹聴されるに決まっているではないか。




 二人は玄関ホールを出て校舎を出る。

 春を迎え暖かくなった日中、青々と茂り始めた並木道を通って外門へ向かう――と。


「………!?」


 並木道を歩き始めてすぐ横。

 全く心の準備もない今のこ状況で――良く見知ったクラスメイト、個人名を言うならジェイクが誰かと立ち話をしている姿が目に入ってきたのである。

 

 予期せぬ出来事に、既にやる気が撤収モードだったリゼの緊張が、再度急速に動き始めた。

 気を抜いたまま彼と話をすることなど無理な話だ。


「ジェイク様、こんにちは」


 そのまま見ないふりをして帰るなんて、勿体ない。

 こちらに背を向け、ポケットに手を入れて話を続けていた大柄の生徒がこちらの声に気づいた。

 肩越しに振り返る彼と視線が合う。


 「よお」と軽い返事を返すジェイクの反対側、彼の体躯の陰に隠れていた男子生徒がひょっこりと顔を見せた。


 ――白銀と表現するより、灰色の髪。

 橙色の瞳に、ドキッとした。

 それは並んで立つジェイクと全く同じ色だったから。


「あ、朝も見たね、同じ顔!

 ……って事は、君達が三つ子? あれ、もう一人は?」


 美少年と呼んで全く差し支えない男子生徒。

 身長は高いが、横幅が狭い。がっしりとした精悍な体つきのジェイクと並ぶと一層細長く見えてしょうがない。

 そう言えば、血色もいいとは言えないような……


「おいおい、急に話しかけられても困るだろ。

 こいつは俺の弟でな、今日入って来たばかりの新入生だ」


「え、弟さんがいたんですか!」


 リタは吃驚して目を丸くした。

 じろじろと不躾にその弟の存在を確認している、全く似ていない兄弟である。

 見た目も全く同じ自分達とは全く異なる。


「初めまして、僕はグリム。

 ジェイクの弟だけど、僕は腹違いでさ。

 全然、偉くもなんともないんだよね。

 だから気軽に声をかけてくれると嬉しいな」


「わぁ、意外です。ジェイク様ってお兄さんタイプじゃないと思ってました。

 私はリタ、リタ・フォスター。ジェイク様のクラスメイトやってます!」


 急に話しかけられ、慌てるもリタは持ち前の明るさでニコニコ笑顔。


 ……だが生憎、リゼは彼女のように素直に「よろしく」と思えない。


 いつだったか聞いたことがある、ジェイクの腹違いの義弟の話。

 元はこの少年こそが、ロンバルド家の跡取りだった。しかし結局、今はジェイクが跡取りとして認められ、学園に通っている。


 ――そんな不自然な話を聞いていたせいだろうか。


 戸惑いの気持ちの方が強かった。


「……リゼです」


「もう一人、三人目……リナがいるんですけど。

 今は別行動中です!」


「そうなんだ。

 ……あ、もしかして君かな? 去年の剣術大会でバーレイドのお転婆姫を叩き伏せた庶民の女の子って!」


 ジェシカの事を言っているのだろうか。

 嬉々とした表情でリタを指差し、朗らかな声で問いかけるグリム。


「違います、それは私じゃなくてこっちのリゼです。

 ほんとに凄いですよ、入学当初は超のつく運動音痴だったのに!」


「ははは……あれは実力と言うよりは、まぐれですから」


 急に話を向けられても困る。

 謙遜するわけでもなく、力なく愛想笑いを浮かべる。実際に状況が自分に味方してくれただけだと分かっているので首を横に振って苦笑いを浮かべる他ない。



「そっかぁ。

 ……意外だね~」


 そう言って橙色の小さな瞳がリゼを捉える。

 何だか値踏みされているかのようで、少々不快感を覚える不躾な視線である。


 その視線を避けるように、リゼはジェイクに話しかけた。


「ジェイク様は誰かを待っているんですか?」


「そうそう、アーサーとシリウス待ち」


「寮住まいって言っても、ジェイク達は特別棟だから中々会えなくて。

 僕、王都に帰ってきたの久しぶりだから。皆と話が出来るのを楽しみにしてたんだ」 


 



 王子、シリウス達と仲の良いということだろうか。

 彼が幼い頃、ロンバルドの後継ぎになる予定だった話は決して眉唾なものではないようだ。




「じゃあな、また明日。

 気をつけて帰れよ」



 ジェイクにそう言われては、これ以上場に留まることは出来ない。

 まぁ、ここにいたところで聞きたいことが聞けるわけではない――か。

 第一、ジェイクの家のプライベートな事情、自分が知る権利もないわけで。





 ――何となく彼の存在に胸がざわめくだけだ。






 仲が悪いわけでもないのだろう、兄弟二人は談笑しながら再び王子達の姿を待ち続ける。

 





 ※




 テクテクと。

 自分と全く同じ顔の妹と肩を並べ、並木道を歩く。



「似てない兄弟で吃驚したね」


「似てない兄弟姉妹なんか、いくらでもいるでしょ」






 自分とは関係のない新入生の事をいちいち気にしてもしょうがない。  


 思考に広がる黒い霧を払うように、リゼは勢いよく首を横に振った。

 

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