第351話 星空の下で


 この一年、多くの事があった。


 父と話をして以降、そのとても長く感じられた色鮮やかな日々を振り返るだけの心の余裕などカサンドラにはなかった。

 クラウスに出された宿題にも未だ手つかずである。



 週明けからカサンドラ達学生を待っていたのは、この一年の授業内容を振り返る学期末試験という大きな関門だった。

 過去のイベントを思い返すよりもまず、学生としての本分を全うしなければいけない状況下にあった。


 限りなく広い試験範囲に胃を痛めつつ、しかもダイエットも続行中。

 皆と走りながら試験勉強の進み具合を確認し合ったり、リゼから試験に出そうなところを教えてもらったり。

 逆にアイリスからもらった過去問題を三つ子に書き写して渡したりと協力し合っている内に、あっという間に日が過ぎて行った。


 試験が終わればすぐに終業式で、翌日は役員のみ卒業式典と卒業パーティが学園敷地内で催されることになる。

 ようやく待望の春の休暇だが、新年度は四月一日からなので……

 全く落ち着くことなくドタバタと日が過ぎていくことだろう。


 すっかり気温も上がり、春めいていた季節の移り変わりを感じる暇は無かったが……

 心のつかえもとれた。

 未来への希望に照らされるカサンドラは忙しくても、充実していたと思う。


 



 ※




 試験本番の手ごたえは、まぁまぁと言ったところだ。





 学園に入って三度目の試験も無事に終え、順位が上がっていますようにと祈りを込め――カサンドラは既に騒々しく生徒達が列をなす玄関ホールを覗きに向かった。


 王子の婚約者たるもの、無様な成績を衆目に晒すわけにはいかない。

 少なくともカサンドラはこの学園で誰かに侮られるようなことがあってはいけないと自覚している。

 こうして明確な順位が並び序列をつけられる場面で、大勢に後れを取る事だけは許されない……!


 王子と話をする時間だって、結局とれなかった。

 いつも通りの日々と言えばそれまでだが、少しでも先に進んでいるのだと自分を鼓舞して迎えた学期末試験。

 さて、結果は如何いかに……?



 表情は澄ましたまま、左程興味なさそうに振る舞うカサンドラ。

 だが内心は戦々恐々で手に汗握るドキドキハラハラ状態である。

 もしも外聞を憚らないのであれば、両手を顔で覆い、開いた指の間からチラッと自分の成績を確認したいと思う程だ。

 そこまで結果を恐れていると思われるのも困るので、表情を殆ど動かさず平静を装う他ない。


 勇気を振り絞って、自分の名を探す。

 前々回や前回が十位前後だったから、その辺りにあるのだろうと当たりをつけて緑色の瞳に鋭い眼光を乗せて見上げる……!



「…………。」


 ――十位か。

 まぁ、及第点だと、ホッと胸を撫でおろす。


 王子やリゼ達と勉強会をしたわけでもなく、ダイエットと並行してこれだけの結果なら上々だ。

 面子も立つし、馬鹿にされるということもあるまい。

 内心で大きな大きな溜息をついたカサンドラは、今までの試験結果発表よりも場が騒然としていることに遅まきながら気づくことになる。


 三回目の試験ともなれば、皆大体成績も落ち着くところに落ち着くわけで。このような大騒ぎなど起こらないはずでは?


 訝しく思い、カサンドラは何気なく順位表の上を見る。首を傾け振り仰いだ。



「えっ……」


 ごく自然に驚愕の声が漏れた。

 上位陣の様子が、カサンドラには俄かに信じがたい結果となっていたからである。



 一位が二人で、王子とシリウスの名前が並んでいるのにまず驚いた。

 試験で一位をとるのはシリウスか、もしくは学習系パラメータをガンガン上げて追い抜かした主人公と決まっていたようなものなのに。

 ここに到り、王子が同位に並ぶと言うのはカサンドラにも衝撃の事実だ。


 それだけではない。

 シリウスの名前の下……!



「リナさんが三位?」



 思わず二度見、三度見した。


 リゼと名前を間違えてないかと思ったが、彼女の名前はその下だ。

 僅差でリナの方が総合得点に勝っている。


 その並び順のインパクトは凄かった。

 同学年の生徒が皆一様に顔を見合わせて騒然としている理由も、ようやく理解できた。



「えええー! まさかリナがリゼを抜くとか!

 いやいや、答案用紙間違って名前書いてない!?」



 一際大きな声で、順位表を指差す一人の少女。

 黄色いリボンを髪につけるリタは興奮気味に大騒ぎだ。

 今まで見たこともないだろう光景を前に、何故か彼女が一番地に足が着いていない。


「頑張った成果が出て良かったわ。

 でも、自分でもここまで良い結果なのは怖いのだけど」


 リナは嬉しそうに手を組み満面の笑顔を浮かべていたのだが、隣で口を「へ」の字に曲げて掲示板の順位を睨みつけるリゼに気づいて語尾をすぼめる。

 まぁ、勉強と言えば彼女リゼの根幹にあたる要素だという共通認識があった事は確かだ。


 ただでさえプライドの高いリゼには、この結果は耐えられないのではないか。

 屈辱に想って、姉妹間の関係がぎくしゃくしなければいいのだけどと余計な心配までしてしまう。


「はぁ~。今回、リナは凄く頑張ってたもんね。

 良かったじゃない」


 意外にもあっさりと、肩を竦めて言い放つリゼ。

 負け惜しみには思えない労いの言葉とともにリナの肩をポンと叩いた。


「あれ、もう少し悔しがるかと思ってたけど」


 リタも驚きの顔だ。


「ああ、いいのいいの。そりゃあ悔しいけど、流石に、ねぇ。

 剣の方にかまけてたから、リナに及ばなかったのはしょうがないかも。

 それに――」


 リゼの視線の先は、自分の順位ではない。

 辿って見えるのは、まだ下の方だ。


「ジェイク様が十五位!

 もうそれだけで満足、全然いいって感じ」


 ぐっ、と拳を固めるリゼは喜びを抑えつつも、噛み締めているようにしか見えなかった。

 自分が高順位で嬉しいのではなく、普段勉強を教えている相手が健闘してくれた方が嬉しい。

 その気持ちはよくわかる、しかも今回自分をぬいたのが真面目でシリウスに勉強指南を受けていたリナだから。


 精神的にノーダメージとまではいかないけれど、納得の順位のようだ。


「リタに順位抜かれたら、一週間は余裕で寝込めるけど」


 真顔でリゼは言い切り腕を組んだ。


「失礼な!」




 その後、少し遅れて来た王子達もその結果には少々衝撃が走ったようである。

 とりあえず、一位をとった王子とシリウスの二人に「おめでとうございます」と告げて教室に向かった。


 アルカイックスマイルを一切崩す事無く、朝から”爽やか”という概念を擬人化したような王子は多くの生徒に取り囲まれている。

 恐らくこの結果に、最も感情の乱高下が激しかった生徒は眼鏡に触れたまましばらく絶句していたシリウスではあるまいか。





 ――自分はいつも通り一位。でも王子も同じ得点で。

   リナはいきなり三位に躍進しその能力を遺憾なく発揮した。





 相当混乱する状況ではないだろうか。

 他人事ながら少々同情する、そんな順位発表を過ごしたのである。



 でも王子がシリウスと同じ成績と言うのも少し落ち着かない。


 彼の努力は素晴らしく、『凄い』と憧憬の念を感じなければいけないのに。

 芸術でも、運動でも、勉強でも――全く欠けたところのない完璧超人ぶりに、カサンドラが勝手に気後れしてしまう。

 そんな人の婚約者が、本当に自分でいいのか!? という、客観的な天秤に自分達を無意識にかけて勝手に頭を抱えたくなるのだ。



 釣り合わないのではないかという焦りにも似た感覚に、足元をチリチリと焼かれた。






 下級生と上級生はこれから終業式だが、卒業する最上級生はそのまま解散。

 明日の卒業パーティが終われば一年のイベントが全て終わるわけだが……それが一番、気が重たい。





 あれから王子と話せていないのが、とても寂しいと思ってしまう。

 今まで通りと言えば今まで通りなので、王子はあまり気にしていないのかもしれないけど。






 ※

 



 卒業式典も卒業パーティも、当初の予定通り恙なく終えることが出来た。

 自分達はそれらの主役ではなく、あくまでも進行役であり黒子、スタッフの一人だ。


 再来年にはこうやって舞踏会のドレスを纏って王子と踊っている姿を漠然とイメージし、一人勝手に恥ずかしくなってしまった時もあったけれど。

 トラブルも起こる事無く、王宮楽士団達の奏でる音とともに過ぎ行く華やかな催しは幕を下ろした。


 夕方から始まった舞踏会が終わった頃は、既に陽が暮れていた。

 夜遅くまで学園にいることも初めてのことで、何だか不思議な気持ちだ。


「今日は皆、ご苦労様。どうかゆっくり心と体を休めて欲しい」


 会場の片付けは雇い入れた人間にたちまち任せ、とりあえず大広間の控室に役員が勢揃い。

 いわゆる役員活動の『打ち上げ』を行っている。

 王子の声とともに、それぞれ皆グラスを持ち上げ乾杯の仕草をとった。


 役員達だけではなく、本日給仕係として志願してくれた数名の上級生達も同席している。

 卒業パーティという失敗の許されない一年に一度きりの催しの手伝いだ。皆、トラブルもなく無事に終えてくれたことに感謝だ。


 一年間の役員活動の総仕上げとも言える大きなイベントを瑕疵無くやり遂げた一同の顔は安堵に包まれている。


 いつもは無表情の鉄面皮のシリウスも、この時ばかりはやたらと機嫌が良さそうに有志の生徒達に自ら労いの言葉を掛けに行ったりと上機嫌だ。

 会場周辺の見張り、巡視役を務めてくれた騎士達も参加して「いやー、懐かしいですねぇ」などと和気藹々と打ち上げ独特の解放感に身をゆだねていた。


 長いようで、あっという間だったのかもしれない。

 一つ一つのイベントをその時は全力でこなすばかりだったが、過ぎ去ってみれば良い思い出ばかりだ。


 最初の頃の役員のやり辛さがいつの間にか消え、今こうして功労者の一人として打ち上げに参加している事に驚いてしまう。


 ダイエットも無事に成功し、用意していたマーメイドラインのカクテルドレスを着る事が出来たのも本当に良かった。入らなかったら大惨事だ。

 

 試験の結果も悪くなかったし、体型を戻すことにも成功したし、卒業パーティも終えて役員の一人として堂々と参加出来ている。

 要素要素を抜き出せば、順風満帆にも思えるだろう、今。


 だがしかし、王子と殆ど話が出来ていないのがとても心寂しくてしょうがなかった。

 お互いに忙しかった、特に用事もなかったと言われればそれまでなのだけど。



「……カサンドラ嬢」


 不意に声を掛けられ、顔を上げた。

 いつの間に近くにいたのか、王子が傍に立ってこちらに声をかけてきたのだ。

 ここで浮かない顔をするのもおかしな話なので、慌てて笑顔を取り繕おうとする。


「少し外についてきてもらって良いかな。

 話があるんだ」


「お話、ですか?」


 周囲の様子が気になって、控室をぐるりと見渡した。皆それぞれ肩の荷が下りたような表情で、いつもよりアルコールの消費も早そうだ。

 誰かに見咎められるかも知れなかったが、カサンドラと王子の関係を考えればそれを非難するような人間はいないだろう。

 彼の誘いに大きく頷き、一度部屋の外に出る。



 ――室内の熱気に当てられていたせいか、外気が頬に当たるととても心地よかった。

 



「あの、王子。お話とは一体……」 


 カサンドラだってしたい話は数えきれないくらい沢山ある。

 だけど学園内で話すようなことでもないし、かと言って休日に二人きりで会えるわけでもないし。

 彼から声を掛けてもらわなければろくに話が出来ない状況は以前と同じで。

 一緒に下校しようにも、試験期間に入れば選択講義自体がないのでどうにもならない。



 こうして二人きりで話をするのは久しぶりだなと、カサンドラは全身に軽い緊張を走らせた。

 もう少し歩こうと、先に進む王子。

 夜の学園内部は、昼とは全く景色が変わって見えた。


 どこまで歩くのだろうと彼の隣に着いて歩いていると、気づけば西校舎まで遠征していた。

 生徒会室にでも向かうつもりだろうか。

 用事があるのか? とカサンドラが一人で首を捻っていると……


「連れまわしてしまって申し訳ない。

 少し、ここで休憩しようか」


 正装に身を包んだ王子の姿が月夜に照らされる。

 神秘的とさえ言える光景を前に、カサンドラは息を呑んだ。


 いつも放課後話をしていた中庭。

 噴水の飛沫をあげる音も、ベンチも全く同じなのに――

 夜空の下という状況下だと、まるで違う世界に足を踏み入れたかのようだった。




「しばらく君とゆっくり話が出来なくて、ごめん」


「いえ! 王子もお忙しかったのですから、そう仰らないでください!」


 眩いばかりに輝く彼の金の髪が、銀色の月光に照らされて淡い輪郭を浮かび上がらせる。


「確かに時間はなかったね。

 今回はどうしても、試験で結果を残したかったから」


「先日の順位発表では本当に驚きました。

 王子の素晴らしい成果に感服いたします。

 ご公務の傍ら、試験でも最高の結果を出されたのですから」


「ありがとう。

 ――シリウスへの決意表明みたいなものだったのだけど、君に褒めてもらえるならそれだけでも意味があったかな」


 決意表明?

 一体、何を言っているのだろう。


 はてな、と首を傾げカサンドラはその場に立ち竦んでいた。


「私は――

 これから先、誰に何を思われようが君への気持ちを隠すつもりはない。

 誤魔化すつもりも。

 例え三家の当主がどう判断してどう動こうとね。

 彼らに臆することはないという、決意表明……かな。シリウスに伝わっているか分からないけれど」


 好意を態度に出してしまえばあからさま過ぎて、シリウスへの誤魔化しは利かなくなってしまうだろう。王子本人が以前、そう言っていたように。


 でも今までのように、ろくに話も出来ない関係、いつも第三者の存在を気にする状況が続けばカサンドラが寂しく思うのは間違いない。 

 もどかしいという想いを抱く気持ちは、彼を好きだから止める事もできないだろうし。


「君を守るためにも、強くあるべきだと気づいた。

 彼らにおもねる事で君を守ろうなんて考え方で来たけれど、その……

 そこまで後ろ向きで自虐的な人間は君に相応しくないし、あまりにも頼りないだろう?」


「そ、そのような事は決してありません!

 今までの王子のお気持ち、わたくし、とても有り難く思っております!」


 ”強い”と言うのは、多くの意味があるのだろう。

 それは腕力や剣の腕という直接的なパワーのことでもあるし、知識や知恵、それに人脈など目に見えない力の事もさしているのかもしれない。


 王子はカサンドラが傷つけられるのでは、失うのではと苦しんでいた。

 それが前提にあるので、守る、という言葉を積極的に使い始めた彼の心境の変化を感じ、実際の身の危険がどうだろうと嬉しくて仕方ない。


「いつまでも受け身でいるだけでは、君を王宮に迎えた時に守れなくなってしまうからね。

 キャシー、これを。

 ……受け取ってくれないだろうか?」



 そう言い、彼はジャケットの内ポケットから紺色の箱を取り出した。

 プレゼント仕様ではない、ごく普通の――カサンドラも頻繁に目にする形の指輪ケースだ。


「え? ……王子、これは……」


 彼がスッと開けたケースの真ん中に、大きなダイヤを台座に填めた指輪がある。

 キラッと輝く、どう見ても特注品のそれにカサンドラは肩を跳ね上げた。


「サインした書面以外の形にしておきたくて。

 遅くなったけれど婚約の証に」



 


      どうしよう。

      すごく うれしい。





 自分でもわけがわからない、どうしても抑えることの出来ない感情が身体の奥底から込み上げてくる。

 知らない内に、ポロポロと涙を流していた。


 悲しくて流れる涙ではない。

 ……こんなに嬉しい事があるのだと、喜びに全身が震えて零れ落ちていくのだ。

 頬を次から次へと流れ、滴り落ちる涙。


 その様に王子は少し慌てた。


 困ったように眉尻を下げてこちらの様子を伺う王子に、まだ涙でくしゃくしゃの顔のまま――カサンドラは笑った。









  「アーサー王子。

   ――貴方が、好きです」











 未来は霧中。

 どんなことが起こるのか予想できないけれど、この想いだけは変わらない。


 ――王子が幸せに暮らせる未来であって欲しい。

   それ以上望むことはなかった。








 遥か頭上に満天の星が輝き王都を照らす。




 嘗て彼が一人で見上げていた夜空の星は、今、優しく二人を包み込んでいた。











  

       ( 第一部 / 完 )

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