第348話 父襲来。・Ⅱ
ダイエットなど関係ない、という態度だったリゼまで中央広場へやって来るようになった。
湖の外周をぐるっと走るという、一周さえもカサンドラには困難な距離をリゼやリタは何周もしているのだから恐れ入る。
一日学園で過ごした後の運動なので体は辛かったが、朝早く起きて自分一人でランニングをするよりも皆と一緒の方が気がまぎれた。
それに自分だけではないのだという仲間意識が一層ダイエット魂に火をつけ、徐々に走る距離や時間を長くしていったところである。
今年度最後の生徒会も無事終了した。
卒業する最上級生の役員三人に特注の花束を渡し、卒業パーティの恙ない進行を約束する。
アイリス達にとっての最後の晴れ舞台。その後は学園を卒業しそれぞれの『家』の繁栄のために邁進することになるわけだ。
いわゆる
三年間同じ学び舎で過ごした学友たちは王国各地に散らばり、会うことも限りなく少なくなるだろう。
毎日のように大勢の同年代に囲まれて過ごしていた期間は、ここで終わる。
雁字搦めで束縛の多かった学園生活から解放される喜びも大きいが、不安もあるのではないだろうか。
彼女達の前途を祈るものの、最上級生であるアイリス達にも学年末試験が待っている。
試験が終わった後ようやく自由の身になれるが、彼女達も何のリスクもない学年末試験を受けるわけではない。
ここで赤点をとれば、卒業が認められずに留年だ。
それだけは避けなければと、卒業パーティの準備もそこそこに最後の試験の追い込みに入る。
勿論カサンドラ達も、来週から試験期間なのは同じだ。
二学期よりもいい成績を残すために頑張らないといけないが、それに並行してダイエットも続けなければいけないのは辛い所である。
だが三つ子とは試験期間中も時間を決めて一緒に走ろうという話はしているので、逆に良い気分転換になると思う。根を詰めて延々と勉強を続けるより、効率的かもしれない。
たった数日走っただけで体重が綺麗にストンと落ちるなら苦労はしない。
継続していくことが大事なのだ。
夕食もデザートを取りやめ、そもそもの分量を減らしてもらうよう料理長にはお願いしている。
お願いした際、料理長はあからさまに苦笑いをしていた。悔しいがそれは仕方のない事だ。
あれ程厨房に入り浸ってお菓子作りを続けていたのだ、そこで食事の量を加減してくれなんて――こちらの真意などバレバレである。
だがこれで体制は整った、後は勉強にも励みつつ体重を元に戻して行こう。
用意したドレスが着れないだなんて、そんな恐ろしい事態を想像しただけで身震いする。
体重が増えるのはあんなに簡単だったのに、いざ落とそうとするとこんなにも難しいものなのか。
ダイエットと無縁の生活を送っていたカサンドラには衝撃の事実であった。
土曜日のお昼過ぎ、カサンドラは約束通り中央広場でひとっ走りしてきたところだ。
もしも自分一人だけなら、休みの日くらい……と甘えた考えが湧き出たかもしれないけれど。
三人とも軽装で訪れカサンドラを待ってくれているのだと思うと――サボるなんて気持ちには到底なれないわけで。
更に一緒にダイエットの副次的効果として、自然な形で彼女達の近況を聞くことが出来るのは僥倖だった。
走りながら会話を続けるのはカサンドラにとっては難易度が高いが、話を聞くくらいは出来る。
意外にも体力のあるリナ、そして元々運動好きなリタ。
そして――最初はカサンドラと同じような運動能力しか無かったというのに、今ではリタでさえ追いつけない無尽蔵の体力を見せるリゼ。
一年が経過し、皆順調に攻略対象との恋愛が進んでいるようで何よりだとホッとする反面。
――途轍もない後ろめたさに襲われていた。
カサンドラは、”王子が『悪魔』に乗っ取られる”というメインシナリオのフラグを今の段階で折ってしまった状況。
むしろこれで実はフラグが折れていなかったということになれば、カサンドラはもうどうしていいのかわからない。
現状、自分に出来得る最良の結果を得たと思っているくらいだ。
彼が自分の境遇を嘆き、負の感情を抱いていたことは紛れもない事実。でもそこにつけ込まれたり、孤独ゆえに自ら悪に手を染めるということはなくなったはずだ。
万が一彼が誤った道を選ぼうとしたとしても、傍で守ることが出来る。
何より、彼の事情を知った事によってカサンドラは――自分で思うのは恥ずかしいが、王子にとっての希望になり得る唯一の人間だ。
助けになれるはず。
これから父クラウスが屋敷に来訪することになっている。
生憎王子が同席することは出来ないが、カサンドラとアレク双方がレンドール侯爵の考えていることを再度確認し、改めて各々の行動指針を話し合うことになるだろう。
まだ学生のカサンドラと王子、そして学生でさえないアレク。
そんな無力この上ない自分達だが、父がしっかりとした指示を出し協力してくれるのなら、どれほど心強い事だろう。
王子はもう一人ではない。
何もかもが嫌になったり何かを憎んで魔に魅入られて全てを破壊する意味はない……はずだ。
悪魔がどうこうというシナリオが無くなってしまえば、当然三つ子達も世界を救うために聖女の力に覚醒する必要もなく――最後の戦いもなくなり万々歳!
……というわけにはいかない。
肝心の彼女達の恋愛イベントをカサンドラがこの手で握りつぶしたことになる。
カサンドラにとって望ましい、あるべき姿の”未来”を手に入れるためにはしょうがないことだ。王子を斃させるわけにはいかない。
しかし攻略法だなんだと嘯いて彼女達の恋愛を応援していると言いながらも、いざこうして最後のイベントの芽をつぶしてしまった事に言いようもない焦燥感が押し寄せてくる。
根底から前提が覆ったとすれば、彼女達の恋愛イベントが消えてしまう。
とても由々しき事態である。
最初から分かっていたことで、敢えて目を逸らしていた大きな問題。それがとうとう牙を剥き、カサンドラに重くのしかかってきた。
攻略対象にはそれぞれ、背景に王子が関わっていた事件を端に発するイベントが用意されている。
それを一緒に乗り越えていく過程で相手の”過去”を知ることが出来るわけだ。
……乙女ゲームの醍醐味だ。まさに攻略しているのだと実感できる瞬間、その総仕上げのイベントは攻略対象ルートシナリオの出来不出来を決めると言っても過言ではあるまい。
コツコツと好感度を稼ぎ、主人公を相手好みのパラメータに育て上げようやく心を開いてくれる瞬間のカタルシスこそゲームの真骨頂だ。
この場合、共に困難に立ち向かうことで育まれる絆を指す。
それがなくなってしまえば……彼らも、己の心を彼女達に本当の意味で開くことはないだろう。
王子が”彼ら”を傷つけないという状態になれば、当然イベントも消え失せてしまう。
カサンドラが三つ子の恋を応援していたのは、彼女達が純粋に良い子だから恋を叶えてあげたいというだけの理由ではなかった。
当然その気持ちも強いのだけれど、努力及ばず王子の
生憎聖女覚醒イベントのない組み合わせだが、”愛する者を守る想い”が覚醒の原理なら土壇場で力に目覚めてくれるかもしれない。
あくまでも保険だが、保険は必要だったと思う。
何か一つ違っていたら王子の事情を知ることなど出来なかった。
救う手立てさえ考える事も出来ず、途方に暮れていただろう。
あの日シリウスに王子との会話を聞かせてもらえなかったら。
あの日ラルフに会わないまま、婚約解消の話が進んでいたら。
誰にも何も言えないまま、王子との縁は切れてしまったに違いない。
王子は自分との婚約を解消するつもりでいた、カサンドラは打つ手もないまま彼の抱える負の感情を知ることもなく……彼の心は塞いだまま、常に「独り」で追い詰められていったのだろう。
世界は当初想定されていた方向へと進んでいたはずだ。
本当に綱渡り状態だったと思うが、現状事ここに至ると自分の身勝手な行動に良心が痛む。
応援すると言いながら、彼女達の想いが叶う条件を潰してしまった罪悪感。
勿論彼女達が知り得るはずもない事だけれども。
自分と王子さえ良ければいいとも思えない。
しかしながら、彼らの事情を知っているカサンドラが陰に日向にお膳立てする……というのもかなり難しい話だ。
第三者の介在なく、当人たちが共に立ち向かっていくから成就する物語なのであって。
横から一から十までそっくりな恋愛イベントの代替の場を用意をするなど、仮に可能だとしても無粋過ぎる。
しかもカサンドラ側にも問題は山積状態、果たして彼女達の事を十全に考える余裕があるのかさえ分からない。
カサンドラだってこの先安穏とした未来が待ち受けているわけではない。
喫緊な課題、王子ラスボス化は防ぐことが出来たとしても、今後自分はどう立ち回り王子と共に過ごしていくべきなのかは判然としていない。
今の国の現状を変えるには自分達はあまりにも無力。
このまま”お飾りの王妃”として王子の横にニコニコ立っていればいいのか……
でも、それでは根本的な解決には至らない気がする。
王子を思い通りに動かすために、王族の権威を最大限利用するために――三家の当主からは人質と同じように自分が扱われるのは嫌だ。
ジェイク達に当主が代替わりするまで待てばいいのだろうか。
あと十年? 二十年…?
今後もずっと王子との本当の関係を隠し、偽装しないといけないの?
気持ちを抑えたままでいなければいけないの?
シリウスに悟られないよう、王子は”演技のフリの演技”を続けるの?
いつまで?
王子の事情を知ることは出来たが、まだ何も始まっていない状態だ。
シナリオから外れてしまったこの先のことはカサンドラに予測が出来るはずもなく、悪しき存在ではなく”実在する人間の悪意”と立ち向かわなければならない。
圧倒的な女神の力で一刀両断に出来ない分、こちらの方が状況的にハッピーエンドが難しい。
問題は多いが、一つ一つ前に進めていくしかない。
この世界の未来は、
もはや恋愛イベントが起きなければ恋愛が成就しないなんて、そんな決まりは意味をなさないのではないか。
今、三人とも順調に相手との距離を縮めている。本来のシナリオに頼らずとも彼女達のもつ想いは、真っ直ぐ彼らに届くのではないか?
そうであって欲しい。
そうでないなら、カサンドラは良心の呵責で自分の幸せを素直に受け止められない。
何とかシナリオに頼らず、恋愛を成就できるように応援するしかあるまい。
確実な事は何一つない。
でも本来、人生なんてそんなものだ。
特定の未来を回避しようなんて、奇跡的に成功したこれ限りの事。
これで終わりにしなければ。
雲をつかむような話だった、王子を”救う”という目的。
それは多くの偶然、そしてお互いの想いによってようやく達成の方向に舵を切ることが出来た。
その対価としての予測不能な未来、暗闇の先の困難。
足が竦み、胸がざわざわとさざめく。
※
父を乗せた馬車が王都の別邸に到着したのは、もう夕暮れ時だ。
否が応でも緊張し、カサンドラの顔は強張ったままだ。
アレクの言うことを疑っているわけではないが……
子供に一切の関心が無いように見えた父が、そこまでカサンドラと言う娘のために便宜を図ってくれていたとは中々想像しづらい現実である。
仕事仕事で忙しく、同じ屋敷にいても顔を合わせることも滅多になかった。
カサンドラの周囲には言うことをハイハイと聞いてくれる従順な召使しかいなかった記憶がある。
「侯爵、ご到着いたしました!」
護衛の従者の精悍な声が敷地内に響き渡る。
彼の声量の大きさに驚き、木に止まって羽を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたいて飛んでいく。
上空にバサバサと音が響く中、ゆっくりと馬車の扉が開いた。
レンドール侯爵家の紋章を掲げた大きな馬車。
普段カサンドラが使用しているものより二回りは大きく、立派な四頭立てだ。
二頭、更にその前列に二頭の白馬を操舵する御者がカサンドラ達の位置に合わせ整然と止める。
「ふぅ、ようやく着いたか」
腰をトントンと叩く壮年男性が、扉からぬっと姿を現わした。
地顔が既に怒り顔、ムスッとした表情のレンドール侯クラウス。彼は迎え入れるために玄関外に並んで待つカサンドラ達を一瞥する。
「お父様、ご無沙汰しております。
その節は……」
「ああ、話は後だ。まずは空腹を鎮めたい」
「……あら、そう言えば今日はウェッジのおじさまとご一緒なのでは。
おじさまはどちらにいらっしゃるのでしょう」
父クラウスだけではなく、レンドールの領地の一つを治める無位の領主――ウェッジ家の当主も帯同してやってくるという話を聞いていた。
ウェッジ家のエヴァンはベルナールの父親である。
クラウスとエヴァンは幼馴染なので、自然と子供同士会う機会も多かったものだが……
ベルナールとはとことん相性が合わなかったので今の有様だ。
まぁ、これは
我儘で高慢な小娘に「そんなことでは皆からそっぽを向かれるぞ」と耳に痛い忠告をしてくれた、数少ない存在だった。
彼を疎ましく思って遠ざけたのは自分だ。
そして――皮肉な事に、学園に入学して己の中途半端な立場や周囲から軽んじられるという状況に苛立ち、ドロップアウト寸前になってしまったベルナール。
逆にカサンドラは前世の記憶を思い出し、限りなく優等生然たる振る舞いを心掛け、真面目な人間だと思われるようになったわけで。
数年前からは考えられない自分達の学園生活。
だがベルナールはシンシアに出会えたことで、生来の彼らしさを発揮しつつも真面目な学園生活を送っているようだ。
シンシアの好きな異性のタイプが、優しくて真面目な人なのだからさもありなんという事態であるが……
息子の激変ぶりにウェッジ夫妻は大感激。
冬休みに帰省して紹介してもらったシンシアを神の使いか何かという扱いでもてなし、大層気に入ったそうだ。
今回のクラウスの王都入りに是非ついていって先方のご両親にご挨拶を!
そう鼻息荒く、無理矢理割り込んできた――とカサンドラは聞いている。
「あいつなら今頃、ゴードン家にいるだろうな」
クラウスは鼻を鳴らし、興味無さそうに言葉を放り出す。
コートと帽子を脱いで傍に従える従者に渡す父の表情は、げんなりしているように見受けられた。
「土産と称した積み荷を何台も乗せてくるものだから……私は商隊でも率いているのかと錯覚したぞ。
荷馬車がいくつもあっては邪魔なだけだ、渡すなら早く渡してこいと向かわせた」
「左様ですか……」
どうやらエヴァンはレンドールの別邸よりも、実の息子に会うよりも、まずはゴードン家の親御さんへ面通しに行ったらしい。
全く、せっかちな人だ。
今頃シンシアはどんな心境なのだろうか。
レンドールくんだりから彼氏のお父さんがお土産をいっぱい抱えて来訪してくる――想像しただけで表情が引き攣りそうだ。
どれだけ前のめりなのだ、あのおじさんは。
ちゃんと事前連絡は済ませてあったと信じよう。
「恐らく食事も済ませてくるのだろう、あいつの事は今は捨て置け。
……中に入るぞ」
余程お腹が空いているのか、クラウスはさっさと屋敷の中に入る。
腹ごしらえを済ませた後、今回クラウスが別邸に来訪してきた本当の”目的”に入るのだと思うと一気に心臓の動きが忙しなくなる。
出来れば王子にも同席して欲しかったが今日は諦めざるを得ず、とても残念で心残りだがしょうがない。
普段カサンドラの屋敷に足を踏み入れる事もない王子が、侯爵が来たのを見計らって訪問するというのも目立つ話である。
王子と個人的に接触できる機会があればいいと父も考えているようだが……
まずはクラウスの思いや考え、そして指示を聞かない事には迂闊な事は出来ない。
何を言われるのか、緊張する。
アレクと顔を見合わせてアイコンタクトを行った後父に続いて屋敷の中に戻っていった。
「………なんだ、キャシー。
それだけしか食べないのか? 量が少なすぎるだろう、料理人は何をしているんだ」
「え、ええと……」
「侯爵、姉上は今ダイエット中なんです」
「だい……? ん?
………必要があるようには思えんが」
「王子にプレゼントするお菓子の試作を作り過ぎ、食べ過ぎたんですよね。
制服のスカートが
「アレク! 貴方、そんな事までペラペラとお話しなくても……
第一、填まりますから! 少々! そう、少し、ほんの少しキツくなっただけです!」
「キャシー、お前……手作りだと……?
王子に一体何を食べさせた? まさか炭化した食物とも呼べぬ毒物を渡したのではあるまいな?」
「ああ、それは大丈夫ですよ。
僕が責任を以て毒見しましたから。
味も奇跡的に美味しかったですし」
「そうか……。
慣れぬ事ばかり、お前は随分と無理をしているようだな」
父の溜息まじりの労いの声に、カサンドラは膝の上で拳を握りしめ――小刻みに震わせている。
緊張をほぐすための二人の軽口だとしても、繊細な乙女心を持つカサンドラとしては苛立ちを覚えずにはいられなかった。
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