第346話 過保護。
王子へ贈るお菓子作りの練習を続ける事による、予想外の副次的効果にカサンドラは頭を抱えていた。
『カサンドラ』として生きてきて十六年、自分の体型の事を気にしたことは無かったのだ。
だが流石にお菓子を毎日余分に摂取するというイレギュラーな事態に、身体は持ちこたえてくれなかった。
冷静に思い返せば、お菓子を計る時の何杯もの砂糖の量やバターの量――
そりゃあ、太るわ。
女子らしい趣味として知られる菓子作りだが、作るのは良くても毎日練習した後の試作をどう扱うかが難しいのだと初めて知った。
お菓子は納得の高カロリー。砂糖を食しているようなものだ。
この世界には当然栄養学という詳しい栄養価の実数値は存在しないし、カロリーという概念もない。
だからダイエットという単語は、「絶食」「減食」「運動」と同じ意味合いを持つ。
たくさん食べれば太るし、ゴロゴロ寝ころんで動かなければ太るというのも共通認識。
そして野菜は太りづらく、甘いものは太りやすい――という大雑把な常識も浸透している。
この世界は現代日本の美的感覚を中心に据えられて構築された世界だ。
スタイルの良い女性は、やはりすらっとしたどちらかというと痩せ形の女性を指すものである。
そしてこの世界の男性もまた、太っている女性よりそうでない女性の方がより”好ましい”と思っているはずだ。
勿論世の中には趣味趣向が一般とは違う特殊性癖の人間もいるだろうが、平均化すれば――王子や攻略対象のような男性はかっこよくて素敵だし。
アイリスのような綺麗なお姉さんは、美人だと誰もが頷く。
だからカサンドラも世間様一般の美的感覚に合わせ、本来の『カサンドラ』の体型を維持したいと強く願っている。
何せこのまま太り続ければ、王子がカサンドラに合わせて体重を増やすなどという地獄絵図な未来が訪れるかもしれないのだ。
それだけは絶対に避けたい由々しき事態。
臨まない形とは言え王子と言う第三者を巻き込んだ以上、もう自分だけの問題ではないと言える。
ダイエット成功を固く決意し、今日も学園へと向かったのである。
※
しかしダイエットと言っても……
カサンドラは昼食の時間を憂鬱に想いながら迎える事になった。
恐らくカサンドラだけではなく、リタやリナも同じような複雑な想いを抱えているのだろう。
何せ学園の昼食として出される食事は、完全なるフルコース仕様だ。
カロリーなどという概念のない世界、貴族の子女たちに食してもらうに値する美味しい料理が毎日のように手を変え品を変え差し出されてくる。
彩のために野菜も盛られているが、基本的には――昼食を全部食せば結構な分量である。
美味しいものとは一般的にカロリー的に”重たい”ものだ。
それを全て摂取してしまえば、ダイエットなどと口にするのも
だが、用意された食事を残し続けるのもマナー違反だ。
体調が悪いわけではないのに意図的に残してしまうのは良くない。見た目も悪いし周囲の人に対して悪い印象を与える上行儀も悪く、更に作ってくれた人に申し訳ない。
毎日大勢の生徒達を満足させるために、何十名もの料理人や給仕係が大忙しで働いている。
残す……というのは、非常に罪悪感が湧くものである。
今日は体調が悪いということにするか?
いや、駄目だ。
ダイエットは一日にしてならず。
毎日毎日体調が悪いなんて言い訳が通用するはずもない。
ここで摂取した余計なカロリー分を運動で減らすか夕食を抜くというくらいしかアイデアが思いつかないのだ。
そもそも前世の世界でもダイエットにはあまり興味が無く、知識は低い。
そんなカサンドラだったが、食事の席について違和感を覚えた。
「……?」
何がそんなに違うのか、一瞬判別しづらかった。
隣で食事を進めるラルフ、正面にいるジェイクの白い皿の中身と自分の中身をこっそり見比べる。
……量が……少ない……?
しかもメインのお肉料理の中は、驚いたことに空洞だ。
替わりに、中に人参などの野菜が詰め込まれ、ソースも他の二人とは違った。色は似ているが圧倒的にとろみが足りない。
……もはや似たようで全く別の料理!?
こ、これは一体……
思わず肉を切った後のナイフが止まる。
明らかにメニューが変わっていないか、と困惑する。外側は他の生徒達のメニューと全く同じように見えるのだが。
出来る限り平静を装うと思ったが、流石に彼らの目は誤魔化せなかったようだ。
「気が付いたか、カサンドラ」
鋭いナイフのような切れ味をはらんだ呼び声に、びくっと背が戦慄いた。
斜め前方の席で食事をする、シリウス。彼は丁寧に、器用に肉御を切り分け食事を進めていたのだが。
一旦その手を休め、眼鏡のブリッジを指先でくいっと押し上げた。
「シリウス様?」
「それはお前たち専用のメニューだ。
減量をするのだろう?
――ならば食事の質や量を変えるのが効率的というものだ」
己の目と耳を疑った。
一体全体、どういうことだ。
思わず同じテーブルに着いている他の三人、ジェイクや王子、ラルフの様子をぐるりと見渡すが……
彼らは全く驚いた様子もない、ノーリアクション。
シリウスが今とんでもないことを言った事を聞いていなかったのだろうか。
「先日小耳に挟んだよ。
……カサンドラ、君リタ嬢やリナ嬢と一緒に何をしようとしているのかということをね」
えっ。
想像を絶するラルフの言葉に、もはやカサンドラは絶句する他ない。
ついチラチラと王子の様子を眺めるが、彼は全く素知らぬ風。
説明を要求したい!
「お前ひとりが減量を考えているのなら好きにすればいい。
だが……少々、懸念事項が思い当ってな」
舌打ちでもしそうな不機嫌さでシリウスはそう言った。
「懸念事項?」
カサンドラ一人ならば放っておかれた、だがそうではなく介入する必要がある?
それはとりもなおさず、ダイエット宣言をした二人の事か?
「リタ嬢は良く言えば大らかだが、少々大雑把な部分がある。
リゼ嬢程ではないにせよ、極端な方向に走るかもしれない」
ラルフは若干溜息交じりで、「なんでそんなことを」という本音が透けて見える気がしたが。
一々女性の行動方針に一言物申すような性格ではない。
「昼食は減らせないのだから夕食は抜こうなど言い出しかねない子だと思う」
極端だが気持ちは分かる。
リタは難しいことや細かい事を考えた減量など苦手そうだから、食べなければ体重は減ると実際に行動しかねない。
「だが知っての通り、リタ嬢は美味しい食べ物がとても好きだ。
いずれ忍耐の緒が切れて暴食に走り、減量どころか以前よりも増えてしまうという可能性が大きいのではないだろうか」
物凄く真面目な分析にカサンドラも咄嗟に否定することが出来なかった。
俗にいうリバウンド。ダイエット経験者にとって、最も忌み嫌う言葉。恐れるべき現象である。
一食を抜き続けたり、効果を焦って無茶な我慢を続ければ――その苦行に耐えかね、自棄になって今までの努力を無にするような暴飲暴食に手を染めかねない。
「彼女には大きな体型変化をされると困るという事情もある。
ここは穏便に、持続可能な方法を実践して欲しい」
ああ、
確かに短期間で大幅な体型変化があったら、この後何度もパーティに連れて行くことになるのに大変だろう。
もうドレスなども作らせているのだろうし。
次に溜息交じりに言葉を繋げたのはシリウスだ。不本意だ、という文字がデカデカと顔に張り付いているかのよう。
「無意味な行為だとは思うが、本人がやるというのならしょうがない。
ただ、食事を減らした状態で運動をしすぎるのは良くない。集中力を切らし学習効果は激減してしまうだろう。
リナ・フォスターは真面目な人間だ。下手をすればお前に付き合わねばと、追従した結果倒れる可能性も十分考えられる。
学年末試験も近いこの時期だというのにな。
――私が今まで学習指導をしてきた過去が水の泡になるのは腹立たしい」
シリウスの気怠い言い方。
だがその口調とは裏腹に、本当はそんな無駄な頑張りなど意味がないから止めて欲しいという切実な想いも感じられる。
でもそれを本人に言うなど絶対に出来ない。
女性の体形に関する話題などデリケートどころか、口にしてはいけないNGワード筆頭だ。本人に直接辞めろなんて言う権利もなければ、言える立場でもない。
止めることは出来ないという事実を前提に、知られないところで何とかサポートをしようと言うのがシリウスとラルフの共通見解のようだった。
まぁ確かにダイエットと言い出したのはカサンドラだ。
自分に付き合って彼女達が不本意な結果になるなど、決して望むことではない。
「そこで、しばらくお前たちの昼食は特別に減量を考えた特別なメニューを用意させることにした」
「そ、そうだったのですか……」
この皆とは違うメニューに、そんな意味が……
ではリタとリナも、今頃首を捻っているかもしれない。
――何という過保護な人達なのだ。
カサンドラの率直な感想はそれだった。
「カサンドラ。
この特別メニューはアーサーが
ラルフの依頼に、カサンドラはもう一度己の耳を疑った。
その間も王子は全く何も関わっていないかのように、自身の食事を静かに進めている。
救いを求めようにも、彼は全く会話に入ってきていないので話の振りようがない。
「えっ、わたくしが二人に……ですか」
戸惑うカサンドラ。
要するに自分をダシにして、二人の助力をしたいと言っているのだ。
シリウスはこちらを睨み据え、もう一度念を押す。
「お前も恩恵を受けられる。悪い話ではないだろう。
――くれぐれも、体調を壊すような極端な行動に走らないように気を掛けてやってくれ。
ああ、そもそもお前が発端だったのだな」
リタとリナに何かがあったら自分にまで責任が及びそうな、無言の圧力を感じ喉を鳴らす。
どうしてそんな詳しい会話の流れを彼らは知っているのだろう。
まさか王子が、カサンドラのダイエット決意の話を彼らに話したのか?
「あの、わたくし達の会話を何故ご存知なのでしょう……」
まさか、と。
彼を疑っているわけではないけれど、情報の出所は気になるところだ。
彼らには女性と言う範疇で一切眼中にないとは理解している。だがそれにしたってダイエットの話を真面目な顔で俎上に揚げられ、延々と話し続けられるのは恥ずかしい。
「ああ、それは――」
シリウスとラルフの視線が、一点に向いた。
聴覚の一切を閉ざし、一切興味がないと言いたげにフォークを肉に刺すジェイクの方に。
「……ジェイク様?」
彼はあからさまに所在無さそうに視線を横にずらし、露骨に追及の視線を無視した。
そう言えば――
この人、昨日後の席に屯する自分達をガン見していたな。
あのタイミングでこちらを見ていたということは、会話もある程度把握していたはずだ。
聞かれていないだろうと思っていたが、この人実は地獄耳なのか?
※
こういう時だけ、カサンドラを王子に我儘を言える『婚約者』扱いするのも業腹である。完全に利用されているなぁ、と思うのだが。
シリウスとラルフからの牽制を受け、周囲に大々的に分からないようにこっそり量が減ったり野菜で嵩を増した特別ヘルシーメニュー。
その効果は自分もそうだが彼女達にも抜群だった。
減量のための特別なメニューと言っても、作ってくれるのは学園が雇った料理のプロである。彼らの意地にかけても美味しく感じるメニューを作ってくれ、あっさりした味付けながらもとても美味しい。
シリウス達直々の指示という名の命令なので一切の手抜きなく手間暇さえかかっている。
数百食の中から僅か三食分だけ内容を変えなければいけないのは面倒だろうに。
しかも周囲に怪しまれない程度に外観を似せるという達人技には感服させられる。
昼食の事で頭を悩ませることもなく、周囲に不審がられる事もない、何より残さなくても良いという心理的負担がなくなったのは大きなことだ。
夕食は自分で調整できる。
ダイエットをしようと決意し、無理なく進められるのは間違いない。
「やぁ、キャシー。調子はどうかな」
にこにこ笑顔の王子が待っていた。
水曜日の放課後は、彼と話をする時間だ。
片手を挙げてやってくる王子を前に、カサンドラは立ち上がって深々と頭を下げた。
「は、はい。
あの後お二人と話しました。
中央公園でのジョギングの誘いをいただきまして、この後ご一緒する予定です」
ダイエットは食べる量だけを抑えればいいわけではない。
規則正しい生活習慣と適度な運動が一番だ。
そう言えばお菓子作りを始めてずっと家に籠っていたし、学年末試験が近いということで講義も座学ばかりをとっていた。
馬車での送り迎え、豪華な食事。
これでは「体重を戻したい」など夢物語以外の何者でもない。
「無理をしないようにね」
「はい、そのつもりです」
この後公園で彼女達と合流しなければいけないので、少々気が急く。
馬車の中には着替えも置いてあるし、十分間に合うだろう。
運動は得意ではないが、二人を巻き込んでしまったという責任感も相俟ってサボるわけにはいかない。
「まさかあんな話になるなんて、私も驚いたよ」
「ええ、本当に」
まさかシリウス達がそこまでの行動に到るとは思っていなかった。
彼女達のために何とかしたいが表立っては言及できないし、どうにかしたいといい気持ちは理解できる。
そこにカサンドラという緩衝材を使われるのは甚だ遺憾であるが、カサンドラにとっても有り難い話であることは間違いない。
自分が王子にお願いをしてメニューを変えてもらったということにすれば、彼女達にシリウスやラルフの過剰な『心配』のことを気づかれることはない。
そしてカサンドラも特別メニューへ変更の恩恵を受ける事が出来る。
シリウス達もこういう時だけ自分をダシに、”王子の意向”という形での強権を発動させるのだから、虫のいい話である。
シリウスは王子がカサンドラのことなど何とも思っていないと判断しているはずだ。
その上でいけしゃあしゃあとよくも言えたものだ。
面の皮が厚いという言葉は彼のためにあるのではないか。
細かいところに目を瞑れば、学園の厨房で働く料理人にとっては手間暇が増えてしまった以外誰かに迷惑をかけたわけではないのだし。
そもそもカサンドラの不摂生のせいで、彼女達をダイエットの道に連れ込んだようなものだ。
出来れば負担の少ない形で成功させたいという想いは強かったので、シリウス達の過剰な配慮は本音で言えば有り難い。
好きな子のためならそれくらいするよなこの人達、という納得の采配である。
「前にも言ったけれど、健康を損なっては元も子もないから無理はしないようにね。
ただ、君のしたいことなら――陰ながら応援しているよ」
運動や節制は良い事だからね、と彼は優しくにこりと微笑んだ。
「勿論です。本当にお恥ずかしい限りで……」
お菓子作りを一旦練習止めするため、王子にこんな話をしてしまったけれど。
やっぱり恥ずかしくてその場から消えたくなってしまう。
……ただ、心配してくれている気持ちは凄く伝わってくる。
カサンドラだって減量の必要を感じない人が過剰に痩せたいと必死になり、追い詰められる姿は見ていて辛くなるだろう。
何事も按配が大事なのだ、極端から極端に走らないようムキにならないようにしようと思った。
試験が終われば、卒業パーティ。
勉強も頑張らないとなと、カサンドラは大きく頷いた。
※
カサンドラは知らないままだった。
昨夜男子寮、ジェイクが口を滑らせてしまったせいで起こったこの話。
翌日――シリウスらが学園料理長を呼び寄せ、このような特殊な事態が発生してしまったキッカケを作ったのが誰かと言うことを。
『ジェイク。どうして今日、リゼ君のお腹をじっと見ていたのかな?』
そのクリティカルな一言は、ドン引きするシリウスとラルフへの一連の釈明事故へと繋がった。
ここまで思った通りに事が進むとは考えていなかったが、結果的に都合の良い展開になった――それは別に、カサンドラの知る必要のない事である。
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