第345話 思わぬ落とし穴


 シュークリームに挑戦し始め、はや五日。


 この世界でのお菓子作りは全く勝手が違うということもあったが、やはりシュー生地を膨らませる事が圧倒的に難しく――

 その上カスタード生地もざらざらしていて舌触りが悪いことこの上ない。


 クッキーとは違い一日に何度も挑戦することはなかったのだが、それでも毎日厨房が落ち着いた頃合いを見計らって教えを乞うているカサンドラ。

 いつか美味しいシュークリームを作れるようにと真剣に学んでいるところである。




 そして――

 月曜日の朝、大変な事実に気づいてしまった。


 それは学園へ通うために制服に着替えている最中の事である。

 学園の制服は白いブレザーとスカートという完全ツーピースタイプ。

 まずはブラウスに袖を通し、次にスカートを穿く。



「……あら……?」



 腰に位置するスカートのファスナーが中々上がらず、引っ掛かりを覚えた。

 まさかファスナーが壊れてしまったのかと首を傾げ――


 ある可能性に思い至り、頭上に雷が落ちて来たかの如き大きな衝撃を受けたのだ。


 まさか。

 まさかまさかまさか……太っ……




 気合で上げたファスナーが悲鳴を上げている。

 間違いない。


 もはやこの世の終わりのような表情で、使用人に体重計を用意させる。





「――きゃあああああ!?」




 カサンドラの絶叫が、月曜の朝早く屋敷に木霊した。


 



 ※





 早朝、無人の教室に入ってしばらく。

 王子へのお手紙を彼の机の中に入れた後ずっと机に座って呆然としていた。


 恐る恐る、腹を抓む。

 普段よりボリューミーな気がして恐怖の余り指を一瞬で手放した。


 体重計は忖度を知らない。

 ただ事実のみを突きつけるのみだ。



『そりゃあ、毎日あれだけのお菓子を作っては食べ、作っては食べ。

 体重が増えない方がおかしいでしょう』



 義弟アレクの呆れ声が何度も頭の周囲をぐるぐると回る。

 カサンドラの練習、試作に延々と付き合わされていたにも関わらず、彼は変わらず細身で均整の取れた体型である。

 一体どうしてこんなに差がついてしまったのか、とカサンドラは金魚のように口をパクパク開閉を繰り返した。

 顔面蒼白のカサンドラに指差され、アレクは若干勝ち誇った表情で腰に手を置く。


『僕ですか?

 勿論、昼食は節制していましたし、何より運動量を増やしていました。

 急激な体重増加は健康に悪影響ですからね!』


 えへん、と胸を張る義弟の言葉を聞いて視界が暗転する寸前だ。

 確かに――

 お菓子を作って味見と称していくつも口にしてきた。その間、決して節制しようなどという意識は無かったわけで。


 慢心していたのだと思う。

 ゲームの登場人物なら、暴飲暴食をしても決して体型が変わることはないだろうと!


 だが思い返せば、夏休みのバカンスでリタは”体重が増えた”と言っていた。

 カタログスペック通り、寸分違わず三年間生活するなど不可能だ、時に体重や身長に変化があってしかるべき。


 三つ子の髪型だってそうだ。

 肩口で切り揃えたふわふわの栗色の髪だが、肩を越えるくらい長くなる時も勿論あった。

 髪は時期によって長短が変わるが、一々それをゲーム上反映していないというだけの話だ。


 自分達はこの世界を現実として生きている。

 髪も伸びるし爪も伸びる、設定上の姿から逸脱しない程度に変化を繰り返す。

 

 ただ、設定に寄せている自分達の容姿に大きな変化はないと。今まで勝手に思い込んでいただけだ。

 既にこの世界はカサンドラの知らない世界、本来あるべきシナリオが破棄されている状態だ。


 もしかして。

 際限なく、設定を無視して、ぼよんぼよんに太るということも………!?


 自然の摂理に従えば、過剰にカロリーを摂取すれば太るのは自明の理。


 一気に血の気が引いた。

 いけない。

 このまま王子のためのお菓子作りにあわせて味見を続けていては……見るに堪えないカサンドラおでぶドラになってしまう。

 もはや”外見設定”と言うセーフティネットはない、このままでは大変なことになる。


 痩せなければ……。

 王子にシュークリームを作るという話になっていたが、申し訳ないがその話は一旦保留にせざるを得ない。断腸の思いだ。



 太れないという理由がカサンドラには存在する。

 それは卒業パーティが近いという事だ。


 役員は舞踏会に参加しないが、当然スタッフとして円滑に進行できるよう場をとりしきる予定で進んでいる。

 ……女子役員は慣例上はカクテルドレスで、しかもマーメイドライン型。


 完全に身体の線を誤魔化しようのないシンプルなワンピースを着るというのに、まさかパツンパツンで見苦しい体型で臨むわけにはいかない……! 既に用意させたドレスが填まらないなど、とんでもない話だ。


 ダイエットが急務、エマージェンシーコールが脳内に鳴り響く。

 抜き差しならない事情を前に、カサンドラは本を読む気にもなれず一人悶々と机の上で考え事をしていた。


 食事を減らしてもらうべきか?

 いやいや、瘦せようと思えば運動しなければ……





「カサンドラ様、おはようございまーす。

 どうしたんです? 難しい顔をして」


 既に王子達も登校済みだ。

 教室の前方は相変わらず煌びやかで大勢の生徒達が集っている、全くの別世界状態。

 後ろの扉から入って来た三つ子の一人、リタがぎょっとした顔で眉間に皺を寄せる考え込むカサンドラに声を掛けて来た。

 そんなに殺気立った雰囲気を醸し出していたつもりはないが、リナもリゼも目を丸くしてカサンドラをリタの背後から覗き込む。


「い、いえ。

 大したことではないのですが……」


「私達に言える事なら何でも話してくださいね!

 お手伝いさせてください」


 リタはぐっと力こぶを作る仕草で笑いかけてくる。


 以前彼女達に盛大に気を遣わせてしまった事を考えると、黙せば余計な憶測を呼んでしまうのだろうか……

 そんな不安が胸中に去来した。


「え、ええと……。

 その、ここしばらくお菓子の食べ過ぎで……体重が………増えてしまったので……」


 ダイエットを考えています、と。

 ごにょごにょと語尾を窄めてカサンドラは俯いた。別に恋愛関係のトラブルではないとはいえ、これはこれで恥ずかしい。

 迂闊なことを言ってしまったと思ったが、心配そうにこちらを伺う視線、その呵責に耐えられなかったのだ。 


「全然そんな風に見えないですけど」


 リタは掌を大きく開き、口元を覆うようにして驚愕の顔。


「私には以前とお変わりなく見えます」


 リナもおずおずとそんな嬉しい事を言ってくれる。


「そもそもカサンドラ様は多少体重が増えたところで問題ない体型じゃないですか?」


 リゼも頷くが、お世辞を言うタイプでもないので本心からそう思ってくれているのかも知れない。



「皆様の励ましのお言葉感謝します。

 ですが体重計は嘘をつかないと申しますか」



 いくら言葉で「大丈夫」と言われても、現実はスカートがキツい。

 そして体重計は既に残酷な真実を容赦なく告げていたのだ。


 二キロ太った。

 カサンドラにとって未知の領域に突入してしまったのである。



「あ、そうだ。カサンドラ様、ダイエットするなら私も仲間に入れてください!

 一緒に頑張りましょう!」


 リタは臆面もなく、飄々とした明るい表情で手を叩く。


「私も秋に食べ過ぎて増えた体重が全然戻らなくて。

 ここの料理フルコース、美味しすぎるんですよ」


 あははと照れ笑うリタは一見すると全く初見と変わらないように見える。

 だがそれはカサンドラも同じだろう、目に見えないところでついた脂肪の事で悩む乙女の数は星の数ほど存在するはずだ。


 学園で毎日見慣れているから多少の変化に気づきづらいだけで、お互い採点が甘くなっている部分はあるだろうし。


「それでしたら私もご一緒させてください」


 珍しく、決然とした様子で胸に手を当ててリナも一歩前へ進む。

 にこにこおっとりとした普段の彼女とは違い、緊張を感じられる固い表情に本気さがうかがえた。


「カサンドラ様と同じなのです。

 ……お菓子の作り過ぎで……体重が……」


 ううう、と彼女が顔を覆って頬を真っ赤に染める。

 まさしくカサンドラと同じ境遇のリナに、もう少し自制心が働かなければ外聞もなく抱き着いていた事だろう。

 仲間よ……! と。


 そう言えばカサンドラがお菓子作りを始めたきっかけはリナの手作りクッキーが発端である。

 お菓子作りが得意でもきっと何度も練習し、納得のいくものをシリウスにあげたに違いない。


 プレゼントに及ばない出来栄えのお菓子を、こっそり自分の口で始末していたなら――自分と全く同じ状況だ。


「体重を落とすには、やはり食事の量を減らすべきでしょうか」


「カサンドラ様の仰る通り、夕食はいつもの半分くらいの量が良いと思います」


「いやー、食事の量を減らすのもいいけど、やっぱり走らないと!

 体重ってすぐに戻るんじゃ?」


 真剣な表情で議論を続ける自分達を、少し離れたところで引きつった表情で眺めるのはリゼだ。

 彼女は全く話に入ってくることもなく、全くの他人事と言った様子である。


「それじゃ、私は自分の席に行くわ」


 踵を返し先に進もうとするリゼの腕をガシッと強く掴んだのはリタだ。

 その顔は迫真の形相だった。


「リゼは!? リゼはダイエットしなくていいの!? なんで!?」


「何でも何も。

 私、毎日身体動かしてるし、食べ過ぎることもないし」


 焦るリタを冷ややかな視線で一瞥し、リゼは肩をひょいと竦めた。

 剣を習い始めて月日も経ち、休日まで身体を動かしている彼女には”肥える”など無縁の言葉であった。

 非常に健康的だ。

 一年前まで運動音痴の所謂”がり勉”タイプの少女だなんて誰も思わないだろう。


「ぐぬぬ……! とてもリゼの言葉とは思えないけど、確かに……!」


「そうよね、リゼは毎日訓練を重ねて剣術大会でも並み居る男子を抑えて上位に入賞したのだもの。

 私のように怠慢で体重を増やすなんてこと、リゼに限ってはないわ」


 リナはにっこり微笑み、重ねた手を顎の下で横に倒す。

 シリウスのために頑張っていた努力を”怠慢”とは謙遜が過ぎるが、食べた以上はどこかで現状を維持する努力が必要だったことは事実だ。

 胸を張って嘯くアレクの姿が明滅した。


 普段から太らない生活を送っているリゼのことを羨ましいとは思うが、カサンドラはストイックな生活をずっと日常的に続けるなんて難しい。


「それはそうだけど。

 ……リゼって、あれだけ毎日鍛えてるんだし……

 ん? もしかして、腹筋われてるの?」


 急に脈絡のない事を言い出し、ジーーーーッとリゼの腹回りを凝視するリタ。

 完全に内輪モードになってしまっている彼女は、自分のお腹とリゼのお腹を交互に恨めし気に見遣っているではないか。

 とても不穏だ。


「は? 何言ってるの?

 別にそんなのないから、ジロジロ見ないで」


「……本当に~?

 六つに割れてない?」


「フツーの女子が割れるわけないでしょ、馬鹿!」


「――女戦士アマゾネスばりに剣を振るってるのに、割れてない方がおかしくない?」


 あくまでもリタは真顔だ。

 余程、体型維持している三つ子の姉が羨ましいのか、何かに突っかかりたくなったのか。

 リゼは開いた口が塞がらないといった様子で、頭を抱えている。


 どうやらカサンドラと同じく、彼女達もすっかり平和な毎日を楽しみ享受しているようだ。

 体重が増えたなんてことで悩んだり、ここまで姦しいのがその証拠ではないだろうか。



 リタの好奇心も一理ある。


 リゼは細身な少女だ。剣を振って果敢に戦うような外見ではない。

 一体どういう理屈で彼女が”強さ”を発揮しているのか、本当に見えないところで筋骨隆々になってしまったのか。

 全く気にならないかと言われれば、嘘になる。見てみたいと思わなくもない。


「じゃあちょっとだけ見せて。

 私も頑張ってトレーニングして、リゼみたいに体型維持できるように頑張るから!」


 どういう理屈だ。


「……嫌に決まってるでしょ! こら、制服を引っ張らないで!」


「いいじゃない、減るものじゃないし。

 ちょっと見せて」



「もう、二人とも……

 カサンドラ様、申し訳ありません。騒々しくて」



 やはり同じ時に生まれ、長年ずっと一緒にいた三つ子だ。家でも寮の部屋でも、仲良しなのだということが良く分かる。

 困った表情で二人のやりとりを見守るリナ。



 まぁ教室内は三つ子以上に騒々しい団体様が教室前に居並んでいる。

 少々騒いだところで生徒達の視線がこちらに向かうこともないのだろうが……





 あっ。




 ………。



 早くこの騒動が終わらないかな、と。

 カサンドラは視線を横に逸らしたまま、俯いた。



 前の席から、ジェイクの視線の圧を感じる。

 怖いもの見たさでちらっと彼の姿を視界に入れると、行儀悪く机の上に腰を乗せた彼がこちらをジーッと見ているではないか。

 



 正確にはリゼを、だが。



 ――彼女をガン見してる瞬間を目撃してしまい、カサンドラは再度視線を逸らしたのである。






   そんなに腹が見たいのか、と心の中で突っ込みながら。







 ※








 思いもよらないところでダイエット仲間を見つけることが出来たカサンドラ。


 しかし残念な事に、この減量が成功するまで王子に約束したお菓子を渡すことは出来なくなってしまった。

 流石に作るだけで作りっぱなしなど厨房の料理人達も呆れるだろうし、王子に渡すお菓子の味は自分でも確認したい。


 折角、今日は王子と一緒の選択講義を『偶然にも』選び、折角だからと共に帰宅するというシチュエーションだというのに。



「申し訳ありません王子。

 そのような事情で、時期を改めても宜しいでしょうか。

 ……安易に了承してしまったことお詫びします」


 シュークリームを渡したいと言ったのに、お菓子の摂取し過ぎという理由で早々にプレゼントすることが困難になってしまった。


 それはカサンドラにとって苦渋の決断だ。

 自分の体重が増えてしまった事を王子に言うなんて恥以外の何だというのだ。可能であれば伏せておきたいに決まっている。


 だが手作りのお菓子にチャレンジする、と既に約束してしまった。


 王子は顔に出さないまでも、今か今かと待ってくれているのかも知れない。


 素知らぬ風で過ごしたり、嘘をついて出来ない理由を誤魔化すのは嫌だった。

 ここまでくれば正直に、シュークリームを現状上手く作成できないから習得中だ、と己の未熟さも告白した方が良いと思ったのだ。

 不出来な自分の話を、折角訪れた王子との下校チャンスに話すことになったのは痛恨の極みである。


「いや、良いんだよ。

 私も無理難題を言ってしまったようで申し訳ない」


 王子はカサンドラの話に若干驚いた様子だ。いきなり「節制しようとしている」なんて聞かされても彼も反応に困るだろう。


 だが彼は動じることなく、にこりと微笑み首を静かに横に振った。


「必ずや、王子のお眼鏡に適うお品をご用意いたします。

 今しばらくお時間を頂戴したいのです」


「ありがとう。楽しみに待っているよ。

 ……でも……

 私には――君が努力して減量しようとする意味が分からないのだけど。

 全く以前と変わりない姿にしか見えないよ」


「……恐縮です。

 ですが、数字は残酷ですから」


 男性にはいくら言っても、体重計に示されるあの数字の恐怖は分かってもらえないのだろう。

 しばらく乗っていなかった後、恐る恐る片足を乗せて喉を鳴らし、えいやと全体重をかける緊張の瞬間を……!


「何故、痩せたいのかな。

 今のままで十分魅力的なのに」


 篤実な表情。

 真面目で、真剣に断定する彼の言葉に顔が一気に熱くなる。


「ええと……その。

 王子の隣に立てるというのに、自己管理が出来ていない姿では憚られます……」


 変わらない、と言えば王子その人だ。

 どこからどう見ても完璧なスタイル、神の作り出した芸術品としか思えない容姿。

 なまじの美人よりも美しい美形の彼に、締まりのない状態で立つのは何かの罰を受けているにも等しい。


 せめて彼に相応しい女性でいるための努力をしたいのだ。



「そんなに君が気にするなら――私が体重を増やせばいいのでは?」





 彼の良い事を思いついたと言わんばかりの満面の笑みからの提案に、ポンっとカサンドラの頭がはじけ飛ぶ寸前だ。



 太る!?

 王子が!?

 自分のせいで!?







  「おやめください! 後生ですから、王子……!」






 より一層、痩せなければ……! という決意を胸に、カサンドラは彼を何とか説得することに尽力したのである。


 王子の発言に、赤くなったり青くなったり。

 心がとても忙しい。

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