第344話 <リタ>


 アルバイト先の劇場に辿り着いたリタは、大変驚くべき事態に遭遇していた。




 ※



 毎週日曜日、シャルローグ劇団の大道具役として働いているリタである。

 すっかり慣れた職場で、『ニルヴェの大河』という演目の初公演からずっと内容の同じ劇の裏で走り回っていた。


 そろそろこの劇も最終幕、一度公演を辞めて地方巡業の旅に出る日が近づいているらしい。その間にも新しい脚本の準備に入り、役決めなどで忙しくなるそうだ。


 劇団巡業後、再びこの王都に戻ってくるのは半年以上先の予定らしい。今回は国外に出ないので、結構早く戻って来られるとシェリーは言っていたけれど。

 彼女達としばらく会えなくなる上、リタは失業してしまう。由々しき事態だ。


 次なるアルバイト先を探さなければいけないのだが、とにかく今は最後までこの演目に全力で関わりたいという気持ちが強かった。




  あと二回かぁ……



 丁度学年末試験が始まる前に、劇が終わる。

 しんみりと物思いに耽りつつ、「おはようございまーす」と劇場に顔を出したリタは、信じられないお願いをされたのだ。

 それまでの情緒全てを吹き飛ばし、ぶち壊すような依頼だ。



「私が代役ー!?」


 はぁ!?

 と、手に持っていた鞄を落としてリタは素っ頓狂な声を上げた。

 自分の顔を自分で指差し、驚きの余り仰け反る。


「そう、申し訳ないけど……

 侍女役の子が今日お休みなの」


 シェリーは手をすり合わせるように、リタに再度お願いを突きつける。

 流石に劇の舞台に上がれ、というのは想定外の出来事。

 何の指導も練習もしていない素人に任せて、劇の進行に支障が出たらどうするのだ。


「チョイ役だったら、他に代役候補なんていくらでもいるでしょ?」


 何も正規の団員ではない自分が代役をすることはないのではないか。

 リタの抗議を受け、シェリーは美しい顔を曇らせて悲しそうに話す。


「――リタ。これは彼女からのお願いなのよ」


 有名なシャルローグ劇団に入り、そして端役でも舞台の上に立つことが出来るのは演者の誉れである。

 役者を志したシェリーが早々に諦め、裏方に所属することになったのも厳しい競争もそうだが”才能”という無慈悲な現実があること。

 そして……運も成功へ大きな割合を占めるという。


 数少ないチャンスをいかにしてモノにして、認められていくのか。

 例えば、急に巡って来た代役がそれにあたるだろう。


 役者は絶対に、自分の役に穴を開けない。

 もしも自分の代替に入った役者が好演し、上の人間に認められたら……次に来た時にはその役を譲らざるを得なくなる。


 そうシェリーはリタに訴えてきて、心が揺らぐ。

 正規の役員ではないけれど、多くの演者とは顔見知りの仲で――今日欠勤した演者のことも良く知っていたから。


「私も体調不良などの自己管理不足で穴を開けるというのなら、こんなお願いは聞けない。

 でもね。

 彼女は昨日、不運な事故に巻き込まれてしまったの」


 シェリーは腕組みをしたまま、ぎゅっと反対腕の肘を掴む。

 その表情は苦々しいを通り越し、憤りさえ孕んでいる。


「以前のシェリーさんみたいにですか?」


 彼女との最初の出会いを思い出し、リタはそう訊いた。

 親切心が仇になって、自分が怪我をしてしまった事はかなり不運な事故だったと思う。そのせいで自分の出番が奪われる――というのは理不尽な話と言えるだろう。


「……。そんなものかしら……」


 頷くシェリーの真剣な顔に「嫌だ」とは言いづらい。

 そして幸か不幸か、彼女の役は誰にでも出来そうな端役であることは間違いない。

 劇の最初、主役の一人である王女に仕える侍女。

 冒頭こそ台詞は多いが、舞台が隣国に移れば出番も最後の方までなく――役が終わった後しばらく、裏方の作業も手伝えるだろうし。


 裏方として携わって来た、思い入れの深い劇だ。

 元になった話は題名しか知らなかったけれど、もうすっかり台詞も演者の動きも覚えてしまった。


 彼女と同じように動けと言われたら何とか出来なくも無い気がする。

 自信なんかないけれど。


「本当に私で良いんですか?

 もしも大きな失敗をしてしまったら、彼女に迷惑がかかるんですよ?」


「……引き受けてくれるの!? ありがとう。

 私としても他の子にお願いするのが一番なのは分かってるのよ。

 でも、それじゃああんまりだと思って」


「意外と優しいんですねー、シェリーさん」


 仕事に対しては私情を抜きにするような人だと思っていたのだが。

 自分と同じように悲惨なトラブルに巻き込まれた仲間の事を捨て置けないのは彼女が優しいからなのだろう。


 引き受けてしまったものはしょうがない。


 仮にリタが無難にやりこなしても、奇跡的に素晴らしい演技が出来たとしても。

 もう自分はこの劇団のアルバイトを辞めることになっているのだ、劇団自体が巡業に出てしまうから。

 代役を頼んだ彼女には痛手にはならないし、今日の公演に穴を開けることもない――

 かなりのギャンブルだと思うのだけど、本当にそれでいいのか甚だ疑問である。


「ということで、午前中は特訓に付き合ってもらうわよ。

 付け焼刃だけど、何もしないよりはマシでしょう。

 ま、もう最終公演間近だし。皆も余裕で貴女をフォローできるでしょ」


「はは……」


 リタは引きつった笑顔を浮かべ、衣装係達に連行された。

 元々の劇団員の背格好はリタに似ており、ウィッグも必要ない。

 衣装のサイズそのまま使用できるおかげで、事前の準備は大変スムーズだった。


 劇が始まってすぐの冒頭シーンだから、今まで一番目にする機会が多かった。

 台本を渡されなくても同じように話して動くことくらいなら出来そうだ。




    緊張する。





「貴女、役者の素質があると思うわ。

 大丈夫大丈夫!」



 一体何をどう見てそう言ったのかわからないけれど。

 シェリーはにっこりと微笑み、リタの肩をポンポンと叩いた。




 

 ※




 ドキドキドキ。



 舞台袖の端っこで、リタは緊張に身体をガチガチに固めていた。

 真っ直ぐ歩けるのか、そもそも足の震えが止まるのか。


 ラルフの偽装婚約者として大勢のお嬢様の前でダンスまで踊れたのだから、きっと端役の演技くらいは何とかこなせるのではないか。

 シェリーに乗せられ、自分を過信していたのかもしれない。


 誰かの前でお芝居――しかも、一流と呼ばれる演劇を見るためにお金持ちのご家族が席を埋めている大劇場!

 裏方をするときには感じる事の無かった観客、その存在感に今更ながら頭がどうにかなりそうだ。

 真っ暗な劇場。

 もうすぐ定刻になり舞台の緞帳が上がってしまう。


 時間は止まってはくれない。

 何度も頭の中で台詞を繰り返し呟いたところで、ステージの中央で大勢の視線を浴びながら堂々と台詞が言えるのだろうか。


 やはり付け焼刃の素人には無理だ、とチラチラと背後に視線を送る。

 だがシェリーも化粧師のお姉さんも二人とも手をグーの形にして声なき応援を送ってくれる……。



 駄目だ。



 彼女達は劇団に所属して長いから、演劇に対する感覚がマヒし、ハードルが下がりまくっているものと推測される。



 せめて緊張が解ければいいのに。

 大勢のお客さんの頭をじゃがいもやカボチャに見立てると良いとどこかで聞いたが、そこまで意識を持っていけないような気がする。


 緊張で喉がカラカラだ。


 ――舞台背景の説明が終わった後は、ヒロインであるシグリア王女の部屋が舞台になる。

 お転婆な王女に振り回される侍女の役だ。


 ここで王女がどんな性格なのか、という印象付けを行う大切な導入である。

 自分は侍女役なのだから目立つ必要はない、むしろ目立っては駄目だ。

 灯りは全てヒロインを追うのだから、変に悪目立ちしては最悪。だがあまりにもわざとらしかったり棒読みの演技も駄目。

 いつも役をこなしていた彼女の仕草を思い出し、それを真似て再現しなければならない。


 特別な解釈など要らない。

 ただ王女に付き従い、振り回される侍女……


 小奇麗な衣装、爪先まで伸びる巻きスカート姿は当時の歴史を再現しているらしいが、非常に歩きづらい。

 こけやしないかと冷や汗が止まらない。


 落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 


 ああ、もうすぐ幕が上がる――……



 すると定刻きっかりに上階から音楽が鳴り響いた。

 もはや耳に馴染み、聞きなれた曲である。

 物悲しくも美しいピアノの旋律。

 ピアノソロから始まり、徐々に楽器が足されてナレーションをより壮大なものへと押し上げていく。



 だがピアノの数節を聞いただけで、二階の演奏席にラルフがいるのだと分かってしまった。

 目の良さや耳の良さには自信がある。

 この状況では視覚は当てにならないが聴覚は頼りにして良いだろう。



 彼が同じ空間にいてくれるのだと思うと、他の観客は有象無象のどうでもいい置物にしか思えなくなる。

 二階でピアノを弾いている彼が自分の演技を見ることは出来ないけれど、代役をリタに頼んだ少女のためではなく。

 劇団の評判のためではなく。



 ――彼の演奏に耐える『役者』でいたいと思えた。








『まぁ、王女殿下。そのような格好で――一体どちらへ行かれるのでしょう?』

 



 自然と声が喉をく。


 自分ではない、他の誰かの声のようだと自分でも思った。






 ※







「はぁぁぁぁ、終わったぁぁぁ」




 最後の最後、仕える姫の無残な死を伝えられて慟哭するシーンは大変難しかったが、ほぼ人数合わせの頭数揃えに過ぎないので一番端っこで顔を覆うだけで良い。

 悲恋の物語なのでラストは悲壮感溢れ、哀しみの余韻を残したものになってしまう。



 何度この劇を横から観ても、泣き崩れるヒーローの演技の上手さにはぞくぞくする。

 それが舞台の上で実際に嘆く演技をする姿に触れられるのだから――これぞまさに役得だ。



 無事に劇は終わり、幕は下りる。

 本当に生きた心地のしない三時間であった。





「お疲れ様~、ハイ、お水。」


 ふらふらの足取りのリタを手招きし、シェリーがひんやりと冷えたグラスを差し出してくれる。

 遠慮なくそれを奪取し、腰に手を当ててぐいっと一気にあおった。



「ホント無茶言わないでくださいよ」


「ふふ。出来れば次もお願いね?」


 しれっとした表情で何ということを言うのだ、このお姉さんは。


「えっ」


 リタも再度口元を引きつらせたが、委細構わない様子で彼女も上機嫌だった。

 一応、自分のチョイ役ぶりは彼女にとって合格ラインだったのだろう。

 ここで罵倒されたら最悪だ、文句を言われないだけマシと思おう。


 これ以上控室に留まっていたら、これ以上どんな無理難題を吹っ掛けられるか分かったものではない。


 着替えを素早く終え、今日の急な代役の事で裏方仲間から大いに冷やかされつつ。

 リタは劇場の門の前までとことこ歩き、両手をぐぐっと空に掲げて大きな伸びをする。


 陽の沈みかけた黄昏は、あと一時間もしない内に藍色の闇へと色を変えるだろう。

 寒くはないがお腹は空いた。

 早く寮に帰らなければ。





「――リタ嬢」



 走って帰るかと爪先でトントンと地面を蹴っていたリタは、後ろから呼び止められて動きを止める。

 振り返る必要もないくらい、そこに誰がいるのか分かってしまって現在頭の中が大混乱中だ。


「君は帰宅が早いね」


 まさか自分がまだ控室にいると思って、探していたのだろうか。

 ヒュッと息を飲み、リタは両手をわたわたと動かす。


「ラルフ様! すみません、あの、緊張でお腹が空いて……!」


 あまりにも慌て過ぎて正直に言い過ぎた。

 違う、そんなことを言いたいのではない。


 今日は彼が演奏席にいてくれたおかげで、最初の緊張を解くことが出来た。

 誰が弾いても同じ曲だなんて口が裂けても言えない、彼の奏でる曲だけは正確にリタには聞き分けることが出来てしまう。

 いつの間にか、耳の構造がそんな風に進化を遂げていたのだ。


「そうか、それなら丁度良かった」


 くるっと彼の方を向き、どういうことかと問おうとした。

 だが振り返った次の瞬間、視界が真っ赤に染まる。


 夕焼けの色とは全然違う、深紅だ。


 そして一拍置いて漂う馨しい花の香り。


「初舞台おめでとう。

 ……代役とは思えない堂に入ったものだったね」


「ら、ラルフ様、これは一体」


 驚き戸惑うままのリタを正面から襲ってきたのは、赤い花束だった。

 一抱えの綺麗な花を手渡され、リタは条件反射で受け取ってしまったのだけど。

 花を斜めに持ち、ぎゅっと抱えたままリタは疑問符だらけの表情で口を引き結ぶ。


「君が舞台に上がると聞いたから、用意させたものだけど?」


 それが何か? と言わんばかりにラルフが首を傾げる。

 二十本はあろうかという赤い花を、全く躊躇うことなくにこやかに微笑んで渡せるラルフ。現実を理解し、カーッと全身が熱くなった。

 舞台に上がる時よりも激しく、バクバクと鼓動が脈打っている。


「あ…りがとう、ございます。

 嬉しいです」


 殆ど事故、アクシデント。

 本来裏方の自分が大勢の前に出ることなど、本来あってはならないことだ。

 シェリーたっての願いだからこそ引き受けたし、文句を言いそうな他の団員達も認容してくれた。

 断り切れず、舞台に上がったが危うく緊張し過ぎて足も動かせなくなるとことだったのだ。


「ラルフ様がいて下さって、本当に助かりました」


 深々とお辞儀をし、その花束を抱えて帰宅の途に着こうとしたのだが……


「リタ嬢、今日は私が送ろう。

 馬車に乗ってくれないかな」


 しれっとした口調で何を言い出すのかと、唖然と彼の顔を見つめた。

 からかっているわけでも、冗談を言っているわけでもない、彼の真剣な眼差しに気圧され一歩退いた。


「そ、そんな事をしていただかなくても、すぐ帰れます」



「昨日、物騒な事件があったようだからね。

 どうか送らせて欲しい」


「事件って、何ですか?」


 普段平和な街に似つかわしくない単語だ。

 リタは不安そうな顔で、ラルフを見上げる。


 彼は軽く嘆息をついたあと、気が進まないながらも前髪を掻き上げて教えてくれた。



 どうやら昨日街に不審者が現れたらしい。

 二人組の男が女性に乱暴を働こうとしていたところを警邏の兵が見つけ、逃走する彼らを追うも……今に到るまで捕まっていない。

 

 大きな特徴のない人間を捕まえるのは骨が折れる話だろう。

 人混みに紛れて二手に別れてしまえば、簡単に追捕の手が届かなくなってしまう。

 もしかしたら、もう街にはいないかも知れない。


「……被害者はここの劇団員。

 今は騎士団に保護されているそうだ。

 軽症だが怪我を負い、加療中だとも」



 ザーッと顔が青ざめた。

 王都でそんな事件が起こり得るのかという純粋な恐怖に身が竦む。

 それと同時に――


 ここの団員? ……今日この劇場に来ていない団員は一人しかいないはず。

 騎士団に保護されているから公演に穴を開けることになったのか。


 ……事情を知ったシェリーが”不運な事故”と言った理由も頷ける。

 そんな理不尽極まりない理由で今までの努力が無駄になってしまうのは可哀そうだ、という彼女の気持ちがようやくわかった。


「話を聞いた以上、君を一人で帰すのは憚られる。

 ここは大人しく送られてくれないかな?」 


 ラルフの心配そうな視線に、ウッと胸を打たれた。

 彼を振り切って一人で帰るなど、そんなことは話を聞いた以上とても出来る事ではなかった。


「わかりました、わざわざすみません」




 平和な街だと思っていたのに。

 いや、全く安全な場所などあるはずがないか。





 学園内が平和な世界過ぎて、そういえば外の世界は違っていたなと思い知らされる。


 





  ラルフと一緒の馬車に乗れるなんて嬉しい。

  嬉しいけど――この上なく複雑な気持ちだった。


 

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