第341話 できあがり


 カサンドラは自分のお菓子作りのセンスに絶望していた。

 自分の十本の指を恨めし気に睨みつけながら。




 ※




 レンドール家が雇っている料理人達に、王子への贈り物としてクッキーを焼いてみたい。

 そうカサンドラが直々に頼みに行ったところ、既に後片付けの段階に入っていた厨房は大きな衝撃の波に呑まれていた。

 寝耳に水だ、とコック帽を被った男性たちは皆顔を蒼褪めさせ、入り口に佇むカサンドラの周囲をぐるりと取り囲んだ。


『お嬢様、贈り物なら我々がお作りします』


『ご自身でお作りになったとお伝えください』


『カサンドラ様が火傷でもなさったら一大事です』


 口を揃えてカサンドラに進上してくる料理人達。

 彼らの言い分も全く分からないでも無かったが、それではこちらの気が収まらない。

 特に、彼らに代行して作成してもらうなど以ての外だ。

 カサンドラの手作りで無いと、この場合は意味がないものだと思う。


「確かにわたくしは今まで水場に顔を出すことも稀な未経験者。

 ……ですがどのような経験にも”初めて”の機会はあるのです。

 十分に指導を受けるだけの分別を持ったこの歳ですもの、滅多なことなど起こり得ません」


 指導者の言うことを聞かずに暴走したり、余計なことはしないと念を押す。


 ざわざわと騒然とする厨房であったが、カサンドラが洒落や気まぐれで言い出したのではないと分かると料理長も意を決して頷いた。

 そこまで大事おおごとにする必要などないと思うのだけど。


 クッキーならば火加減さえ間違えなければそう失敗するものでもない。

 それに王子への贈り物をしたいというカサンドラの要望を自分達が跳ねのける事は出来ないという判断らしい。


 カサンドラの納得のいく美味しいクッキーが出来るまで、教えを乞うことになったのだ。

 この土日の二日間あれば十分だろう、という想いはあった。

 何せその道のプロ、本職が教えてくれるのだ。


 アレクは物体Xだの失礼な事を好き放題言ってくれたが、焼き加減を一緒に見守ってくれる指導員がいてとんでもない代物など出来るはずがないではないか。

 世の中には触れるもの全ておどろおどろしい物体に変えてしまう特殊能力の持ち主がいるというが……

 多くは物語の中の世界であって、普通に手順通り、オリジナリティを無理に出そうとしなければ美味しく出来るものである。

 レシピとは、カサンドラのような素人のためにある地図だ。

 しかも地図の見方を傍でレクチャーしてくれる監督者がいて、どうして山の中で迷子になることができようか。



 カサンドラは人生で初めてのお菓子作りを心待ちにしながら、その夜は眠りについた。

 王子が喜んで受け取って、『美味しい』と笑顔で言ってくれるシーンを何度も何度も夢想の中で繰り返す。





 だが、カサンドラは自分の能力を過小評価はしていなかったが、間違いなく、過大評価していたのである。





 ※




 アレクの部屋の丸テーブルの中央には、バスケットが置いてある。

 カサンドラの焼き立てのクッキーが、ほかほかと仄かな白い湯気を上げていた。




「――同じです、姉上」


「……。」


 既に三回目だ。

 焼いたクッキーを手に取り、一口噛んだアレクは眉根を寄せて難しい顔をした。


「さっきも言いましたが、本当に『無』なんですよ」


「……。」


 カサンドラは震える両手をテーブルの上に置いたまま、顔を俯けて肩を戦慄かせている。


 義弟の感想は大変辛辣であったが的を得ていた。

 だから言い返すことも出来ず、やるせなさに打ち震える他ない。


 しげしげと物珍しそうに、四角にこんがりと焼けたクッキーを見つめるアレク。



「別に不味くないんです。食べられないわけじゃないんです。

 ――本当に、ただそれだけなんです」


 物凄く大真面目にそう言われたのは、まさに三回目。

 アレクも言葉に困り、うーん、と悩んでいる。


 カサンドラも余りのクッキーを一つ啄んだが、まさしくアレクの言う通りなのだ。


 物凄く下手くそで強烈な外観というわけではない。

 でも食べて美味しい、もう一つ欲しいとは思わない。


 おかしいな、と不思議な想いだ。


 お菓子というのは、人の心を幸せにする力があるはずではないか。

 甘くて、美味しくて、ついもう一つ――と手が進む。


 だというのに、茶化すことも出来ない微妙な出来栄えの品しか用意できない。

 予想外の事態に、カサンドラ本人も戸惑っている。


 カサンドラの焼いたクッキーの何がいけないのだろうか。


「おかしいです……

 教えられたとおり、手順に則っています。

 分量に何一つ余計な手間を加えているわけでもないのに、どうして……?」


 これは全くの誤算だった。


 脳内のイメージでは、プロ並みとは言わずとも美味しいクッキーがいくつも焼け、この調子で王子へ渡すクッキーを仕上げていくはずだったのに。

 デコレーションも凝って、形も整えて……という目論見は完全に外れ、プレーンなクッキーから既にこのざまである。

 カサンドラは頭に被った三角巾を解いて手に握りしめ、ショックでズーンと落ち込んでいた。


「まぁ、姉上は向いてないんでしょうね」


 アレクは肩を竦め、淡々とした口調で話をする。


 同じ材料で同じ器具で、同じ手順。


 それでも、作り手の持つ緩急の”間”や力加減、言葉には出来ないタイミングや感覚。

 センスがある人はそのコツを難なく会得し、美味しいお菓子を作り出すことが出来るものだ。


 だがセンスが皆無な人間の場合、表面上はなぞっているからそれなりの出来栄えに見えるし、決して不味くもないけれど……

 言葉にしがたい、反応に困る作品に仕上がってしまうわけだ。


「絵画だって、同じ絵筆を使って描き方を習っても全く同じような作品を素人は描けませんしね。

 良かったじゃないですか、お菓子作りを必要とする職につくことは今後絶対にないんですから」


 ははは、と苦笑するアレクの声を呆然と聞くカサンドラ。

 確かにアレクの言う通りだ、どんな分野でも向いている人、そうでない人がいるだろう。

 自分はお菓子作りに向いていなかった、それだけの話なのだ。


 実際のところ、王子には「作ってくる」と予め期待を持たせていたわけではない。

 このままなかったことにしても、王子にとっては何の影響もないのだ。


 ……下手に感想に困るようなお菓子を手作りだと渡すくらいなら……


 やっぱり自分らしくないことなどせず、辞めようか。

 そんな諦めの想いに駆られる自分の脳裏に、アイリスの言葉がリフレインする。



 

   王子はカサンドラからの手作りのお菓子が欲しいのでは?



 王子が普段何を望んでいるのか、窺い知ることは困難だ。

 彼の気持ちは分かっても、考えていることまでは話してくれないと分からない。


 第一、王子が自ら「手作りクッキーが欲しい」なんて一言も発していないのだ。

 アイリスの早とちりかもしれないという不安が去来し、大きな動揺が走る。

 差し入れのお菓子を黙々と食べる、という普段とは違うシリウスの様子に呆気に取られて視線を奪われていただけなのかも。

 王子だって甘いものが凄く好きではないようだし。


 ただの迷惑行為なのでは……?

 ――どよんと目が澱む。



「姉上」


「何でしょう」


 初めの勢いはどこへやら、すっかり消沈してしまったカサンドラに義弟は話しかける。

 呆れたような眼差しを添えて。


 ぽっきりとカサンドラの心が折れてしまったことを彼は感じ取ったのだろう。



「姉上は、自分の自尊心を満たすためにプレゼントをしたいのですか?」


「……。

 そういうわけではありません、ですが贈り物をする際の最低限の体裁は必要でしょう」


「はぁぁ……」


 頭が痛いとばかりにアレクは額を掌で押さえる。

 歳に似合わない綺麗な顔、それがこちらを睥睨しているのだから心理的ダメージも大きかった。

 こうしてみると、確かに迫力のある美形は王家の血筋なのだろうなと感心してしまう。


「『王子』にプレゼントするならそうでしょう。

 でも、恋人に渡すのにいちいち見栄を張って、体裁を取り繕えないから止めよう! なんて変じゃないですか?」


「こっ……」


 単刀直入に切り込まれ、カサンドラは言葉を詰まらせる。

 婚約者――という書面上成立している契約関係とはまた違う響きに、一気に気恥ずかしさが増す。


「政略結婚相手に渡すなら体面もありますけどね。

 恋人同士なんですし、ありのままでいいんじゃないですか?」


「……。」


 ありのまま、という単語はカサンドラは苦手だ。


 茫洋としていて捉えどころがない概念であるし、何より本来隠さなければならないはずの『本質』を改めて突きつけられるようでいたままれない。

 何かの才能があるわけでもなく、抜きんでた分野もなく。

 レンドール侯爵家の娘という飾りを取っ払ってしまえば、本当に無価値な人間なのだと思い知らされるようで。



「あのですね。


 ――ありのままって言うのは、見栄を張ったり白鳥のように水面下で努力するのも全部ひっくるめての姉上って事ですよ。

 だからもっと練習して、上手く作れるようになればいいじゃないですか。

 一回目も三回目も味は同じでしたが、次はもう少しマシになってるかもしれませんし。

 ……往生際の悪さ含めての姉上なんですし」


 彼はもしかして励ましてくれているのだろうか。


 ……ありのまま、という言葉は定義がとても難しい。

 安易に使えば、自己評価が高いだけで現実が見えていないという事態にもなってしまう。

 本当の自分はそんなものじゃない、と不出来な自分の箇所にそっぽを向いて目を覆う――そういうのは、確かにカサンドラも苦手だ。


「今のようにコメントに困るくらい微妙な出来のままでも、もう少し上手に焼けるようになっても。

 渡したいから、僕をここまで付き合わせたんでしょう?

 ――渡せばいいんじゃないですか」 


 アイリスの話を聞いて、渡したいと思って、変なものは渡せないから何度も練習して、結局上手くできなかったけど渡したいから渡す。




 いつもの自分だな…… 

 そう思うと、少し前向きになれる気がした。


 下準備や練習、取り繕うだけの足掻きも含めて自分というのなら……

 完璧じゃなくても、彼は喜んでくれるのだろうか。



「ありがとうございます、アレク!

 では四回目に挑戦してきます」




「あ、すみません。次は出来ればチョコかフルーツを沢山入れてくれませんか?

 口の中がパサパサ乾いてしょうがないんですけど」




 勢い余って立ち上がるカサンドラを制止するように、アレクは掌を突き出した。




 もう勘弁、と言いながらも。

 昼食を抜く覚悟で焼いたクッキーを全部食べてくれるアレクにはやはり頭が上がらないカサンドラであった。






 ※





 土曜日、日曜日。

 黙々と同じ作業を繰り返し、同じような感想に困る微妙なクッキーを量産していたカサンドラ。

 休日を丸々潰しても思い描く結果にならなかったことに頭を抱えたくなったが、散々アレクにここまで食べてきてもらったという事実がある。

 流石にやっぱりやめたということも憚られ、週が明けて帰宅後にも練習と称して厨房の一角を借りている。


 最初は遠巻きに緊張感をもって接せられていたのだが、流石に随分慣れてくれたようでカサンドラが厨房に入っても仰け反られることはなくなった。




「………出来、た……?」




 完全に納得できる出来栄えではない。

 形は不格好で、生地を切る時に失敗してハートが欠けた形になったのもある。

 この世界に抜き型が存在しないせいだが、無いものは仕方ない。


 生地を切り抜いている間に固さが緩んでしまっているのが微妙な味わいになる原因かもしれないと、試行錯誤を繰り返しながら何回目か数えるのも億劫な挑戦の末ようやく完成した。




「あ、これ普通に美味しいですね」




 既に味見のし過ぎで本来の美味しいクッキーの味を忘れてしまったなどとうそぶくアレクから初めて”美味しい”の一言をもらうことも出来たのだ。


 一体どうやったら同じような仕上がりになるのかも分からない偶然の産物。

 カサンドラは二枚目に手を出そうとしたアレクの前からバスケットを引いた。


 「ごめんなさい、残りは王子に渡します」ときまり悪い顔で告げる。


 余りにも何度も挑戦するもので、生地の量は毎回少なめ。

 十枚程度しか焼けていないのだ。


 これはアレクの舌を満足させるために続けて来た試食会ではない。

 本当の目的は王子にプレゼントするための味見なのだから。



 丁度良い事に、明日は水曜日だ。

 密閉容器に入れていれば何日か持つと思っていたが、明日渡せるなら可愛い紙袋に入れてラッピングしたものでいいだろう。

 重たい瓶詰容器に入れて渡すよりは処分も簡単だろうし持ち運びやすい。


 良かった良かった、とカサンドラは胸を撫でおろした。



 それはココアの生地とプレーンの生地を組み合わせたごくごく平凡で特筆することもないクッキーである。


 歯触りも悪くなく、口内の水分全てを吸い取るようなパサパサした触感でもない。

 しっかり火も通っているし、余計なものは入れていない。




「アレク、ありがとうございました。

 明日王子にお渡ししてきます!」


 喜んでもらえるといいのだけど、とバスケットの中身を覗き込むカサンドラの表情に緊張が走る。




「たとえ炭化していようが喜んでくれますよ。

 ……むしろ、ちょっと不味いくらいの方が『苦手なのに頑張ってくれた感』があって喜んでくれたかもしれませんね」



 両手を広げて大袈裟に肩を窄め、今までの苦労を水の泡にするような発言をするアレク。

 それはないだろうと抗議しかけたカサンドラだが、ここまで文句も言わずにずっと自分に付き合ってくれたことを思い起こす





 ぐっと堪え、カサンドラは口角を上げて微笑んだ。 




 小生意気な義弟だが根は優しい世話好きな少年であることは、この一年だけでも十分分かっているのだから。


 

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