第340話 変わらぬ関係


 表面上、平和な時が過ぎていく。


 カサンドラと王子の関係性の変化を勘付かれるようなどんな事も起こっていないからだ。


 とりあえずは事情を聞いた以上、父やアレク達との話し合いは必要なのだろうと思う。

 勝手な行動をとるわけにはいかないけれど。


 いつも通り王子を慕っているままの自分で良いと言うのは、ある意味で気が楽だ。

 自分は自分の想いの赴くままいれば、足を引っ張ることもなくなるだろうから。


 逆に、彼の事を嫌いなフリや避けるフリをしろと言われた方が辛い。

 己の感情や本心と裏腹な言動を強いられるのは負担が大きかっただろう。


 王子への気持ちを外見上抑えるのは今までやってきたことだ、大丈夫だろう。

 カサンドラは自信をこめ、力強く頷いていた。



 しかし、はたと自分の現状を思い出して冷や汗が流れる。

 今が役員会前の準備中で、アイリスが隣に立っているということを失念してしまっていた。


「……カサンドラ様。突然、どうかされましたか?」


 案の定、アイリスは大層不思議そうな表情を浮かべてカサンドラを見つめている。

 どの角度から見ても美しい、完全無欠の美女としか言いようのないアイリス。

 外見だけではなく性格も良い、彼女の配慮にはかなり助けられてきた。


 前世のことなど何も知らず、まさしく田舎の地方貴族の令嬢の自分が新生活で不自由しないよう、先んじて自宅に招待してくれ役員活動のことを多く教えてくれた。

 彼女曰く打算があったとのことだが、例えそれがあろうがなかろうが、現実にカサンドラは助かったのだ。

 事前に彼女から書記の業務の引継ぎを終えていたから、うろたえることなく会議に臨むことが出来た。

 懇切丁寧に時間をとって話をしてくれたのは、もう一年以上前の話だ。


 偽善も突き詰めれば善である。

 彼女は心底、優しい人なのだと思う。


「いえ、何でもありません」


 急に物思いに耽り大きく頷いたカサンドラの様子を不審そうに見られてもしょうがない。

 ぼーっとしていた自分の事を思い出し、気恥ずかしくてカサンドラは首を横に振った。

 これから王子と会えるのだと思うと心が浮き立ってしまったが、気が緩んでいるなと自分を戒める。


 アイリスはもう一度首を傾げた後、白い陶器のカップを人数分、台の上に並べ始めた。

 シンと静まり返った室内に、陶器の擦れる音だけが響く。


「――そう言えば、先日見慣れない光景を目撃しました」


 彼女はこちらの醸し出す気まずさを察したのか、それを上書きするように話を振って来てくれた。

 相変わらず細やかな心遣いが出来る人だな、と彼女の横顔を眺めているカサンドラ。


 第一、アイリスにとって見慣れない光景、という言葉だけで興味がわく。

 この良家の子女が集い通う王立学園、しかも行動圏内に殆ど変化がないだろうアイリスをして見慣れない光景……?

 なかなか想像もつかず、彼女の言葉の続きを待つことにした。


「先日のお昼休憩、用事があって生徒会室に行きました。

 中に入ると王子とシリウス様がいらしたのですが……」


「お二人ともお忙しそうにされていますよね」


 カサンドラもうんうん、と強く頷く。

 王子やシリウスの事情は脇に置いておくとしても、来月の卒業パーティに向けた準備に役員が奔走しているのは間違いない事実だ。

 そういえば、国王陛下の卒業パーティの賓客参加の申請中だとか。

 まさか王様が出席しないなんて事はないと思うが、過去には大きな外交問題が起こって国王が不参加だった年もあったとどこかで見た。

 流石にそんなハプニングは起こらないはずだが。


「ええ、お二人で難しい顔で手元の資料に目を通されていました」


 簡単に想像が出来る光景だ。

 むしろ見慣れ過ぎてしまった姿では?


「私が驚いたのは、シリウス様がお菓子を召し上がっていたことなのです。

 それも……可愛らしい形のクッキーだったのですよ。

 パッと見た限りでは、兎の形でした」


 それは確かに驚く。


 カサンドラも思わず手元の動きを止めて首を傾げ、視線を天井に向け斜め上を見上げてしまった。

 彼が可愛らしいお菓子を抓んでいる姿など到底想像もつかない。


「思わずシリウス様に美味しそうですね、とお声をかけてしまって」


 流石アイリス。

 普段控えめな態度で大勢の前で主張することはないけれど、シリウスにも臆することなく面と向かってそんな声をかけられるとは恐れ入る。

 カサンドラなら驚愕しつつも後で何だったのだろうとモヤモヤしているところだ。


 彼も相手がアイリスでは不機嫌な態度で無視とはいくまい。


「クラスメイトの方の差し入れだと仰っていました」


「まぁ」


 恐らくそうだろうな、と思っていたが簡単にイメージ出来てようやく違和感が消え去った。


「心当たりがあります、クラスにとても料理がお上手な方がいますから。

 シリウス様も御懇意にされていらっしゃるようですし」


 リナからのプレゼントなら、彼も受け取らないわけがない。

 彼らが一緒にいる姿をあまり見かけたことはないけれど、カサンドラと王子が彼の目に出来るだけ届かないところで会ってきたように。

 彼女達も同じように、カサンドラの関与しないところで楽しい時を過ごしているのだろうから。


 ふふ、とアイリスは意味深長な笑みを零す。


「見慣れない光景――というのは続きがあります」


「アイリス様?」


「実は王子がとても羨ましそうに、何度もそのお菓子を見ていたのです。

 最初はお菓子が欲しいだけなのかと思いましたが……

 他の方への差し入れを欲しがるような方ではありませんよね」


 脳内で再現されたその光景は、確かにアイリスが見慣れないと言ってもおかしくないものであった。

 無表情でポリポリと、甘いものがそんなに好きではないシリウスが恐らくリナからの贈り物を抓んでいる姿。

 そして彼の傍で机に向かって資料でも確認しながら、チラチラとその様子を物言いたげに見遣る王子の姿。


 そんなにリナのクッキーが欲しかったのか?

 と一瞬考えたが、アイリスの言う通り他人のプレゼントを物欲しく思うような人ではない。


「カサンドラ様、王子はカサンドラ様にも同じように贈って欲しいと思っているのではないでしょうか」


 予想外の着地点にカサンドラは思わず前のめりに腰を折る。

 危うく台の上に強かに額を打ち付けてしまうすんでのところで、腹筋に力を込めて耐え忍ぶ。


「ま、まさか、アイリス様。

 王子に素人の手作りお菓子など、受け取ってもらえるとは思えません」


「あら、私もレオンハルト様にも何度か手作りケーキを振る舞ったことがありますわ?

 勿論本職の出来栄えには遠く及びませんが、気持ちが嬉しいと喜んでいただきました。

 恐らく王子も同じようにお考えなのではないでしょうか」






  ……手作りクッキー……だと……?




 ほほほ、と誤魔化し笑いを浮かべるカサンドラ。


 入学したての頃、リナにクッキーを贈った事を思い出していた。


 もしも自分にお菓子作りの才能があったら、わざわざ屋敷の料理人に作らせず自分で焼いて渡していただろう。


 カサンドラは菓子作りは素人だ。

 やろうと思った事は一度もない、女主人が水場に入って手を動かすなんて普通はしないからだ。


 アイリスは本人の趣味でケーキを焼いたのだろうが、生憎カサンドラはそんな女の子らしい趣味など持っていないのだ。

 食べる事は出来ても、あんな簡素な材料からお菓子を作るなどもはや魔法の領域だと思っている。


 ……前世のことを思い出す。


 不器用な自分。

 現代日本という恵まれた環境に育ち、文明の利器の恩恵をこれでもかと受けていた。


 でもプリンを蒸せば全く固まらないか、が入る!

 ケーキを焼けばスポンジが膨らまない!

 シュークリームなど論外!

 失敗するのが難しいシフォンケーキさえも固くてぼそぼそした出来栄え!


 ……クッキーくらいなら何とかなったが、ここは文明レベルが前世レベルに到達していない世界。

 こんがりとした焼き色を確認できるような自動オーブンもなければ、混ぜて焼くだけでそれなりの味になる便利な魔法のクッキーの粉も存在しない。


 何せ未知の領域過ぎて、手順さえ前世の自分の知識が通用する自信がない。

 そんな自分に、手作りお菓子……?


 普段一流料理人達が丹精込めて手間暇かけて作ったデザートを毎日食している王子に……?


 考えただけで立ち眩みが起きそうだ。



「カサンドラ様からの贈り物なら、きっと王子も喜んで下さると思いますよ」


 キラキラと光り輝く笑顔、慈愛に満ちたアイリスの言葉に目を覆いたくなった。

 アイリスとしては完全な善意、アドバイスを思いついたから教えてくれただけだ。


 本来彼らのやりとりを吹聴するような女性ではない。





 ……。


 喜んでくれるのだろうか。






  王子の笑顔が頭の中にポンっと浮かんだ。





 お菓子ならば後に残るものではない。消えものだ。

 渡すくらいなら……いい、のかなぁ?




 シリウスの差し入れを興味深そうに何度も見ていたなんて聞くと、何だかこちらまでそわそわしてしまう。

 

 

 心底どうでもいい苦手な異性から手作りのお菓子なんてもらっても対処に困るのは、想像に容易いだろう。

 でも今はカサンドラは彼の気持ちが分かっているのだ。



 普段一緒にいる時間が長いわけでもない、休みの日にどこかへ行く機会が多いわけでもない。

 ……今まで通りとは言ったけれど、こちらからプレゼントをするくらいならいいんじゃないか。


 生徒会室に続々と入室してくる面々の中に王子の姿を見つけ、カサンドラは肚を括った。 





 何より、カサンドラだって王子に喜んでもらいたいのだ。





 ※





 役員会議が終わり、帰宅早々カサンドラは義弟のアレクに特攻する。

 今までずっと王子の事を相談し、協力してくれた彼。


 実は王子の亡くなったはずの弟だという事実を知った時は驚天動地としか言いようが無かった。

 全く想像もしたことがない彼の素性に動転したものである。


 考えてみれば、あの父がいくら優秀とは言えカサンドラが聞いたことが無いような遠縁の子どもを養子に、しかも後継ぎなんて相当なギャンブルだ。


 ……父の考えは父に聞かねば分からない。

 だが、カサンドラがどちらに転んでも良いように布石を打ったのだろうと後になって分かってくる。


 もしもカサンドラと王子の婚約が白紙になった時、カサンドラは侯爵家の一人娘だから慣例上侯爵家を継ぐことになるはずだ。

 王家との婚約が破談になったことで、父クラウスが望む有望な結婚相手が二の足を踏み、カサンドラの伴侶に適当な相手が見つからないかも知れない。

 その場合、アレクと言うクラウスも「後継ぎにしても良い」と思えるくらい有能な義弟をカサンドラにあてがえばいいと考えていたのだろうし。


 また、カサンドラが王家の事情を知ってもなおその場にとどまり続け王子の役に立ちたいと希望した時。

 レンドール家の後継ぎと言う立場のアレクは、間違いなくカサンドラを見捨てることなく後見し切り捨てることはない――安心感がある。

 もしも王家や王子の事情を知らない適当な血縁者がレンドールを継ぐことになったら、自分が王宮内で孤立しかけた際に「御三家に裏で牽制され、彼らの顔色を窺って見捨てる」という選択をするかもしれない。


 それはカサンドラのためにならないと、絶対に味方でいてくれるアレクを後継ぎに擁立したわけだ。

 父だっていつまでも現役当主ではない。

 生きている以上、誰だって明日も来年も十年先も安泰かなんて確約は出来ないのだ。


 念には念を入れようと言うクラウスの行動に、カサンドラも戸惑いを隠せなかった。

 言葉で言われなくても、十分伝わってくる。


 常に機嫌が悪そうで、地顔が怒り顔と言われる父の思わぬ側面を垣間見てしまった。

 

 


「……えっ、また僕ですか!?」


 事情を一通り説明し、アレクに協力を申し出る。

 だが彼は自分の顔を指差して肩を跳ね上げ叫んだ。


 だがカサンドラは食い下がる。


「お願いします、協力して下さいアレク!

 是非味見役を……!」


「勘弁してくださいよ!

 いいじゃないですか、初めて作った真っ黒焦げの物体Xだって王子は喜んで食べてくれますよ!?」


 義弟の渾身の抗議を受けても、勢いを一切緩めることなく詰め寄るカサンドラ。


「王子には美味しくできたものを差し上げたいのです!」


「……ええ……?

 僕は良いんですか……?」


 アレクはげんなりとした様子で肩を落とす。

 彼が実はこの国の第二王子だったと知っているのは自分達くらいなものだ。

 だが秘密が明かされたとしても、アレクの立ち位置や振る舞いは変わらない。


 彼はあくまでも、レンドール家に迎えられた養子。

 そしてカサンドラと何年も一緒に過ごしてきた義弟という家族なのだ。


 急に畏まることもない。

 年の割に賢く小生意気な子であることは、全く変わらない。 


 すぐ傍に、同じ街に本当の家族がいるのに決して名乗り出ることなく――会いたいと心を抑えて耐えていたはずだ。

 その上で陰ながらずっとカサンドラに助力してくれた、自制心ある頼りになる少年である。




「失敗作は自分で消費する予定です。

 ですがやはり客観的な意見は必要、アレクならわたくしの想いを考慮して厳しく品評してくれると信じています」



 何でも喜んでくれると言われても、美味しくないものなんて渡せない。

 素直に”美味しい”と喜んでもらいたい、それが乙女心というものだ。



「はぁ……

 姉上って本当に見栄っ張りですよねぇ!」




「見栄などと言わないでください、これは人として当然の心配りです!」





 王子にプレゼントするお菓子の事でああだこうだと言い合う姉弟。

 彼らの姿を見た使用人は、「今日も平和だなぁ」と穏やかな表情で横を通り過ぎて行くのみだ。

 会話の行く末など誰もが分かり切っていることだから。






「ああもう、分かりました!

 姉上の気の済むようにしてください、付き合いますから」




 根負けしたアレクは、大袈裟な溜息とともに白旗を揚げたのである。

 

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