第337話 疑惑


 王子の話を聞き、お互いの気持ちを告白し合うことが出来た。


 カサンドラはかつて味わった事のない幸福感に満たされ、父であるレンドール侯爵へ今までの経緯やお礼などを手紙にしたためたのだ。

 アレクの報告書と一緒に届けてもらおうと、もう一度この二週間の間に経験した一連の事態の流れを確認する。

 父に協力を仰ぐのに、経緯に関して不備や書き落としがないだろうか、と。




「………?」

 


 

 どうしても拭い去れない『違和感』に、気づいてしまった。




 気づいてしまい、寒くもないのに身体が震えた。





 ……そうか。

   王子、貴方は………






  言葉にすることはなくとも、行動が全てを物語る。









 ※





 

 週明けに登校するカサンドラは、清々しい気持ちで廊下を歩いていた。

 先週はずっと鬱々と気が塞ぎ、今まで通りの自分を演じるので精一杯の木偶でくだった。


 周囲の景色全てが褪せて見えた。

 大切だと思っていた時間すべてがどうでもいいと思え、微笑むだけで心を削られたものだ。


 だが今は、そんな不安とは全く無縁な状態である。

 自分の想いが大切な人に届き、相手もそれに応えてくれた。


 心はとても満たされていると言っていい。

 今まで渡すことの出来なかった近況報告を書いた手紙を、王子の机の中にそっとしまう。

 誰もいない早朝の教室で、カサンドラはじっと瞑目し今後の事を考えている。


 まぁ、表立って今すぐにカサンドラが行動を起こさないといけないわけではない。

 むしろ張り切って動き回ったり精力的に活動し、目立つようなことはNG行為だ。


 今まで誰とも徒党を組まず、出来る限りひっそりと存在感を消すような立ち振る舞いを心掛けていた自分。

 急に状況確認だと言わんばかりに他の貴族達に笑顔でコンタクトを取り始めるなど明らかにおかしい。


 いつも通り、いつも通り、と。


 カサンドラは自分に言い聞かせながら、机の上に読みかけの本を広げる事にした。

 今まで読書などしている心境ではなく、黒いインクの文字列を視界に入れても目が滑る状態だ。


 ようやく人心地着けると、栞を挟んだページを開く。


 三つ子達にもらった、ブックカバー。


 クローバーの栞と――黄色い花の押し花が目に留まる。

 二枚の栞を一緒に挟んでいたようだ。


 それらを指の先でそっと撫でる。

 色んな感情が交叉していった。 

 

 この学園で過ごした一年、沢山の思い出はどれも大切な宝物なのだ。





「カサンドラ様、おはようございます」


 久しぶりに周囲の喧騒をものともせずに、本の世界に没頭していたカサンドラに声が掛けられる。

 反射的に顔を上げると、カサンドラの机の周りにリゼ達三つ子が立っていた。

 彼女達は、何故かじーーーっと穴が開くような視線でカサンドラを凝視する。



「おはようございます、皆様。

 あの、わたくしに何か……?」



 三つ子に取り囲まれるような事をした記憶がなく、カサンドラの周囲に疑問符マークばかりが飛び交った。

 栞を挟み、本を閉じる。


 するとそのカサンドラの手を、ぎゅっと握る者がいた。



「……~~ッ! カサンドラ様、元気になったみたいで良かったです!」



 急にリタに手を握りしめられ、カサンドラは肩を大きく跳ねさせた。

 その今にも泣き崩れんばかりの大袈裟な反応は、意識不明の重病人が何日かぶりに意識を取り戻した時のそれである。

 ぎょっとしてしまうのも無理はない。


 困惑し、彼女の姉妹たちに視線を向ける。


「はいはい、分かったから手を離しなさい。

 カサンドラ様も吃驚してるじゃない」


 リゼが彼女の後ろ襟をむんずと掴み、バリバリと引きはがす。

 だがリゼ自身も、何とも言い難い表情。わざと大仰なリアクションで、静かに息を漏らしたのだ。


「カサンドラ様には大変失礼な話ではありますが、カサンドラ様が何を落ち込んでいらっしゃるのかずっと気がかりでしたので……

 勿論、私もリタと同じ気持ちです」


 慈愛に満ち溢れたリナの柔らかい微笑みから繰り出される、とんでもない言葉にカサンドラは唖然とする他なかった。


「わたくしは……」


 別に落ち込んでいなかったというのは、嘘になる。否定しかけて口籠った。

 あのクラス旅行以来、殆ど彼女達と話をしていない。

 気まずさよりも、キラキラ輝いている彼女達が羨ましくて嫉妬しそうな自分が嫌で。

 見たくない自分の醜い部分を直視するのが怖くて、出来る限り避けていたのだ。


「ありがとうございます、もう悩み事は解決いたしました。

 皆様にお気を遣わせてしまい申し訳ありません」


「カサンドラ様の様子がおかしいと言うのは分かったんですが、頼まれてもないのに私達から事情をお聞きするのはどうかと思いまして……

 ……そもそも私達ド平民が出来ることなんかないわけで」


 リゼも歯切れが悪い口調で、そう言い募る。

 限りなく気まずそうだ。

 恐らく、カサンドラに何かあったみたいだから事情を聴こう、元気づけようと言い出したリタを留めたのは彼女なのかもしれない。

 リタは事情を聞いて励ましたいと思うタイプだし、リゼは一々悩みを聞きに行くなど失礼だと気を遣うタイプだろうし。


「カサンドラ様は出来る限り普通に振る舞っていらしたので、私達も何も気づかないままでいた方が良いのかと思ったんです。

 ですが今日は、いつものカサンドラ様が帰ってこられたみたいで……!

 心配事が解消されたとのこと、本当に良かったです」


「まぁ、お気遣いありがとうございます。

 内輪の事での悩みでしたので、そっとしていただけてわたくしも助かりました」


 そんなに感情が顔に出やすいタイプなのだろうか、自分は。

 ……いつも通り振る舞えていると思っていたのはカサンドラだけで、彼女達はこちらの様子がおかしいことにとっくの昔に気づいていたのだ。


 三つ子も困っただろう。

 悩み事が家関係の事だったり、ましてや王子絡みのことであれば口出しは難しい。

 カサンドラから相談に乗ってくれと言わない限り、自分達もいつも通り過ごそうと決めていたようだ。

  

 周囲に気遣わせないため、自分では完璧に何事もなかったかのように行動していたのに。

 その演技は全く大根演技だったのだと分かると、ちょっと恥ずかしい。

 逆にカサンドラの方が気遣われていたなんて主客転倒甚だしいではないか。



 でも、本当にこの段階になってカサンドラが元気になったと言い当てるのだから凄い。

 相当彼女達も自分の事を気にかけ、心配してくれていたのだ。



 ……優しい娘達だな、と改めて思う。


 きっとリタ達からは相当無理をして過ごしていたように見えただろうに、敢えてそっと見守るというのは中々難しいと思う。

 しかも今回に至っては本当にその気遣いに救われた。

 もしも代わる代わる何があったのかと声を掛けられては、カサンドラも今よりずっと疲労困憊していたことだろう。

 率直に、負担だったと思う。


 彼女達のせいではないのに、気を遣わせてしまったと一層自己嫌悪スパイラルで落ち込みぶりはもっと酷くなったに違いない。



「カサンドラ様!」


 もう一度リタが必死の形相でカサンドラに向かって詰め寄ってきた。

 引きはがしたはずのリタがするりと手から逃げ出し、リゼも吃驚である。


「いつもいつもいつも、私達ばっかり相談に乗ってもらってるんです。

 私達に言えるような悩みだったら、いつでも言って下さいね!」

 


「……ありがとうございます、リタさん」



 腹に何かを抱えているわけでも重たい過去を背負っているわけでもない、ただの女の子。

 クラスメイトに恋をする普通の女の子達だ。



 良かった、彼女達とまた笑って過ごせる自分に戻ることが出来て。

 三人の恋愛を心から応援できる、幸せになって欲しいと思える。

 それこそがカサンドラにとっても得難い”幸せ”なのだろうと思う。




 尤も、王子の悪魔化の話がなくなってしまった現状――

 当然それに伴った彼女達の次なる恋愛イベントも消失してしまったことになる。

 要するにシナリオが壊れてしまった。


 果たしてその影響がどうなるかは分からず、本来は結ばれるはずの彼女達が主人公特権を失って結ばれないと言う結末になってしまうかも……



 広義的にはカサンドラのせいとも言えるので、何が何でも彼女達には恋人になってもらわないと後ろめたさだけが残ってしまう。

 シナリオがなくなった以上自分に出来るアドバイスもなくなってしまったわけだが、友人カサンドラとして出来る限りの応援をしていきたいと思う。


 まぁ、シナリオなんかなくても……

 もうすっかり、相手は彼女達の事を気にしている。


 好きになっているのだろうから、きっと特権なんかなくても等身大の彼女達で十分叶う恋だと思う。


 ……確信が持てないことが、罪悪感をチクチク刺激するけれど。





 ※




 午前中の授業が終わり、食堂に向かっている途中だった。 


「よう、カサンドラ」


 すぐ傍から声を掛けられ、再び驚き声をあげる。


 気軽に名を呼んできた男子生徒はジェイクだ。

 王子達と一緒に向かったと思い込んでいたが、どうやら彼だけ別行動の様子。

 なんで自分に話しかけてくるんだろう、と口元が引き攣ってしまった。


「お前、アーサーと喧嘩してたんだろ?」


「……は?」


 緑色の目を点にし、カサンドラは歩みを止めた。

 一体全体、急に何を言い出すのだと胡乱な視線を大柄の青年に向ける。――燃えるような赤い髪、黄昏色の小さいけれど綺麗な双眸。


「あいつも人間だし、気に入らないこと言うこともあるかも知れないけどさ。

 あんまり怒るなよ」


「あ、あの? ジェイク様?」


 彼は何か盛大な勘違いをしているのでは、と慌てた。

 だが喧嘩をしたのかと言われ、全くそういうわけではないと言い切れないのは……


 自分の様子がおかしかったのは王子のせいだろうと彼は勝手に予測し、それが合っていたということ。

 彼が王子とのぎくしゃくした関係に確信をもち、こうしてカサンドラに声を掛けて来た――ジェイクにも思う事があったということだから。


「お前らが不仲だったら俺も出かける機会がなくて困……

 いや、俺も気まずいから! あんまり怒るなよ?」


「……。」


 この期に及んでも彼女リゼと一緒に出歩く機会を狙っていると言う事かと、カサンドラも呆れずにはいられない。




「何はともあれ仲直り出来たんなら良かったな。

 アーサーの奴、ずっと元気なかったからさ。

 ――あいつは思いつめやすい奴だから、あんまり虐めてやるなよ?」



 そう嘆息交じりに言った彼は、軽く手を振って先に食堂へと向かう。



 ……もしかして、実益以外の観点からでもカサンドラの事を心配してくれていたのだろうか。



 自分の悲嘆にくれた内心は、ジェイクさえ誤魔化すことが出来なかったのかと思うとかなりショックなのだけど。

 でも元気になって良かったなと笑って声を掛けてくれた彼は、呆れるくらい普通に良い人なのだ。


 





 ※





 食事が終わって、席を立つ。

 そのまま午後の選択講義の準備に向かおうと思っていると、今度は別の男子生徒から声を掛けられた。

 振り向きざまに、彼の名を口にする。


「――ラルフ様」


 特にカサンドラへの態度も変えるでもなく、以前と変わらない様を貫いていたラルフだが。



「……いや、別に。何でもない」



 視線が噛み合うと、これ見よがしにふいっと視線を逸らされた。

 用事があるから呼び止めて来たのではないかと思ったが、そうではないと?


 ……全く、ジェイクにせよラルフにせよ今日は変だなとカサンドラは不審に思う。



 いや、逆か。



 今までカサンドラの方が、無理をして今まで通りに振る舞っていて。

 それに気づいた人達に心配をされてしまったというだけなのだ。



「ラルフ様。先日は貴重なご助言、ありがとうございました」


 カサンドラは深々と頭を下げた。


 もしもあの日、ラルフに王子の気持ちを教えてもらえなかったら……

 もう一度、真正面から王子にぶつかって話を聞いてみようと思えなかっただろう。

 そんなに嫌なら傍にいない方がいいんだ、と。

 婚約解消の話が進んでいくのを、黙って見届けるしか出来なかった。

 もう完全に王子との縁は切れてしまったものと思い込んでいたに違いない。



「……。

 余計な事を言ったかも知れないとは思ったけれど、どうにも気持ち悪い状態だったから。

 ――その様子だと、誤解は解けたんだろうね」



 やれやれと肩を竦めて、彼は別方向に向かって歩いていく。

 彼の長い金髪は首の後ろでくくられている。まるで馬の尻尾のように、彼が一歩歩く度に揺れる姿を眺めていた。







 ああ……


 やはり、『おかしい』。





 疑念は やがて 確信へと変わる。


 





 ※ 






「一体私に何の用だ」



 辟易とした様子でカサンドラを見据える男子生徒。

 彼は眼鏡の位置を指先で押し上げながら、うんざりとした表情だ。


 選択講義が終わった後、シリウスが真っ先に下校しようとしているところを捕まえた。

 彼と歴史学の講座が同じであったことは偶然だが、その偶然を活かさないという選択肢はない。


「お時間は頂きません。

 少しだけお話させてください」


 用事があると言い捨てたシリウスに、何とか少しだけ、と懇願してようやく数分の時間をゲットすることが出来た。


 講義室内に残っていた生徒が、一人減り、二人減り。

 ……こちらにチラチラと視線を遣りながらも、逃げるようにそそくさと講義室内から去っていく。


 こちらの前を横切る生徒も、シリウスとカサンドラが真剣な表情で何かを話し合っていると見た瞬間、視線も合わせず一目散に足早に去っていく。

 不機嫌そうなシリウスの顔を見、余計なことをして目をつけられてはかなわない。


 カサンドラが呼びだされて叱責を食らっているように見えている可能性さえあった。

 憮然とした表情のシリウスはとてもとっつきづらく、近寄りがたい。

 怖いもの知らずのお嬢様達でさえ、この表情のシリウスに近づかない程度には分別があるものだ。


「まぁ、今日は月曜だ。

 急ぎの用があるわけでもない、少しなら付き合ってやらんでもないが」


「……ありがとうございます」


 カサンドラは緊張で喉がカラカラに乾いているのを自覚し、それが態度に出ないよう腹に力を込めてその場に立つ。



 気が付いてしまったのだ。

 一連の出来事の端緒となった、シリウスの行動。

 



「どうした。

 アーサーとの婚約話を解消する決心でもついたのか」




 王子は御三家の当主が、王妃や弟王子を殺したのだと言っていた。

 そして彼らに「大切なものを知れたら奪われる」と恐れていたのだ。

 自分がカサンドラを好きで、大事に想っていることが知られれば――カサンドラの身が危険に陥る。

 だから離れるべきだ、一緒にいられないと。

 婚約解消をしたい、と。



 では何故、ジェイクやラルフは、王子の”気持ち”を知っている?

 正確に言えば――王子がカサンドラの事を「好きだ」「好意を寄せている」と彼ら二人は、演技ではない王子の素の感情を知っているとしか思えない。


 ラルフが王子の本心を看破してカサンドラに助言したように。

 ジェイクだって、自分と王子の護衛として駆り出されたこともあったり一緒に勉強会をしたりと――気持ちを悟られるよう”危うい行動”をとっている。


 王子の二人に対する言動は、『バレてもいい』から?


 ジェイクやラルフにはカサンドラへの好意が伝わったとしても重大なことにはならないと思っていないと、こんな迂闊な事は出来ないだろう。



 では……王子は、何を恐れていたのか?




 何故、シリウスだけ――王子が本当にカサンドラを迷惑がっていると思いこまされ、勘違いしていたのか?





「いいえ、シリウス様。

 わたくしはシリウス様に謝らないといけません」


「謝る……?」


「王子がわたくしのことなど何とも思っていない、むしろ邪魔であると思われている……

 そのような本音を教えて頂き身も心も張り裂けるような想いを味わいました。

 ……非常にショックを受けましたが……シリウス様には感謝しております。

 教えて頂かなければ、わたくしは自分が道化であることさえ気づくことは無かったでしょう」


「……。」




 恐らくシリウスは――

 三家の当主が、自分の親が、王妃たちを死に至らしめた事を知っている。

 少なくとも、王子はそう疑っているのだと思われる。


 率先して親友を疑いたくはないだろう、確信もないのかもしれない。

 でも、王子の行動にはその疑念が表れていると思うのだ。




 思い返せば、王子は確かにシリウスの前では細心の注意を払っていた。


 周囲にカサンドラへの感情ほんねを知られないように演技をしていたと言っていたが、その演技は本当に周囲だけに向けられたものだったのか?



「あの方の本心をお聞きした直後、わたくしは王子との関係を解消したいと確かに考えました。あまりにも辛かったですもの。

 ですが……わたくしは今更王子と婚約を白紙になど出来ません……

 レンドールの家族、そして友人の皆様に何と申し伝えれば良いのですか。


 それにわたくしは、王子にどのように思われていたとしても変わらずお慕いしております。

 皆の好奇の視線に晒されるよりは、王子の前で道化を演じる方が……マシなのです……」



「あんな扱いを受けてもなお、その地位に縋りつくのか。

 お前にはプライドというものがないのだな」




 王子がカサンドラへの好意を知られたくなかった人間。

 それは他の誰でもない、シリウスなのではないか。



 思えば王子はシリウスの前では、いつも彼の目を気にしていたのではないか?



 ジェイクと一緒に登校をしてきた時には、気軽にカサンドラに声を掛ける。

 ラルフにはカサンドラの誕生日プレゼントを相談するなど、明らかに信頼している。

 二人に対しての対応と比べ、あまりにも警戒心が強いと感じた。



 王子はシリウスにだけは知られるわけにはいかないと思っていた、そう考えると辻褄が合う。


 シリウスにだけは『親に押し付けられた婚約者』と見せかけたかったのではないか。


 過剰なまでに、カサンドラのことをシリウスの前で悪し様に言っていたのは……

 シリウスをして「誠意のない奴だ」と思わしめるほど、あんまりな態度をとっていたのは。


 カサンドラの事を好きだと、シリウスに知られたくなかった。

 知られたくなかったから、シリウスの前では本音と称した本音ではない言動を意識していた。



 何故知られたくないか?



 ……シリウスは王家や御三家の事情を正しく把握している。

 自分の親を殺した正確な事情を知っている、要は”御三家側”の人間。

 もしもカサンドラのことが好きだと知られれば、彼を通して情報が”彼ら”に伝わってしまう。

 

 王子はそれを恐れていたのではないか。


 少なくとも、王子はシリウスが何らかの事情を知っていると疑っているのだろう。

 だから殊更慎重に、シリウスの前だけは全力で本音を偽っていたのだ。

 

 あまりにも本音を隠し過ぎたがゆえに、逆にシリウスがカサンドラを憐れんでしまい「王子の本心を聞かせてやる」と、一連の事態を引き起こした。



 カサンドラはそう理解した。

 だっておかしいではないか。



 王子はジェイクの前やラルフの前ではガードが甘い。

 結果、ラルフに本心を感づかれてしまうという失態を犯したのに。


 シリウスの前では頑なに、人の心が無い人間であるかのように振る舞って……思ってもいないことを言っていた。


 カサンドラに対し。完全に気持ちが”無い”と、迷惑だと言い切って。


 もしもシリウスのことをジェイクやラルフのように信用していたら、そこまで過剰に演技をする必要はないじゃないか。


 王子の本心を知った今なら、ハッキリわかる。

 シリウスと二人きり、クローゼットの中に隠れているカサンドラの存在を知らない王子が本当に想いを誤魔化したかった相手は――シリウスなのだ。





「まぁお前が望んで道化ピエロを演じたいというのなら、何も言えん。

 ……好きにしろ」


「シリウス様の温情には大変感謝しております。

 ですが嫌われていようが嗤われていようが致し方ありません、わたくしは王子の婚約者でいたいのです」






 ――一方的に王子を慕う愚かな地方貴族の娘、それを疎ましがる王子という構図。







「シリウス様のお心遣いを感謝していることに変わりはありません。

 王子の本心を教えて下さり、ありがとうございました」


  


 


 仮にカサンドラの懸念が盛大な思い違いで杞憂であったとしても、現状、シリウスにはそう思ってもらっていた方が良いだろう。

 少なくとも彼の目は誤魔化せる。

 王子の意向にも沿うだろう。







 シリウスは肩を竦め、うんざりした顔で――「忠告はしたからな」と独りちた。


 



 

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