第331話 告白


 カサンドラは前回渡すことのなかった王子への手紙を書くため、再びペンをとって机に向かっていた。


 ……もう二度と彼に手紙を書くことはないだろう。


 そう思っていたのに、僅か数日でその予想が覆るとは自分でも驚くべき事態である。


 王子の婚約者として礼儀正しい近況報告をしたためるわけではないし、この迸る想いを文章に何枚も起こして渡すわけでもない。


 手紙に自分の想いを書いて伝えるよりも、彼の前に立って正面から伝えたい。

 だから文面は簡素で、用件のみを書き添える。



 いくらラルフに焚きつけられた形になったとは言え、自分のこの行動アクションが王子にとって迷惑なものかもしれない――そんな不安は付きまとって消えてくれない。


 でももう、カサンドラが失えるものなどありはしない。

 勇気を出して踏み出すまでだ。



 とてもとても大切な話があるから、二人きりで会ってもらえないだろうか。


 いつでも、どこでも構わない。

 彼に自分の気持ちを打ち明けることが出来る最後の機会が欲しい。

 そして可能であれば……





  『アーサーは君の事が好きなんだろう』





 ――あの人と今後も一緒に過ごせる、そんな奇跡を掴むことが出来ないだろうか。

 何かの勘違いや行き違いでこんな話になったのならば……カサンドラは王子のことが好きで。

 彼も同じように思ってくれているなら関係を解消するのはおかしな話だと思う。


 カサンドラの盛大な勘違いで婚約解消を受け入れさせてしまったのなら、平身低頭、誠心誠意謝って提案を撤回したいとさえ思う。



 どちらにせよ、今度はちゃんと王子に自分の想っている事を伝えるべきなのだ。

 ラルフからあんな重大な証言を打ち明けられてしまった後だ、座して眺めるだけではこの先一生モヤモヤと後悔だけが残るだろう。



 この手紙が最後になるか、また継続することになるかは分からない。

 「話すことは何も無い」と拒絶されることは恐ろしいが、どうかこの手紙が王子との話し合いに導いてくれますようにとカサンドラはしっかりと封をした。





 ※




 生きた心地のしない時間が過ぎてゆく。

 朝早く登校し、彼の机の中に手紙を入れ――果たしてそれに気づいてくれるのか、気づかないふりをされるのか。


 視線がいつも以上に王子を追ってしまう。

 凝視しているところを彼に気づかれるのもバツが悪い。


 始業前や休憩時間は王子の様子を確認したい想いを我慢して教書を諳んずる作業に没頭した。

 ひたすら授業中、後ろの席から彼の姿を見つめ祈りを捧げるカサンドラ。


 この一年間、”二人だけで会う”だけでハードルが高かったことも同時に思い起こされた。

 教室で一緒に話す機会など皆無に等しかったし、デートと言えば護衛役のジェイクも一緒だった。

 彼はいつも友人や多くの生徒に囲まれ、いつだって輪の中心だ。


 煌びやかに輝くその中に自分が踏み入ってはいけないのではないかと言う遠慮のせいか、そうなるように王子側が仕向けたのかは分からないけれど。

 話をしたいとお願いし、漸く二人きりが許されたのは一週間に一度の放課後。

 たった数分の時間。


 これで好かれていると思うのはポジティブシンキングの極みだが……

 でも一緒にいる時の王子の様子はカサンドラを嫌々相手にしているとも思えない。数少ないイベントでは、素敵な時間を過ごすことが出来た。



 二人で話をしようと言うだけでこんなに不自由だなんて、自嘲しか浮かばない。

 彼の婚約者だったのに。

 常に後回しにされていたような気もするし、婚約者として丁重に扱ってくれていたことは否定できない。


 ……よそう。


 彼の想いは彼にしかわからない。

 勝手に決めつけようとするから見えなくなるのだ。


 カサンドラだって王子に言えない”事情”を抱えている、その上で彼に精一杯好意を伝えられるように接していたつもりだ。

 彼が深奥にカサンドラのような突拍子もない事とまではいかないが、人に言えない事情を抱えているのなら……


 王子自身の口から、伝えてもらうしかない。

 何度も自分にそう言い聞かせ、まんじりともせずその日一日を過ごした。





 王子からの接触があったのは、翌日の昼休憩のこと。

 食事を終え、午後の選択講義に向かおうと廊下を歩いていたカサンドラを王子が呼び留めて来た。


 日常の挨拶を伴う、以前と全く変わらない穏やかな雰囲気のままの彼だ。

 こちらは心臓が飛び上がる程驚いたというのに、彼は全く関係の解消を周囲に思わせるような素振りは見せない。


 向かう講義室は別々。

 左右に別れる廊下の突き当りで、彼は小声で囁いた。





「――役員会が終わったら、大講堂まで来て欲しい。

 鍵は開いているから」

 



 聴き間違いか空耳か。

 立ち止まって彼の姿を二度見したが、彼は小さく微笑んで手を左右に振った。


 意識しているのはこちらだけとしか言いようがない。

 気まずさも、戸惑いも、躊躇いもない。

 王子のフラットな態度が、カサンドラの心をぎゅうっと縛り付けるのだ。







   教えて欲しい。




   貴方が今、何を想い何を感じているのか。










 ※





 役員会の内容などちっとも頭に入ってこない。

 息も絶え絶えで頭の中身が沸騰状態であることをひた隠し、カサンドラはその一時間を乗り切った。



 ……隣に座るラルフの態度も、そして王子の態度も、そしてシリウスの様子も。

 なんでこんなにポーカーフェイスでいられるのだろうと、自分一人が動揺していて恥ずかしいと縮こまる。


 アイリス達には気づかれないようにと努めて普段通りを意識しているカサンドラも彼らと同じ穴のむじななのかも知れないけれど。




 とにかく、王子に会えるというだけで気持ちが高揚する。

 不安も大きいけれど、それ以上にやっと……やっと、彼に気持ちを伝えられるのだと奮い立つ。


 本来はあの旅行で彼に気持ちを伝えているはずだった。

 もしも王子に告白していたら……彼は何と返答を返してくれたのだろうか。



 随分回り道をしてきた気がする。

 最初から婚約した関係で、最初から彼の事をずっと好きで。

 今になるまで直截な言葉にしないまま。



 ――もうすぐ会議も終わる。




 審判の時は、すぐそこだ。






 ※

 





 始業式や全校集会以外では聖アンナ生誕祭の時くらいしか使用されない大講堂。

 建屋の上方に大きな鐘があり、生徒達に重々しく籠った音で時間の区切りを伝えてくれる。


 生徒が進んで出入りすることのない講堂だ、放課後は当然もぬけの殻だ。

 窓は全て閉ざされているようで、風の通りが無い。

 椅子が整然と並んでいる一階部分の窓は黒いカーテンで覆われているが、二階の天窓からは傾きかけた柔らかい日差しが入るので暗さはなかった。


 万が一でも人に見られないようにと事前に王子が締め切ったのかも知れない。

 シンと静まり返った講堂は少し気味が悪く、カサンドラは靴音を響かせながら椅子と椅子の間の通路を通って壇上へ近寄る。

 王子の姿を探し、不安そうにきょろきょろ見渡していると……


「急に呼び出してしまって申し訳ない、カサンドラ嬢」


 壇上に降りた幕の裾から、王子が静かに姿を現わした。

 天窓から射しこむ光を浴びる彼の姿に、こんな状況下でもドキドキする。


 彼は段を踏んで降り、カサンドラの正面に立った。

 一番前に並んだ椅子と壇の間には十分なスペースがもうけられているが、スピーチをする者も聴衆も全くいないがらんどうの建物の中。

 彼と二人だけというのは、妙な落ち着かなさを感じる。


 二人だけで内緒の話となれば、人気のない小部屋、校舎裏というイメージがあったのだが。

 確かにここなら、一般生徒が近寄ることはないだろう。


「わたくしが無理をお願いしたのです。

 お聞き届け下さってありがとうございます、王子」


 いつも畏まった物言い。

 相手は自分よりも立場が上の人だから当然のことなのに、距離を感じる会話。


 まるで二人の関係そのものを表しているかのようだ。


 見えないけれど、両者の間に聳え立つ透明な分厚い壁。


 今まで触れないようにしていた壁を、今日はこの手で乗り越えなければ。



「王子、わたくしは先日婚約解消のお話をいたしました」


「その件は心配しなくても良い、ちゃんと内々に処理をするから――」



 彼の困った顔が前にある。

 ああ、そんな風に困らせるのが嫌だった。

 彼にとって迷惑な存在でいたくなかった。



 でも……



「……。

 嫌、です」


「カサンドラ嬢?」




 本心を言うのは、とても怖い。難しい。

 剥き出しのままの何にも包まれていない心は、些細な事でも簡単に傷ついて壊れてしまいそうになるから。


 僅かでも否定されたら、粉々に砕け散ってしまう。

 傷ついて、元には戻らない。

 大事にしまいこんで、言い訳の中にくるんでおきたい。


 迷惑だったり、重たい存在になりたくないと遠慮するのは、彼のためなんかじゃない。

 受け入れられないのが嫌だから、自分のためだ。




「本当は、解消なんか、したくないです」

 



 周囲の景色が見えなくなる。

 カサンドラの目は確かに王子を映していたが、それ以外の余計なものが全部ぐにゃりと歪んで撓る。

 


「ずっと、王子の事が好きでした。

 ……会った時から、今も、それは……変わらないです」



 もっと言い淀むかと思っていたが、案外すんなり言えた。

 言ったというよりは、零して落としたという方が正しいか。


 ……例え相手が自分をどう思っていようが、変わらない。

 好きな要素の一つ一つを挙げるなら枚挙に暇がない程、彼の事が好きだ。


 『カサンドラ』は彼に一目惚れをした。

 『前世の自分』は、救いのない王子が可哀そうだと思っていた。



 ――そして自分は……

 実際に彼と一緒に過ごす度に、彼の事がどうしようもなく好きになっていった。

 優しい笑顔が好きだ、時折見せる照れた顔も好きだ、いつも自分を気遣ってくれる彼が好きだ。


 そうだ、あれが『演技』のはずがない。

 カサンドラだって馬鹿じゃない、相手の行動に心が、気持ちが入っているかくらいわかる。

 そこに彼の気持ちを見たから、もっともっと惹かれていったのだ。




   本当に嫌われていて気持ちが”無い”のなら、分かるよ。




 ずっと、彼を見ていたから。いつも真剣に彼の言葉に耳を傾け、全力で向き合ってきたから。





「王子の迷惑になるくらいなら、婚約を、解消した方が良いのかなって……思って……

 でも、やっぱり、嫌です。

 ちゃんと、好きだって言えないまま、王子がいなくなってしまうのは……嫌なんです」


 


「……………。」



 ああ、少しスッキリした。

 ようやく言えたんだと肩の荷が下りると同時に今までの色んな思い出が込み上げてきて涙腺が緩んだ。

 まだ何一つ解決してはいないのに。

 言い訳や見栄、遠慮でコーティングされていない素の気持ちを言えたことで、感極まってしまったのか。


 告白なんか今まで一度もしたことがない。

 前世の記憶でも皆無である。


 それはとても勇気がいることだったけれど。


 みっともなく縋りつくような行為であったとしても。

 言葉にしないと、彼に伝わらない。



「王子の事が好きです。

 好きだから、王子が何を思っているのか、知りたいです。

 貴方の事を知りたい。

 これからも、傍にいたいんです」




「君は、」



 カサンドラは王子の顔を見つめる。

 彼の声が、震えていたから。

 大きな感情を抑え込むように、ぎゅっと拳を固めて――悄然と俯いている彼の姿を、目の当たりにする。



「こんな事を言うのは、お門違いだと分かっている。

 でも君は、本当に……酷い人だ」


 酷い人だ、と言いながら、懊悩に満ちた表情を見せる。


 彼は少しだけカサンドラに近づく。



 彼の白くて長い指が、顔に触れる。

 いや、目尻を拭った。


 自分が涙を流していた事に気づく。

 ぼぉっと浮かぶ彼の哀しそうな顔を間近に、カサンドラは言葉を失う。


「いや、君のせいじゃない。

 全部私が悪い……。

 君に知られたくなかったなんて、虫のいい話だ」



「王子、何を仰って」


 

「……。

 君は、婚約を解消したくないと考えているんだね?」


「は、はい! やっぱり、嫌です!

 誰にも知られていない『今』なら、まだ間に合いますか?」

 


「この期に及んで、君を誤魔化せるなんて思ってない。

 ちゃんと……事情を話すよ。

 ……だから、お願いだ。この話は……

 婚約解消の話だけは、進めさせて欲しい」



「………! それは」



 嫌だと主張したかった。

 でも彼の顔は苦悩に満ちていて、凄く悲しそうで。

 彼の方が泣きそうな顔だったから、言葉を押し留めた。


「……。

 お話を聞いた上で――それが王子のためになるのであれば」



 カサンドラの最大限の譲歩だった。

 ここで首を横に振るだけでは、話を聞かせてくれないかも知れない。本末転倒だ。


 彼が一体どんな話を聞かせてくれるのか、カサンドラは全く予想が出来ない。

 だから聞かなければいけないのに、分かりましたと婚約解消を頷けるほど彼を諦めてはいないのだ。


 すると彼はホッとしたように胸を撫でおろし……

 周囲の様子を警戒し、本当に無人かと見渡した。




「……とは言え、何から話したものかな」


 彼は軽く腕を組み渋面を作る。

 普段見ない彼の険しい表情だが、流石にこんな極限状態で見惚れている場合ではない。

 固唾を呑んで彼の言葉を待った。


 一体どんな衝撃的な話でも、動揺せずに受け入れよう。

 カサンドラにとって都合の悪い話だろうが、今まで彼が秘していた”事情”を打ち明けてくれるのだ。


 何があっても――






「カサンドラ嬢は、私の母と弟が事故で亡くなったという話を知っているね?」


 急に話を振って来られ、カサンドラは狼狽する。

 こちらは既に彼に本心をさらけ出したのだ、今更隠し立てをすることは――あるけれど、少なくとも王子への想いに対しての匙加減は必要ない。

 大手を振って彼に好きだと言えるのは、思った以上の解放感である。


 しかし彼の亡くなった家族の話が出るとは思わなかったので虚を突かれてしまった。


「は、はい。

 その節は大変申し訳なく」


 星空を見るのが好きだとジェイクに聞かされた情報のせいで、大変気まずい思いをしたことが脳裏に甦る。

 彼は基本的に間が悪いのだろう、タイミングが絶妙におかしいと思うことが多い。


 まさかピンポイントで彼の触れてはいけない過去に触れるきっかけを渡してくるとは。

 それがまた善意なのだから――クレームのつけようがない。


 星空を見ているのは、亡くなった家族が励ましてくれているように思えるから。

 あまり話題として挙げて欲しくないと、彼が申し訳なさそうにカサンドラに言ってきた。

 例え入学当初のことだろうが王子との話を忘れるわけがなく、真面目な表情のまま頷く。









「母上と弟は、事故で亡くなったわけじゃない。


 三家の当主――




           彼ら・・に殺されたんだ」








 キーン、と耳鳴りに襲われた。


 全身を小刻みに震わせ、王子の表情を確認する。

 ”無”としか言い表すことが出来ない。


 感情の無い顔。

 蒼い瞳は、うつろだった。

 

 

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