第328話 最後まで


 朝から現在までの自分の詳細な行動を覚えていない。


 陽の高さを見るに、正午前と言ったところか。

 昼ご飯を食べたか食べてないかさえ曖昧な自分に驚く。


 足元は土。

 そして左右には甘い果実の香りを漂わせる葡萄の木。


 今歩いているのは葡萄園だったか。

 皆の後ろに着いて見て回っていたな……という記憶がぼんやり残っているだけだ。


 まるで自分のものではないかのような、怠くて重たい身体。


 この日、リゼやリタ、リナという主人公たる三つ子達にはそれぞれイベントが起こることになっている。


 いつもならそれが起こるかどうかハラハラして見守っていたかも知れないが、今は到底そんな気持ちにはなれなかった。


 誰かの幸せ、恋愛の成就を願う――自分がある程度恵まれていないと心底応援するのは難しいものなのだと改めて悟る。

 哀しみの底に蹴り落とされた今、彼女達の状況を気にかけるような余裕などどこにもない。


 妄想上の王子ではないが、友人である彼女達に醜い嫉妬してしまいそうだ。

 散々応援しておいて身勝手な話ではあるけれど、彼女達は主人公で明確に成功する方法がある――それが羨ましかった。



 ある程度のレールに添えば、思う人と結ばれる運命を持って生まれた彼女達と。

 片や、この世界を不幸に至らしめる元凶かも知れないと恐怖を抱く『悪役』の自分と。


 どうしてこんなに違うんだろう。

 彼女達は何も悪くない、前向きに頑張っているだけなのに。


 心に墨が塗りたくられていく。

 ……こういう嫉妬心、些細な黒い心がきっかけで、大いなる悪意に目をつけられる。物語でも幾度も聞いたことのある話だ。

 成程、今ならそんな気持ちも少し分かってしまう。


 どうにでもなれ、という自暴自棄感覚。



 でもカサンドラは自分の想いに最低限の矜持プライドを持っている。

 ただの意地かもしれないが、自分に出来ることがあるのなら……ちゃんと、それをやりきらないと。


 王子を救いたいという願いを支えに、転生した先の世界で右往左往しながら過ごしてきたのだから。

 期待と不安を抱え、沢山の思い出を作りながら。





「カサンドラ嬢、少し休んだ方が良いのでは?」


 葡萄園に案内された当初は一列に整然と並んでいた生徒達も、すっかり前後にその列を伸ばしきっている。

 その最後尾でぼんやりと紫に成った果実を見上げて放心状態のカサンドラを気にかけてくれたのか、いつの間にか王子が近くに立っていた。


 わざわざ前方から引き返してくれたのだろうか。





   

      ……私は、私の出来る事を。





 こうして彼に話しかけられている瞬間は、昨日のことなど全くなかったことのよう。

 それくらい彼は平常運転だった。

 話しかけられればドキドキするし、気遣われれば嬉しいのは変わらない。



「王子、申し訳ありません。

 少しご相談したいことがあるのですが」


 でも今の自分では、喜びに浸ることは出来ない。

 身を裂かれるように辛いけれど……もう、はらは決めたのだ。


「……カサンドラ嬢?」


「お時間は多く頂戴いたしません。

 少しで良いのです、どうかお願いいたします」


 どうしても、話したいことがある。

 強い意思で彼に願う――今までこんなに強引に彼に”お願い”をしたことなどあっただろうか。


 彼と話をしても良いかと聞いて、入学当初に「また今度」と軽く躱された事を思い出す。

 周囲の手前もあったし、カサンドラはあっさり引いた。

 それ以後、彼に話しかける事に躊躇いを生じ、手紙を渡すという連絡方法を思いついたのだ。



「分かった。

 この辺りは私も何度か来たことがある――休憩に適した場所も近いから、案内するよ」


 王子と話をしたいなら、人の目を気にせず話しかけに行くべきだったのだろうか。


 真面目に向き合えば今のように、彼も真剣な表情で頷いてくれる。

 「また今度」などとはぐらかすこともなく、様子のおかしい自分の相談に乗ろうと行動に移してくれるのだから。

 全く話を聞かないなんて非情な人ではない、もっと「話したい」と意志を表示すれば結果は違っただろうか?

 想像して苦笑する。

 一層疎ましがられる姿しか見えなかったから。どうやっても、駄目だったのだろう。



 彼のカサンドラへの対応の不自然さに、敢えて目を瞑ってきた。

 言動全てを自分にとって都合の良いよう考えていたから……シリウスに哀れまれるまで本心に気づけなかったのだ。


「ありがとうございます」


 カサンドラは深々と頭を下げた。





 ※




 列から逸れて数分歩いたそこは、小高い丘の上。

 

 鬱蒼と生い茂る樹々が急に視界から消え、かわりに抜けるような青空が一面に広がるその景色はラズエナを彷彿とさせる素晴らしい景色である。


 突風がサァッと二人の間を抜けていく。


 葡萄園特有の甘くねっとりとした芳醇な香りから解放され、心地よい風に頬を撫でられる。

 鬱屈とした今のカサンドラの心さえホッと一息付いて穏やかになれる、そんな場所であった。


「それで、何だろう。

 改まって私に相談事とは」


 彼の蒼い瞳に正面から見つめられ、カサンドラはぐっと息を呑んだ。

 しなければいけないことは分かっているのに――今になって足が竦む程怖い。


 心配そうに眉を顰め、こちらの言葉をじっと待つ王子は『面倒だ』という気持ちを僅かたりとも感じさせない完璧な態度だ。

 これで”疎まれている”と分かる方が超能力者か何かか、と思う程には、婚約者として完璧な立ち居振る舞いをしている。





 ……王子の気持ちは、王子にしか分からない。

 往生際が悪いと自分でも思うが、昨日のシリウスと王子の会話だって、実のところ王子の本心ではないという可能性も排除できない。

 まぁ、十中八九本心だろうが。

 王子がシリウスに嘘を言う意味が分からない、カサンドラの扱いに困って相談した結果がアレなのだ。


 しかし――万が一、王子が極度の恋愛音痴で照れ屋で、本心をシリウスに隠したくてあんな言動に至った、なんて究極にポジティブに考えることも可能では?


 そんな万が一、億が一の確率にも縋りたくなる自分に苦笑する。


 だって好きだもの。

 嫌われたくない、疎まれていただなんて信じたくない。


「相談事と申しますのは――」


 誰かの気持ちを”試す”ような駆け引き、カサンドラは嫌いだ。 

 あらゆる意味でこんな事を言いたくはなかった。


 彼の本心を決定づけ、更に王子のために出来ること。

 カサンドラは渾身の勇気を籠め、腹の底に力を入れた。



「わたくし、王子との婚約を辞退したいと考えております。

 望めば叶うことなのかもわかりませんので、王子にお聞きしたくお声がけいたしました。不躾な言動をお詫び申し上げます」



 ……カサンドラに、出来ること。

 自分から、関係の解消を申し出ること。



「とても急な話で驚いた。

 一応、理由を聞いても良いかな」


「ご存知の通り、わたくしはただの地方貴族の娘です。

 王子のパートナーとして妃を務める自信がありません、王子のためにもならないのではないかと……僭越ながら、推察いたします」


 声が震え、僅かに上擦る。


 王子の本音を知るにはこれしかない、とも思う。



 昨日の王子本人が言っていたのだ。

 



 ――彼女から解消や破棄を通告してくれれば助かる、と。




 本心か、偽りなのか。

 カサンドラとの婚約を解消する機会があればそれを後押ししてくるのなら、昨日の王子の言葉は真実だったのだと認めざるを得ない。

 





  引き留めて欲しい。





  世間体でも、何でも適当に理由をつけて、引き留めて!

  お願い!!



  ……自分は必要な人間だと、引き留めて!

  大丈夫だって言って。

  そんなことはないって、励まして。



  お願いだから…………

  昨日の話は、何かの間違いだって。希望を持たせて。




 声に出せないカサンドラの悲鳴が頭の中に反響する。

 


 カサンドラからこんなことを言い出し、少しでも彼が困って引き留めてくれるなら……

 彼が関係の継続を望み、もっともらしい理由で説得してくれるなら。


 彼にとって少しは価値がある存在なのだと、それだけは信じる事が出来る。

 何かしら役に立つ女性だと思ってくれれば、カサンドラもその箇所を突破口に彼に興味を持ってもらえるよう行動を変えることが出来るかもしれない。

 恋人だなんて言わない、信用のおける理解者、パートナーとしてでも傍に置いてくれるなら……!



 『そんなことはない』と驚いて、カサンドラの弱音を払しょくしてくれればそれで済む話だ。

 僅かでもカサンドラのことを良く思ってくれているなら、婚約をなかったことにするという選択はとらないだろう。


 微かでも、一縷の望みを期待してる。

 何という諦めの悪さ。




 翻って、もしも彼があっさりと受諾したのなら?

 嫌だ。


 一度言い出した事を撤回は、出来ない。

 取り付く島もなく、解消を納得されてしまえば、もう自分の寄る辺はどこにもない。






「聡明で誠実なカサンドラ嬢を王家に迎え入れることが出来なくなることは、私達にとって痛恨の極みだ。

 だが……

 そんな君が考えた末の結論ならば私はそれを尊重したい。

 さぞ言いづらかっただろうね、胸の内を打ち明けてくれてありがとう」

 





 

  ――――!

 



 視界が歪んだ。

 ぐにゃっと、揺れる。






    ガラガラと、心の内壁が音を立てて崩れていく。

    希望が粉みじんに砕け散った。







 やるべきことが、終わってしまった。

 自分と言う存在が本当に『邪魔』だと判明した以上、婚約者という立場にしがみつかず身を引くことが――


 カサンドラだけが王子に出来る、いや、”すべき”事。


 だから王子の気持ちを試すというよりは、最後通牒を突きつけられるか否か、というだけの話だ。試すなどと、烏滸がましい。

 当初の予想通りの結果に終わってしまった。


 彼は少しばかり残念そうな顔をしていた。

 でも残念そうでも、結局「カサンドラは要らない」と答えを出した。


 こちらを気遣い持ち上げるような言葉を選びながら、「要らない」と頷いたのだ。



 こちらの言い分なんて、些細なことじゃないか。

 彼が本当にカサンドラに思い入れや興味があるのなら、どうとでもそれらしい理由をつけて考え直すように言ってくれるはずだ。


 勿体ぶった言い回し、カサンドラのことを案じています、なんて言葉遊びも要らない。


 

 だって、だって。



「ただ、今すぐにというわけにはいかない。

 陛下やクラウス侯にも説明が必要だからね。

 それに残りの学園生活でお互いに不利益を被らないよう、慎重に考えなければいけない」




 書面上の契約、婚約という関係がなくなれば。



 何の関係もない、ただのクラスメイト。

 知人。


 毎朝のように王子に御機嫌伺に取り巻きに来る、他の女子生徒達と全く同じ扱いに……




「わたくしの……勝手な我儘をお聞き届け下さって、ありがとうございました」




 泣くな。

 ここで泣いたら、王子を困らせるだけだ。



 相手が自分の思い通りに動かなかった、期待した言葉を得られなかったからと泣いて駄々をこねてどうする。




 心象が一層悪くなるだけだ!

 彼からしてみれば、漸くカサンドラが自分から身を引いてくれたと思ったのに、実は引き留めて欲しくて王子を試したんです、なんて。

 重たい上に、鬱陶しさが倍になってのしかかるだろう。

 これ以上彼に嫌われるなんて嫌だ。耐えられない。



 彼への嫌がらせをするために、婚約解消の話を提案したのではない。

 



「カサンドラ嬢」




 彼の声はとても優しかった。

 込み上げてくる哀しみを懸命に抑え、カサンドラは彼に向き直る。


 往生際悪く彼の婚約者という立場にしがみついても、自分が彼を救うことなど出来るはずもない。

 それならば、自分がその立場に固執したせいで起こるかも知れない”未来”を変えるくらいしか……もう、出来ることはないのだ。


 仮に――カサンドラが元凶ではなく、今後王子がシナリオ通りラスボスとして三つ子の前に立ちはだかることになったとしたら……

 自分の無力さに、心が壊れてしまうだろうが。



 でも、もう手が届かないところにいってしまった。

 掴もうと思っても、彼が自分の傍に立っていることはないのだから。



 ……彼のためにと思い込み、傍で支えたいと思っていたことが全部空回っていたなんて、この世界の神様は酷い。



「正味、一年に満たない短い期間だったけれど。

 君と過ごした時間はとても楽しかったよ。……ありがとう。

 カサンドラ嬢にとって至らない婚約相手だった事、申し訳なく思う」




 少しホッとした?

 そんな感情が隠しきれていないように見えるのは、カサンドラの視野が曇っているからだろうか。

 でも、彼の言葉がスーッと体の最奥に染み渡っていく。

 嫌でも思い知らされる。


 ――終わってしまった。




「この先の君が幸せでいられるよう、解消の手続きは慎重に行おう。

 もしかしたら君の証言が必要になるかもしれないけれど、可能な限り手を煩わせないようにするから。

 心配しないで欲しい」






 王子は婚約者”だった”人にも最後まで優しい。


 こんなに簡単にあっさりと、関係が終わってしまうなんて想像もしていなかった。


 少しでも葛藤してくれるのではないか、迷ってくれるのではないか。

 自分の価値を見誤って、尊大な思い違いをしていたものだ。


 自嘲さえ湧いてこない。



「勿体ないお言葉です。

 どうか王子に、より善きお相手が見つかりますよう。

 心より祈念申し上げます」






 会ったこともないような相手と結婚が決まる事がある。それが政略結婚だ。

 書面上、肖像画でしか知らない相手と親同士のやりとりで決まってしまう関係性である。




 始まりに愛の告白があるわけでもなく、個人的な好悪の情など挟む余地はない。

 淡々と決まった決定、システマチックな流れで生涯のパートナーが決まってしまうものだが。




 何だか不思議だった。






  終わる時になって、まるで身分に引き裂かれた恋人達のように――

  互いに向き合い、お別れの挨拶を交わすのかと。

 








 最後までチグハグだ。

 


 

 

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