第325話 憐みの視線


 目的地にたどり着いた時には、既に陽が傾きかけていた。

 流石にこれだけの長距離移動ということで、生徒達は皆疲弊しきった動きで馬車から降りる。


 街から街へ繋がる道は大きな街道、見晴らしも良く幸い騎士達の手を煩わせることはなかった。

 いや、万が一この行列に舌なめずりをする野盗の類がいたとしても、整然と横に並ぶ騎士の姿を見た瞬間意気消沈したことだろう。


 この国の騎士団の腕は確かだ。

 貴族しか騎士になる資格がないが、実力の無い者は名乗ることが出来ない称号である。


 親から爵位の相続を受ける事の出来ない貴族の次男坊以下にとって、騎士は爵位に準ずる一代限りの栄誉職として常に将来の候補に挙がる職だ。

 学園で大々的に剣術大会が催され、騎士団が関わっているのはその方が効率が良いからだ――という事情が絡んでいるのもよく分かる。


 いくら地位が高かろうが腕っぷしが伴わなければ着けない栄誉ある職。

 騎士が何十人と動員されれば、強盗や野盗集団はリスクを恐れて逃げ出す他ない。


 ――代々の将軍職を務めるロンバルド家はそう言う意味では”よくやっている”。

 統率のとれた騎士団を王宮に常駐させ、内外からの信用を得ることに成功しているのは凄い事だと思う。騎士団を悪く言う一般市民に遭遇したこともなく、正義の味方というイメージが根強い。


 血統主義の王国身分制度の中で、質の高い軍隊を擁するのは案外難しいものだ。

 腐敗、不正、賄賂など実力主義の標榜が形骸化してしまう要素はこの社会に溢れているが、騎士団はそういうイメージから無縁。


 ジェイクが言うには中に入ったら入ったで軍閥主義の面倒なしがらみばかりの組織らしいが。


 彼は自分が将来率いるだろう騎士団を伏魔殿だと愚痴っているが、能天気に”強くなればそれでいい”わけではないのだなぁ。

 組織の上層部は大変だ。




 ※




 馬車が停まったのは、小高い丘の上に建てられた大きな屋敷の前だった。

 三階建ての広い屋敷はここだけではなく、少し離れた場所にも見える。そこにも多くの馬車が集っているので、他のクラスが宿泊する屋敷だと分かる。


 見渡す限りの葡萄園が眼下に広がる丘の上、その甘酸っぱい果実の香りが漂っている。

 ラズエナという避暑地は常に涼しくひんやりしている不思議な地域だと知っているが、ここボールズは冬と無縁の温暖な盆地なのだと説明を受ける。


 広い王国内の中に、局所的に気候が他所とは違う地形が何か所かあるという。

 成程ここは常夏――とまではいかないが、初夏から秋のような気候が続き、本来なら旬が通り過ぎたはずの葡萄園に実が成っている、と。


 だから厳冬の年には王族や高位貴族達が挙ってここに集まる、知る家ぞ知る地方。

 ここまで大勢を収容できる屋敷が葡萄園の傍に構えられているのも納得だ。王族がぞろぞろと伴を引き連れてくるなら、広いに越したことはない。


 カサンドラはラズエナという避暑地に別荘を持つ知人がいたからあの場所を良く知っていたが、ここはエルディム派の所領だ。

 関心がなく、ボールズはこんな過ごしやすい場所だったのだと初めて知った。


 ……別に中央貴族アレルギーというわけではないはずなのに、中央と地方、出身が違うとこうも馴染めないものなのかと改めて思い知らされる。

 双方がいがみ合い、互いに反目し合う関係なのも致し方ないのではないかとさえ感じてしまう。

 同じ国の身分制、爵位を有するはずの家の話なのに、まるで別の国のことのようだ。


 こんな季節外れに葡萄なんか成っているのかという仄かな疑問が、この葡萄園を見た瞬間に弾けて消えた。 

 シリウスの判断を侮っていたわけではないが、ホッと撫でおろしたのも事実だ。


 ……いや、案外担任の教師が説明をしていたかもしれない。カサンドラは全く別のシミュレーションに忙しくて聞き逃していた可能性がある、

 皆の前で涼しい顔をしながら、心の中で一人冷や汗を流していたカサンドラであった。


 何だか、最近の自分は色々と考える事ややるべきことが抜け落ちているような気がしてならない。

 本来なら恥を掻かないよう前以て事前に旅行先の情報を仕入れていたり、疑問を解消するよう調べておくべきだ。自国のことを多く知らないというのは、王妃にとって致命的な要素なのに。



 ――告白、という二文字がのしかかってきた途端、一気に視野が狭くなってしまった。

   馬鹿になってしまったとまでは言わないが、抜けが多い。



 乙女ゲームで言えば最後の最後、今までの軌跡の可否を突きつけられる直前なのだ。

 否が応でも緊張するし、他の事を考える余裕がなくなってしまう。


 先延ばしには出来ない。




 屋敷の主、領主たるボールズ子爵に歓迎を受け生徒達は館に入っていく。

 恰幅の良い気のいいオジサンとしか思えない子爵は学園の生徒達に愛想よくニコニコ笑いかけてくる。奥方や後継ぎの息子さんたちは別の館のホストを務めているそうで、子爵の家族の姿は無かった。



 自室に荷物を持って行き、いくばくかの休憩時間を過ごした後食堂に集合する。

 自由時間――だが男子達が宿泊する棟に素知らぬ顔で入っていける程カサンドラは強心臓ではない。

 身支度を整えるだけでドッと疲れが押し寄せ、気合を入れ直すのに時間を要した。

 



 当日の夕食を食堂で給仕され、クラスメイト全員で頂くことになる。

 丁度学園の食堂席の一列分を切り取ってスライドさせたかのような配置だ。なので特に新鮮さを感じることはなかったが、秋が旬の食べ物ばかりがメニューに並んでいるのは季節のズレを感じさせる。


「本来であればワインで皆様の到着を乾杯したいところではございますが。

 学園研修の一環でお越しと承知しております。明日、醸造過程のご見学を終えた後ゆっくりとご賞味ください」


 ボールズ子爵の前説明にあからさまにガッカリした生徒は一人や二人ではなかったが。

 まぁ、完全な遊びで旅行に来たわけではない。

 いきなり名産品のワインを開けられるのも話が違うだろうし、彼の言い分は真っ当なものだ。


 その代わりにシェフが厨房から呼び出され、今日のコースメニューの説明を情緒たっぷりに行ってくれた。

 近隣の山から採れる新鮮な山菜を使った前菜に、鹿肉を使用したメイン料理、ベリーをふんだんに使ったデザートのパイ。

 キノコたっぷりのスープの説明時だけはカサンドラも頬が引き攣ったが、しょうがない、我慢して飲み下す他なさそうだ。


 確かにメニューには惹かれるものもあるけれど、カサンドラは気もそぞろだ。

 一体どのタイミングなら王子と一緒に行動できるのだろうか。

 そればかり考えている。


 こうして館内にいる間は限りなく難しいような気がするし、かと言って自由行動で王子が一人で行動することなどあるのだろうか、と。

 絶対にチャンスは訪れるはずだと目を皿のようにして彼の行動を眺めている。


 まだ焦ることはない、が――この旅行は正味二日。

 その間に彼への告白の機会が訪れるのは何度もないことだろう。




 更に刻は進み、食事が終わった歓談の時間。


 一階の施設は全て自由に使って良いと、談話室や資料室、遊戯室や室内庭園など一通り開放してもらい生徒達はそれぞれ普段と違う雰囲気に酔ったかのように楽しく会話を続けている。


 カサンドラも話しかけられるが、対応が疎かになって上の空だ。

 様子のおかしさはデイジーたちにも伝わってしまっただろうか。


 馬車に長い間揺られていたので疲れてしまったのだと言えば納得してくれ、カサンドラは賑やかな場所から逃れるように広い廊下へと一人外へと踏み出す。


 王子は食事が終わった後、シリウスと一緒に食堂を出て行った。

 その後彼らの姿を見た生徒はいないようで、カサンドラは彼らの姿を求めてきょろきょろと周囲を見渡す。

 折角歓談の時間を設けられているのだから、告白とまではいかずとも少しくらい会って話が出来れば良いのに。


 制服姿ではないシンプルな私服姿も平素中々見る機会が無く、それだけで心が癒されるというものだ。

 アルコールなど一口も摂取していないはずなのに、足元が覚束ないのは緊張と疲労があわさっているからか。



「……シリウス様!」


 顔を上げた先に、黒髪の青年がこちらに向かって歩いて来る姿が目に入る。

 沈着冷静で怜悧な雰囲気の『眼鏡の君』はそこまで親しいというわけではないし、会話が弾む相手でもない。どちらかというと常に試されているようで落ち着かず、苦手な相手と言っていい。

 だがこの時ばかりは彼に後光が射す程神々しく見えて駆け寄った。


 普段避けるように行動するカサンドラが目を煌めかせて近寄って来たからだろう、シリウスはぎょっとした顔で眼鏡のブリッジを押し上げる。


「こんなところでウロウロしてどうした。迷子にでもなったか」


「いえ……

 あの、王子が今どちらにいらっしゃるのか、シリウス様ならばご存知かと思いまして」


「……。」


 すると彼はこちらが驚く程、どこか憐憫を思わせる表情でカサンドラを見据える。

 眼鏡の奥、黒曜石の如きシリウスの双眸。期待に胸を膨らませる自分の姿が映っていた。


「アーサーなら館主に招かれ、未だ応接室だ。

 先刻、別の館から後継ぎの息子が顔を見せに来たところでな。……知っての通り、あいつは人が好い。おしゃべり好きの息子にしばらく付き合わされることだろう」


 他のクラスが宿泊している館にも責任者がいたはずだ。


 だがメインの館には王子が滞在する、食事が終わった後いの一番に駆けつけて歓待している――と言ったところか。


 貴族と言えど、学園に通う期間が合わなければ王子と長く会話する機会もない。

 話を長引かせようと必死な様子が目に浮かぶようだ。


 王子がいくらクラスメイトと共に過ごしたいと思っても、シリウスのように途中で話を切って退席するような事が彼に出来るとは思えなかった。


 ……人がい、か。


 それは彼の本質をこの上なく上手く表した言葉だと思うが……


 あからさまに肩を落とし、悄然とするカサンドラを一層憐れむようにシリウスは言葉を続けた。



「そんなにアーサーに会いたいか」


 避ける隙も与えられない正面から直球を投げつけられ、カサンドラは面食らった。

 会いたいか、なんて。

 そんな情緒的な言葉が彼から放たれた事に驚きを隠せない。


「……え、ええと……

 そう、ですね」



「会って何を話すという。

 ……ああ、ここのところお前の様子はおかしかったな。

 なんだ、今になって愛の告白でも考えていると?」



 顎が外れそうなくらい驚くとはこの時の心境を指すのだろう。

 カサンドラは頭が真っ白になって、しばらく口をポカンと開けたままその場に立ち竦む。


 彼が口にするにはあまりにも適切ではない言葉が聴こえたような気がした。

 空耳だろうか。

 自分が焦燥感に突き動かされているから、なんでもかんでもその単語に変換して聞こえてしまうだけなのか。

 だとすれば医者にかかった方が良いと思えるくらい、とんでもない聞き間違いだが……


 カサンドラは表情を強張らせ、シリウスをもう一度視界に入れる。

 自分の金の髪が一瞬で白髪に変わってしまったかと思う程の衝撃を受け、愛想笑いさえ困難だ。


 だが彼は至って真面目な表情で、やはりどこか”可哀想なものを見る”瞳を向けるのみ。

 ここまで他人に憐れみをかけられたことなどない。

 だから一層突き刺さる。





  何?


  ……一体、何が言いたいの? 




 ゆっくり、ゆっくり。

 暗い影が足元から浸食していく。



 息苦しさを感じ、次第に呼吸が浅く早くなっていく。




「お前がアーサーの真意を知りたいと言うのなら、聞かせてやってもいい」




「そ、そのような事をシリウス様にお願いする必要を感じません。

 あの、わたくしの事ですからわたくしが……」



 王子の真意?

 要するに、今、王子が思っていることを正しく教えてくれるという事か?

 だが何故人伝でそんな事を聞かされなければいけないのか、意味がサッパリ分からない。


 一体何を言われるのかと警戒心を芽生えさせる。

 だがそんな自分の牽制には彼には全く意味がないことのようだ。



「アーサーに聞く……か。

 それで満足か?」



 彼は淡々と言葉を繋げる。

 鼻で笑うような言い方とは違い、こちらの深層を穿つような鋭さを纏った言葉だ。

 彼の目は真剣そのもの。



「あいつがお前に本音を言うとでも?

 どうせ適当な言葉で茶を濁されて、煙に巻かれるだけだ。

 ……そんなものがお前の欲しい”答え”か?」



「仰る意味が分かりかねます」





 彼は眼鏡の角度を指先で軽く整えた後、ハァ、と憂鬱そうな吐息を落とした。







「まぁ、夢を見るのは自由だがな。

 ……私にも人の心があった。それだけの話だ」 



 痛む額を押さえ、彼はもう一度表情を歪める。

 彼も非常に言いづらそうで……





 やっぱり、こちらを憐れんでいるようで。

 まだ、からかわれたり小馬鹿にされたり、揶揄を含んだ言い方の方がましだと思える。

 彼に心から哀れまれていると感じることが、こんなにも恐ろしいとは。






 ガンガンと耳鳴りがする。

 手足の先が凍り付いたように冷たい。

 どんな顔をすればいいのか分からない。

  







「本当の事を知る覚悟があるなら、お前に直接、アーサーの言葉を聞かせてやろう。

 ……――来い。

 良い機会だ」    







 開けてはいけない希望パンドラの箱を彼に代わりに開けてもらうということ。






 先刻まで地に着かない程浮かれていた足が、廊下にめり込んだように動かない。

 





 これは一体、どういうこと?











   何故、私は彼に気遣われ、哀れまれているの? 



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