第324話 行きの馬車


 ようやく、この日が来た。


 大きなイベントの無いインターバル期間は、思ったよりもあっという間に過ぎていく。


 学園恋愛ゲームは、これに限らず毎日毎日何かが起こるというわけではなく育成期間は数秒でテンポ良く流れていくものが多い。

 こうして実際に現実を生きていれば体感で数秒とはいかないまでも、ルーチンの日々に慣れてきた三学期。


 特筆すべきこともなく、気が付けば地方見聞研修の当日である。

 カサンドラが自分で勝手に勝負イベントと気合を入れ、何度も何度も告白パターンをシミュレーションしながら待ちわびていた行事がようやく訪れたのだ。


 大きなトランクに荷物を入れて馬車に乗り込む際にぶるっと身体が震えたのは、寒さのせいではない。

 これは武者震いと言うものだ。


 この世界で前世の記憶をやらを思い出し、今後訪れるであろう悲惨な未来を回避するため――自分が具体的に出来ることなど何もなく、手をこまねいているだけだった。

 だがその助走期間もこれで終わりだ。

 顔も見知らぬまま書面上の婚約者に過ぎなかった自分が、ようやく彼にこの気持ちを伝えられる。

 そして彼の返答次第で、自分の採れる行動もまた変わってくると思うと否が応でも恐れを感じるが……


 アレクは散々大丈夫だと励ましてくれたが、曖昧な返答しか得られなかったらどうしよう、という不安は付きまとって離れない。


 聖女でもないただのお邪魔キャラの悪役が出来る事など限られている。

 まだ何も起こっていないのに、いきなり王子が悪魔になるだなんだと騒ぎ立てればこっちが捕まってしまう。

 王子も頭の可哀想な妄想力の強い女だと憐れみ、地方の隔離施設で養生でもしたらどうかと提案されかねない。


 必要なのは、信用。

 未来の事を予言してポンポンと予言を当てれば信用されるかも知れないが、世の中に知れ渡るような大事はまさに王子が起こす暗躍イベントが端緒なのだ。

 それが起こって「ほら見なさい」と勝ち誇ったところで時すでに遅し。


 カサンドラはそのイベント発生を阻止したいのだ。

 

 しかも作中で全く理由も因果関係も詳細不明のまま打ち倒され、事情はDLCダウンロードコンテンツで、と言わんばかりの状態で。

 最も知りたい箇所を知らないまま事態を回避するなど、ノーセーブノーロードの初見プレイで出来るわけがない。


 ただ一つ、彼がラスボスになることが決まっているのなら。

 それを覆す彼の真実を探り出すしかない。


 焦る自分に何度も言い聞かせ続けてきたことだ。

 のうのうと学園生活を送る中で、こんなのんびりした事をしていいのかと悩んだ事も多々あった。

 少なくとも当初よりは彼の信頼を得ている、自分はこうするしかなかったのだ。


 もっと頭が回る有能な人間であったなら、もっとスマートな方法を思いついてとうの昔に真実を暴いていたのだろうか。

 ……そんな勇気はない。

 しくじれば終わり、そんな一回きりの人生で尚早な時期に大博打を打てるほど自分の精神メンタルは強くない。


 自分にあるのはこの世界の未来や攻略対象の偏った情報なんかじゃなくて、王子が好きで、助けたいという想いだけ。



 誰にも負けはしないと自負できるのは、それだけだ。





 ※




 下級生と上級生は、研修旅行に出立の日。

 大講堂に集まって学園長からの有難いお言葉とやらを聞き、厳重な注意事項を改めて説明されていた。

 後はそれぞれ指定された馬車に荷物を入れて乗り合う事になる。


 研修旅行は制服ではなく普段自宅で着用する私服で参加するのが慣例ということで、華美過ぎないものを選んでいる生徒達。

 制服ともドレスとも違い、各自の好みや趣味が色濃く出るため周囲を漫然と眺めているだけでも面白い。

 学園行事の旅行なので使用人の同行は許可されていないため、一人で着脱できない服を着ている生徒はいない。


 尤も、多くの女性陣にとっての問題は髪型である。

 衆目に晒されてもおかしくないよう、髪を整えてくれるメイドを同行させることは出来ない。

 しかも三泊四日という結構な長丁場。

 普段はハーフアップで纏めているが、この期間はバレッタでちゃんと留められるか? そもそもお湯を浴びた後、髪の毛の手入れだって出来やしない。


 貴族の令嬢が普通の『旅行』というのはかなり難しいものだ。


 だがそんな不安は学園側も先刻承知、説明事項を書いた用紙を眺めればボールズ子爵所有の宿泊施設には使用人が配置され生活全般をサポートしてくれるという。

 自宅で雇っている慣れた使用人のようにはいかないだろうが、生活を助けてくれるサービスが行き届いているのは助かる。


 ……流石王立学園主催の催し、事前準備は万端のようだ。


 でも、こんな過大サービスを受けているなんて知らない市民たちに対しては複雑な想いを抱く。

 研修旅行の目的として、ちゃんと世の中の仕組みや仕事・成り立ちについて興味があって学習し、民衆の声に耳を傾けますよ――というパフォーマンス部分も多分に含んでいるはずだ。

 上流階級同士慣れ合っているわけではなく、社会勉強も怠らないという姿勢を見せる事で学園の支持を取り付けているという事情もある。

 学園、ひいては王室の、か。

 三年間遊ぶための施設を維持するのにどれだけ税金を払っているのかと反対意見が出ては面倒だという運営側の意図が見え隠れする。


 ……実は完全に貴族のお遊びとしか言いようのない旅行事情なんて、知られるわけにはいかないだろうな。


 指定された馬車に案内され、荷物を入れ込んだ後に乗り込む。

 シンプルなワンピース姿だが、ヒールが無いロングブーツを履いているので動きやすい。

 奥に入って長椅子に座ると、続けて入って来た生徒が歓声を上げた。


「カサンドラ様と乗り合いが出来るなんて……光栄です!」


「まぁ、デイジーさん。貴女とご一緒出来るのはわたくしも嬉しいです」


 ホッと一息つき、カサンドラは嬉しそうに乗り込むデイジーに微笑みかけた。

 お世辞でもなんでもなく、彼女と同行できるのは嬉しい話だ。

 何せ目的地の葡萄園まで馬車で半日かけて移動することになる。殆ど交流の無い相手と狭い馬車内にいるのはかなり苦痛を伴う話だ。

 その点は学園側も配慮しているのだろう、車窓から見渡せる組み合わせをざっと眺めていると、派閥が同じ生徒や仲の良い生徒同士の組み合わせばかりだ。


 基本は四人で一組ということだが、他の二人は誰だろうと若干緊張して乗ってくる生徒を待つと――


「あら、シンシアさんにリナさん。

 貴女がたもこちらに?」


 デイジーが真っ先に、狼狽える彼女達の姿を発見して扉から身を乗り出して声を掛けてくれた。

 どうやら指定の馬車を見つけたはいいものの、カサンドラとデイジーが先に乗っているので何かの間違いではないかと泡を食っている最中だったらしい。


「リゼとリタと別の組、その上カサンドラ様と一緒とは思いもよりませんでした」


 呆然とした様子で着替えの入った大きなカバンを握りしめるリナ。


「……私、本当に同席して良いのでしょうか……やはり、何かの間違いでは」 


 恐縮しきった様子で笑みを引きつらせるシンシア。


 これは学園側もカサンドラにとっては大変都合の良い選択をしてくれたものだ。

 同郷のクラスメイトのデイジーは貴族令嬢の中で最も親しくしている相手と言って良い。ここで他の令嬢が入って来てはいつも以上に逃げ場がなく言動に気をつけなければと緊張を強いられていただろう。

 だがシンシアとリナと一緒なら、難しい関係の折衝なく自然に楽しく話が出来る組み合わせだ。

 カサンドラと三つ子――という組み合わせではデイジーに対して申し訳ないし。

 特待生のリナ、そして名のある商会の娘シンシア。

 組み合わせとしては偏りがなく、その上でカサンドラも話しやすい人選である。


 彼女達と一緒なら、長い旅程も楽しく過ごすことが出来そうだ。


 下級生三クラス、それぞれ馬車に乗って学園を出立する。

 その光景は前世で遠足に向かう時のバスのようだと思わないでもなかったが。

 整然と並ぶ白い馬車の左右には等間隔で騎乗した騎士が付き添う姿は少々違和感を抱くか。


 綺麗に舗装された道を一定の速度で進み、しかも防犯の観点から途中の街で長時間止まることなく食事は馬車内で食べるサンドイッチ。

 それなりに大きな室内だが、大きな荷物を抱えた四人が乗り合わせれば少々手狭だ。


 女性陣でこうなら、男子生徒はもっとぎゅうぎゅう詰めに感じるだろうなぁ、と内心苦笑する。



「皆で旅行が出来るなんて素晴らしい試みですわ。

 泊まる部屋も皆で一緒ならもっと楽しかったと思いません?」


 デイジーの言葉に、リナもシンシアもちょっとためらった後に頷いた。

 残念ながら、宿泊する施設は個室だ。

 皆でひとところで一緒に眠る事が出来れば、それは夜も話に花が咲いて楽しいものかも知れないが。

 流石に良家のご令嬢を勝手に雑魚寝させたり、クラスメイトというだけの関係の生徒達と相部屋にするなんて暴挙は起こせない。

 それは学園権力の限界である。


「今回は葡萄園、ワインの醸造の見学研修ということですが……

 レポートにまとめないといけないので、今から少し不安です」


 シンシアは頬に手を当て、軽く溜息を落とした。

 綺麗どころや派手なお嬢さんの多い学園において、彼女はどちらかというと地味な印象、控えめな少女だった。


 そんな印象が少し変わったな、と思えるのは……

 肩口で切り揃えていた髪を、今は伸ばしているからだろうか。黒い艶やかな髪はいつの間にか背中の中ほどまで伸びている。

 また、笑顔が多くなって表情もやわらかい。 


 ――これが恋人が出来たから”変わった”というのであれば、自分はあの男ベルナールのことを少々見くびっていたのかも知れない。

 相手にも選ぶ権利があるだの、どうせすぐにフラれるに違いないだのと思っていたけれど。

 まさかこんなにトントン拍子に話が上手くいって、実親に顔合わせまで終わったなんて。

 見事に近い将来の理想のお嫁さんをゲットできたベルナールも、最近では真面目になったと風の噂で聞いている。


 その恩恵に自分もあやかりたいものだ。


「レポートと言っても、感想文みたいなものでいいと先生も言っていましたよ!

 ボールズのワイン、私、凄く楽しみです」


 デイジーは手を組んで喜色満面、小さなことは気にしないとばかりにシンシアの不安を一蹴する。

 シリウスとジェイクの鶴の一声で決まったらしい葡萄園見学だが、彼らが推すほど上質なワインなのだろう。ゆえに味については保証されていると言っていい。


「ワイン……私、今まで口にしたことがなくて」


「リナさん、お酒が飲めない方は無理に口にする必要はありません。

 葡萄で作られたジュースも用意してあるはずですので、そちらを召し上がってはいかがでしょう」


「は、はい。そうさせていただきます」


 カサンドラが急に真顔になってそう勧めて来たので、リナもコクコクと勢いに呑まれて頷く。

 この三つ子、いや主人公は――お酒にとても弱いという設定だったはずだ。

 リタとリナのアルコール関連でのイベントは別の機会に設けられていたはずなので、今回あまりに呑み過ぎては無意味に醜態を晒してしまうことになる。


 折角ワインの名産地に出かけるというのに勿体ない話だが、この研修旅行のイベントでリナに倒れられてしまっては困る。

 まぁ元のシナリオでもアルコールは飲めないので、と避けていた。だから敢えてカサンドラが心配する必要もないだろうが。


「……そういえば、今から向かう葡萄園はエルディム家ゆかりの所領だそうですね。

 王子やジェイク様方もしばしば訪れている場所だそうですよ」


 リナはにこりと笑って言葉を続けた。

 ボールズ子爵家とは全く親交が無いカサンドラには彼女の話が正しいのか間違っているのか判断する根拠がない。

 地方見聞研修だから文字通り地方の所領に向かっているとばかり思っていたが、確かに馬車で半日で着ける範囲内なら――王都から郊外であるというだけで、本当の意味での”地方”ではない、ということか。

 ならば中央貴族の所領であり、中央貴族が御三家の内どこかに属しているのだからエルディム派に連なる家だとしても不自然ではない。


「ええっと、ボールズ領は……ここですね」


 シンシアは王国地図を取り出し、膝の上に広げた。

 目的地は王都から西に向かった先のボールズ領、ギリギリ中央――要するに、古来からクローレス王国の国土だった場所に含まれていることが分かる。

 西側はエルディム派が治めているものだから、シリウスの関係者なのか。

 彼はよく領内視察に行くらしいが、こんな遠方まで足を運んでいるのかもしれない、それは大変な話だと改めて思った。


「リナさん、お詳しいですね」


 デイジーが地図を確認しながら、感心して呟く。


「いえ、シリウス様に直接教えて頂いただけなので、詳しいというわけでは」


「シリウス様と懇意にされているなんて凄いですね」


 慌てて言葉を足すリナに、シンシアも一層驚いた顔になる。


「私はただ勉強を教えてもらう機会があっただけ。

 シンシアみたいに付き合っているというわけでもなんでもないから、そう言われても困るわ」


「ああ、シンシアさんは凄かったですものね、

 あのクラス内プロポーズは私も驚きました。

 未だに仲が良いようで私も嬉しいですわ~」


 デイジーはチラチラとシンシアの腕に巻かれてる小さな文字盤の腕時計を眺める。

 誕生日プレゼントに何をあげたらいいのかとベルナールが相談してきたという話だが、結局デイジーのアドバイス通り腕時計になったのだなぁ、とか。




 和気藹々と楽しく話は弾み、カサンドラもこれからの事を考えると気が昂ってくるのを感じる。

 シンシアはれっきとした婚約者持ち、そしてリナは恋人とは言えないまでもシリウスとは現状とてもうまくいっていた。

 デイジーは自分の恋愛にこそ興味がないようだが、カサンドラと王子のことは心配して気遣ってくれている。

 ――現状では、王子に関する話で皆に言える事を思いつかないカサンドラも……


 再びこの馬車に乗り込む時には、積極的に恋愛の話に入っていけるようになるのだろうか。




 帰りも同じメンバーのはずだが、今よりも幸せで満ち足りた気持ちで一緒にいられればいいと思うカサンドラだった。



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