第322話 宣誓
生徒会役員会議では現在、卒業パーティに際し各々割り振られた担当の事を報告し合うのに忙しい。
この王立学園生活最後のイベントということもあり、アイリス達最上級生たちもいつも以上に積極的に関わってくる。
カサンドラは特に何かの催しを単独で行うというわけではないのだが、来年以降に向けた記録を作成するために各役員の詳細な手続きや学園側、外の専門家との折衝を残すという作業に追われていた。
現役役員達が過去の資料を参照して段取りを決めているように、自分達がこの学園からいなくなった後この時代はどうだったのかと何度も見返される年代だろう。
王子が在籍している期間のことは後々になって調べる事があるかもしれない。
しかもただの王子王女という身分ではなく、間違いなく将来国王に立つことが約束されている生徒だ。
彼がどう関わったかという記録付けは大事だと思われる。
幸い彼らの段取りは周囲の手助けもあってかかなりスムーズだし、記録係として手心を加えなくてはいけないなんて事態には陥ることはなさそうだ。
だが他の生徒達、特に下級生においては来週から始まる地方見聞研修のことが話題の多くを占めているようだ。
卒業パーティに参加できる生徒は卒業生のパートナーだけ。
だから他学年の生徒は無関係な者が多く、あまり関心が無い。
関係がある者は既にパーティに向けた手配は各個人で行っていて、学園内でバタバタと忙しいのは、催す側の自分達のみだ。
尤も、カサンドラだって旅行への関心は人一倍強い。
来週の事を考えるとそわそわと落ち着かない気持ちになり、ボーッとすることが多かった。
王子に対して自分の気持ちを打ち明けようと決めたは良いものの、果たしてそれが本当に実現できるのか? という不安も大きい。
普段と違う環境下で告白のチャンスはいくらでもあるだろう、と期待して前向きに考えているものの……
誕生日プレゼントを渡したことを思い出す。
王宮の中庭でのやりとりが忘れられないのだ。
結局彼がこちらの告白を聞く耳を持っていなければ、再び話題を逸らされて終わってしまうのではないか、と。
あの時意図して彼がこちらの
言い出せないまま、決意を先送りにしてしまう――
その未来はとても容易く想像がついてしまう。
『今のまま』の関係性は決して悪いものではない。
いちいち言葉に出さずとも、婚約者という立場。
最終的には結婚する事になるのに、改めてカサンドラから相手の本心を引き出そうとするのはようやく築き上げてきた関係を更地に直すような暴挙であるとも言える。
でもいつまでも他人行儀のままで、何一つ彼の今後に関わる事無く来年度を迎えるつもりはない。絶対に後悔する。
……決意を固めても、誰にも言えないままでは結局機会を逸し、まだ時間があるとズルズルと三学期を過ごし、いつの間にか春休みになっていた。
流石そこまで自分を甘やかすことは出来ない。
自分の背中を押してくれる強制力、勇気が欲しい。
例えば、あの彼の誕生日にあげたマフラーの件。
自分で贈り物として持参していたにも変わらず、土壇場になって尻込みして無かったことにしようとした。
でも自分の決意を事前に他人に話していたことで、最終的に『マフラーを渡す』という結果を手に入れる事が出来たわけだ。
カサンドラが一人で決め一人で実行しようとしても場の空気に遮られて一歩が踏み出せない、なんてことは十二分に考えられる。
折角の絶好の機会を失わないように、自分一人の中で自己完結しないようにしたい。
だがマフラーとは違い、カサンドラと王子の正確な関係性を知っている生徒は殆どいないわけで。
婚約者同士と言う関係は周知の事実。
今更カサンドラが王子に告白したいなんて決意表明したところで不審がられるだけである。今までは何だったのか、と問われても返答に窮してしまう。
内的動機付け、外的動機付け。
どちらも自分にとって必要なものだ、とカサンドラは役員会議で話し合いを内容をペンで走り書きしながらそんな場違いな事ばかり考えていた。
※
まぁ、選択肢なんてあってないようなものだ。
カサンドラが決死の覚悟で呼び出した先には、意味が分からないという表情で首を傾げる義弟のアレクがいた。
話があるからと彼の私室に押し掛けたのだ、その不思議そうな態度も当然のこと。
「……それで、姉上。
僕に話って何ですか?」
勢いのまま猛然と彼の部屋を訪ねたはいいものの、本題に移ることが出来ないまま口の開閉を繰り返すカサンドラに彼の方がしびれを切らした。
いざとなると、言いづらいものだ。
彼の机を見ていると、手紙をしたためている途中のようだった。
――冬休みに帰省した時に女子達にもらった手紙の返事を書いているのだろう。
相変わらず、どっさりと抱えきれない程の恋文をもらって帰ってきたのは知っている。
逐一丁寧な返事を書く少年は、まだ十一歳だというのにかなり筆まめな性格であった。
男の子にしては珍しいと呆れ交じりに言ったら、毎週のように父に報告書と言う手紙を書くので慣れてしまったなんて返答されたこともあった。
いや、父に送る手紙と令嬢への返事は全く違うと思うのだけど。
……それだけ返事が義務化していて、仕事の一環のような扱いなのかも知れない。
返事を受け取って舞い上がる女の子達がアレクの心理状態を知ったらショックを受ける可能性があるので、黙っていよう。
「アレク、貴方に覚えていて欲しいことがあるのです」
「はぁ。
今度は一体何ですか」
彼は大袈裟に肩を竦めて、カサンドラに訊き返す。
思えば――
自分の王子への想いを知っているのは、義弟だけであった。
婚約者と言ってもほぼ没交渉で、他人行儀。
今でこそ休日のお出かけに声を掛けてもらえるようになったけれど、果たして彼が自分の事をどう思っているのか定かではない。
カサンドラに恥を掻かせるような態度はとらないが、では想いが通じ合った恋人同士かと訊かれるとそれは違う。
いつも互いに遠慮しているし、友人のように砕けた態度でもないことは事実。
見えない透明な壁が間に挟まっている。
ここまでは良いけど、ここから先は踏み込んでくれるな、という言外の線引きを感じる瞬間も多々あった。
ただの政略結婚の相手に過ぎないのに、細心の注意を払って接してもらっていると思う。
今後ずっと一緒に過ごすことになるのだから、お互い最大限立場を尊重していこうという彼の意図は伝わってくる。
いつまでもお客様な扱いでは、彼の行動に口出しも出来ない。
彼が本当は何を思い、今後どんな危機に瀕するのかも傍で見る事も叶わない。
「来週、学園の行事で旅行に行くことは貴方も知っていますね?」
「勿論把握していますが?
学園の生徒の大勢で移動なんて、無茶な事をしますよねぇ」
カサンドラもそう思う。
常識か非常識かで考えたら明らかに非常識だが、元々そういうイベントがシナリオの中にあるのだからしょうがない、なんて事はアレクに言えるはずもない。
そんな要人の子女たち一行がひとところに集結して移動するなんて――と思ったが、それを言い出したら学園の存在自体が危険極まりないものとなるので身辺警護の事を一々心配しないようにしようと思っている。キリがない。
今は行事の是非について語りたいわけではないのだ。
「その旅行で、わたくし、王子に想いを伝えようと考えています」
はっきりと淀みなく、真剣な表情で。
カサンドラは義弟を真っ直ぐに見据えてそう宣言したのだ。
全く寝耳に水と言ったアレクは、頭の周囲に「?」マークを何個も乱舞させている。
鳩に豆鉄砲を食らわせたらきっとこういう顔になるのだろうな、というくらい彼は絶句していた。
「え、ええと、姉上……?」
たっぷり数十秒は沈黙が落ちただろう。
彼は
「何故僕にそんな事を?」
至極尤もな疑問であろう。
姉の恋愛事情など、兄弟にとってこの上なくどうでもいい些末な問題だと思われる。
「今までアレクには王子に関わることで数多く手を煩わせてしまいました。
わたくしが自分に自信が持てず、王子のお気持ちが分からないために……
何かにつけて貴方を頼ってしまったこと、姉として恥ずかしいことでしたね」
「はぁ……。
僕は姉上が王子と親密になれるなら、別に何でも良いんですど」
もしも関係性が悪化して、何かの間違いで婚約話がなくなってしまう方がアレクにとっては一大事。
だから彼が何かにつけてカサンドラの無茶な頼みを叶えてくれたり、呆れながらも誰にも言えないような話を聞いてくれたわけだ。
十歳かそこらの義弟に言うには、かなり憚られる話であったと思う。
「王子の想いさえお聞きできるのであれば、今後アレクを煩わせることもなくなるでしょう。
後になって決意を揺らがせないため、貴方にも覚えていて欲しいのです」
あんなに真剣に宣言しておきながら、やっぱり恥ずかしくて言えませんでした、なんて顛末で終わらないように。
せめて自分がこういう行動を起こすのだ、と誰かに知っていて欲しかった。
自分が勇気を出す、頑張るのだ、と奮起するために――これ以上アレクからの信頼を損なわないためにも。
これだってアレクを利用しているようなものかも知れないが、彼だって婚約者に対してああだこうだと一人気を揉んだり大騒ぎしたり巻き込まれたり、そんな面倒な事から解放される。
「……姉上の好きになさればいいと思いますが。
まぁ、王子の事です。姉上を手酷い言葉で罵るわけでもないでしょうし、今後の事を考えて適当な落としどころを作ってくれるんじゃないですか?」
苦笑交じりにそう悟ったような口調の義弟が小憎らしい。
確かに彼の言う通り、万が一カサンドラの恋心を彼が受け入れてくれなかったとしても、それはそれで仕方のない事だ。
自分が好きだから相手も好きでなければ気が済まないなんて、そんな傲慢な人間にはなりたくない。
もしも彼に今現在、心から大切な存在になれなかったとしたら。
恋人ではない、別の方向からのアプローチで彼の信頼を得て惨劇を食い止める必要がある。
まだそのビジョンは見えないし具体的な事は考えられないが、要するに彼にとって”カサンドラだから信用できる”と傍に置いてもらえることが第一の目的。
所謂恋人同士であれば、一気にクリアできる問題だ。
自分の希望と重なったからという理由も大きいが、そのために彼に好きになってもらいたいと思ってここまで頑張って来た――つもりだ。
ただの顔見知りの言葉より、愛する人言葉の方が彼に響く。そして、真実にも近づけるから。
次善の策として、真実を知らなくても彼の身を守るということだけでは何が何でも達成しなければ。
いつまでも今の中途半端な関係で足踏みをして時間を浪費するわけにはいかない。
「告白が失敗すること前提で話さないでください」
「冗談です。大丈夫、きっと上手くいくでしょう。
僕は旅行から帰宅された姉上のために祝宴でも用意しておけばいいですか?」
「そこまで先走られても困ります……!」
「……うーん……僕には恋愛の事とかこれっぽっちもわかりませんが……
親に決められた婚約者をそこまで好きになれたんですから、王子も同じだったらいいなと思う姉上の気持ちは理解できます。
僕の事は気になさらず、どうか姉上が後悔しないような選択をして下さい」
親が勝手に、会ったこともない相手と縁談をまとめてくる。
こういう立場で生きていれば当たり前のことで、斯く云うアレクは立場上自分で好きだ嫌いだなんて考えたお嫁さん選びなんかできない。
好きな人が婚約者という事は、この上なく恵まれたことなのだ。
「急な話で驚きました。
てっきり、ご成婚までの長い期間を見据えて好意をアピールされているのかと」
彼が小首をかしげてそうぼやく。
「……時間が、無いのです」
自分でも、今までの王子への接近は悠長なものだったと思う。
でも幸せな期間だった。
少しずつ彼の事を知り、話しかけてもらえる機会が増え、共に行動する時間が増えるのは嬉しかった。
出来る事なら……もう少し時間をかけて、”婚約”という先を見据えた関係性の中でお互いに分かり合う期間を大事にしたかった、とも今になって思う。
お見合いや政略結婚で相手を好きになれるなんて、数ある恋物語の中で最も幸せなパターンではないか。
時間に追い立てられ、告白するのだと決意せざるを得ない『未来』を知っているのが悔しい。
いや、でもそんな自分だからこそ未来を変えられる可能性があるのだ。
王子に好きになってもらう、恋愛関係になりたいというのは当初の自分からすれば、手段であった。
自分と王子が救われるための、手段。
だが早い段階から手段は目的と同一視されるようになっていたなぁ、と自分でも苦笑いだ。
彼を救うためには好きになってもらうのが手っ取り早い――という先を知る者の上からの目線ではない。
彼だから、彼を好きになってしまったから救いたいと心底思っている。
そのために自分が出来ることなんか限られている。
入学してから今までの、自分の軌跡を信じなくて誰が信じると言うのだ。
大丈夫、きっと上手くいく。
「………。」
アレクがこちらを複雑そうな表情で眺めているが、もう彼には宣言した。
後は自分の言葉に嘘をつかないよう、マフラーの時のように尻込みする事の無いように。
勇気をもって、旅行期間に彼の真意を聞き出すのだ。
彼は誠実な人だ。
こちらが真摯に想いを伝えれば、誤魔化すことなく正直に話をしてくれるはずだ。
そこで失恋しても、彼の役に立つ方法を絶対に見つけてみせる。
そう自身を鼓舞し、カサンドラは握りしめた拳を胸元近くに掲げたのである。
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