第321話 この先に


 今日ほど騒がしい一日は経験したことが無い。

 教室にいても講義室にいても、周囲の生徒達の関心は全てラルフの婚約者に纏わる事であった。


 ヴァイル派の生徒だけではなく、エルディム派やロンバルド派の生徒達もこの思いがけないラルフの決断に動揺を隠せない。

 いつか訪れるだろうの”いつか”が現実になり、俄かに浮き足だす者達。


 そして次第に話題の中軸が移りつつあることにカサンドラも気づいてしまう。

 いくら外野がああだこうだと論を重ねたところでラルフの選択は覆ることもない。

 大々的に発表した以上、彼の相手は定まってしまった。


 今まで宙に浮いていたヴァイル派などの令嬢が本格的に婚約相手との縁談を進めることが出来る。

 この話の持つ意味は大きく、それまで万が一彼の相手に選ばれるのならと遅々として進まなかった諸侯の思惑に決着がつき、粛々と通例通りの政略相手に娘を嫁がせるよう動き出す。


 止まっていた時が動き出すかのように、これからどんどん電撃婚約ニュースが学園内に飛び交うだろう。

 そしてその様を眺め、ジェイクやシリウスの事を未練がましく機を伺っていた他派閥の家もきっと焦って自分の娘達の縁談を進めるようになる。


 あのフェイクの婚約話で、均衡が崩れた。

 夢や野望を抱いていた諸侯の頭に冷や水を浴びせ、万が一を追うのではなく堅実路線に舵を切るきっかけになるだろう。



 一度婚約の約束を交わせば、いかなる理由があっても他の男性に秋波を送るなどご法度。

 この社交界で一度”不貞”だの”浮気”だのの噂が立てばかなりの死活問題である。

 女性に至っては、一たびそんな不名誉な噂が立てば婚約を破棄され僻地の修道院に送られる可能性さえ浮上する。


 だから今後、ラルフだけでなく他の二人への露骨な異性を意識させる接触は減るだろう。

 ……まぁ、立場が立場なので親善目的の接触はそのままだろうが、彼らにしてみればありがたい話だと思われる。明らかに熱のこもった視線は、素知らぬフリをするのも疲れるものだ。


 ようやく、『普通』の潮流に戻るのか。


 依然ジェイクやシリウスの相手は決まっていないが、決まるのは時間の問題だ。そういう認識が広がり、多くが時計の針を進める事になる。


 今まで御三家のせいで婚約者がいなかった男子生徒達には大チャンスだ。

 もしもこの緩んだ空気の中で目当ての女子生徒に攻勢をかければ、上手い事縁談が纏まるかもしれない。



 それはとても良い事だとカサンドラは思う。

 今まで親の野望やあわよくばの精神で彼らにすり寄らざるを得なかった女性たちもそのプレッシャーから解放される。

 蹴落とし合いや非難の応酬、派閥内の無駄な緊張が減じるはずだ。



 キャロルだってホッとしているだろうな。



 しかしこの状況で地方見聞研修の日程が迫っていることに苦笑いだ。

 これは旅先でのお家絡みのカップル成立が後を絶たないのではなかろうか。


 本来であれば蚊帳の外のはずのカサンドラさえ、これを機会に告白したいと熱意に漲っているのだから――旅行の様相が混沌めいてきた。





 ※





 リタの件という気がかりが無くなり、たちまち自分のことにのみ注力できる。

 自覚すると、カサンドラは一気に落ち着かず中々冷静ではいられない。

 改めて自分だけの問題に集中すると、逃げ場の無さに心臓がきゅっと竦み上がってしまう。



 リゼやリタ、そしてリナの恋愛に関してはこの世界の中で定まった筋道がある。

 当然カサンドラはその前世の記憶を辿って彼女達に最初に助言をし、それを真に受けてくれた彼女達は自分達の努力を重ねて恋愛イベントというハードルを越えた。


 予めこういう女性が好ましいのだから好みに沿うように頑張れ、と。解法がちゃんと存在しているから彼女達は主人公なのだ。



 だがカサンドラは非プレイアブルのお邪魔キャラ。

 彼女達の恋愛が成就すれば当然のように断罪され追放処分を受ける、そんな悪役だ。


 まぁこの学園の様相を眺めていれば、王子と言う婚約者がいるにも拘わらず主人公が狙う攻略キャラにくっつき回ってべたべたしようなど、確かに断罪されるに相応しい所業と言える。

 ゲームのコンセプトからして、倫理観を尊重している世界だから。


 二心ある者、誠意のない者は最終的に裁きを受ける。カサンドラはそれを体現したキャラクタであった。



 そんな悪役としての役割を与えられたはずの自分が、その末路を前世で知って――

 少なくとも、ジェイク達に横恋慕なんて絶対していないし一番大切なのは王子だけだという立場を崩したことは無かった。


 このままなら追放されることはないだろうが、それはバッドエンドの条件の一つを回避しただけに過ぎない。


 これからは王子と真剣に向き合わねばならない時期。

 正解の分からない、そもそも正解があるのかどうか定かではない領域へカサンドラは踏み込む必要がある。


 仮に追放処分にされなくたって、王子が悪魔に乗っ取られて王国を蹂躙するなら、抜本的な解決にならないわけで。

 むしろ自分が追放されれば王子が悪魔に乗っ取られないと分かっているなら喜んで修道院にでも駆け込む所存である。無意味な過程に過ぎないが。


 ……彼の抱える”何か”を知りたい。

 仮に真実彼が何も持たない潔白の身であるとするなら、カサンドラは今後彼の傍で異変が無いかを常に気にかけておこうと思う。

 彼の傍にずっといる――それは婚約者というだけの立場では無理だった。


 少なくともシリウス達のような信頼を得て、堂々と常に彼の傍にいなければ振りかかる災いから王子を守ることは出来ない。


 心理的にも物理的にも距離を縮めないと、カサンドラに出来ることは何もない、現状の立場ではお手上げ状態。




 大丈夫。

 この時のために、王子の事を知ろうとしてきた。

 彼と仲良くなれたのは、カサンドラの自意識過剰ではない……と思う。

 今までのように一定の距離感を持った関係ではなく、心も体も近くなければ彼の危険に気づけない。


 事情があるなら……

 話して欲しい。

 相談して欲しい。



 友人たちを裏切ってまで、彼が何をしたかったのか。 

 惨劇は『何故』起こるのか。


 メインのストーリーを壊すというのは、勇気がいることだ。

 だが定められた破滅を避けるには、何としても根底から覆さなくては。



 もしも、もしも。

 全てが裏目に出て、悪魔に乗っ取られて聖女がいなければ王国が滅びの危機に瀕するなんて最悪の事態になったら。

 ……どうか、彼女達が聖女の力に目覚めて世界を救ってくれますようにと祈るしかないのだが。






「カサンドラ様、今お帰りですか?」


 若干険しい顔をしていたカサンドラ。

 廊下を歩いて玄関ホールに向かう途中に声を掛けられ、立ち止まる。良く見知った者の声だったから。


 肩越しに振り返ると、にこっと友好的な微笑みを浮かべるリナの姿が映る。

 両手で鞄を下げ、目線が合うとぺこりとお辞儀をする彼女はリゼともリタとも全く違うふんわりと柔らかい空気に包まれていた。


「ごきげんよう、リナさん。

 今日はお一人なのですか?」


 リナは他の姉妹と一緒に行動していることが多い。

 一人で歩かせるのが心配だという姉達の心配があるからだろうか。

 人の言うことを拒否できない優しさを持つ彼女なので、ハラハラする場面も数多く遭遇したのだろう。

 リタは他人の言うことを信じやすく、鵜呑みにはするが嫌な事は嫌だと普通に言えるはず。

 が、目の前の少女の場合は、自分が不利益を被ると分かっていても頼まれたなら、と承知の上で頷いてしまう性格だ。


 あまり一人で出歩かせたくない気持ちは分かる。

 アルバイトを始めてからは、彼女も単独行動が増えてきたなという印象はあるけれど。一人なのは珍しいなと思ってしまう。


「はい。

 リゼは家庭教師のお仕事ですし、リタは姿が見当たりませんし。

 ……カサンドラ様に確認させていただきたいこともありましたので」


 珍しい、とカサンドラはつい足を留めて彼女が距離を詰めてくるのを待つ。

 彼女が自分に対し何かしらのアクションを行うのは久々な気がする。

 勿論、リナの現状は会話をする端々で把握しているつもりだが、あまり頼られている――という感じはないもので。

 必要パラメータが学習系。しかも恋愛イベントは二年目からなら、しょうがない事か。


 何せ真面目に学園で学業に専念していればいいのだから、無駄が無い。

 その分あちこちの場所に同行し彼から話を聞いたり、親交を深めなければいけない。それはカサンドラが助言できる範疇を越えているから、当人に任せる他ないわけで。


 ジェイクやラルフと違って、シリウスは好感度が低いと必要以上に冷たい対応だから心が折れてもおかしくないが……リナは頑張って誘ったり誘われたりしているようだ。


「わたくしに、ですか」


「ええ、おおよその予想はできているのですが。

 答え合わせをしたくなってしまって」


 彼女は周囲の様子を殊更に気にしつつ、カサンドラの耳元にこそっと耳打ちをした。


「今話題の幻の令嬢リリエーヌ。

 その正体は――リタですよね?」


 少し悪戯っぽい笑みを浮かべ、彼女はかなりの確信をもってそう尋ねて来た。

 全くの不意打ちを食らい、カサンドラは口を噤んで彼女をまじまじを見つめる。


「まぁ、リナさん。貴女にしてはおかしなことを仰いますね?

 意外な質問に驚きました」


「リタを見ていれば分かりますよ。恐らくリゼも勘付いていると思います。

 ……あんなにラルフ様のことばかり話していたのに、一切の話をしなくなりましたし。

 落ち込んでいる素振りもなく、選択講義――礼法作法などに一層取り組む姿勢を見せているのですよ?

  

 何より、カサンドラ様が最初に教えて下さったではありませんか」



 成程、そう言えば三人の前でラルフの舞踏会の話をしてしまったような気がする。

 今考えれば相当迂闊な発言だった。

 ラルフが絶対に外部に漏らしてはいけない情報を、先んじて喋ってしまったことになる。

 三つ子の登場に動揺していたのだなと当時を振り返って額を掌で押さえたくなった。

 その衝動にぐっと耐えていると、リナは更に言葉を続ける。



「それに――

 今日、ラルフ様は一度もリタの方を見なかったように思います」


 一学期の頃は、ラルフに話しかけられることが多かったと恐縮していたリナである。

 だがいつの間にか彼の視線の先にいるのはリナではなくなってしまったのだ。


 自分と王子の関係性だけではなく、当然三つ子と攻略対象の関係も様変わりしている。

 喜ばしい事だ、努力の結果彼らの興味を惹くことが出来たという事だから。



「敢えて、今日はリタを見なかったのでしょう。

 万が一でも彼女の存在を気づかれたくない、印象付けたくないという意志を感じました。

 ふふ、なんだか壮大なお話ですね」


 

 正解を知ったからと言って、姉の不利になるよう立ち回る気はないようだ。


 こちらの反応が概ね予想通りだったことに満足したのか――ニコニコ表情を明るくし、それ以上の詮索や言及は無かったのに安堵した。


 本来は秘すべき事情であるが、彼女達にとってリタは他人ではない。まさに血肉を分けた三つ子だ。

 この騒動のせいでリタが致命的に落ち込んでしまったのではと気を揉むよりも、自分達の与り知らぬところで彼女なりに”進展”しているのだと分かった方が安心できる。

 悲しんだり落ち込んだりする姿を目の当たりにしては、リナだって自分の未来を想像して気落ちしてしまうことだろう。

 心配事が一つ消えた、と清々しい気持ちなのかもしれない。



「本当に、リゼもリタも凄いですね。

 こんな風に相手の方と仲良くなれるなんて、想像もできませんでした」


 彼女の栗色の髪が、冬の冷たい風にさらわれてふわっと揺れる。

 蒼いリボンを押さえる彼女の仕草が視界に入り、カサンドラは再度言葉に詰まった。


 気にしていないように見えるけれど、案外彼女も内心で焦りを感じているのだろうか。

 三つ子なのに、姉達はどんどん先のステージへ進んでしまう。


 スケジュールの関係とは言え、自分だけ一切の進展が見込めない。

 カサンドラなら置いて行かれた感じがして、普段通りの態度で姉達に接することは難しいかも知れないと思う。


「リナさんは、今――学園生活が楽しいですか?」


 シリウスとの様子はどうなのかとそのまま直截に尋ねるのも不躾過ぎる。

 婉曲な言い回しにも拘わらず、リナはこちらの意図をちゃんと汲んでくれたようだ。


 一切表情を変えることなく、はい、と。はにかみながら頷いた。



「シリウス様には多くの場所にご一緒する機会をいただきました。

 学園の試験対策や社会勉強として、都度色んな事を知ることは楽しいですね」


 結構あちこち一緒に出掛けているのだろうか。

 以前博物館と言っていたが、他にも中央公園だ市場だ劇場だ孤児院だ、要所要所に出かけて彼の話を聞いておく必要がある。

 まぁ、あれは――シリウスによる主人公の価値観試験と言った方が正しいか。

 彼が求める女性像に合うような返答をしなければならず、下手をしたら一発でフラグが折れる。

 

 余程ひねくれた選択肢を選ばなければ大丈夫なので、心配はしていない。

 リナは素直だし、思慮深く優しい子だ。

 わざとシリウスを怒らせたり失望させるような態度はとらないだろう。


 だから、彼女の恋愛は上手くいっている。

 後は学年末試験の結果如何と言ったところか。

 果たして彼女が上位陣に食い込むことが出来るのか、これは今までの比ではないくらいドキドキものだ。


 順位と言う目に見える結果は望んだとおり数値として可視化できる状態だが……

 酌量の余地もなくその数字が全てということ。

 今から胃が痛い。


「あの人の事を色々知っていくことが出来るのはとても幸せな事だと思っています。

 ……。


 正直に申し上げるなら、……私、今のままが良いです。

 ――このまま、時が止まればいいのに」



 リナの気持ちは凄く分かる。

 互いに意識しつつも、その境界線を踏み越える事の無い期間。

 恋が成就したわけでも失恋したわけでもない、相手の一挙手一投足にドキドキする日々。



 その先の変化が怖いから、中途半端でも居心地のいい『今』が続けばいいと思う気持ち。




 まさにカサンドラがその心境なのかもしれない。

 『今』がずっと続くのなら……



 嫌でも、時は流れる。

 残酷なまでに平等で、誰か一人の願いで止まることの無いものが時間。

 どれだけお金や地位があっても、人の力の及ばぬものだ。




「でも、それは間違ってますよね。

 先に進まないと見えないものも、沢山あるのでしょうから。

 今のままでは、何も変わらない。

 ――私はやっぱり、未来さきが知りたいです。


 二人のようにはいきませんが、自分なりに精一杯頑張りますね」


 


 そう言って微笑みかけてくるリナの姿に、そうですね、と頷く他ない。







   私だって、まだ知らない未来さきが見たい。





 彼女の決意に覆いかぶせるように、カサンドラもグッと決心を固める。

 


 

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