第319話 <リタ>



 ――完全にやらかした。



 舞踏会場からキャロルを運び出し、屋敷の従者に任せることにした。

 負傷者をどこに運べばいいかなど知る由もない。


 バタバタと慌ただしく動き出す彼らに抱えられ、痛そうに表情を歪めるキャロル。


「リリエーヌさん、ありがとうございました」


 こちらを振り返り無理をして微笑む彼女が心配でしょうがなかった。

 だが、心配事は彼女の容態だけではない。


 リタは蒼い顔をしたまま、廊下の壁に背中をドンと着けて。

 ワナワナと両手の指を震わせる。



 緊張のせいで要らないことをしてしまったことに対する後悔ゆえだ。


 だが、一体どうすればよかったのだ。


 ブレイザー子爵家は話を聞けば有力貴族と言うわけでもないし、しかも自分は今まで社交界とは無縁の『架空』の存在。

 何十人も候補者が集う会場で、自分はきっと空気のような存在になるだろうと思っていた。

 華々しい容姿、経歴、家名を引っ提げて国中の適齢期の令嬢が一堂に会するのだ。


 有象無象以下のリリエーヌ。

 いかにラルフに選んでもらうのに無理がない、一端いっぱしの令嬢らしさを周囲にアピールするべきか。

 そればかり考え、緊張を強いられていたリタである。


 しかし蓋を開けてみれば、何故か多くの令嬢が自分に声を掛けてくる。

 挨拶されれば無視するわけにはいかない。

 そしてリタは今まで貴族社会と無縁で知人もいないので、誰が嫡子で誰がそうでないかの判断も付かない。

 少なくとも自分の与えられた地位を考えれば――話しかけてくる相手は皆格上の”お嬢様”なのだと意識し、緊張で裏返りそうな声を必死で押さえつけて応対していたのだ。


 不愛想で根暗なお嬢さんが、社交的なラルフの目に留まるとも思えない。

 だから話しかけてくれた以上、出来る限り良家のお嬢様らしく失礼のないように応対していたものの……

 心底気疲れしていた。


 なんで自分などに話しかけてくるのか。もしかしたら気に入らない相手だから尻尾を巻いて逃げるよう促されているのかと勘繰る始末。


 この会場に自分の味方などいない。

 だって本来は存在しない人間だ。幽霊がドレスを着て、本来は資格がないのにこの場に紛れて「うふふ」とはにかみ微笑む滑稽さ。

 僭称がバレてしまえば己の身が危ういという、薄氷の上に立っている自分。


 だから……


 自分と同じ愛人の娘という立場の令嬢が話しかけてくれたのは、本当に全身の力が抜ける程安堵し心強く思った。

 興味を持って話しかけてくる令嬢は皆、ブレイザーと名乗れば目の端を光らせ「ライバルにもならない存在」と上から目線で接してくる。

 

 そうか愛人の娘という立場でも堂々と振る舞っていても大丈夫なのか、と。

 彼女の遠慮ない態度に励まされた気持ちだったのに。


 ……まさかキャロルを突き飛ばし怪我をさせるような暴挙に及ぶなんて想像もしなかった。

 頭が真っ白で、全身の毛穴がぞわっと開いたのを覚えている。



 自分の人を見る目の無さを悔やんだ。

 リタの勝手な思い込みであの女性を挑発してしまい、庇ってくれたキャロルに怪我をさせてしまうなど……

 いつまで経っても救護の人間が割り込んでくる様子がなく、やむを得ずキャロルを助け起こしたはいいものの。



 これは完全にリタのやらかしだ。

 もっと無難な立ち回りが出来たはずなのに、結果的にケンヴィッジを名乗るあの女性を怒らせた。

 キャロルを窮地に陥れてしまった。


 それだけならまだいい、完全に思考が迷子になっていた自分は、いつもの癖で……

 腕力に任せて彼女を抱きかかえて退場するという、とんでもない行為を皆の前で披露してしまったのだ。



 他所様の令嬢をお姫様抱っこ! 

 こんな!

 令嬢が!

 いるわけがないだろう!



 周囲に誰も人影が無ければ、壁に額をゴンゴン打ち付けていたかもしれない。

 幸い廊下は先ほどのトラブルのせいで人通りも多く、キャロルの侍女と思わしき数名の女性が目の前を慌ただしく通り過ぎて行く様子を呆然と眺めているしかなかった。

 焦燥感に身体を焼き尽くされそうだ。



 この場にラルフがいたら土下座で謝罪をしていたことだろう。

 ”リリエーヌ”はこの婚約者選定の舞踏会で――主役であるラルフに見初められるという大役を仰せつかっていたのだ。

 この壮大な茶番劇の要が自分であった。


 ここまで手間をかけて背景を捏造してくれ、見てくれだけでも良家のお嬢様に変身させてくれた。

 それら全ての彼の意図を、自分の勝手な振る舞いで木っ端みじんに台無しにしてしまった。


 後悔したが、やってしまったことは取り返しがつかない。


 でもあの場で晒し者のように蹲って震える彼女を黙って見ているだけなど、リタには無理だ。

 だって自分の軽率な発言のせいではないか。


 キャロルが足を怪我していなければ、手を貸すだけですんだだろうか……過去に仮定を添えても虚しいだけだ。


 これからどんな顔をして会場に戻ればいいのだろう。

 お淑やかで清楚な令嬢どころか、怪力女と謗られるビジョンしか見えない。


 ラルフに呆れられ、見放され……

 身分を偽り僭称した罪人として役人に突き出されるのだろうか。


 足が震えて呼吸も荒くなるが、いつまでも廊下で佇んでいたらラルフへのアピールも何もあったものではない。

 既に取り返しのつかない失態を演じてしまったが、ここで逃げ出すことも中途半端だし、余計に彼を怒らせるのではないかと身が竦む。



 扉越しにゆったりとした音楽が聴こえてくる。

 リタは覚悟を決めて胸の前で拳を握りしめて勇気を振り絞って足を動かす。



 リリエーヌを演じるために被っていた仮面が、あの一瞬、取れてしまった。

 人間、想定外の事態に陥ると素が出るんだろうな。






    やはり自分は、役者に向いていない。

 






 躊躇いがちに扉を押し開き、恐る恐る会場に再度足を踏み入れたリタは――



 会場中の視線が一斉に突き刺さり、心臓がぎゅうっと掴み上げられた気持ちだ。

 必死でそれに気づかないフリをして前進する。



「まぁ、お戻りになられましたわ」


「本当にあの方が? あの細い腕で……?」


「私この目で見ましたもの」


 ヒソヒソと扇で口元を隠しながら、お嬢様達は顔を見合わせて小声で話す。

 恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。


 架空の存在だからリタ本人が傷つくわけではないのだけが救いだが、任務失敗という言葉が重たくリタの頭上に圧し掛かる。

 金髪のウィッグがやたらと重量を持って感じられ、先ほど頭を抱えた時にズレやしなかったか今更冷や冷やする。



「お帰り、リリエーヌ嬢」



 不意に前方から声を掛けられ、うつむきがちだった視線を跳ね上げる。

 今日に限ったことではないが、いつものように美しい女性たちに四方を囲まれて話をしていたラルフの声が届き――

 リタの心をグチャグチャに掻き乱す。


 手をついて「ごめんなさい」と謝りたい。

 言われた役をこなせず、余計な事をして事前準備を台無しにして申し訳なかったと。


「ラルフ様」


 どんな声音で彼の名を呼べばいいのか分からない。

 ただ、彼がこちらに向かって近づいて来るのを茫洋とした視界に収めているだけだ。


 それにしても相変わらず美しい。

 この女性しかいない豪華絢爛な舞踏会場でも、盛装する彼の眩しい光輝は留まるところを知らない。

 完全に隣に立つ女性を引き立て役とする、中性的な美貌の持ち主。




「君を待っていたよ。

 ……さぁ、一緒に踊ろうか」


 彼は先ほど生じた出来事などまるで無かったことのように振る舞うことにしたらしい。

 

 この舞踏会で彼と踊るということは、彼の正式な婚約者に選ばれるということで。

 ……当然こんな突然ポッと現れた出自も怪しいリリエーヌが声を掛けられたので、周囲は一気に騒然とする。



 いくらなんでも、それは強引過ぎる!



 当初の予定通りとは言え、致命的失態を犯した自分が突然選ばれるなんて。いや、予定にも早すぎる。

 この日のために一生懸命準備して遠方から遥々訪れたお嬢さん達も腹に据えかねる事態だろう。



「お待ちください、ラルフ様!

 何故そのような者をお選びになるのです!?

 どなたかとお間違えではございませんか?」


 リタに手を差し出すラルフに噛みつくように、人垣から突出し大きな声でがなり立てる女性。

 それは先ほどキャロルを突き飛ばした、あのケンヴィッジ家のお嬢さんではないか。


 誰かに嫌悪感を抱いたことなど数える程しかないリタでも、彼女の言動は目に余るものがあると思う。

 本当にあのアイリスと血が繋がっているのかと疑問さえ抱く始末だ。


「そうです、あまりにも不釣り合いではありませんか。

 まだ宴は始まったばかりだというのに!」


 声に出した女性は一人ではなく、後方から数人。

 当然こういう制止の声が掛かるだろう、あまりにもラルフの申し出は性急すぎる。

  




「身分に配慮した相手を選ぶなら、最初から皆に集まってもらう必要などなかった。

 私は肩書きでパートナーを選ぶつもりはない」




 ラルフが言い切ると、その場が水を打ったように静まり返る。

 文句を言いたげなお嬢さん達も、陸に揚げられた魚のようにパクパクと口の開閉を繰り返すのだ。



「始まる前から、ずっと会場の様子を見ていた。

 キャロル嬢が倒れてしまった瞬間もね」



 それまで威勢よく腰に手を当てて、親の敵とばかりにこちらを睨み据えていたアリーズ。

 だが彼にはっきりと宣告され、急に挙動不審になって視線をあちらこちらに逸らし続ける。彼に目撃されていたとあっては申し開きも出来ないと、彼女自身理解しているからだ。

 怪我をしてしまったキャロルの事を思うと、ほんの少し溜飲が下がった。



「彼女を助けてくれてありがとう、リリエーヌ嬢」


「い、いえ。あの……

 勝手に行動してしまって、申し訳なく思います」


 これはラルフの高度な嫌味か皮肉だろうか。

 背筋が凍り付くような想いだが、彼の柔らかい表情を見ていると本心からの言葉のように思える。

 それがかなり居心地が悪い。



「初めて君を見かけた時から、とても美しい人だと目を奪われていた。

 それだけではなく、傷ついてしまった人に手を差し伸べることを躊躇わない優しさ。

 周りの視線を恐れない胆力と行動力。

 私にとっては得難く、魅力的だ」


 彼は全く恥ずかしげもなく、さらっとそんな台詞を述べるのだ。

 まるで詩を朗読でもしているのかと言う程、滔々と。


 公的な場所だから一人称が変わっているのが、リタの現状を相俟って一層芝居がかって感じられてしまう。


 お世辞だと分かっている、自分のとんでもない行動のフォローだと理解している。


 こんなはずじゃなかった。

 シャルローグ劇団の裏方さんの力やラルフの力を借りて華麗に変身を遂げた架空のお嬢様リリエーヌに、求婚するはずだった。間違っても怪力娘に求婚するう予定などなかったのだ。

 じゃじゃ馬のようなお嬢様らしくない行動をとって、その軌道修正に彼が四苦八苦しているのだろうと申し訳なさはぬぐえない。



 でも……

 ただ外見や演じる仕草を評価されたと言われるより、ちゃんと自分を見てくれているような発言は心の中の一番弱い部分に沁みていく。



「そ、そんな……

 公爵様が……国王様だってお許しにならないのでは……?」


 くらっと眩暈を起こすアリーズは懸命に踏みとどまり、最後の力を振り絞るかのように皆の気持ちを代弁してくれる。

 だって自分は自己紹介通りなら、子爵家の庶子なのだから。

 それがいきなり公爵家に嫁ぐなど、由々しき事態だ。



 先ほどキャロルの周囲にいて事の顛末を知っている人たちは、諦めたような納得するかのような顔で。

 だがそうではなく、急にどこぞの馬の骨が現れたと感じている人たちは――アリーズのように、不満を抱えて到底納得とは程遠い雰囲気だ。




「私の相手は、私が決める。」




 有無を言わせない、明確な当人の意志を持った言葉。

 腰が砕けたようにへなへなとその場にへたり込むケンヴィッジの長女の姿は、既にラルフの視界に入ってはいないようだった。



 これは……強いな。インパクトがある。


 ここまで大勢のラルフの婚約者候補として適性を持つ女性を前にして、きっぱりと己の選択を堂々と言い切る姿は疑義を差し挟むことさえ許さない。

 彼が確かに選んだ、家柄など度外視で本人が選択したのだ、とこれ以上アピールする事など出来はしないだろう。



 目的を考えれば、災い転じて福となしたことになるのか。

 リタの信じられない失敗を逆に上手く利用したと言えるだろう。


 舞踏会最後に選ばれるはずが、いきなり始まってすぐに相手に選ばれるなんて。

 打ち合わせと違うが、最初に予定外の行動をとった自分が言える義理ではない。



「本当に私で良いのでしょうか」



 ああ、自分は何故打ち合わせと違うことばかり。

 彼に選ばれたら、そのまま静かに頷いて一曲踊れば良いと言われていたのに。


 本音の部分が顔を出してしまった。



「勿論。中々こういう場所では見る事の出来ない、ユニークで勇気ある行動だった。

 君と一緒なら退屈しないですみそうだからね」



 

 彼がにっこりと微笑むと、既に音楽隊の奏でる曲が変わっていることに気づく。

 これは……


 学園の選択講義、社交ダンスで良く踊らされたものだ。

 体に馴染んだ円舞曲ワルツである。

 


 何故かアリーズの傍に立っている令嬢達は、いきなりの急展開に戸惑いながらも――

 自分に向かって拍手をしてくれた。

 それは演奏の音量に掻き消される程の小さな音。


 悔しそうに悪態をつく女性や、狐につままれたように呆然として会話を交わす令嬢の喧騒にも掻き消される程微かな音。






 ※







「……本当に申し訳ありません」


 慣れ親しんだ曲なので、ダンスをしくじる心配はなさそうだ。

 舞踏会場の中央で、色んな感情を籠めた視線を背中に受けながらリタはラルフと踊っている。

 予定外の事態だが、これでミッションは終わったと思ってもいいのだろう。


「キャロル嬢にはすまないけれど、君の行動に笑ってしまったよ。

 はは、あれは本来僕がやらないといけない役目だね」


「うっ……」


 完全に二人の世界――と言うには四方八方から飛んでくる視線がとても痛い。

 だがここでラルフと踊り、そしてパートナーとして選んだ以上既に彼の選別は終わってしまったのだ。


 舞踏会は終了予定時間よりもまだ時間があるので、それまでにラルフと他に踊る女性が現れれば話はややこしくなるだろう。

 が、ラルフの当初の予定通り、これで本来は存在しない偽物のお嬢様のリリエーヌと婚約をしたという話でまとまるはずだ。

 そうでなければリタがここに紛れ込んだ意味が無い。


 平等にこの場に集い、その中から彼が己の意志で「この人」と明確に指し示した以上。

 もはやその選択を無理矢理無かったことには出来ない事だ。

 既成事実として、関係が構築されてしまう。



 彼とこんな素敵なドレスを着て踊ることが出来て、とても嬉しい。

 羨望や嫉妬の眼差しさえ気にしなければ、今、自分は天にも昇る幸せの頂きでガッツポーズをとっているに等しい状況だ。



 でも、現実に戻らなければいけない時は、刻一刻と近づいている。

 これで”リタ”とラルフとの関連性はなくなってしまう。

 婚約者が決まった以上、もうリタのお役目は終了。

 ラルフからの無茶な頼み事も、少々予定外の事態を挟んだが無事にやりきったと言える状況なわけで。


「あ、あの。

 失敗もありましたけど、これで……良かったでしょうか」


「無理を聞いてくれてありがとう。

 これからも宜しく頼むよ」


「はい、これからも! ん……?」


 思わず態勢を崩してしまいそうなくらい、リタは驚いて目を瞠る。

 彼は全く素知らぬ顔で、リタの手を取った。

 華麗に足を動かすと、彼の金色の髪が大きく揺れる。


 今、ラルフは何て言った?


 これからもって……


 あれ?

 頼み事はこれで終わりのはずでは?



「言ってなかったかな?

 君は僕の婚約者だから、当然今後パーティや夜会には同伴してもらうことになる。

 この婚約話が解消できる時まで、ね」


 自分達の姿は客観的に、互いに見つめ合って自分達の世界に入り込んでいる婚約者パートナー同士に見えるだろうか。

 だが彼の顔を見上げるリタの蒼い目は焦点が合わずぐるぐると回っている。



「え? え?」



 そこまで仮定の思考が行き届かなかった。


 ここで彼の依頼を達成したら、おしまいとばかり……





「今後とも宜しく、リリエーヌ嬢」






 彼は悪戯っぽく微笑み、耳元でそっと囁いた。











     偽りの関係は、たった今始まったばかり。  


 

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