第317話 <リタ>
今日はとうとう運命の日、決戦の舞踏会が開催される日だ。
いくら普段細かいことを気にしない大雑把な性格のリタとは言え、流石に昨晩は中々寝付けなかった。
一世一代の大博打という言葉が頭上を周回し始め、早何十週目か。
後はもう野となれ山となれ、と覚悟を決めてリタはブレイザー子爵家の構えるお屋敷にやってきたのだ。
中央貴族だが郊外と呼んで差し支えない中心地から離れた場所に居を構える邸宅は――何故か必要最小限の使用人しか雇っていないようで、人の気配がほとんどない。
屋敷の一室を借りて化粧をしてドレスを着る、その場所を提供してもらう上に双方納得づくでも『娘』と偽って名乗るのだ。
一言挨拶兼お詫びをしたかったのだが、当主は姿を見せる事は最後まで無かった。
そこまで忌避されているのだろうかと微妙な気持ちになるが、支度が進んでいくにつれて余計な事を考える心の余裕がなくなっていく。
本来劇場の仕事で忙しいはずのシャルローグ劇団お抱えの化粧師のお姉さんが今、自分の顔を文字通り塗り替えている最中だ。
今日はヴァイル家の大舞踏会を避けるよう、劇場は休演。
元々一流の劇場で優雅に間隙を楽しむ層の多くが舞踏会に招待されているからという事情もあるのだろうが、化粧師さんや衣装係の団員達をここに派遣するので止む無く、という事なのだろう。
急な休みで暇なのよ、と化粧師のお姉さんはテキパキと指を動かす。
指の股にそれぞれ細さや用途の違う筆を挟み、真剣な眼差しでリタの顔を弄っていく。
足の長い椅子に座らされ、彼女のされるがままで化粧を施されている自分。
鏡に映る自分があっという間に”他人”に変わっていく様は恐ろしくもあった。
人間、化粧一つでこんなに印象を操作することが出来るのかと。
この土台から全て『建築』していくかのような改装が他の女性で行われていたとしたら、リタは他人の相貌を判断することが出来なくなるだろう。
まあ、ここまで別人仕様の形に出来る劇団の化粧師さんの腕の賜物とも言えるか。
元々他人になり切って演じる役者たちへの化粧は、普通の素材を引き立てる系の普通の化粧とは違うものかも知れないし。
「貴女みたいな良い素材って初めてだったのよね」
「こんな十人並みの顔がですか?」
頬の辺りをブラシでササッと捌けられ、そのくすぐったさにリタは肩を竦める。
良い素材と言われても今一ピンとこない。
日常的に、美形ばかりの集団に即しているからだろう。
一歩歩くどころか視線をズラしただけでそこにもう一人美人さんが座っているような、美形の名産地ならぬ博覧会。
「十人並みって凄い事なのよ!?
癖が無いって奇跡!
一口に美形って言ってもその尖った造形のせいでコンプレックスを持ってる人だっているし、方向性や雰囲気だって十人十色。目つきの厳しいキツめの美人を化粧だけで真逆の人相に変えたって無理が出るだけ。
取り立てて優れた造形の箇所はなくとも欠点がない、フラットな顔面はまさにそれ自体が個性よ。
どういう方向にも化ける可能性を持った貴女の顔は逸材……!」
褒められているのか貶されているのか!?
「はは……
じゃあ、少なくとも王都にはあと二人逸材が存在するんですね」
思わず口元が引き攣ってしまった。
外見を構成するパーツは全く同じの三つ子の姉妹を思い浮かべる。
彼女達もこうやて顔面に加工を施されることで別人になれるに違いない。
「んー……
どうかしらね。顔が同じでも、貴女みたいにスッとその容姿に馴染めるかは分からないわねー」
「形は同じなのに?」
「外見と内面は切り離せないものよ、別人のように……って、言う程簡単じゃないわ」
化粧師さんと雑談を続ける。
慣れ親しんだ劇団のスタッフだから、緊張が徐々に解けていく。
彼女が言うには、外見とは結局内面の”気質”に大きく影響を受けるとのことだ。
何年、十何年、何十年とその人の外見は内面が滲み出て構築されていく。
意地悪そうな人がいつの間にかそういう顔つきになっていたり、優しい人は見るからに優しそうな外見になったり、と。
外見も内面も強く結びついたパーソナリティ。
急に
美人は一日で美人になるのではなく、そうであるに相応しい”過程”を経て輝いているのだ。
いくら形だけきれいでも醜い心の持ち主は悪役のような顔になる、と。
……いや、一概にそうは言い切れないだろうが。人は見かけによらないとも言うし。
何よりパッと見の第一印象では意地悪で高飛車なお嬢様としか言いようがないカサンドラの内面は、外見とは全く異なっているように見える。
美人さんは美人さんだけど。
反論したところで話がややこしくなるだけなので曖昧に笑って頷くにとどめる。
「すんなり”別人の顔”に馴染むって難しいものよ。
前にも言ったけど、貴女、役者に向いてるんじゃない?」
そう言われると、ちょっと面映ゆい。
お芝居を観るのは昔から好きだったし、色んな物語を読むのも好きだし。
自分以外の誰かになってみる、というのは非日常を味わえて楽しいこともあった。
「でも私、今の自分が結構好きなんですよねー!
こうやって人力に頼って綺麗になるのは、何か違うかなって。
演劇観るのは好きですけど! すすんで演じるっていうのは考えられないっていうか」
「あら、そう。残念ね」
化粧の仕上げ段階に至ると、鏡の中にはリタではない誰かが映っている。
瞳の色を誤魔化すことは出来ないが、青色の瞳の持ち主は多いので変える必要はない。
ただ、栗色の髪の毛は変えた方が良いだろうと金色の髪のウィッグを被せてもらえるらしい。
――設定を確認しよう。
『私』の名前はリリエーヌ。
ブレイザー子爵の子どもとして半年前に市井から拾われた婚外子。
彼は今まで自分の隠し子の存在を決して認めようとはしなかったが、彼が特注で作らせていた懐中時計を所持していたことが知られ、それを切欠に子爵も「自分の子である」と渋々ながら認めてくれた――というお話である。
最近まで庶民として過ごしていたので現在は屋敷で淑女教育中の身、学力不足ゆえ学園への入学は現時点では考えていないという事。
往生際悪く父が婚外子の存在を親類に隠し続けていたため、社交界に顔を出したことが無いという事。
正式に認知されたことで貴族名鑑に名が載り、ヴァイル家より招待状が届き招待に応じた。こうして右も左も分からない中舞踏会に参加することになった――
基本はこのようなところだろうか。
庶民のリタがボロを出しても誤魔化しがきく設定にしてくれていると思う。
だが、リタはそのラルフの厚意に甘えるわけにはいかないのだ。
ただの町娘のような存在で良ければ、候補は他にいくらでも見繕うことが出来たはず。
そうではなく、ラルフの目に留まるに足る――周囲の令嬢達をパッと見ただけで納得させられるだけの立ち居振る舞いが求められている。
急ごしらえの淑女教育という話だが、野暮ったい町娘そのものの振る舞いではラルフ人を見る目、品位を貶めてしまうことになる。
彼は約束通り、筋書き通り架空の令嬢『リリエーヌ』を婚約者として選んでくれる。
でなければここまで手の込んだ芝居を打つ意味が無い。
だが自分が見るに堪えない言動をしてしまい、周囲に顰蹙を買ったりするようではそんなリリエーヌを選ぶラルフに迷惑をかけてしまうのだ。
自分はお姫様だ、憧れの隣国の王子様に舞踏会に招待されたのだという意識を忘れてはいけないのだ。
キャラに合わないだアイデンティティ崩壊の危機だなんて言っている場合ではない。
自分はリリエーヌをいつも通り演じ、彼の目に留まる努力をしなければ。
「こんな感じかしら?」
顔の改造が終わった後、ウィッグを被り舞踏会用のドレスを纏う。
本来ならピンク色を好んで着る性格ではないが、この顔面の可憐なお嬢様に良く似合うドレス。
一足早い春を思わせるふんわりしたドレスは、広がったスカートの裾を持ちあげなくても歩ける、ダンスを踊りやすいものを選んでもらった。
あまり豪華すぎても不審がられそうなので、ドレスの選定にはかなり衣装係も頭を悩ませたようだ。
ふんだんなお金を使って衣装を整えるのは簡単でも、限られた条件の中から最大限の見栄えのいいドレスを選択するのは難しい。
子供っぽいデザインも場違い、だが桃色を基調としたボリュームが少なそうなドレス。
だが彼女達はプロの衣装係だ。
リリエーヌにピッタリ似合う華やいだ衣装を選び、コルセットで腰を締め上げ。
どうにかこうにか、舞踏会に向かうに相応しい架空のお嬢様を一名誕生させることに成功したのである。
大きな姿見の前で自分の格好を確認する。
どこからどう見ても完璧な貴族のお嬢様としか言いようがない、金髪碧眼の美少女がそこにいた。
いくらアクの強くない特徴の無い顔だからと言って、よくもここまで変身させられるものだと充実感にニコニコ笑顔で首肯する化粧師さんを畏怖を込めて眺める。
綺麗になれるなんて夢のようだった。
お姫様みたいにドレスを着れるなんて素敵、心がウキウキする。
もしもラルフに出会う前の自分だったら、そういう変身願望を満たした今の自分の姿に狂喜乱舞していたことだろう。
こんな夢なら醒めないでくれと。
人の手によって作り上げられた美少女、お金の力で飾り立てたこの格好は驚きの産物でさえある。
田舎の村娘がドレスを着ればここまで「それらしく」見えるのね、と。
だが――それよりも、親しい人でさえ認識できない程変わってしまった自分の外見をラルフに看破されてしまった時の衝撃が大きかった。
姿かたちに拘泥している方が格好悪いというか、外見だけが正義じゃないんだなぁ、と。当たり前のことを教えてもらった気持ちだ。
どこにいても、どんな自分でもきっと彼は
だがそんな彼のために、本来の自分ではないお嬢様役を演じ切らなければいけないとは皮肉なものだ。
外見や振る舞いが人間の価値の全てではないが、この虚飾に塗れた貴族社会で見た目がどれほど大事かも嫌と言う程分かっている。
ただの平民の自分に、ラルフにとって利益になるようなことは何も出来ないはずだった。
でも役に立てることがあるのなら、彼が用意してくれた設定の中にあるフォロー要素を使わずに済むように。
堂々と選ばれたいと、薄いレースの手袋を填めたリタは拳を握りしめて大きく頷く。
決意に漲い、メラメラと闘志を燃やす。
ドレスの姿で気合を入れるリタを「大丈夫かなぁ」と劇団員たちが眺めている事に、リタは全く気付かなかった。
※
お姫様に憧れていた過去の自分に言いたい。
ドレスってこの上なく動きづらいし、結構重量があることを……!
機能性と対極にある服だと改めて思い知った。
一応素材は軽めのもので、くるっとターンする時に背中の白く透ける飾り布がひらひらと舞うデザインで可愛いのだけれど。
馬車に乗るのも全神経を集中させる必要がある、ドレスを汚したり引っかけたりしないように細心の注意を払う。
移動するだけで一苦労だ、これで何時間も舞踏会の会場で立ちっぱなし状態なんて――
お嬢様って結構体力勝負なのだなぁ、なんて考えている内にいつの間にか馬車はヴァイル公爵家の屋敷へと近づいて行った。
屋敷と言うより、もはや王宮。
常識では考えられない広大な敷地の中に一際大きく聳える館、それが今回舞踏会が開かれる大ホールだという。
馬車の行列が出来上がり、しかも位が高い家の紋章を掲げる馬車から順に案内されていく。
リタの乗る馬車が敷地内に入場を許されたのは、到着して数十分後の事であった。
姿勢正しく座っていたのだが、衣装に気を遣い過ぎたのか腰が痛い。
早く外に出て腰をトントンと叩きたい――と思ったが、危ない危ない。
お姫様はそんな見苦しい動作はしないのだ。
腰が痛かろうが肩が凝ろうが、にこやかな笑顔で『ごきげんよう』。
求められる苦労の質は庶民とは違うが、完全に楽をして生きていける世界なんかないのだろうなぁ、とリタは心の中でそう悟る。
「本日はご来館いただき真にありがとうございます。
失礼ではございますが、招待状を拝見いたします」
双開きの大きな扉の前には衛兵が何人も並んでいる。
そして執事と思わしき格好のスーツの男性がリタの前で恭しく頭を垂れた。
「お招きにあずかり大変恐縮に存じます。
こちらをご確認下さいませ」
「……では」
老紳士は招待状の印章や名前を素早く確認し、パラパラと紙を捲る。
「リリエーヌ・ブレイザー様。
……金の髪に、蒼眼……はい、確かに」
年齢や髪の色、目の色までチェックが入るのか。髪の色ならまだしも、目の色を誤魔化すことは不可能。
だがそれとて万全ではないだろうし、本人がどうかの証明は難しい。
――まさかその名簿上の存在自体が
人を騙すのって、やっぱり罪悪感で心がズキズキ痛む……!
舞踏会場にようやく入館が許可され、扉を一歩踏み入った。
高い天井に吊るされたいくつもの豪奢なシャンデリアの輝きの下、クローレス王国の令嬢達がここに集っているのだ。
勿論婚約者がいない女性という条件は付くが、本来はこの舞踏会で主役の公子に見初められた相手が『勝者』になる。
だから事情を知るものにとってはこのイベントは茶番。
最初から結末が決まった、勝利を目指す令嬢達にはその勝ち筋さえ存在しない不公平な選定。
でも……
じゃあリタが勝者なのかと言われればそういうわけじゃない。
自分はいつでも契約を反故に出来る仮初のお嬢様の役を仰せつかっただけの――本当はこの場にいる権利もない庶民の娘。
この舞踏会に本当の勝者はいない。
でも、リタはただ漫然と選ばれればいいのだなんて口をポカンと開けているだなんて許されない。
ラルフの目が曇っているなどという言われなき誹りを受ける事の無いよう、『ちゃんとした』お嬢様になってみせる!
この別人に化けた”顔だけで選ばれた”なんて認識されたら困る!
長い髪は、動きづらい。
地面スレスレまで長いドレスも、転びそうでヒヤッとする。
……表情はにこやかに素知らぬ風で会場の奥へと進む。
負けないぞ、という火花がそこかしこで散る。
ここは、
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