第316話 アイリスの憂鬱再び


 三学期は今までと違い、時間が過ぎるのが早いと感じる。

 新入生として学園に入学したばかりの頃と比べて「学園生活の日常」に身体も心も慣れてしまっているからか。


 それに二学期は実質的に三か月以上の履修期間があるのに比べ、冬の休暇を終えて二か月もしない内に卒業式だパーティと、とても忙しないスケジュール。


 学園も完全に最上級生の卒業ムードが漂い、カサンドラも卒業パーティの事段取りを考えているとプレッシャーも相俟って何もないのに勝手に気ぜわしい日々を送っていた。


 週末の生徒会役員会議に出席するだけで緊張に強いられている。

 ――やはり学園の行事に一国の王様を来賓に招待するというのは大事だ。


 粗相がないように、念入りな打ち合わせに入るのは当然のこと。

 騎士団の協力を仰いだ武術大会での騎士達との折衝は確かに大変ではあったが、餅は餅屋というか本職のジェイクが生徒会に在籍しているおかげで通常よりスムーズに終わったと上級生たちに感動され労われていたことを思い出す。


 今回の本職と言えば王族の一人王子がそれにあたるのだろうが、いくら血の繋がった実父とは言え相手はクローレス王国の国王陛下。

 人の目のある所では他人行儀とも呼べる王子の態度を眺めていると、卒業パーティでの国王とのやりとりも負担が大きいに違いない。

 王子だからと彼に全てを丸投げすることのないようにしなければ。


 そう決意して生徒会室に意気揚々と駆け付けたカサンドラ。

 今日の進行を再確認しようと急いで扉を開けたのだが……


「まぁ、カサンドラ様。ごきげんよう」


 まさか自分よりも先に入室している役員がいるとは……!

 品行方正、楚々とした美女としか言いようがない正真正銘の高位貴族のお嬢様。

 ケンヴィッジ侯爵家の総領娘、アイリスが給湯場で人数分のカップを用意しながらこちらを振り向いて笑顔を向けているではないか。


 講義が終わってすぐに駆け付けたはずなのに、先を越されるとは。

 講義室の遠近の差なのでいかんともしがたく、カサンドラは鞄を置くと慌てて彼女の傍に駆け寄った。


 まだ会議開始まで余裕があるが、あと十分もすれば皆がぞろぞろとこの入って来ることだろう。

 その前に支度を終わらせなければとカサンドラは先輩の横に滑り込む。


「遅くなって申し訳ありません」


「私も今着いたばかりです、たまたま器楽の時間が早く終わったものですから」


 ふふ、と上品に微笑みを讃えるアイリスの真のお嬢様ぶりには惚れ惚れする。

 派閥を跨いで多くの女生徒達の憧憬の対象であり、マドンナ的存在なのも頷けるというものだ。

 成績も優秀で家柄も最上級に近く、公爵家次男との縁談が纏まっているアイリスはこの学園ではまさに無敵。


 彼女のような女性こそ王子の相手に相応しいという意見も沢山あっただろうなと思う。

 だが婚姻は家同士のやりとり、似合う似合わないやら当人の感情で決まるものではない。


「……カサンドラ様の同級生の件、大変残念に思っています」


「わたくしも残念です、まさか何の前触れもなく」


「二度とこのような悲しい事が起こらないよう、祈るしか私達には出来ませんね」


 週明けに発覚した、クラスメイトの有無を言わさぬ退学措置。

 こんな滅多にない事件、他の学年でも相当話題になっていたに違いない。


 カサンドラとて、ただ茫洋と日々を過ごしているわけではない。

 このような大事が生じた理由を、自分ばかりが蚊帳の外で知らないのは情報収集能力の欠如を露呈するというもの。

 それとなくデイジーや親しくしているお嬢さん、また講義で顔を合わせたシャルロッテ、また駄目押しとばかりに水曜日に王子から話を聞き出し――

 ようやくこの件の顛末を飲み込むことが出来たのである。


 あの男子生徒の家は廃されるに異論のない、かなり危険な行為をしていた事実が浮かび上がってきたことは事実のようだ。

 全くの事実無根の冤罪だったらそっちの方が怖いので、少なくとも「理由」がある、という事にホッとする。


 ドゥーエ男爵家の長男が娶った女性の散財癖のせいで、手を着けてはいけないお金に手を着けてしまった事が露見の発端だったらしいが。

 家の財政を傾ける程蕩尽したお嫁さん、失った金を工面するために相当な無茶をしたらしい。既に原因となった女性も一族離散ということで行方を晦ましており、残った債務を彼女の実家が負うことになった。


 ――そう、金銭的な問題。

 これはかなり話題としては出し辛い。

 しかもそれが原因で詐欺まがいなことをしでかして爵位を貶め剥奪される――なんて貴族にとっては死に等しい恥辱である。

 口にするのも憚られる顛末。


 有無を言わさず退学になったクラスメイトは自分の家の裏事情は知らないまま楽しく学園生活を過ごしていたのだろう。

 自分の手を染めた犯罪ではない事で、己の身が破滅した。


 それが『家』というものだ。生まれ落ちた家が貴族だから、皆が当たり前のように傅き敬ってくれる。

 だからこそ貴族と言う身を飾る保証が無くなれば、見向きもされない。


 一族の誰かの罪は郎党全てに影響を及ぼすのは仕方のない事だ。

 親兄弟の罪を知らなかったでは許されない。

 家の繁栄は一族の繁栄、一族の犯した罪は家の罪。


 その罪が露見したタイミングがカサンドラやリゼにとっては気がかりなものだったことは事実だ。

 だがありもしない罪を被せられて無理矢理強権で世界から排除されたわけではない。それだけは救いだった。

   

 カサンドラとアイリスはしばらく互いに無言で陶器の音を微かに響かせてセッティングしていく。  


「……今週末、私とても不安でなりません」


 沈黙を取り払うように、アイリスは別の話題を提示してくれた。


 ホッと安堵する。

 退学した生徒の事を良く知らないから話が膨らませようが無かったというのもあるが、何より下手に貴族のお家がらみのことを口に出したくはない。

 あまり中央の事情に詳しくないとアイリスに思われるのは嫌だし、かと言って人から漏れ聞いた噂話を適当に話題にするのも噂好きの下世話な人間になったようで気が咎めたもので。


「今週末……」


 今週末の大きなイベントと言えば勿論、ラルフのお嫁さん選びの大舞踏会の事をさしているのだろう。


「やはりキャロルさんの事が心配ですか?」


 ええ、と彼女は表情を曇らせて秀麗な眉宇を顰める。

 彼女の従妹のキャロルの事を想像するが、やはりカサンドラとしてはリタの事が気にかかってしょうがない。

 アイリスがキャロルの事を心配するのと同様、いや、それ以上に気にかけていると言っても良いだろう。


「あの、やはり義妹いもうと様達もご招待を?」


「そうなのです」


 珍しく辟易とした感情が駄々洩れになっているアイリスである。

 父親の愛情を全て腹違いの妹達に奪われ、数々の嫌がらせや心を痛めるような仕打ちを受けてきたのだ。

 言葉には出せないけれど、苦々しく思っていないわけがない。


 しかも対象が自分だけではなく従妹のキャロルにまで向かい、いたく傷つけられた過去がある。

 あの三姉妹まで招待されているなんてとんでもないと思うが、今回の候補者はあまりにも多数にのぼる。

 妾腹の娘だろうが委細構わず、貴族に所縁のある適齢の女性を一堂に会させるのだ。


 しかも舞踏会と言っても、男性はラルフだけだ。

 招待されたほぼ全員がまともに踊ることも出来ないのに支度だけさせられるのだからいい迷惑ではなかろうか。

 いや、自分の娘が万が一、奇跡的に見初められるかもと思えばどのご家庭も奮発して装いを整えるに違いない。


「そのようなご心配は無用です、アイリス様。

 大勢の注目する舞踏会で、ラルフ様の心象を著しく下げるような言動などなさいませんよ」


 いくら図太く精神が鋼鉄製で出来た三姉妹とは言え、由緒正しい名家のお嬢様が揃う舞踏会。

 しかもラルフがの嫁選びという大舞台で悪目立ちする事はない……と思う。


 でもあの三姉妹の事だから分からんぞ、とカサンドラは自分でも自分の言動に疑義を抱く始末だ。


「彼女達の事は良識を信じる他ありません」


 絶対に何か面倒ごとを起こしたり、粗相をしでかしそうな気がしてならない。

 だがそれを気に病んだところで、会場に招待されていないカサンドラやアイリスが義妹達の行動を制御できるわけでもない。

 ケンヴィッジ家の名に泥を塗るような真似をして欲しくないと言うのが、言葉にしない彼女の本音だろうか。


 だが彼女の浮かない顔は、それだけが心配なのではないようだ。


「元々あの子――キャロルは家柄を鑑み、ラルフ様のお相手に最も相応しいと評価されておりますよね。

 この舞踏会で選ばれることが無ければ……」


 ズキッと胸が痛い。

 ミランダではないが、自分が相手にとって最も相応しいはずなのに選ばれないという事がどれほど心を追い詰め焦燥感を焚きつけるものなのか。

 キャロルはラルフの事が好きというわけではなさそうで、選ばれなくても気にしないかも知れない。が、期待されていたのにそれに沿えなかったと周囲に落胆されるのは辛いと思う。


 順当に行けば纏まるはずだった話が彼女の不出来のせいで纏まらなかったのでは――なんて話になったら、あと一年残された学園生活での立場も難しいものになるだろう。

 ラルフと婚約する可能性が最も高い少女、だからこそ派閥の長として祭り上げられている側面もあるはずだし。その地位が脅かされるかもしれない。


 アイリスの不安は尤もだ。

 だがリタの恋路を応援するカサンドラとしては、その境遇を彼女には耐えて欲しいとしか言えないのが辛い。

 彼が選ぶ女性はたったの一人、それ以外は皆『敗者』として、新しい現実的な道を選んで行かざるを得ないのだから。


 リタの様子は明らかに変わった。

 落ち込んでいた彼女の姿は既にどこにもない。


 かと言って浮かれ続けているわけでもなく、どこか頼もしささえ感じる背中を見ていると、ああ、今が正念場なのだなと嫌でも分かってしまう。

 彼女は普段の口の軽さはどこへやら、カサンドラに会っても決してラルフの事を話すような真似はしなかった。

 誰にも事情を説明しないで欲しいという彼の口止めを律儀に守り、カサンドラにさえ報告しないつもりでいるのだ。

 並々ならぬ決意だと思う。


 カサンドラは事情を全部知っているからこっそり相談を受けるくらいは出来るけれど、リタも今回ばかりは秘密主義を貫くようだった。


 賽は既に投げられた。


 舞踏会で選ばれ、偽装恋人になれさえすればあとはラルフルートを順を追って攻略していくだけだ。


「カサンドラ様は、この度の大舞踏会の開催についてどう思われますか?」


「そ、そうですね。

 ヴァイル家の嫡男ともあろうお方に婚約者が決まっていない事の方が逆に不可解ではないでしょうか。

 とうとうヴァイル家も本気で相応しい女性を選ぶおつもりなのでしょうね」


「おかしいと思いませんか?

 ……こんな大規模な、いえ、まるで手当たり次第と表現しても良い人選……このような方法を採らずとも、ヴァイル家はご自由にお相手を選べるはずではありませんか」


 アイリスは思慮深い女性である。

 舞踏会が開かれることに違和感を抱いてもおかしなことではない。


 大勢の中から相応しい女性を選ぶ、というのは全ての招待客に対して平等なようでいて、実は全くそうではない。

 既に彼女は看過しているのだ。




「ラルフ様は、既にお心に決めた女性がいらっしゃるのではないでしょうか」



「何故、そうお思いに?」



「ここまで婚約者が決まらなかったことは、ラルフ様に強い拒絶の意志があったためと想像できます。

 想う女性のために、ここまで先延ばしにしてこられたのでは。

 ですが他の貴族からも再三の要請があったのでしょう、お相手をいよいよ選ばねばならない事態。

 ――ここまで大勢の女性を招待したということは、その中にラルフ様がお慕いになられている女性がいらっしゃるのではないでしょうか。

 通常の選定であれば候補に上がらないような身分や立場の女性なのでしょうね……ふふ、素敵なお話ですわ」


 想い人を紛れ込ませるために見境なく招待状を出した、と。


「そう……かもしれませんね。

 生憎わたくしはラルフ様の交友関係には疎く、皆目お相手に見当もつきませんが。

 アイリス様の仰るとおり、ここまで先延ばしにして舞踏会を開けたという事は、ラルフ様の粘り勝ちということでしょうか?」


 ドキドキと心臓が鼓動を速める。

 彼女の推測は概ね正しい。そのお相手が、架空の人物でただの婚約話除けの偽の恋人という事を除けば、だが。


「私は喜ばしい事だと思います、いえ、思いたいのです。

 ……あの方がキャロル以外の方を選ぶためだけに舞踏会を開いたとすれば、あの子は……」


 当て馬という言い方は良くないが、本来第一候補として相応しいはずのキャロルが「NO」を突きつけられたことになる。

 彼女自身がラルフとどうこうなりたいだと思っているようには見えないが、勝手に期待され勝手に失望され嘲笑される……


 従妹の立場を思えば、確かに良い状況ではない。



 何と言えばいいのか分からず、カサンドラは言葉を探して彷徨っている。

 アイリスと自分では、後援すべき相手が違う。

 勿論キャロルに傷ついて欲しいわけではないが、どちらかを選べと言われれば………





 そんな気まずい想いをしていた時、生徒会室の扉が開かれてジェイクとシリウスが中に入ってくる。




 いつの間にか会議の時間が差し迫っている、雑談をしている暇はないと二人の手の動きが早くなっていった。





 根本的な問題は解決していないが、助かったと言うべきか。


 皆が傷つかず、悲しまない世界なんてどこにも無い。

 分かっていても、キャロルの事を考えるとコーヒーを淹れるカサンドラの手に震えが走る。



 しょうがないじゃないか。


 この世界の運命が、そうなっているのだから。

 しかもズルをしたわけでもなんでもない、彼女は相応の努力を経てその権利を掴んだ。






   ――彼女の努力が報われて欲しい。

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